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小平事件は日本で発生した連続殺人事件 ウィキペディアから
小平事件(こだいらじけん)は、1945年(昭和20年)から1946年(昭和21年)にかけて、東京都とその周辺で発生した連続強姦殺人事件である。小平義雄事件とも称する。
太平洋戦争末期から敗戦直後の東京において、言葉巧みに若い女性に食糧の提供や就職の斡旋を持ちかけ、山林に誘い出したうえで強姦して殺害するという手口で行われた連続殺人事件である。当時は戦中・戦後の食糧難で、ラジオ放送のインタビューの内容が「何を食べているか?」、子供へのインタビューにおいて最近嬉しかったことを聞くと「米やパンが配給された」と回答するほど、人々が食を求めていた時代であり、食糧の提供や就職斡旋といった言葉は魅力的だった。
初めの強姦・殺人事件から1年以上を経た1946年(昭和21年)8月17日、7人目と思われる被害者女性が遺体となって発見されたが、直前にこの女性と会っていた小平 義雄(こだいら よしお、当時41歳)が同年8月20日に逮捕され、犯人であると判明した[1]。小平が他の事件への関与も自供したことから、一連の連続強姦殺人事件が発覚した。小平は10件の事件について起訴された。小平は、否定した3件が証拠不十分で無罪、7件が有罪となった。小平は40名の女性に関係を迫り、殺さなかった30名は「人目につくおそれのあったこともあるが、大部分が素直にいうことを聞いたから」という[2]。1948年(昭和23年)11月16日[3]、小平に対する死刑判決が確定し、翌年10月5日に宮城刑務所で刑が執行された[4]。
なお、最後の第7の事件で被害者となった17歳女性は、大相撲の幕内格行司・式守伊三郎(後の立行司・第24代木村庄之助)の実娘だった。
女性へ職の斡旋をして山林に誘い出して殺害する似たような事件が1947年(昭和22年)に発覚したが、これは「第二小平事件」と呼ばれた。また1971年(昭和46年)に発生した連続殺人事件の犯人・大久保清は「群馬の小平」とも言われた[5]。
1905年(明治38年)1月28日生まれ。子供の頃、吃音症のある友達の真似をしているうちに吃音がうつった。1923年(大正12年)6月に横須賀海兵団に入団、横須賀の売春婦を相手に初体験、寄港地では娼婦を買い漁ったという。1928年の山東出兵で海軍陸戦隊員として済南事件に参加、現地で日清紡績の工場警備にあたったが、市街戦も経験している。中国では、頻繁に他の兵士らと民家に押入り、婦女暴行や妊婦の殺害などを行っていたという[14]。1929年5月上司への不満を理由に海軍三等機関兵曹として退役。この年には戦時の功績で勲八等旭日章を受けている[15]。その後小平は結婚したが、浮気相手である女性に子供を産ませていた。1932年(昭和7年)7月、それを知った妻が小平から離れて実家に戻ったところ、逆上した小平は妻の実家を襲撃、鉄棒で義父を殺害し、6人を負傷させた。この殺傷事件で小平は懲役15年の有罪判決を受けたが、二度の恩赦によって1940年(昭和15年)に仮出所した。
海外出兵時の強姦・一般人殺害といった犯罪経験を戦後の犯行と結びつける見解もある[16]。戦後の連続強姦殺人での逮捕後の取調べでは、強姦の模様を喜々として語り、自ら自身の一物を見せて「人と変わらんでしょう」と言ったと伝わる。また、取り調べおよび公判での本人質問の際に「戦争の時にわしよりむごいことをした連中を大勢知っていますが、平和なときにわしだけひどいことをした者はいないと思います。全く人間のすることじゃありません」と答えた。
一審から上告審を通して弁護人は小平本人の希望で元司法次官、元大審院部長の三宅正太郎博士が弁護人を務めた。公判時には当時は幅広く許可されていた法廷内での写真撮影及び新聞記者によるインタビューには一切応じず、常に深編み笠を被って顔を隠し続けた他、一審における判決公判時には本人及び三宅正太郎弁護人による『法廷内での写真撮影及び取材活動の一切の禁止』を求める申し立てが裁判長によって認められた。この申立てが認められた事がその後の裁判所内における撮影、録音の禁止、取材活動の制限に繋がったと指摘されている。
死刑判決直後は粗暴な態度が目立った小平であったが、面会に来た妻が自責の念を泣いて告白したことや、また教誨師との交流を通じて、次第に態度を改めていった。1949年(昭和24年)10月5日に死刑執行[4]。当日、教誨師に対し「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」と言った[17]。そして、「自分は荘厳な気持ちですべてを清算し、静かな気持ちで死んで行きます。長い間、お世話になった人々によろしくお伝え下さい。家族の者もどうぞ天命を完うしてください」とする遺書と「亡きみ霊、赦し給へし過去の罪、今日を最後に深く果てなん」という辞世の句を残した。
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