富山・長野連続女性誘拐殺人事件
1980年2月 - 3月に日本の富山県・長野県で発生した連続殺人事件 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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富山・長野連続女性誘拐殺人事件(とやま・ながのれんぞくじょせいゆうかいさつじんじけん)は[16]、1980年(昭和55年)2月と同年3月に日本の富山県と長野県(中部地方および北信越地方)で相次いで発生した身代金目的の誘拐殺人事件、および連続殺人事件[17]。若い女性2人が女M・T(以下「M」、各事件当時34歳:1998年に死刑確定)によって身代金目的で誘拐・殺害された[18]。また犯人Mの愛人であった北野 宏(1992年に無罪確定)がMの共犯者として誤認逮捕・起訴された冤罪事件でもある[19]。
![]() | 本記事の主題事件で無罪が確定した元被告人の男性・北野宏は、雑誌『VIEWS』(講談社)へ実名で事件に関する手記を寄稿[1][2]しており、削除の方針ケースB-2の「削除されず、伝統的に認められている例」に該当するため、実名を掲載しています。 |
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富山・長野連続女性誘拐殺人事件 | |
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正式名称 | 警察庁広域重要指定111号事件[3] |
場所 | |
標的 | 若い女性 |
日付 |
1980年(昭和55年)2月 - 3月 (富山事件:2月23日 - 25日) – (長野事件:3月5日 - 7日) (UTC+9) |
概要 |
女M(各事件当時34歳:死刑が確定)が富山県と長野県で、身代金を得ることを目的に若い女性2人を相次いで誘拐・殺害した。 犯人Mは愛人の男性とともに逮捕・起訴されたが、男性は後に無罪が確定した。 |
攻撃手段 | 睡眠薬を飲ませて被害者を昏睡させた上で、腰紐を使って絞殺し、死体を山中に遺棄する[4] |
攻撃側人数 | 1人 |
武器 | 腰紐[4] |
死亡者 | 2人(AおよびB)[5] |
被害者 | |
犯人 | 女M・T(各事件当時34歳) |
動機 | 借金返済や東京周辺への移住[7]、愛人関係の維持のために資金を得ること[8] |
対処 | M・北野の両名を逮捕・起訴 |
謝罪 | 犯人Mは両事件の被害者遺族に謝罪の手紙を送ったが、遺族は謝罪を拒絶[9][10] |
刑事訴訟 | |
影響 | 広域犯罪捜査のあり方、冤罪の原因となった密室での取り調べ、犯罪報道のあり方に課題を残した。 |
管轄 | |
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富山・長野連続誘拐殺人事件[20][21][22][23]、富山・長野事件[24][25][26][27]とも呼ばれる。また、犯行に用いられた車が赤いフェアレディZだった[28][29]ことから、赤いフェアレディZ事件[30][29]、「赤いスポーツカー」事件[31]とも呼ばれる。
犯人Mは1980年2月、富山駅(富山県富山市)付近で県内在住の女子高生A(当時18歳)を言葉巧みに誘拐して睡眠薬で眠らせ、腰紐で絞殺して死体を岐阜県吉城郡古川町(現:飛騨市古川町)[注 1]の山中に遺棄した[11]。また同年3月には長野県長野市で、信用金庫に勤めていた帰宅途中の女性会社員B(当時20歳)を誘拐して同様の手段で絞殺[11]。死体を小県郡青木村の山中に遺棄したほか、被害者Bの家族に対し、身代金を要求する電話を複数回掛けた[11]。
一連の事件は警察庁により、広域重要事件111号に指定された[3]ほか、中部管区警察局も本事件を認定第1号事件[注 2]に指定した[35]。長野事件は戦後の日本で発生した20歳以上の成人を標的にした身代金誘拐事件としては22件目で、このうち被害者が殺害された事例としては3件目だった[注 3][36]。
一連の事件は日本全国に衝撃を与え[37]、捜査を担当した長野県警察からは「連続女性誘拐殺人という史上前例のない凶悪事件」と評されている[38]。昭和56年版『警察白書』[注 4]によれば、1980年は身代金目的誘拐事件の件数(13件発生)が当時、史上最多を記録した年で、誘拐された11人のうち本事件の被害者2人を含む4人[注 5]が殺害されていた[40]。