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学生時代、オーストラリアンフットボールを経験し、プロレス入り。2003年、PCWのメルボルン大会でデビューを果たした[1][2][3]。
2011年、初来日しZERO1に参戦した[1][2][3]。
その後、メルボルン・シティ・レスリング(MCW)などに参戦[1][2]。
2013年にTMDKに加入。加入直後にマイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト、ジョナ・ロックに続くTMDK第4の刺客、またTMDK初のジュニアヘビー級戦士としてプロレスリング・ノアへ初参戦を果たす[1][2][3]。
同年の第7回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦にアメリカROHのロデリック・ストロングと「米豪連合タッグ」を結成して初参戦、Bブロックにエントリーしたが、勝ち点2で2チーム同率のBブロック最下位に終わった[1][2][4]。
その後、新日本プロレスのオーストラリア大会や、アメリカの団体であるROHにも単発的に参戦する[1][2]。
2022年4月の両国国技館2連戦に、9年ぶりにプロレスリング・ノアに参戦[1][2]。両日とも自身の得意技で勝利した[5][6]。2013年のノア参戦時は正統派のコスチュームであったが、2022年参戦時は「ザ・ビジネス」を異名にして、派手なジャケットにサングラスを着用して入場。試合のここ一番になると、試合中にサングラスをかけて技をかけるというパフォーマンスを披露。
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