Remove ads
ウィキペディアから
1916年(大正5年)、東京帝国大学法学部卒[1]。殆ど東京地裁に勤務し、1931年(昭和6年)11月に東京控訴院部長、1935年(昭和10年)4月大審院判事、1938年(昭和13年)7月に東京刑事地裁所長、1945年(昭和20年)大審院部長となった[1]。
裁判官任命諮問委員会による諮問の結果、1947年(昭和22年)8月4日、最高裁判所判事に就任。1947年8月4日の最高裁判所発足と同時に最高裁判所判事に就任したうちの1人である。
最高裁では第三小法廷を担当すると共に、大法廷においても死刑合憲判決や三鷹事件・松川事件・八海事件など、戦後司法の根拠となる様々な判決に携わった。
1949年1月23日の最高裁判所裁判官国民審査(初めて実施された最高裁裁判官国民審査)において、罷免を可とする票1,259,669票、罷免を可とする率4.17%で信任。1960年11月20日の最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票3,354,454票、罷免を可とする率9.42%で信任。1960年の国民審査では同時に審査された8判事のうち罷免を可とする票の数が最多であった。一人で2度国民審査を受けた最高裁判事は1960年の国民審査における島を含む5名が初の事例である。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.