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スコット・スタイナー(Scott Steiner、本名:Scott Rechsteiner、1962年7月29日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州ベイシティ出身。WCW、WWEなどで活躍した。甥はWWEスーパースターのブロン・ブレイカー[1]。
ミシガン大学にレスリング奨学生として入学、1983年にNCAA選手権に出場し、1984年にはロサンゼルスオリンピックの強化選手に選ばれるなどして活躍した[2]。同じミシガン州出身のザ・シークのコーチを受け、1986年にプロレスラーとしてデビュー。
インディアナポリスのWWAやメンフィスのCWAなどを転戦してキャリアを積んだ後、1989年より、テッド・ターナーのNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)買収で発足したWCWに参戦。実兄リック・スタイナーとの "スタイナー・ブラザーズ" で活躍する。以降、WCW、WWF、新日本プロレスなど各団体のタッグタイトルを獲得し、1990年代を代表する兄弟タッグチームとして一時代を築き、フランケンシュタイナーを始めとする数多くのオリジナル技を開発した。
1997年末、WCWでリックと仲間割れしてヒールに転向し、nWoに加入。ハルク・ホーガンに薦められ、髪を金髪に染めてビルドアップされた肉体を誇示するなど、スーパースター・ビリー・グラハムをモチーフとしたキャラクターへのイメージチェンジを果たした。マイクパフォーマンスの達者さもあってヒール人気を獲得し、USヘビー級王座を獲得したり、スタイナー・リクライナー(変形キャメルクラッチ)でダイヤモンド・ダラス・ペイジを病院送りにするなどして活躍した。
WWFとの視聴率戦争に敗れ、業績不振と内部体制の混乱から主力選手を欠くようになっていた晩年のWCWにおいても、人気実力共にトップヒールとして常に主力であり続けた。2000年11月26日にはブッカー・Tを破りWCW世界ヘビー級王座を初戴冠。その後長期に渡り王座を保持し、リック・フレアーらと "マグニフィセント・セブン" なるユニットを結成するなどした。翌2001年3月26日、フロリダ州パナマシティにて行われた『WCWマンデー・ナイトロ』最終放送でブッカー・Tにタイトルを奪還されるも、王者として最後の舞台に登場した。
WCW崩壊後はオーストラリアのワールド・レスリング・オールスターズを経て、2002年10月にWWEと再契約。フリーの超大物とされていたため参戦当初はRAW、スマックダウン間で双方のGMが勧誘合戦を展開。翌2003年1月よりRAWに所属後は、ベビーフェイスとしてトリプルHの保持していたWWE世界ヘビー級王座への挑戦者となる。しかし元々ヒール志向の上、決して器用な選手ではないために、2か月連続で行われた王座戦は、試合巧者トリプルHを相手にしながらも、2試合共にまったくの凡戦となった(この時期、トリプルHが振り下ろしたハンマーを真剣白刃取りで受け止めたことがある)。この大失態で翌月のレッスルマニア19では早くも出番を失い、以降はテストとの抗争やタッグを経るが次第に出番も少なくなり、2004年にリリースされ2005年からはノースカロライナ州のインディー団体UCWに出場した。
2006年よりTNAに参戦。ヒールとしてジェフ・ジャレットと組み、スティングやクリスチャン・ケイジらと抗争する。2007年にはチーム・ケイジのメンバーとなり、ヒールターンしたクリスチャンと共闘。しかし、5月のPPV "サクリファイス" にリック・スタイナーが登場し、その場でスタイナー・ブラザーズが復活、ベビーフェイスに転向した。以降はチーム3Dとの抗争を始めるが、6月4日に行われたハウス・ショーにて首を痛め、その日の深夜に呼吸困難のため病院に運ばれ緊急手術。2日間昏睡状態が続き生命が危ぶまれるも、1か月後に無事退院した。8月26日には全日本プロレスの両国国技館大会に来日。VOODOO-MURDERSのメンバーとして諏訪魔と組み、グレート・ムタ&TAJIRIと対戦した。
2008年にリックがTNAを離脱してからは、2009年よりWCW時代のライバルだったブッカー・Tと新チームを結成。8月16日にチーム3Dを破り、TNA世界タッグ王座を獲得した。タッグ王座陥落後からしばらくしてTNAを退団したが、2011年1月27日の放送において襲撃されたカート・アングルを救出する形で登場した。復帰後はロブ・テリーやマット・モーガンとの抗争、クリムゾンとのタッグチーム結成、ハルク・ホーガン率いるヒールユニット "イモータル" への加入などで活躍する。しかし、11月のPPV "Turning Point" を最後に登場しなくなり、数か月リングに上がらないまま2012年3月にTNAからリリースされた。
リリース後は各地のインディー団体で活動を続け、ヨーロッパのインディーにも進出している。2013年5月にはリックとのスタイナー・ブラザーズでイギリスのPCW(プレストン・シティ・レスリング)に参戦し、PCWタッグ王座を獲得[3]。6月2日にはオランダのDPW(ダッチ・プロレスリング)でシングルのヘビー級王座も獲得した[4]。同月22日の "House of Hardcore 2" にもスタイナー・ブラザーズで出場、エディ・キングストン&ホミサイドと対戦している[5]。2015年5月18日にはGFWへの参戦を表明。同年6月7日にはニューヨークのBTW(ビッグ・タイム・レスリング)でロブ・ヴァン・ダムとシングルマッチを行った[6]。
パンプアップされた肉体から繰り出す馬力と瞬発力を利用した豪快な力業、さらに対戦相手を危険な角度で落とす投げ技が持ち味。1990年代後半からのキャラクターチェンジ前後でファイトスタイルは大幅に変わった。
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