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女性死刑囚
女性の死刑囚 ウィキペディアから
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概要
統計
第二次世界大戦後の日本で死刑が確定した女性死刑囚は、2024年(令和6年)時点で17人である。このうち1980年(昭和55年)および1987年(昭和62年)3月以前に死刑が確定した女性死刑囚は3人である[1][2]一方、1981年(昭和56年)以降に死刑が確定した女性死刑囚は14人である[3]。同日時点で全17人のうち、5人(1980年以前確定の2人+1981年以降確定の3人)が既に死刑を執行された一方、6人(1980年以前に確定した1人は確定後、恩赦で無期懲役に減刑)は死刑を執行されぬまま死亡し、残る6人(いずれも1981年以降に死刑確定)が収監中である(後述)。なお昭和に入ってから終戦までの間では、死刑を執行された女性死刑囚は6人とされる[注 1][14]。
戦後、1987年末までに第一審で死刑判決を宣告された被告人の総人数は全893人(うち、死刑確定は628人)であり、そのうち女性の被告人は10人(893人中1.12%)で、死刑が確定した者は3人(後述の表1 - 3番)[注 2]だった[15]。最高裁やアムネスティ・インターナショナル日本支部の調査によると、現行の刑事訴訟法が施行された1949年(昭和24年)以降、2002年(平成14年)12月12日までに死刑判決を言い渡された男性は計702人であり[16][17]、女性は14人ないし15人であった[注 3]。
なお、戦後日本の女性死刑囚はいずれも犯行当時成人であり、女性の少年死刑囚(犯行当時に未成年だった死刑囚)は2022年時点で存在しない。
分析
女性の死刑囚が少ない理由として、佐々木光明ら (1990) は、平成元年版『犯罪白書』のデータを引用し、「女性の犯罪者は、男性に比べてはるかに少なく、まして、死刑相当犯罪のような凶悪な犯罪を犯す女性は、ごく少数だからである。」[注 4]と指摘している[18]。
女性死刑囚の特徴について、深笛義也 (2013)[注 5]は、「死刑に値するまでの罪を犯す女性は、男性と比べると著しく少ない。己が内に抱える攻撃性を抑えきれずに罪を犯したという例は、女性死刑囚には見られない。男性に稀に見られる、殺人そのものを快楽とする、という例も皆無だ。」と述べた[21]。その上で、林眞須美(和歌山毒物カレー事件の死刑囚)とK(埼玉愛犬家連続殺人事件の死刑囚)については公判資料を精読した上で、それぞれ無実である旨を主張している[22]。
村野薫 (2006) は、戦後日本で死刑判決を受けた女性(2006年までに全15人)の罪状[注 6]を考察し、「保険金殺人が6件、夫殺し(女性共犯者の夫も含む)が5件、薬物使用が5件を占め、共犯者(男性)も死刑に問われた事件が6件ある」と指摘している[23]。
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妊婦に対する死刑執行
市民的及び政治的権利に関する国際規約第6条では、妊婦に対する死刑執行を禁じることが規定されている[18]。
日本では、刑事訴訟法第479条2項において、「死刑の言渡を受けた女子が懐胎しているときは、法務大臣の命令によって執行を停止する。」と規定されている[24]。ただし、戦後、実際にこの条文が適用された事例はない。確実な記録が存在する限りでは日本の歴史上、最後に死罪が確定した妊婦は、明治時代初頭の原田きぬだが、彼女は出産まで執行が猶予された後に斬首に処され、3日間梟首に処せられたという[25]。
大多数の国では、犯行時または裁判時に妊娠または乳幼児を養育している者に対し、特別な処遇を定めている[24]。そのような処遇を定めている国の中では、妊婦に死刑判決を言い渡さない国が最も多く、エチオピア・キューバ・ケニア・ザンビア・ジャマイカ・赤道ギニア・中国などが該当する[24]。また、その対象を妊婦だけでなく、3歳未満の乳幼児を養育している女性にも適用した国として、ルーマニア(1989年末に死刑を廃止)があった[26]。
日本と同様に、出産まで死刑の執行を猶予する国(例:アラブ首長国連邦・韓国・台湾など)のほか、出産後一定期間まで死刑執行を猶予する国(例:イラク・インドネシア・サウジアラビア・リビアなど)、妊婦や乳幼児を養育している女性には一定期間死刑執行を猶予する国(例:アルジェリア・ソマリア・ベトナムなど)、妊婦には死刑執行を猶予するか減刑する国(インド・バングラデシュ・ミャンマーなど)、妊婦に死刑判決は言い渡すが減刑する国(例:クウェート)、すべての女性が死刑を免除される国(グアテマラ[27][28][29]・ジンバブエ[30])などの例もある。なお、タイでは死刑を宣告された囚人は、国王に刑の軽減を請願することが認められているが、同国内務省は女性の囚人による請願を受理するように勧告しているという[18]。
一方で、妊産婦に対する特別な処遇を規定していない国(カリブ海沿岸の英語圏諸国の一部)や、妊婦が処刑されたという情報がある国(イラン)もある[31]。またアムネスティ・インターナショナルによれば、拘禁中の女性が拷問・虐待を受けて流産した事例が数多く報告されている[31]。
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ジェンダーバイアス
ニューメキシコ大学教授の E. Rapaport の研究によると、死刑が家庭内の殺人よりも経済的その他の略奪的な殺人に重きを置いている一方で、女性は家庭内の殺人で死刑となるケースが多いことから、女性に不利なジェンダー差別が存在すると指摘している[32]。
サンフランシスコ大学教授の S. Shatz らの研究によると、死刑制度の適用にはジェンダーバイアスが存在し続けており、このバイアスの根源には歴史的な騎士道精神の概念があることが示唆されているという[33]。著者らは、2003年から2005年にかけてカリフォルニア州で起きた1,300件の殺人事件を調査した結果、女性に死刑が科せられる頻度は比較的低いと報告した。前述の E. Rapaport によると、女性死刑囚が少ないのは、死刑に値するほどの重大犯罪を犯す頻度が女性は少ないためだという。
アムネスティ・インターナショナルは、スーダンやイランで死刑判決を宣告された女性が、10代で結婚させられ、夫やその兄弟から暴力を受けていた事例を挙げ、「死刑判決を言い渡された女性は多くの場合、夫から虐待や性的暴力を受け続けやむにやまれず夫を殺めて罪に問われ、情状酌量の余地なく死刑を宣告されてきた。」「女性に死刑判決を下した裁判は、多くの場合、正式な手続きがとられなかったり、長年にわたり受けてきた虐待や性的暴力が減刑要素として考慮されなかったりと、ずさんで不公正なものだった。」と評している[34]。
アメリカのNPO法人である Death Penalty Information Center (死刑情報センター)の Robert Dunham は、女性への死刑適用が男性に比して少ない理由について、女性が犯す暴力犯罪のほとんどは家庭内殺人であり、それらはしばしば極度の精神的ストレスや精神疾患などに影響された行為とみなされるため、死刑の対象になりにくい、という旨の考察を述べている[35]。
海外
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国でも、女性死刑囚の数は男性に比してかなり少ない[18]。 EspyFile (アメリカや、かつてのアメリカの植民地での死刑執行の記録を保管しているデータベース)によれば、1632年以降、アメリカでは15,000人超の死刑執行があったが、そのうち女性への死刑執行記録は575人分だった[35]。1980年代初めには、全米の殺人事件のうち14%が女性によって犯されていた一方、女性の死刑囚は1%未満という報告もあったことを踏まえ、佐々木光明らは「死刑相当犯罪で有罪となった場合、男性の方が女性よりも多く死刑を宣告されているようである。」と指摘している[18]。
1998年1月1日時点で、全米には3,365人の死刑囚がいたが、そのうち女性はわずか47人だった[36]。同年2月3日にカーラ・タッカー (Karla Faye Tucker) 死刑囚の刑が執行されたが、女性死刑囚の執行は当時、テキサス州では135年ぶりで、全米では1976年に最高裁が死刑復活を認めてから2人目だった[36]。その後、2000年(3,593人)をピークに死刑囚の人数が減少し、2024年1月1日時点で2,216人おり、その内女性は、2024年11月19日時点であるが、1998年1月1日時点の人数とあまり変わらず、わずか51人である[37][38]。
更に、51人の内、20人の女性がカルフォニア州のカリフォルニア州中央州立女性刑務所に収監されているが、息子の嫁を殺人依頼して殺害させた罪で1962年8月8日にガス室で死刑執行されたエリザベス・ダンカンを最後にカリフォルニア州で死刑執行された女性はおらず(エリザベス・ダンカン自体、アメリカ合衆国内で、1972年の死刑執行一時停止前に執行された最後の女性であると同時にガス室により執行された最後の女性でもあった。)[39][40]、カリフォルニア州自体、2019年3月13日に死刑執行が一時停止されている[38][41]。
また、アメリカ連邦政府は2021年1月13日未明、2004年にミズーリ州で妊婦を殺害して腹部を切開し、胎児を取り出して連れ去ったリサ・モンゴメリー (Lisa Montgomery) の死刑を執行したが[42]、連邦政府による女性への死刑執行は、1953年に2人が処刑されて[43]以来[注 7]、68年ぶりのことで[46]、1927年以降では3人目だった[43]。なお、連邦政府は、リサ・モンゴメリーの死刑から、約半年後の2021年7月1日において、メリック・ガーランド司法長官より、連邦政政府による死刑執行を一時停止することを発表している[47][48][49]。
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日本の主な女性死刑囚
要約
視点
戦前
- 原田きぬ - 死刑判決を受けた当時は妊娠中で、出産後の明治5年2月20日(1872年3月28日)に小塚原刑場で死刑執行(斬首刑)。
- 稲イシ - 1878年(明治11年)10月14日に静岡市内で死刑執行。執行後に首を静岡市内の安倍川湖畔で晒される。(梟首<獄門>)
- 高橋お伝 - 1879年(明治12年)1月31日に市ヶ谷監獄で死刑執行(斬首刑)。
- 小山内スミ(「青森の亭主殺し」事件) - 1886年(明治19年)12月に青森監獄前で死刑執行(斬首刑)。
- 管野スガ(幸徳事件) - 1911年(明治44年)1月25日に市ヶ谷刑務所で死刑執行(29歳没)。
- 金子文子(朴烈事件) - 死刑判決を受けるが、後に恩赦で無期懲役に減刑。その後、1926年(大正15年)7月23日に栃木刑務所で獄死(23歳没)。
- ST(桐生夫毒殺事件) - 1939年(昭和14年)2月9日に大審院に上告棄却され死刑が確定し、同年10月10日に死刑執行。戦前最後に死刑が確定され執行された女性である[50][51][52][13][53]。
戦後日本の女性死刑囚一覧
1番(菅野村強盗殺人・放火事件の山本宏子)から8番(高知連続保険金殺人事件のS)は、村野薫 (2006) に基づく[1]。9番(宮崎2女性殺害事件のI)から14番(大牟田4人殺害事件のK)は、深笛義也 (2013) に基づく。また4番(夕張保険金殺人事件のHN)以降は、CrimeInfo (2023) に基づく[3]。
事件名および氏名が太字になっている場合は、存命者(および、その存命者による事件)を表す。正確な死刑確定日が判明している場合は、その日付を斜字で表記している。※は第一審が裁判員裁判で審理された事件およびその死刑囚。
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脚注
参考文献
関連項目
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