- 1995年 - 1998年
- 1998年 - 2001年
- 大学卒業後、アルバイトをしながら教員試験を受け続ける。この間もアマチュアの格闘技サークルで総合格闘技の練習に励む。
- 2001年
- アルバイトでDDTプロレスリングのリング設営中、選手が足りないから試合に出るように声をかけられる。2月15日、覆面レスラー「コニカマン」としてDDTでリングデビュー。8月12日の秋葉原大会で「HERO!」としてDDTで正式にデビュー[1]。
- 2003年
- 2004年
- 9月30日、再びKUDOとKO-Dタッグを戴冠(第16代)。
- 2005年
- 黒マスクのヒール「ダークサイドHERO!」に変身。大鷲透とのタッグで第20代KO-Dタッグ王座も獲得した。
- 2006年
- 1月、マスクを脱いでリングネームを「HARASHIMA」に改める。
- 大鷲透、高木省吾とヒールユニットDISASTER BOXを結成。しかし突然の大鷲のベビーフェイス宣言によって方向性の違いで対立、軍団を離脱している。
- GPWAの第1回興行のメインに選ばれるなど、レスラーとして確実に成長している。
- 12月29日後楽園ホールにおいて大鷲透を破り第23代KO-D無差別級王者に輝いている。
- 2007年
- 2008年
- 3月9日後楽園ホールでヤス・ウラノから防衛するも、5月6日後楽園ホールでディック東郷に敗れ、王座転落。
- 大鷲透とDISASTER BOXを再結成し、10月26日後楽園ホールで第27代KO-Dタッグチャンピオンに。11月には高木三四郎&石川修司組に初防衛。
- 2009年
- 1月24日、新木場1stRINGにて飯伏幸太&ケニー・オメガ組に敗れ、KO-Dタッグチャンピオンから陥落。
- 5月4日、後楽園ホール大会のKO-D無差別級選手権試合にて、高木三四郎から勝利し第28代王者となった。
- 5月31日、大阪大会にてKUDOの挑戦を退け、初防衛に成功。
- 7月19日、新宿FACE大会にてKO-D無差別級選手権への「いつでも挑戦権」を持つ矢郷良明からの挑戦を受けるが、これも退け2度目の防衛を果たした。
- 8月23日、「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」にてKO-D無差別級のベルトに飯伏幸太の挑戦を受けたが、新技フェニックス・プレックス・ホールドに敗れベルトを失った。
- 2010年
- 2011年
- 4月、HARASHIMAの前に藤田ミノル似のHERO!が姿を現す。戸惑うHARASHIMAだが、HERO!ファンであった鶴見亜門GMの提案によりタッグを組むことに。ダーティーなファイトを見せるHERO!に手を焼きつつも、第37代KO-Dタッグ王座を獲得するに至る。HERO!は10月をもってHERO!星に帰った。
- 2012年
- 2013年
- 2014年
- 3月にKUDOに敗れてKO-D無差別級王座を失ったが、5月に奪還成功。第48代王者となった。
- 12月31日、年越しプロレス開催中に日本インディー大賞のMVPを受賞する。
- 2015年
- 2020年
- 7月6日、DDTの公式サイトで一般女性との結婚を発表。同時に非公開としてきた生年月日などのプロフィールを公開した[3]。
どんなスタイルでもこなす順応性と相手の攻撃を受け切る肉体を誇り、その安定度には抜群の信頼を置かれている。
- 蒼魔刀
- 現在のHARASHIMAのフィニッシャー。ランニングダブルニーアタックと同型。仰向けになった相手の上半身を引き起こして尻餅をつかせた状態にして、相手と距離をとって助走してジャンプしながら両膝を突き出すように両膝を折り畳み、突き出した両膝を相手の顔面目掛けて叩き込む。バリエーションとしてその場で放つゼロ距離蒼魔刀や立っている相手狙いのスタンディング式、大一番で使用されるスワンダイブ式などがある。技名の由来はゲーム「蒼魔灯」から[4]。
- 山折り
- ファイヤーマンズキャリーの状態で肩に担ぎ上げた相手を頭上に跳ね上げて、自分は両膝を立てたまま仰向けに寝ることで腹部を打ち据える変形のストマックブロック。蒼魔刀へつなぐ布石として放たれることが多い。稀にリフトアップしてから落とすパターンも使用する。
- リバースフランケンシュタイナー
- 相手の背後から跳び上がり、自分の両足で相手の頭部を挟み込んでそのまま後方に反り返り相手を後頭部から叩きつける。山折りと並んで蒼魔刀へつなぐ布石として放たれる場合が多い。
- つるべ落とし
- カナディアンバックブリーカーに担ぎ、首を掴んでインプラントDDTの形で落とす。大一番では垂直落下式で行う。
- ジョン・ウー
- SUWAのオリジナル技。走りこんでの正面飛び低空ドロップキック。主に相手をコーナーへ突き飛ばすのに使用する。
- ペンデュラム
- 相手をコーナーに詰めた様態で座らせ、自分はトップロープに掴まり振り子の要領で相手に膝を叩き込む。主に連続で使用する。
- スワンダイブ式ボディプレス
- 一試合に一回は見せるお約束技。大鷲が放つレッグドロップに合わせて仕掛ける合体技も存在する。
- ファルコンアロー
- ハヤブサのオリジナル技。石川修司(体重130kg)を担ぎ上げて繰り出したこともある。
- 雪崩式ブレーンバスター
- 「いくぞー」の掛け声とともに放つ。
- バズソーキック
- ファイヤーバードスプラッシュ
- HERO!の時代はHERO!スプラッシュの名称で使用。
- ライダーキック
- 「チェストォー」の掛け声とともに放つ片足でのミサイルキック。
- 子泣きクラッシュ
- バッククラッカー
- HERO!ドライバー
- カナディアンデストロイ。HARASHIMAがHERO!時代に使用していた技であるが、2014年に高尾蒼馬のジントニックを切り返すために久々に使用した。
- パイルドライバー
- マージャンスープレックス
- パワーボムの体勢で相手を振り上げながら前に落とさず、そのまま後方へ持っていきブリッジする。いわばリバース・ジャーマン・スープレックスであることからこの名が付いた。相手は尻餅状態になるだけだが、綺麗なブリッジ状態にレフェリーが思わず3カウントを叩きそうになってしまう、という学生プロレス時代のネタでしかなかったが2010年、当時痔ろうを患っていた男色ディーノを相手に解禁。
- 帝京大学プロレス研究会では真壁刀義(新日本プロレス)の3年後輩。その真壁を目標とし、2010年3月14日のDDT後楽園大会では、真壁とのシングルマッチが実現した。夢見ごごちで、不思議な感覚だったと当時のことを振り返った。尊敬するプロレスラーを聞かれた際には、1番に真壁をあげた。[5]2012年8月18日のDDT日本武道館大会ではタッグを結成。
- 試合終了後のマイクアピールの締めをよく任される。今後の目標等を「○○してやるさー」と語り「なんでー」と観客に聞かれ、「なんでかって。それは鍛えているからだー」の一言で締めるのが恒例[1]。
- ヤス・ウラノとはレスラーになる前一緒にDDTへリング屋のバイトとして出入りしており、10年来の付き合い。ハヤブサの事故の一報も、会場にいたウラノから聞いたという(週刊プロレスインタビューより)。
- デビュー時は実は島原の乱交というリングネームだったが、即阿修羅・原島に改名したことがFC限定のトークイベントで発覚する。
- 現在のコスチュームは黒と青が基調となっているが、BOYZ興行ではシルバー、ハードヒット参戦時は赤のコスチュームを、それぞれ着用している。
- 暗黒プロレス組織666参戦時にはリングネーム「破羅死魔」を使用。
特記しない場合はHARASHIMAとしてのタイトル歴。
- DDTプロレスリング
- 年越しプロレス
- 天下統一!三団体最強決定トーナメント優勝(2013年・シングル戦)
- 年忘れ!シャッフルタッグトーナメント優勝
- 年忘わ!シャッフル・6人タッグトーナメント優勝
- 日本インディー大賞
- SOUMATOU ~HARASHIMA メインテーマ~2023ver.
- SOUMATOU ~HARASHIMAメインテーマ~
- The Dividing Line / ダーク・トランキュリティ
- 「HERO」-Main title-
- Outsider / Chumbawamba
「2014プロレスラー カラー写真名鑑」p.8、週刊プロレスNo.1714、2013年12月5日増刊、ベースボール・マガジン社