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自分で自身の命を断つこと ウィキペディアから
自殺(じさつ、英: suicide)とは、自分の生命を絶つこと[2]。自害(じがい)、自死(じし)、自決(じけつ)、自尽(じじん)、自裁(じさい)、刀剣類を使う場合は自刃(じじん)などともいい、状況や方法で表現が異なる場合がある。
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
世界保健機関(WHO)は2016年時点で、全世界において約80万人が毎年自殺していると報告している[3][4]。このWHO報告などによると、世界の自殺の75%は低所得および中所得国で起こり[4]、自殺は各国において死因の10位以内に入り、特に15 - 29歳の年代では2位になっている[3][5]。
自殺は様々な事情が絡み合って行われる[6]。高所得国においては、自殺と精神的な不調(特に抑鬱とアルコール乱用)には関係があることは明らかになっており、自殺の多くは、人生のストレスが各人の対処能力を超えてしまい破綻状態となった危機的な時(たとえば経済的苦境、人間関係の破綻、病気と疼痛の長期化など)に衝動的に行われている[4]。
WHOは「自殺は、そのほとんどが防ぐことのできる社会的な問題。適切な防止策を打てば自殺が防止できる[7]」として[6][8]、世界自殺予防戦略(SUPRE)を実施している。このようなWHOに準ずる形で、各国で行政・公的機関・NPO・有志の方々による多種多様な自殺予防活動が行われている。
日本に設けられている『支援情報検索サイト[9]』『いのち支える相談窓口[10]』や、様々な 電話相談窓口[11]・SNS相談窓口[12]は、「多種多様な悩みをご相談いただけます[9]」「もし、あなたが悩みを抱えていたら、その悩みを相談してみませんか[11]」と呼びかけている。
自殺をどのような概念としてとらえるか、またその法律上の扱われ方は、時代、地域、宗教、生活習慣などによって異なっている[13]。欧米などキリスト教圏では伝統的に自殺は罪と見なされ、忌避されてきた(「#宗教と自殺」参照)。文化的に推奨される場合には、社会的圧力によって自殺が強要される場合もある。チェコのヤン・パラフや、フランスにおけるイラン人焼身自殺などである。また「抗議の意思を伝える政治的主張のため」とする自殺が行われる場合がある。これは「焼身自殺」でも後述する。
自殺が、家族や以前自殺者にかかわったことのある人々、偶然もしくは業務上自殺後の対応にかかわった人々、さらに社会に対して及ぼす心理的影響・社会的影響は計り知れないものがある[6]。自殺が1件生じると、少なくとも平均6人の人が深刻な影響を受ける[6]。学校や職場で自殺が起きる場合は少なくとも数百人の人々に影響を及ぼす[6]。たとえば、「うつ病、不安障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの深刻な危険を生じかねない」「さまざまな深刻な心理的苦痛に圧倒される」「遺された人自身が自殺の危険を伴う事態に追い込まれることすらある」とされる[14]。また「自殺の事実を知った人の多くは、まず衝撃で頭の中が真っ白になり、すべての感覚がマヒ状態に陥ってしまう」「多大な罪責感にさいなまれ、抑鬱状態になる」「長期にわたり影響が残り続け、心的外傷後ストレス障害などの精神障害を発症する」とされている[15]。
自殺を意味する英語suicide(スーサイド)自体の歴史は比較的浅く、『オックスフォード英語辞典』(Oxford Dictionaries)の【suicide】によると、1651年、ウォーター・チャールトンによる1651年の文にある「自殺によって逃れることのできない災難から自己を救うことは罪ではない」という文が初出とされる。この用語の語源は現代(近代)ラテン語の「suicida」であり、「sui(自分自身を)」+、「caedere(殺す)」という表現である。
他にも1662年、1635年という説もあり、いずれにしても17世紀からの使用が定説とされる。それ以前には「自己を殺す」「死を手にする」「自分自身を自由」にする、などの表現があったが、一言でまとまってはいない。米国自殺学会のエドウィン・S・シュナイドマン(en:Edwin Shneidman)は「魂と来世という思想を捨て去ることができたとき、その時初めて、人にとって"自殺"が可能になった」と述べて、観念の変化が反映していると指摘した[16]。来世や魂の不死といったことを信じたとき、死は単なる終わりではなく別の形で「生き続ける」という存在の形態を移したものに過ぎなくなるからである。この概念の登場したのには死生観の変化がある。
このように自殺の問題は「死」をどう捉えるかということと不可分の関係にあり、文化や時代によってさまざまな様相を呈する。
日本の仏教では自殺を「じせつ」と読む。死は永遠ではなく輪廻・転生により生とは隔てがたいと、死生観を説いた。殺生は十悪の一つに数え、波羅夷罪(はらいざい)を犯すものであるとして、五戒の一つであるため、自殺もそれに抵触するとして禁じられているが、真言宗豊山派の寺院石手寺は「自殺者が成仏しないという考えは仏教にはない」という見解を示している[17]。病気などで死期が近い人が、病に苦しみ、自らの存在が僧団の他の比丘(僧侶)に大きな迷惑をかけると自覚して、その結果、自発的に断食などにより死へ向う行為は自殺ではないとされる(『善見律』11)。また仏や菩薩などが他者のために自らの身体を捨てる行為は捨身(しゃしん)といい、これは最高の布施であった。また、焼身往生や補陀落渡海、密教系仏教の入定(即身仏)や行人塚のように人々の幸福のために自ら命を絶った例があった。
現代の日本では、仏教僧が「自死・自殺に向き合う僧侶の会」を組織して遺族や自殺を考える人の話を聞いたり[18]、宗派を問わない追悼法要を増上寺で毎年行ったりしている[19]。
自殺願望を持つ人への支援を行う際には、何よりもまず時間をかけて丁寧に本人の気持ちに耳を傾けていく。この際、一般論を押しつけたり話題をそらしたり激励をしたりすると、一度開きかけた心を再び閉じさせてしまい、孤独感を強め自殺願望を増幅させてしまう。そのため支援者は、本人と時間を共有し、共感的に耳を傾け、信頼できる援助関係を構築していく。このようにして形成された関係性は、本人の心理的なよりどころとなり、自殺したい気持ちを和らげていく効果がある[20][21]。
次に、自殺願望をもたらす背景要因に共感的に耳を傾けた上で、その背景要因へのアプローチを行っていく[22]。精神医学的要因にとどまらず、心理社会的ならびに経済的要因まで含めて広範なアセスメントを行い、必要なソーシャルワーク(社会的支援)を試みる。たとえば、背景要因として多重債務や家庭内における暴力被害が見出された場合、司法書士や配偶者暴力相談支援センター、福祉事務所等の適切な支援資源につなげていく[22]。この際に支援者は、支援機関へ同行する、家族などに同行を依頼する、支援機関に連絡して確実に対応してもらえるよう日程を押さえる等、支援資源に確実につなぐための配慮をすることが重要である[22]。
世界保健機関(WHO)の自殺予防に関する特別専門家会議によると、自殺の原因は個人や社会に内在する多くの複雑な原因によって引き起こされるものの、自殺は予防できることを知ることが大切で、自殺手段の入手が自殺の最大の危険因子で自殺を決定づける、とした。毎年9月10日は「世界自殺予防デー」として、WHOと国際自殺防止協会( IASP=The International Association for Suicide prevention)、その他の非政府組織によって、世界保健機関加盟各国で自殺防止への呼びかけやシンポジウムが行われている。日本でも2007年から、16日までの1週間を自殺予防週間と定めており、地方自治体や関係機関が9月に各種啓蒙運動を行っている。
アメリカ合衆国政府は自殺につながるような自殺防止のための無料電話を、かつての10桁番号から、2022年7月に3桁(988)に短縮するなど相談しやすくしたが、差し迫った自殺の危険があると判断された場合に警察に通報されかねないことへの警戒・反発も起きている[23]。
日本における自殺対策としては相談室の設置、カウンセラーの増強などの対策が取られている地域がある(各都道府県・都市の相談窓口一覧(外部リンク:自殺総合対策推進センター(JSSC)))。2006年10月28日には自殺対策基本法が施行され、『自殺対策白書』が発表されている。民間では悩み相談を受け付けるNPOやボランティアが相談窓口を開設している(いのちの電話など)[24][10]。
WHOのデータによると、宗教で自殺をタブーとしている宗教での自殺率は低く、タブーとしていない仏教などの宗教、そして無宗教と順に自殺率が高くなっている。これら宗教での自殺率が低い理由として、仏教を含めて、宗教関係者がカウンセラーとして相談窓口を提供し、自殺防止に貢献していることが考えられる。窓口としては、各宗派の宗教施設、仏教テレフォン相談[25]などがある。
自殺予防に向けて悩み相談に乗る者は、ゲートキーパーと呼ばれる。これは特別な人ではなく、相手を心配して相談に乗りたいと思う全ての人がゲートキーパーである。その相談や気付きの方法としては、以下の取り組みが推奨されている。
日本では、厚生労働省から公開されており印刷してポケットに入れられる『誰でもゲートキーパー手帳』、研修用の『ゲートキーパー養成研修用テキスト』で誰でもゲートキーパーの知識を習得可能となっている[26]。カウンセラーやゲートキーパーらは「TALKの原則」で相談に乗るようにとされている。日本で行われる「TALKの原則」とは、自殺したいという気持ちを否定せず思いやりを持って、誠実な態度で話しかける(Tell)、自殺についてはっきりと尋ねる(Ask)、相手の話に傾聴する(Listen)、安全を確保する(Keep safe)の頭文字から来ている[27]。
英語圏のゲートキーパーは、Question(質問)、Persuade(説得)、Refer(医師などの専門家を紹介する)の頭文字からQPRで対応を行っている。このQPR Gatekeeperは習得が容易で、1 - 2時間程度で習得でき、オンラインの講義も可能で多くの人が履修できるようになっている[28][29]。
ストレスへの対処や逆境の時の対応など、自殺を抑制するように報道することで、自殺を抑制するパパゲーノ効果が現れる。WHOから自殺を誘発させるウェルテル効果が起きないよう『自殺報道ガイドライン』が公布されており、厚生労働省からもガイドラインに従うよう メディア関係者の方へ 要請が行われている[32]。
GoogleやYouTubeを運営しているAlphabetでは、「自殺と自傷行為に関するポリシー」を掲げており、相談窓口のリスト提供や配信動画への対応を行う。実際に、違反する動画の削除を行うほか、医療関係者などの関連動画や検索結果については配信前に注意文が掲載されるようになっている[33]。
FacebookやInstagramを提供しているMetaでは、「自殺や自傷行為に関する投稿を見かけた場合の対応策」をサポートチームが提供しており、サポートを行える情報提供を行っている[34]。
Wikipediaを運営しているウィキメディア財団の信頼と安全チームは、m:Mental health resourcesにてメンタルヘルスなどの対応相談組織のリストを管理し情報提供を行っている。
自殺した家族・身近な人には、相談してくれなかったことや救えなかったことへの自責、孤立感、自殺に追いやった問題への怒りなどをへて、身体的・精神的な複数の影響が長期的に出る[65]。この問題に対して、政府をはじめ、多くの自治体や相談窓口が対応を行っている。
その他、複数人の自殺が、近接した時間・場所において実行される群発自殺があり、これはメディア報道がきっかけとなって起こることが多い。群発自殺には、複数の自殺志願者が、お互いに合意の上で同時に自殺する集団自殺がある。インターネット上の自殺サイトを媒介として実行されたことがあった。戦争での集団自決とは異なる。
有名人の自殺の後追い自殺などを連鎖自殺、模倣自殺ともいい、その他一般人の凄惨な自殺を報じるニュースが、模倣者を発生させる現象のことも含めてウェルテル効果ともいう。オーストリアなどでは報道の仕方を変えることで群発自殺を減らせることが実証されている。疾病や人間関係など解決困難な問題から逃れるために自殺したい状態を自殺願望、具体的な理由はないが死にたいと思う状態を自殺念慮と使い分けることがある[66]。
その他の類型として、利他的あるいは偽利他的な動機から相手の同意なく他人を自殺行為に巻き込む拡大自殺(Extended Suicide)、自身で直接自殺するのではなく、犯罪を犯して死刑になることで司法の手を借りて自殺しようとする間接自殺などがある。警官を挑発して事件現場で殺害されようと企てる(俗にいう「警察による自殺」)場合もある。
自殺は社会的な制度として行われることもある。宗教的な理由から生け贄として自害するなどである。また一部のカルト宗教において、ある種の死によって魂が救われる、と教祖的立場の人間が説く場合に発生することがある(「カルトの集団自殺」)。自爆テロなどの事例があり、こうした死が殉教と見なされる場合もある[67]。
歴史的には、キリスト教の過激派が、わざと旅人などを襲い、反撃を誘うことで自らを殺させて、殉教を達成しようとする「キルクムケリオーネス運動」などの異端が存在した。
自殺に関連、また類似したものとして以下のものがある。
自殺脅迫という、本気で死ぬ気が無いのに、○○したら/しなかったら自殺すると相手を脅迫する行為もある。恋人や配偶者、公務員に対して行われることが多い[68]。
積極的な安楽死とは、致死性の薬物やガスを投与・摂取することにより、苦しまずに死に至るという概念である。アメリカ合衆国の一部の州、オランダ、スイスなどの国々では、末期の癌や疾病等で多大な苦痛があり、確実に死が目前に迫っている、患者本人が希望する場合は、致死性の薬物やガスを投与する、または本人に提供して本人が自己摂取することにより、苦しまずに死に至る安楽死が法律で認められている。
消極的な安楽死または尊厳死とは、救命回復のための治療も、疾病の進行の抑止・遅延の為の治療も、生命維持の為の治療も行わず、緩和ケアの治療は行い、苦しまずに死に至るという概念である。消極的な安楽死または尊厳死は、一般論としてどこの国においても、法律により強制隔離・強制治療が義務付けられている感染症、精神病を例外として、本人の意思に基づくならば違法性はなく、医師、看護師、家族が犯罪として法的責任を問われない。
なお、米国では病院内での重大な医療事故の最多のものは自殺であるという(独立系・非営利組織の医療施設評価認証機構である「ジョイント・コミッション」の医療事故報告による)。日本での日本医療機能評価機構による調査では、調査の3年間に29 %の一般病院(精神科病床なし)で自殺が起こっている。その自殺者の入院理由となる疾患は、35 %が悪性腫瘍(癌)である。
自傷段階の場合、現世への希望をまだ諦めきっていないため、なんらかの事態の改善につながる助けを求めている傾向があるとされるが、自殺ではコミュニケーションを求める行為はほとんどみられず、またそのような心の余裕もないことが多い[69]。
以下、Walsh(2005)による自傷行為と自殺未遂の判定表を挙げる。ただし、双方は死への意図のあるなしではなく強弱の同一線上にある例も多いため、一種の指標として柔軟に用いるのが望ましい。
番号 | 項目 | 自傷行為 | 自殺企図 |
---|---|---|---|
1 | 行為そのもので期待されるもの | どうにもならない感情の救済(緊張、怒り、空虚感、生気のなさ)。 | 痛みから逃れること。意識を永久に終わらせること。 |
2 | 身体的ダメージレベル、および潜在的に行為が死に至る確率 | 身体的にはあまり強くないことが多い。致死率はあまり高くない方法を好む。 | 深刻な身体ダメージを及ぼすことが多い。致死率が非常に高い方法を好む。 |
3 | 慢性的、反復的であるかどうか | 非常に反復的である。 | 反復的なことは少ない。 |
4 | 今までにどの程度の種類の行為を行ってきたか | 2つ以上の種類の方法を繰り返し行う。 | 主に1つの方法を選ぶことが多い。 |
5 | 心理的な痛みの種類 | 不快感、居心地の悪さが間欠的に襲ってくる。 | 耐えられない感情が永続的に続く。 |
6 | 決意の強さ | もともと自殺するつもりは強くないのでそれほど強くはない。他の選択肢を考えることもできる。一時的な解決を図ろうとして行ってしまうことが多い。 | 決意が並外れて強い。自殺することが唯一の救いとしか思えない。視野が狭い。 |
7 | 絶望、無力な感じがどの程度あるか | 前向きに考えられる瞬間と、自分をコントロールする感覚を少しは保っている。 | 絶望、無力感が中心で、一瞬であってもその感情を外すことができない。 |
8 | 実行することで不快な感情は減少したか | 短期的には回復する。間違った考え方も感情も行為そのものによっておさまる。「意識の変化」を起こす。 | まったく回復しない。むしろ自殺がうまくいかなかったことによってさらに救いがもてなくなる。即時の治療介入が必要。 |
9 | 中心となる問題は何であるか | 疎外感。特に社会の中での自らのボディ・イメージ(アイデンティティにもつながる)が築けていないこと。 | うつ。逃れられない、耐えられない痛みに対する激しい怒り。 |
いずれの場合でも状況を一見しただけで安易に自殺であると断定するのは拙速であることがあり、特に有名人の自殺に関しては多くこの問題が取り上げられる。
警察の捜査で自殺と断定された事件が事故または殺人事件ではないかと疑われる例は以前から存在している。反対に、自殺であるにもかかわらず、遺族が故人の自殺を恥じるなどの理由によって事故とされている場合も存在するのではないか、ともいわれている。
日本では、徳島自衛官変死事件のように遺族とのトラブルや訴訟となった例もある。また、日本で起きた生坂ダム殺人事件は、警察により自殺として処理されたが、発生から20年後に犯人が名乗り出たため、殺人事件であることが判明している。
なお、警察庁統計では、司法解剖による鑑定において自殺と断定された案件においても遺書が残されている件は半数以下である。また、遺書の真贋を本人に質問できないので偽造や執筆強要だとしても認定が難しい[70]。
他、自殺を考えている者が、あえて犯罪などの問題行動を起こすことで、警察に自分を攻撃するように誘い、わざと射殺されようとする「警察による自殺」もある。この場合、実際に他者を傷つける事件もあることから、遺書などがないと自殺を企図していたかどうか、判断が難しい場合がある。
死亡しなかった場合は「自殺未遂」(じさつみすい)という。
世界銀行による 地域区分 |
世界 人口比 |
自殺者数 (2012年) |
全世界自殺者 に占める比率 |
人口10万あたり自殺率 (年齢標準化,2012年) |
自殺者の 年齢標準化男女比 (2012年) | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
男女 | 女 | 男 | |||||
全世界 | 100.0 % | 804千人 | 100.0 % | 11.4 | 8 | 15 | 1.9 |
高所得国 | 18.3 % | 197千人 | 24.5 % | 12.7 | 5.7 | 19.9 | 3.5 |
上位中所得国 | 34.3 % | 192千人 | 23.8 % | 7.5 | 6.5 | 8.7 | 1.3 |
下位中所得国 | 35.4 % | 333千人 | 41.4 % | 14.1 | 10.4 | 18 | 1.7 |
低所得国 | 12.0 % | 82千人 | 10.2 % | 13.4 | 10 | 17 | 1.7 |
世界保健機関(WHO)によると、世界では40秒に1回程度の自殺が起こっており、世界の死因の1.4 %を占め第15位である(2012年)[72]。これは高所得国では1.7%、低中所得国では1.4 %となる[72]。
自殺の統計は、疾病及び関連保健問題の国際統計分類[注 1]に基づいているので国際比較が可能である。疾病及び関連保健問題の国際統計分類における自殺のコードはX60-X84[73][74]である。また、アフリカや東南アジアは、多くの国で統計が入手できていない[75]。
WHOの『暴力と健康に関する世界報告』では、2000年における世界全体の暴力死が、自殺が815,000、他殺が520,000、戦争関連死が310,000と見積もられ[76]、「これら160万の暴力関連死の1/2近くが自殺、ほぼ1/3が他殺で約1/5が戦争関連である」と述べられている[注 2][77]。この結果を、世界全体の暴力死では戦争によるものよりも自殺によるものが多い、と述べた資料もある[注 3]。
ただし、アフリカや東南アジアについては、多くの国で自殺についてまとめた統計が存在しない。このため、自殺に関する国際的なデータでは、アフリカや東南アジアの国々については省かれていることが多い[78]。2019年9月、世界保健機関(WHO)が発表した調査では、2016年時点で、183のWHO加盟国のうち、質の高い自殺統計を持っている国は80カ国程度とされる[38][39]。
自殺のリスクに影響を及ぼす因子には、精神疾患、薬物乱用、心理状態、文化的状況、家族および社会的状況、遺伝学、トラウマまたは喪失の経験がある[87][88][89]。精神障害と物質乱用はしばしば共存する[90]。その他の危険因子には、以前に自殺を試みたことがあること[91]、自殺の手段がすぐに利用できること、自殺の家族歴、外傷性脳損傷の存在などがある[92]。例えば、銃器を所有している世帯の自殺率は、所有していない世帯よりも高いことがわかっている[93]。
失業、貧困、ホームレス、差別などの社会経済的問題は、自殺の考えを誘発することがある[94][95]。なお、社会的結束が強く、自殺に対して道徳的な異議を唱える社会では、自殺はまれである可能性がある[96]。そして約15 - 40 %の人は遺書を残す[97]。退役軍人は、心的外傷後ストレス障害などの精神疾患や、戦争に関連した身体的健康問題の発生率が高いこともあり、自殺のリスクが高い[98]。自殺は地域集団としても起こりうる[99]。
自殺には家族性があり、自殺行動をする者の血縁者は自殺のリスクが上がる[100]。自殺が血縁者間で伝播するのは、遺伝的な要因だけでなく、環境的(社会的)要因も影響する[100]。(たとえば親が経済苦状態なら、子供も経済苦状態で生きており、しかも高等教育が受けづらく、たいてい将来的にも苦境に陥る)。親子ともども自殺していても、要因は遺伝(生物学的要因)とは限らない。親子は文化的継承も行っており、親の振る舞いかたを子は模倣する[100]。遺伝的な影響の大きさ部分を調べるためのデンマークの研究では、自殺した養子の生物学的親族の自殺率は、養子縁組親族の自殺率の6倍であった[100]。双子研究では、自殺行動の遺伝率が38 %から55 %と推定されている[100][注 4]。また親の気分障害や「衝動的-攻撃的」性質は子の自殺の割合に影響があるということも浮かび上がった[100]。10歳 - 21歳の子の親が自殺すると大きな影響があり、なかでも母親が自殺すると特に大きな影響があることが浮かび上がった(母親が自殺以外の原因で死亡した場合より、母親が自殺した場合のほうが、子が自殺する強い要因となるということも浮かび上がった)[100]。
過去の自殺試行は最大のリスクファクターである[101]。自殺者の約20 %は以前に自殺未遂を経験しており、自殺未遂者の1 %は1年以内に自殺を遂行し[91]、5 %以上は10年以内に自殺により死亡する[102]。自傷行為は通常自殺未遂ではなく、自傷行為を行った人のほとんどは自殺のリスクは高くない[103]。しかし、別の研究では自傷行為は自殺リスクと関連性があり、自傷行為を行う人は12か月後の自殺死亡リスクが50 - 100倍であると英国国立医療技術評価機構(NICE)は報告している[104]。
気分障害 | 35.8 % |
薬物乱用 | 22.4 % |
統合失調症 | 10.6 % |
パーソナリティ障害 | 11.6 % |
器質性精神障害 | 1.0 % |
その他の精神疾患 | 0.3 % |
不安障害 | 6.1 % |
適応障害 | 3.6 % |
その他のDSM分類Iの疾患 | 5.1 % |
診断なし | 3.2 % |
世界保健機関(WHO)の自殺予防マニュアルによれば、自殺既遂者の90 %が精神的に不健康な状態にあり、また60 %がその際に抑うつ状態であったと推定している[106][注 5]。該当しなかったのは、診断なし2.0 %と適応障害2.3 %に過ぎないとしている。物質関連障害(アルコール依存症や麻薬)の比率については日本の状況と大きくことなるものの[注 6]。
自殺既遂者の約半数が人格障害と診断される可能性があり、境界性人格障害が最も多いと推定する研究者もいる[107]。統合失調症患者の約5 %が自殺で死亡する[108]。摂食障害も自殺に関して高リスクの病態である[102]。
WHOの2008年の発表では、毎年100万人近くの自殺者のうち、うつ病患者が半数を占めると推定している[109]。WHOは自殺と密接に関連しているうつ病など、3種の精神障害を早期に治療に結びつけることによって、自殺予防の余地は十分に残されていると強調している。
自殺をした人の約80 %の人は死亡する前年に医師の診察を受けており[110]、45 %は自殺する前の月に受診していた[111]。自殺者の約25 - 40 %がその前の年に精神保健サービスにかかっていた[110][112]。SSRIクラスの抗うつ薬は、小児の自殺の頻度を増加させるようであるが、成人の自殺のリスクは変化しない[113]。精神衛生上の問題に対する支援を受けたがらないこともリスクを高める[114]。
物質乱用は、大うつ病や双極性障害に起因する自殺で、2番目に一般的なリスクファクターである[115]。慢性的な物質乱用は、薬物中毒と同程度の関連性が認められている[116][117]。個人的な悲しみ[117]、メンタルヘルス問題[116]は物質乱用リスクを増加させる。
自殺を試みる多くの人々は、催眠鎮静剤(アルコールやベンゾジアゼピンなど)の影響を受けており[118]、アルコール依存症は15 - 61 %のケースで確認されている[116]。アルコール消費量やバーの分布が高い国々では、自殺率も高い[119]。アルコール依存治療を受けた人々は、その2.2 - 3.4 %が自殺で人生を終える[119]。アルコール依存症による自殺は、男性、老人、過去に自殺を試行した人々らで一般的である[116]。ヘロイン利用者の3 - 35 %は自殺し、これはそうでない人の14倍高い[120]。青年期のアルコール乱用、神経精神的不全は自殺リスクを増大させるといわれている[121]。大麻はリスクを増加させるとは確認されていない[116]。
コカインやメタンフェタミン乱用は、自殺と高い関連性がある[116][122]。コカイン利用者は、その離脱時が自殺リスクが最大となる[123]。習慣的乱用者は、そのおよそ20 %がいつかは自殺を試行し、65 %は以上は自殺を考えている[116]。喫煙は自殺リスクと関連性があり[124]、エビデンスは小さいが関連性が指摘されている[124]。症例対照研究とコホート研究にて、自殺とたばこの喫煙との関連がみられている[125]。1995年と1998年に日本で行われた40から69歳の男性約4万5千人を対象にした多目的コホート研究(JPHC研究)でも、喫煙者では自殺率が30 %高くなっていると報告されている。自殺率はとくに一日あたりの喫煙本数が多いと増加する[126][127]。たばこの消費と自殺企図による入院に関連が見られた[128]。
自殺のリスクを増大させる心理的要因には、絶望感、人生における喜びの喪失、抑うつ、不安、興奮、硬直した思考、反芻、思考抑制、対処技術の低下などがある[129][130][131]。問題を解決する能力の低さ、以前持っていた能力の喪失、衝動のコントロールができないことも自殺に影響する[129][132]。高齢者では、自分が他人に負担をかけていると思うことが自殺に強く影響する[133]。結婚歴のない人も自殺のリスクが高くなる[91]。家族や友人の喪失や仕事の喪失など、最近の生活上のストレスが一因となっている可能性がある[129][114]。
ある種の人格因子、特に神経症的傾向と内向性の高さが自殺と関連している。このことは、孤立していて苦悩に敏感な人が自殺を試みる可能性を高めることにつながる[130]。一方、楽観主義には自殺の予防効果があることが示されている[130]。その他の心理的危険因子には、ストレスの多い状況に閉じ込められた生活や、感覚をほとんど持たないこと挙げられる[130]。脳のストレス反応系の変化は、自殺状態の間に変化する可能性がある[134]。具体的には、ポリアミン系[135]と視床下部-下垂体-副腎系の変化である[136]。
自殺傾向と、慢性疼痛[159]、外傷性脳損傷[160]、がん[161]、腎不全(血液人工透析を必要とする)、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染、全身性エリテマトーデスなどの身体的健康問題との間には関連性がある[102]。がんの診断によって、診断された人はその後の自殺の頻度が約2倍になる[161]。自殺傾向の増加の有病率は、うつ病およびアルコール乱用について調整した後も関連した。複数の病状を有する人々に関して、その頻度は特に高かった。日本では健康問題が自殺の第一の理由として挙げられている[162]。
不眠症は危険因子である[163]。また睡眠時無呼吸症候群など他の睡眠障害も、うつ病や自殺の危険因子である。睡眠障害はそれ自体が、うつ病とは独立した、自殺の危険因子である可能性がある[164]。甲状腺機能低下症、アルツハイマー病、脳腫瘍、全身性エリテマトーデス、多数の薬物(β遮断薬やステロイド薬など)による副作用など、気分障害に類似した症状を呈する病態は他にも数多くある[91]。
トキソプラズマ原虫の感染(トキソプラズマ症)は自殺のリスクと関連している。これは免疫応答による神経伝達物質の活性変化が原因であるという説がある[155]。
また、日照時間の季節的変化が自殺率を季節的に変化させている可能性がある。自殺は(12月後半の、北半球においては日照時間が短い)クリスマスの頃には減少していて[165]、春から夏にかけては増加しており、これは日光を浴びる時間と関係がある可能性がある[134]。
自殺の遺伝的要因の研究では、精神障害を考慮すると、推定された遺伝率は自殺念慮で36 %、自殺企図で17 %[166]という数字が得られている。
WHO『自殺報道ガイドライン』[167]
すべきではないこと
インターネットを含むメディアは重要な役割を果たしている[87][154]。自殺についてのある種の描写は、自殺の発生を増加させる可能性があり、自殺を賛美したり美化したりする「大量の」「目立つ」「反復的な」報道が最も影響を及ぼす[168]。具体的な手段で自殺する方法を詳細に描写すると、この自殺方法は全体として人口を増加させる可能性がある[169]。
センセーショナルな自殺報道がなされた場合に、他者の自殺に影響されて複数の自殺を誘発すること(群発自殺〈clustered suicide、Copycat suicide〉)が統計的に知られており、この事実を実証した社会学者のDavid P. Phillips[170]によりウェルテル効果と名づけられている[171]。逆に自殺を抑制する報道効果はパパゲーノ効果と呼ばれる。
自殺報道にはこうした負の影響があるため、世界保健機関(WHO)は『自殺報道ガイドライン』(2000年)において「写真や遺書を公表しないこと」「自殺の詳しい内容や方法を報道しないこと」「自殺に代わる手段(Alternative)を強調すること」「ヘルプラインや各地域の支援機関を紹介すること」などを勧告した[167]。2011年、内閣府参与の清水康之は、日本における「自殺報道ガイドライン」の策定を提案した[172]。2020年代、報道各社はおおむねガイドラインに沿った報道を行うようになったが、一部には「死因は確定されていない」として、タレントが自殺した自宅前からテレビ中継を行う事例も見られた[173]。
報道方法を変えることにより、自殺数を減らすことに成功した例として、1984年から1987年にかけてオーストリアの首都ウィーンでジャーナリストが報道方法を変えたことで、地下鉄での自殺や類似の自殺が80%以上減少し、自殺率を減らす効果があったといわれる[174][171]。
フィンランドでは、自殺の報道方法変更を含む諸対策により、自殺率の減少を達成している[175][106]。
Twitterでは自主的な対応として「自殺」と検索すると最上位に東京自殺防止センターなど厚生労働省が委託する団体へ誘導するリンクが表示される[176]。
2016年(平成28年)現在、日本における自殺者数は世界各国と比べて大きい値であり、10万人あたりの自殺者は、ベルギー(15.9人)に次いで、日本は15.2人であり、同じ年のデータがある27カ国中5位と高い位置にあった[192]。OECDは、「日本の精神医療制度はOECD諸国の中で、精神病床の多さと自殺率の高さなど悪い意味で突出している」[239]、また日本はうつ病関連自殺により25.4億ドルの経済的損失をまねいていると報告している[240]。1990年(平成2年)時点では、日本の自殺率はフランス、ドイツより低かったが、バブル崩壊以降急激に上昇した。特に1997年(平成9年)には年間自殺者数が2万人台前半であったのが、1998年(平成10年)には一気に3万人を突破して急増した[241]。この動向はアジア通貨危機によって大きく経済が打撃を受けた韓国でもみられる。
1978年(昭和53年)から1997年(平成9年)までの約20年間の年間の自殺数の平均はおおよそ2万5千人台であったが[242]、1998年(平成10年)には3万2千人にまで上昇し [242]、この時期はすべての年齢層で上昇していたが、とりわけ中高年男性が高いとWHOは報告した[242]。
2006年(平成18年)には自殺対策基本法が制定、2007年(平成19年)には自殺総合対策大綱が制定された[242]。その後、自殺率は2009年(平成21年)からは徐々に減少し[242]、2010年(平成22年)には3万人以下[242]、2012年(平成24年)の総自殺者数は27,858人に減少した[243]。中年および老年の自殺率は減少しているが、一方で若年者の自殺率については上昇を続けているため[243][242]、WHOは新たにターゲットを設定しなおした介入政策が必要だとしている[242]。そのため2012年(平成24年)には、自殺総合対策大綱について、若年層と過去に自殺試行した者についての支援を強化する方向に改定された[242]。
2018年(平成30年)の自殺者は20,840人であり、37年ぶりに21,000人を切った。2017年(平成29年)に比べて約2.3 %減り、2009年(平成21年)より9年連続で減少している。男性は14,290人、女性は6,550人であり、女性は1978年(昭和53年)以降、2017年(平成29年)の6,495人に次いで低かった[244]。
都道府県別で見ると、2018年(平成30年)において最も自殺率が低いのは神奈川県であり、10万人当たりの自殺者は12.4人である[244]。一方、最も自殺率が高いのは山梨県であり、10万人当たりの自殺者は24.8人である[244]。また、ほとんどの都道府県で40歳から60歳の自殺者数が突出している傾向にあるが、東京都や神奈川県、埼玉県、千葉県などの首都圏、愛知県や福岡県などの地方都市において、20代の自殺者数が多い傾向にある[244]。若者の転入と転出の違いであるという意見もあるが、同じく都市圏である大阪府ではこの傾向は見られない。また、愛媛県や山梨県などの若者の流出が激しい県においても、同様の傾向が見られる。
日本における自殺の動機の3人に2人は心身の健康問題で、借金などの生活苦と家庭問題はそれぞれ5人に1人であることが2018年(平成30年)中の厚生労働省と警察庁の分析により判明した。具体的にはうつ病など健康問題が10,423人(67.0 %)、生活苦、借金などの経済・生活問題が3,432人(22.1 %)、家族内の不和など家庭問題が3,147人(20.2 %)であった。2017年(平成29年)度もほぼ同様の傾向であった[244]。
日本の自殺率は1998年以降急激に悪化し、2003年が3万4427人と過去最悪の一年間の自殺数であった。2010年代以降改善傾向に入り、2019年には1万9959人まで減少した(1978年頃の水準に戻った)が[245]。一時的な話だが新型コロナウイルス感染症流行の影響が現れ始めた2020年4月時点の自殺者数は前年度同月より20 %減少した。家族など同居する人が外出せず家にいる(普段、外で働くのに忙しく家族をほったらかしにしていた人々が家にいつづけ、家族とすごす時間が増えた)、職場や学校に行く機会が減り悩むことが少なかった、などのことが要因とみられている[246]。
新型コロナ感染対策による影響の中で再び悪化に転じ、自殺者が3200人増加したと東京大学のグループが翌2021年7月時点で計算した[247]。COVID-19の影響で失業する人々が増えているのも影響しており[247]、今後もこの影響により引き続き自殺者が増加することが予測されている[247]。
自殺の歴史は古く、紀元前の壁画などにもその絵や記述が残されている。古代ギリシャの詩人サッポーは入水して死亡したという説がある。アリストテレスは、自殺は社会に対する不正行為であり、国家は自殺者の名誉を貶める埋葬を行うことで自殺者を処罰する権利を持つと主張した[248]。一方、不自由に生きることを悪とするセネカなどストア派の哲学者たちは、熟慮の結果十分な理由を持って行われる自殺は人間の自由であるとして自殺の権利を主張した[248]。
キリスト教においては基本的に、自殺は重大な罪だとされるが、キリスト教で自殺に対する否定的道徳評価が始まったのは、4世紀の聖アウグスティヌスの時代とされる。当時は殉教者が多数にのぼり、信者の死を止めるために何らかの手を打たねばならなくなっていた。また10人に1人死ぬ者を定めるという「デシメーション」と呼ばれる習慣のあったことをアウグスティヌスは問題にした。アウグスティヌスは『神の国』第1巻第16 - 28章において、自殺を肯定しない見解、自殺を罪と見なす見解を示した。神に身を捧げた女性が捕虜となって囚われの間に恥辱を被ったとしても、この恥辱を理由に自殺してはいけない、とした。またキリスト教徒には自殺の権利は認められていない、と述べた。「自らの命を奪う自殺者というのは、一人の人間を殺したことになる」とし、また旧約聖書のモーゼの十戒に「汝、殺すなかれ」と書かれている、と指摘し[249]、自殺という行為は結局、神に背く罪だ、とした。アウグスティヌスは「真に気高い心はあらゆる苦しみに耐えるものである。苦しみからの逃避は弱さを認めること」「自殺者は極悪人として死ぬ。なぜなら自殺者は、誘惑の恐怖ばかりか、罪の赦しの可能性からも逃げてしまうからだ」と理由を述べた。
693年には第十六回トレド会議において自殺者を破門するという宣言がなされ、のちに聖トマス・アクィナスが自殺を生と死を司る神の権限を侵す罪であると述べるに至って、すでに広まっていた罪の観念はほぼ動かしがたいものになり[250]、自殺者の遺族が処罰されていた時代[251][252]や、自殺者は教会の墓地に埋葬することも許されなかった時代もある。
ダンテの叙事詩『神曲』においては、自殺は「自己に対する暴力」とされており、地獄篇の第13歌には醜悪な樹木と化した自殺者が怪鳥ハルピュイアに葉を啄ばまれ苦しむという記述がある。
啓蒙主義の時代になるとアウグスティヌスのテーゼは聖書からの直接の引用ではなく、神が直接自殺を断罪した記述もないことから、彼独自の解釈であるという批判や、殺される人の意志に反しない殺害である自殺を許容できない道徳の下で、死刑や戦争など他のあらゆる殺害を正当化することは説得力に欠けるという批判が加えられた[248]。モンテーニュやヒュームは批判を警戒しつつ自殺を許容するエッセイを記しており、その後も自殺許容論は先鋭化していった[248]。ドイツの哲学者ショーペンハウエルは『自殺について』のなかで、キリスト教の聖書の中に自殺を禁止している文言はなく、原理主義的にいえば、自殺を禁じているわけではないため、「不当に貶められた自殺者の名誉を回復するべきだ」とした。
クリスチャンで元牧師の八巻正治は自著[253]の中で「静かに考えてみると即座にわかることですが、人間は自分の顔さえも直接に見ることができず、また自分の生死に自らが関与することができないほどの不安定な存在なのです。それゆえに自ら死を選ぶことによって安定を求めようとする人たちさえもいるのです。わが国にはそうした自殺者が年間二万人以上もいるのです。いかにももっともらしい理由をつけようとも、自殺は実に愚かで悲しむべき行為です。ですから、いかなることがあっても自分の存在を疑ったり、あるいは呪ったりしてはなりません。先に述べましたが、この自分を作られたお方が確かにいらっしゃるのです。」と指摘している(『同署』pp. 219)
日本で最も古い自殺に関する伝承は、『古事記』のヤマトタケルの妃弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)の伝承である。
中世には、弘安7年(1284年)あるいは延慶2年(1309年)、文保元年(1317年)が没年とされる足利尊氏の祖父足利家時が八幡大菩薩に三代後の子孫に天下を取らせよと祈願した置文を残して自害したという伝説が残るが(『難太平記』)、自害した事実を含め定かではない。戦国期には天文22年(1553年)に織田信長の傳役平手政秀が死をもって信長の行動をいさめたとされる事例などもある。
足利義輝など最後は戦闘の末、敵兵に討ち取られた人物が、義輝と付き合いのあった山科言継の日記「言継卿記」には、その最後が自殺となっているなど、改変されて記録されている者もいる。これも雑兵に討ち取られるよりは、自害の方が名誉ある死と考えられていたためである。これらは現在でも国語の教科書に掲載され、日本の武家文化の一つとして継承されている。
戦国大名であった伊達氏の分国法『塵芥集』には、恨みを持った者が自害した場合、理由を言い残しておけば、伊達家が仇討ちを代行する決まりがあり、命がけの訴えについて最大限尊重する慣習をもつところも存在した[254]。
ユダヤ教、#キリスト教、イスラームなどのアブラハムの宗教は、自殺は宗教的に禁止されている。欧米やイスラーム諸国では自殺は犯罪と考えられ、自殺者には葬式が行われないなどの社会的な制約が課せられていた。
バリ島ではププタンという集団自決の風習があり、オランダの侵攻に抗議して実施された。マヤ文明では、一般に死をつかさどる神「ア・プチ」のほかに絞首台の女神「イシュタム」がいて、自殺者の魂を死後の楽園へ導くとされた。
獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた。そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる。」すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか。」 — 使徒行伝16章27節から30節(口語訳)
自殺は、文学における重要なテーマの一つであり、主人公の自殺に至る心理など、物語の終焉や筋の展開のなかで描かれることが少なくない。
ドイツの作家ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』が、自殺を主題とした作品として特に有名である。恋人との失恋に絶望し自殺した主人公を描き、その影響で模倣自殺する人が相次いだため、発禁処分に処するところも出た事例がある。このような模倣自殺の現象をウェルテル効果という。
日本文学では、夏目漱石の『こゝろ』、井上靖『しろばんば』、渡辺淳一『失楽園』などで自殺が描かれた。太宰治に至っては作品の題材としてのみならず実生活でも何度も自殺を企てた結果死亡している。
自殺に関する文献は古くから数多く伝存しているが、19世紀中葉より西欧で当時増大をみせていた自殺に対して統計学的手法が適用された。
といった人種的類型が設定され、性別や年齢、職業、信仰、居住特性、経済状況などの要因が自殺に影響していることが認められている。とはいえ、自殺を身体的、精神的病理の現れとする見方が支配的であった。
これに対してエミール・デュルケームは、1897年の『自殺論』において、モルセッリやワーグナーの研究成果を参照しながらも、精神病理や人種・遺伝、気候、模倣によっては自殺の現象が完全には説明できないことを統計的に明らかにし、「それぞれの社会は、ある一定数の自殺をひきおこす傾向をそなえている」として、社会ないし集団の条件と結びついて生じる自殺傾向を社会学の研究対象として位置づけた。つまり、一定範囲内の自殺の発生は「正常な」社会現象だというのである。デュルケームは、近代社会における(社会的紐帯の弱化による)「自己本位的自殺」、(欲望の際限なき拡大がもたらす苦痛による)「アノミー的自殺」の2タイプを定式化するとともに、伝統的社会における「集団本位的自殺」、極限状況における「宿命的自殺」を析出し、計4類型を設定した。
フロイトは長らく人間の心理の底にある生命衝動としては「生の欲動(リビドーまたはエロス)」によって快を受け苦痛を避ける快感原則で説明しようとしたが、晩年近くになりPTSDで苦痛なはずの体験を反復強迫している症例などから、それでは説明できない破壊衝動を見出し、後にそれを「死の欲動(デストルドーまたはタナトス)」と名付け、生を「生の欲動」と「死の欲動」との闘争、さらには愛憎混じった感情の転移であるなどの思索をした。これらの考えに批判も多いが、自殺者の心理剖検に対し一定の貢献があったと臨床の現場では受け止められることもある[269]。
1960年代から1970年代にかけ、アメリカ合衆国のエドウィン・シュナイドマン、臨床心理学、精神分析、社会学の仲間たちと、本格的な自殺の臨床研究を重ね、1968年アメリカ自殺学会を設立。アメリカ国立衛生研究所(NIH)でベセスダ自殺予防センター所長を勤めた。
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WHOは、世界の自殺のおおよそ30 %は服毒であり、特に地方農村部や、低中所得国に多いとしている[4]。他に多い方法としては、首吊りや焼死を挙げている[4]。
自殺未遂者は、自殺者の約10倍以上いると考えられている。そのなかで何度も自殺を試み自殺にいたるのは3-12%である。どのような方法であろうと、確実には死ねず、自殺しようとして生き残った後には大きな怪我や病気や後遺症となるリスクが大きく、本人以外の社会や周囲の人間に与える影響も大きいため、関係者は自殺を止める努力を行っている[270]。
一部の国では、宗教の関係で自殺は自殺罪であった。自殺罪では、自殺・自殺未遂者の家族には遺産は入らず没収され、市中引き回しやさらし首で侮辱され、未遂者は絞首刑とされた。また、遺体は弔われず、ゴミとともに死体遺棄や墓なども建てられず墓地外に埋葬などが行われた[296]。
菌類や虫、動物の自殺について記述する。人間以外の生物が、仲間を守るために自爆攻撃をしたり、ペットの主人や自らの配偶者との別離や虐待の結果で餌を拒否し自ら死のうとする行為が知られる[299][300]。
確実に失敗・自滅するとわかっている方法をあえて採用することを「自殺行為」と言うことがある。
また、かつてサッカーにおいては、自軍のゴールにボールを蹴り入れ相手に得点を献上することを「自殺点」と呼んでいた[308]。1994年に日本サッカー協会がオウンゴールという呼称に改めたことにより、この用語は使われなくなった。
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