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この項目では、2004年に設立したプロレス団体(ZERO1-MAX時代も含む)について説明しています。
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プロレスリングZERO1(プロレスリング・ゼロワン、英: Pro-Wrestling ZERO1)は、日本のプロレス団体。
ZERO1は形式上「プロレスリングZERO-ONEの所属選手とスタッフの大半が独立して設立したプロレス団体」で法人格上も別会社である。しかし、2005年7月11日にZERO-ONEで選手兼代表取締役社長を務めていた橋本真也が逝去したこともあり、「ZERO-ONEの後継プロレス団体」という姿勢を強く打ち出している。なお、橋本はZERO1には参加していない。ZERO1の旗揚げ戦から年数はZERO-ONEの旗揚げ戦が開催された2001年3月2日を起点としてカウントしている。
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 6月1日、草間政一がAWAスーパースターズ・オブ・レスリング日本支部長に就任。これは設定上の地位であるものの、プロレス業界に未練のある草間がファースト・オン・ステージのフロント入りを希望し、代表の中村祥之の「営業に専念して仕事の負担を減らしたい」という思惑と一致したが、即フロント入りとする訳にはいかないためとりあえず取締役的地位に就任させて、その手腕を試す期間を設けるためであったと思われる。
- 7月、草間は「火祭り」の開会宣言を「草間ガニア政一」という名前で行った(ガニアとはAWAの帝王のバーン・ガニアからの引用とされる)。
- 10月1日、後楽園ホールでZERO1-MAX女子部「プロレスリングSUN」の旗揚げ戦を開催。
- 2007年
- 5月31日、草間がAWAスーパースターズ日本支部長を辞任。
- 12月、AWAスーパースターズとの関係が解消された。
- 2008年
- 1月、ZERO1-MAX総合格闘技部門「ランズエンドZERO-ONE MAX」を発足。
- 2009年
- 1月1日、団体名を「プロレスリングZERO1(プロレスリング・ゼロワン)」に改称。ZERO1総合格闘技部門の名称を「ランズエンドZERO1」に変更。
- 2011年
- 2014年
- 1月、大谷晋二郎が1月1日から新体制に移行すると同時に団体名変更の可能性を示唆したがファンの反対もあり団体名変更は見送られた。
- 2016年
- 2018年
- 2020年
- 3月1日、運営が株式会社ドリームオンステージから株式会社iFDに移行[5]。代表取締役に岩本和裕が就任し、前代表取締役社長の笹崎勝己は取締役に就いた。また同日に行われた後楽園ホール大会において、2021年3月14日に両国国技館で旗揚げ20周年大会を開催すると発表した[6]。
- 6月29日、コロナ禍により大会中止が相次ぎ財政状況が悪化したことを理由に、4月に代表の岩本が辞任したことを発表。また5月をもって高岩竜一、6月に佐藤耕平、日高郁人が退団したことを発表[7]。
- 7月11日、靖国神社で会見を行い、投資関連会社のダイコーホールディングスグループの子会社となる新会社「株式会社ダイコーZERO1」が運営を行っていく事を発表。代表取締役社長にはかつて大仁田厚の側近だった神尊仁が就任[8][9]。
- 8月 レギュラー参戦していた元WRESTLE-1のタナカ岩石が入団を発表しこれを機にリングネームを太嘉文に改名。
- 11月、火野裕士が団体との方向性の相違により退団。ユニットからも脱退した。
- 12月28日、12月31日付でSUGIが専属出場終了、また岩﨑永遠が本人同意のもと業務委託契約解除となることを発表[10]。RAICHOも参戦契約終了となった。
- 2021年
- 2022年
- 4月10日 11年ぶりに両国国技館で旗揚げ20周年&21周年記念大会を開催。メインで大谷晋二郎が試合中に頸髄損傷を負い長期療養となる。
- 2023年
- 1月1日、不動力也が再入団。朱鷺裕基がデビュー。
- 3月5日、アストロマンが「アストロ」に改名。
- 3月5日、太嘉文が現役を引退。
- 7月29日、後楽園ホールでの火祭り2023決勝戦を最後にオッキー沖田がZERO1リングアナウンサーを卒業し取締役として裏方業務に専念[12]。アストロ・ブラックに敗退したアストロが翌日から無期限休業[13]。
- 10月28日、新木場大会にて田中将斗、菅原拓也、ヤス久保田、ヒデ久保田、横山佳和、クリス・ヴァイスが「REAL ZERO1」を結成。
- 12月、北村彰基が一身上の都合で無期限の欠場を発表。翌年の元旦興行に田中将斗、菅原拓也、横山佳和、クリス・ヴァイスの不参加が発表された。
- 2024年
- 1月1日、後楽園興行を栃木プロレス主催でZERO1名義で開催。栃木プロレス臼井代表が挨拶を行い、オッキー沖田がリングアナを担当。工藤めぐみGM、笹崎勝己レフェリーは不参加となった。
- 1月28日、「REAL ZERO1」興行を開催された。試合後には今回不参加であったZERO1の若手勢(栃木プロレス勢)が来襲、その中にいた北村彰基が復帰を宣言した。また永尾颯樹は自分の決めた道を行くと発表しREAL ZERO1へ加入した。
- 3月31日、靖国神社で奉納プロレスをダイコーZERO1主催、カミウトラストホールディングス協力で開催。試合終了後に神尊社長、沖田取締役、笹崎レフェリーによる会見を行い、1月1日および3月3日の後楽園ホール大会の主催が栃木プロレスとなっている件(ダイコーZERO1は赤字興行が続いているため、会場使用料が嵩む後楽園ホールでの大会が事実上不可能となっていたため、取締役である沖田が、栃木プロレスの臼井代表に依頼してZERO1大会として開催にこぎつけた)やZERO1公式のスケジュールで栃木プロレス主催の大会か記載されていない件(ZERO1の一部選手が出場しないため、SNSおよびサイト担当の笹崎レフェリーが独断で記載しなかった)で、栃木プロレスの臼井代表が誹謗中傷されていると説明し謝罪した[14]。
- リングアナウンサー引退後も社内取締役としてZERO1の活動を支えていたオッキー沖田が、創始者である橋本真也の命日である7月11日にZERO1からの卒業を発表。リハビリ中の大谷晋二郎のサポートは今後も継続する[15]。
2011年1月、ZERO1がNWAと業務提携を結んでプロレスリングZERO-ONEが管理、NWAが認定していたNWA UNヘビー級王座、NWAインターコンチネンタルタッグ王座、NWAインターナショナルライトタッグ王座は引き続きNWAが認定することになった。3月、NWAがZERO1旗揚げ10周年を表彰してNWAプレミアムヘビー級王座を創設。7月11日、NWAはZERO1に参戦していたNWA世界ヘビー級王者のザ・シーク(2代目)(英語版)が、コロンバスでアダム・ピアースとの防衛戦をボイコットしたため、シークからNWA世界ヘビー級王座を剥奪。ZERO1に参戦していたNWA世界ジュニアヘビー級王者のクレイグ・クラシックはNWAにシークがNWA世界ヘビー級王座を剥奪されたことに抗議するが受け入れられず、クラシックは世界ジュニアヘビー級王座を返上したがZERO1はクラシックを引き続きNWA世界ジュニアヘビー級王者に認定。10月、ZERO1がNWAに抗議して業務提携を解消。11月3日、ZERO1はNWAへの当て付けとして王座認定組織「NWA(ニュー・レスリング・アライアンス)」を発足。クラシックが保持しているNWA世界ジュニアヘビー級王座の歴代数及び防衛回数は継承されることになった。
- 奉納プロレス
- 元気
- 若手選手による興行。
- 海岸プロレス
- 若手選手による興行。
- 子供のイジメ撲滅・元気ハツラツ
- いじめ撲滅を呼びかける目的で開催しているチャリティー興行。
- 栃木プロレス
- 大谷晋二郎が協力しているプロレス団体。
- 株式会社ファースト・オン・ステージ
- 株式会社ドリームオンステージ
- 初代代表取締役社長兼最高経営責任者:大野佳隆(2016年10月 - 2018年6月)
- 取締役社長 : 大谷晋二郎(2016年10月 - 2018年6月)
- 副社長 : 丸山昭一(2016年10月 - 2018年6月)
- 専務 : 柚原真紀(2016年10月 - 2020年6月)
- 営業統括本部長 : 笹崎勝己(2016年10月 - 2020年6月)
- 営業部次長 : 沖田佳也(2016年10月 - 2020年6月)
- 選手会長 : 田中正人(2016年10月 - 2020年6月)
- 選手副会長 : 小幡優作(2016年10月 - 2020年6月)
- 第2代代表取締役社長 : 笹崎勝己(2018年7月 - 2020年6月)
- 取締役会長 : 大谷晋二郎(2018年7月 - 2020年6月)
- 副社長 : 田中正人(2018年7月 - 2020年6月)
- 副社長 : 佐藤耕平(2018年7月 - 2020年6月)
- 専務 : 柚原真紀(2016年10月 - 2020年6月)
- 営業本部長 : 沖田佳也(2018年7月 - 2020年6月)
- 選手会長 : 高岩竜一(2018年7月 - 2020年6月)
- 株式会社ダイコーZERO1
- 取締役 : 沖田佳也(2020年6月 - 2024年7月11日)
- 終了した番組
- ゼロワン熱血通信(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
2005年、大谷晋二郎がプロレスを通じて選手が一生懸命戦う姿を見せて、いじめ、様々な困難に立ち向かう子供に勇気を与えるために活動している。2011年8月、「一般社団法人あなたのレスラーズ」として法人化。