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植物種。裸子植物で落葉性の高木。 ウィキペディアから
イチョウ(銀杏[3][4]、公孫樹[3][4]、鴨脚樹[3][4][5]、学名:Ginkgo biloba)は、裸子植物で落葉性の高木である[6]。日本では街路樹や公園樹として観賞用に[6][7][8][9]、また寺院や神社の境内に多く植えられ[6][7][8]、食用[7]、漢方[10][11]、材用[12] としても栽培される。樹木の名としてはほかにギンキョウ(銀杏)[13]、ギンナン(銀杏)[4] やギンナンノキ[14] と呼ばれる。ふつう「ギンナン」は後述する種子を指す[9][15] ことが多い。
イチョウ | ||||||||||||||||||||||||||||||
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イチョウの葉 | ||||||||||||||||||||||||||||||
保全状況評価[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||
ENDANGERED (IUCN Red List Ver.2.3 (1994)) | ||||||||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
Ginkgo biloba L. (1771)[1][2] | ||||||||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
イチョウ | ||||||||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
Ginkgo, Maidenhair Tree | ||||||||||||||||||||||||||||||
変種、栽培品種 | ||||||||||||||||||||||||||||||
街路樹など日本では全国的によく見かける樹木であり[9]、特徴的な広葉を持っているが広葉樹[註 2]ではなく[16]、裸子植物ではあるが針葉樹ではない[16]。
世界で最古の現生樹種の一つである[10]。イチョウ類は地史的にはペルム紀に出現し[17][18]、中生代(特にジュラ紀[19])まで全世界的に繁茂した[7][18][20]。世界各地で葉の化石が発見され、日本では新第三紀漸新世の[18] 山口県の大嶺炭田からバイエラ属 Baiera[21]、北海道からイチョウ属の Ginkgo adiantoides Heer. などの化石が発見されている[22]。しかし新生代に入ると各地で姿を消し日本でも約100万年前に絶滅したため[17]、本種 Ginkgo biloba L. が唯一現存する種である[18]。現在イチョウは、「生きている化石」[23][24]として国際自然保護連合 (IUCN)のレッドリストの絶滅危惧種 (Endangered)に指定されている[1]。原始植物としてのイチョウの受精メカニズムは特異で、シダ類やコケ類と同様に動く精子が卵に向かって泳いでいき受精する[25]。
種子(あるいはそのうち種皮の内表皮および胚珠)を銀杏(ぎんなん)というが、しばしばこれは「イチョウの“実”」と呼ばれ、食用として流通している[3][9][26]。銀杏は、中毒を起こし得るもので死亡例も報告されており、摂取にあたっては一定の配慮を要する(詳しくは後述)。
中国語で、葉の形をアヒルの足に見立てて鴨脚と呼ぶので、そこから転じたとする説がある[3][14][20]。加納 (2008)では、「鴨脚」の中世漢語 ia-kiau の訛りであるとされる[26][27]。亀田 (2014) では、「鴨脚」の中国語読みイーチャオとして日本に伝わったとしている[28]。しかし、室町時代の国語辞典『下学集』では、「銀杏」の文字に「イチヤウ」および「ギンキヤウ」と振り、その異名に挙げる「鴨脚」には「アフキヤク」と振られており、イチヤウはあくまでも銀杏の音としてギンキヤウと併記され、鴨脚の音とはされていない[29]。なお、鴨脚の名は中国では11世紀の梅堯臣(1002年–1060年)や欧陽脩(1007年–1072年)の詩に見られ、その種子は「鴨脚子」と呼ばれていた[30]。
それに対し、「イチョウ」の語は「銀杏」の明代の近古音(唐音)が転じたものとする説もある[3][13]。1481年頃に成立した一条兼良の『尺素往来』や1486年の『類集文字抄』、1492年頃の『新撰類聚往来』にも「鴨脚」はなく、「銀杏」に「イチヤウ」とのみ振られており、これを支持する[29][30]。「いちょう」の歴史的仮名遣は「いちやう」であるが、もとは「いてふ」とする例が多かった[4]。この「いてふ」という仮名は「一葉」に当てたからだとされる[3]。1450年頃に成立した『長倉追罰記』には幔幕に描かれた家紋について「大石の源左衛門はいてうの木」と表記される[30]。
種子は銀杏(ギンナン)と呼ばれるが、11世紀前半に上記「鴨脚子」から入貢のため改称され、用いられるようになったと考えられる[30]。明代李時珍著『本草綱目』に記載されている「銀杏」は、銀杏の初出が呉端の『日用本草』(1329年)であるとする[31]。漢名の「銀杏」は種子が白いためである[26]。「銀杏」の中世漢語はiən-hiəngであり[27]、銀杏の唐音である『ギンアン』が転訛し(連声)、ギンナンと呼ばれるようになったものと考えられる[13][26]。
イチョウ属の学名 Ginkgo は、日本語「銀杏」に由来している[18][32][33]。英語にも ginkgo /ˈgɪŋkoʊ/ として取り入れられている[註 3][32][33][34]。ほかにも男性名詞として、ドイツ語 Ginkgo, Ginko /ˈgɪŋko/ [35][36] や フランス語 ginkgo /ʒɛ̃ŋko/ [37]、イタリア語 ginkgo [38] など諸言語に取り入れられている。
イチョウ綱が既に絶滅していたヨーロッパでは、本種イチョウは、オランダ商館付の医師で『日本誌』の著者であるドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルによる『廻国奇観 (諸国奇談、Amoenitatum exoticarum)』(1712年)の「日本の植物相(Flora Japonica)」[39] において初めて紹介されたが、そこで初めて“Ginkgo”という綴りが用いられた[18][40]。
ケンペルは1689年から1691年の間、長崎の出島にいたが、その間に中村惕斎『訓蒙図彙』(1666年)の写本を2冊入手した[註 4][40]。ケンペルが得たイチョウに関する情報は『訓蒙図彙』2版 (1686)の「巻十八 果蓏」で書かれている[40]。ケンペルは日本語が読めなかったので、参照番号をそれぞれの枠に振った[40]。ケンペルのもつ写本の植物の項目の殆どには見出しの隣に2つ目の番号が振られていた[40]。ケンペルの所有していた写本では、イチョウの枝の図の横に269、漢字の見出しには34と番号が振られている[40]。多くの日本の文献は、助手の今村源右衛門から教わったと考えられるが、交易所の通訳であった馬田市郎兵衛、名村権八と楢林新右衛門もケンペルの植物学の研究に重要な影響を与えたことが、イギリスの医師でありこの時代随一の蒐集家であったハンス・スローンが保管していたケンペルの備忘録により分かっている[40]。これらの参照番号はケンペルが日本に滞在していた時の備忘録でも見られる[40]。Collectanea Japonica と題された手稿[41] には、『訓蒙図彙』の漢字の見出しがリスト化されているページがあり、34番目の見出しで “Ginkjo” もしくは “Ginkio” と書くべきところを、誤って“Ginkgo”と表記されている[40]。つまり、ケンペルの「日本の植物相」以降、現在まで引き継がれている “Ginkgo” という綴りは、ケンペルの郷里レムゴーでの誤植や誤解釈などの出版の際のミスではなく、日本でケンペル自身が書き記した綴りであったと考えられる[40][註 5]。
なお、Webster (1958)では ginkgo は、日本語の ginko, gingkoに由来するとしている[32] が、日本語の「銀杏」が「ギンコウ」と読む事実はない[註 6][註 7]。小西・南出 (2006)では中国語の銀杏(ぎんきょう)からとしている[34] が、この読みは日本語であり正しくない。
このケンペルの綴りが引き継がれて、カール・フォン・リンネは1771年、著書 Mantissa plantarum. Generum editionis VI. Et specierum editionis II でイチョウの属名をGinkgo として記載した[18][44]。Moule や Thommen は、Ginkyo bilobaに修正すべきだと主張し[45]、牧野(1988)[46] では、ケンペルの著書中ではkjoをkgoに書き誤ったのであり、直すならGinkjoであるというが、植物命名規則においては恣意的に学名を変更することはできないとされている[36]。1712年のケンペルのGinkgoという誤った綴りは命名規約上有効ではなく、それを引用した1771年のリンネの命名Ginkgo bilobaが命名上有効であり、リンネは誤植をしなかったため、訂正することができないと考えられる[36]。
ginkgo は発音や筆記に戸惑う綴りであり、通俗的にk と g を入れ替えてしばしば gingko と記される[32][34][36]。このほか、ゲーテは『西東詩集 (West-östlicher Diwan)』「ズライカの書」(1819年)で、「銀杏の葉」Ginkgo bilobaという詩を綴っているが、ゲーテ全集初版以降、印刷では "Gingo biloba"と表記されている[36]。これはUnseld (1999)[47] によれば、ゲーテは科学者として学名 Ginkgo biloba を正しく認識していたが、詩人として Gingo という語を創作して付けたという[36]。
種小名の biloba はラテン語による造語で、「2つの裂片 (two lobes)」の意味であり、葉が大きく2浅裂することに由っている[7]。
英語では "maidenhair tree" ともいう[10][48][49][50]。"maidenhair" は通常はホウライシダ属 Adiantumのシダ(= maidenhair fern)を指し、英語の"maiden" には「処女(名詞)」または「処女の(形容詞)」の意味がある[48][49][50]。maidenhair tree という語は maidenhair fern によく似ているためであるとされる[42]。語源はよく議論されてこなかったが、葉がよく似たホウライシダを表す maidenhairとともに、陰毛が形作る三角形から名付けられたと考えられている[51]。「木の全体が女性の髪形に似ているため」と美化した説明もなされる[52]。
ほかにも fossil tree[10]、Japanese silver apricot[10]、baiguo[10]、yinhsing[10]などと呼ばれる。
漢名(異名)の「公孫樹」は長寿の木であり、祖父(公)が植えると孫が実(厳密には種子)を食べることができるという伝承に基づいている[8][26]。漢方(中国医学)では『日用本草』[註 8]にみられるように[30]、「白果(びゃっか[53]、はっか[26])」と呼ばれることが多い[11][26]。
本種は現生では少なくとも 綱レベル以下全てで単型の種であるとされ、イチョウ綱 Ginkgoopsida・イチョウ目 Ginkgoales・イチョウ科 Ginkgoaceae・イチョウ属 Ginkgo に属する唯一の現生種である[7][18]。門は維管束植物門 Tracheophyta[18]とされるが、独立したイチョウ植物門 Ginkgophyta(あるいは裸子植物門 Gymnospermae[54])に置かれることもある。
イチョウ綱に置かれる。イチョウは雄性配偶子として自由運動可能な精子を作るが、これはソテツと共通である[55]。そのためソテツ類とイチョウ類を合わせてソテツ類(ソテツ綱)とすることもあった[56][57]。また1896年の「精子の発見」以前は球果植物(マツ綱)のイチイ科に置かれていた[45][58]。
元来裸子植物は(化石種を含め)種子植物から被子植物を除いた側系統群と定義された為、側系統群を認めない立場から裸子植物門は解体されてソテツ植物門 Cycadophyta、イチョウ植物門 Ginkgophyta、グネツム植物門 Gnetophyta、球果植物門 Pinophyta の4植物門に分類され[55]、イチョウ植物門は現生種としてはイチョウのみの単型の門となった。
裸子植物の4分類群は形態的には大きくかけ離れ、被子植物の側系統群と定義された為、単系統性は明らかでなかったが、Hasebe et al. (1992) による分子系統解析の結果、現生裸子植物と現生被子植物はそれぞれ単系統群であることが分かり[59]、現在これはChaw et al. (2000)[60]などほとんどの研究で支持されている[61][62]。そこで単系統群としての裸子植物が再び置かれる事になる。これまで裸子植物を分類群として建てる場合は門の階級に置かれ裸子植物門 Gymnospermae とされてきた[54] が、近年では門としてより上位の分類群である維管束植物門 Tracheophyta を立て、その下に小葉植物亜門 Lycophytina と大葉植物亜門(真葉植物亜門)Euphyllophytina を置くことがあり[63]、裸子植物はその下位分類となる。この場合イチョウ類は大葉植物亜門の中の(裸子植物の一綱)イチョウ綱 Ginkgopsida とされる[63]。イチョウ綱はソテツ綱と姉妹群をなし、ペルム紀に分岐したと考えられている[64]。
イチョウ綱にはイチョウ目 Ginkgoales 1目、イチョウ科 Ginkgoaceae 1科のみが属しているが、これはペルム紀から中生代に繁栄した植物群である[7][17][18][19]。いずれも現生では本種のみが属する[7]。
以下に、長谷部 (2020)によるイチョウ類より上位の系統樹を示す[64]。これはPuttick et al. (2018)による分子系統樹にKenrick & Crane (1997)の化石植物を含む系統樹を組み入れたものである[64]。
維管束植物 |
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Tracheophyta |
現生はGinkgo biloba 1種のみしか知られていないが、変異が見られ、下位分類群として94品種が知られている[19]。代表的な変種または品種は以下のものである。食用の銀杏の品種は種子の節を参照。
本格的な木本性の植物であり[55]、樹高20–30 m、幹直径2 mの落葉高木となる[7]。大きいものは樹高40–45 m、直径4–5 mに達する[7][68]。茎は真正中心柱をもち、形成層の活動は活発で、発達した二次木部を形成する[55]。多数の太い枝を箒状に出し、長大な卵形の樹冠を形成する[7]。概ね円錐形の樹形となるが、枝振りが乱れるものもある[69]。樹形は単幹だけでなく株立ちのこともある[70]。
樹皮はコルク質がやや発達して柔らかく、淡黄褐色で粗面[7]。若い樹皮は褐色から灰褐色で、縦に長い網目状であるが、成長とともに縦方向に裂けてコルク層が厚く発達する[70]。枝には長枝と短枝があり、どちらも無毛である[7]。長枝は節や葉の間隔が離れているのに対し、短枝では節間が短く込み入っており、1年に数枚しか葉を付けない[58]。長枝は無毛でややジグザグ状になる[69]。冬芽は半球形や円錐形で、5 - 6枚の芽鱗に覆われる[7][69]。雄花、雌花の冬芽は短枝につく[69]。葉痕は半円形で、維管束痕が2個つく[69]。短枝は葉が複数束生するため、葉痕が輪生状に並ぶ[69]。春の芽生えは、短枝から数枚の葉が出て、のちに花が出てくる[69]。
葉は単葉で、葉身は扇形で長い葉柄を持つ(長柄)[7]。葉柄は3–8 cm、葉身長4–8 cm、葉幅は5–10 cm[6][9][25]。葉脈は原始的な平行脈を持ち、二又分枝して付け根から先端まで伸びる[55][68]。中央脈はなく、多数の脈が基部から開出し葉縁に達する[7]。このように葉脈が二又に分かれ、網目を作らない脈系を二又脈系(ふたまたみゃくけい、dichotomous system)と呼ぶ[71]。葉の上端は不規則の波状縁となり、基本的に葉の中央部は浅裂となるが、切れ込みの入らないものや、深裂となるものもあり[6][7][68]、栽培品種では差異が大きい。葉の形が同じように見えるものでも、葉の幅、広がり角度、切れ込みの数や深さ、葉柄の長さなど、同じものは二つとないといわれる[28]。若いものや徒長枝ほど切れ込みがよく入り、複数の切れ込みがあるものもある[6]。剪定されていない老木では切れ込みのない葉が多い[6]。葉脚は楔形[68]。雌雄異株であり、葉の輪郭で雌雄を判別できるという俗説があるが、実際には生殖器の観察が必要である[72]。葉は表裏ともに無毛[68]。葉の付き方は長枝上では螺旋状に互生し、短枝上では束生である[6][7][68]。また、秋になると比較的温度に関係なく、暖地でも落葉前の葉は鮮やかな黄色に黄葉する[7][28]。地上に落ちてからも、落ち葉はしばらくのあいだ色を失わないため、黄色の絨毯を敷いたような情景を見ることができる[28]。落葉した後、翌春には古い枝から再び葉が芽吹くように見えるが、実際は葉柄が付くのに必要な長さ1 mm程度の短い枝が新しくでき、そこに新葉が付く[73]。
ラッパのような筒状の葉を付けるラッパイチョウなどの変異も見られる[6]。また、葉の縁に不完全に発達した雄性胞子嚢(葯)または襟付きの胚珠(および種子)が生じる変種をオハツキイチョウ G. biloba var. epiphylla Makino と呼び、本種の系統を示す重要な形質だと考えられている[7][74]。天然記念物に指定されているものもあるが、あまり珍しくない[7]。矢頭 (1964)では変種として区別する必要がないとしている[7]。また、オハツキイチョウでは雌性胞子嚢穂に2つ以上の胚珠が形成され、イチョウの化石種に似ているがその理由も不明である[74]。
樹木としては長寿で、各地に幹周が10 mを超えるような巨木が点在している[註 9]。老木になると幹や大枝から円錐形の気根状突起を生じることがあり、これをイチョウの乳と呼ぶ[9][14][75][24]。これは「乳根」や「乳頭」、「乳柱」ともよばれる[70]。若木のうちから乳を作る個体は、チチイチョウ(乳銀杏)と呼ばれ[14][76]、古来、日本各地で安産や子育ての信仰対象とされてきた。造園ではチチノキ[12] とも呼ばれる。この乳は不定芽や発育を妨げられた短枝、あるいはそれから発育した潜伏芽に由来し、内部の構造は材とは違って柔らかい細胞からなり、多量の澱粉を貯蔵している[20]。イチョウの乳は解剖学的研究から維管束形成層が過剰成長することで形成されることが分かってきたが、その機能と相同性は分かっていない[74][77]。
雌雄異株[25]。花期は春(4 - 5月頃)で、花びらのない花(生殖器)が咲いた後、秋になると雌株にギンナン(銀杏)が実る[25]。(詳細は#生殖を参照)
日本の関東地方など、北半球の温帯では 4–5月に新芽が伸び開花[註 10]する[68]。裸子植物なので、受粉様式は被子植物と異なる。風媒花[註 10]であり、雄性胞子嚢穂の花粉は風により遠方まで飛散し、かなりの遠距離でも受粉可能である[79]。まず開花後4月に胚珠が露出した雌性胞子嚢穂に受粉した花粉は、胚珠端部に染み出た液とともに取り込まれて花粉室に5か月ほど保持され、その間に胚珠は直径約2 cm程度に肥大して、花粉から成長した透明な袋の中ではふつう2個の精子が作られる[80]。9–10月頃、精子が成熟すると袋から放出され、花粉室から1個の精子のみが造卵器に泳いで入り、ここで受精が完了する[55][80]。受精によって胚珠は成熟を開始し、10–11月頃に種子は成熟して落果する[7]。
種子は、球形から広楕円形で、長さ 1–2 cmの石果様を呈する[7][68]。種皮の外表皮[註 11]は橙黄色で、軟化し臭気を発する[7]。内表皮は堅く、紡錘形で、長さ約 1 cmで黄白色である[7]。普通は2稜あるが、3稜のものも少なくなく、子葉は2または3個[7]。1 kg当りの種子数は約900個である[7]。実生の発芽率は高い[76]。
本種の雌性生殖器官である雌性胞子嚢穂[註 12]は、短枝の葉腋に形成され、二又に分かれ両先端に1個ずつ雌性胞子嚢(珠心)が形成されることで[78]、胚珠柄 (peduncle)[註 13]の先端に通常2個の胚珠が付く構造をしている[58][55]。
胚珠は柄の先端の「襟」と呼ばれる構造(退化した心皮[7]?)に囲まれているが、ほぼむき出しの状態である[55]。襟と呼ばれる隆起は葉の名残ではないかと考えられたこともあったが、葉の上に胚珠ができる突然変異体(オハツキイチョウ)では、葉の上にできた胚珠にも襟ができることから、葉の変形ではないのかもしれず、襟の相同性は謎である[74]。
胚珠は1枚の肉厚で円筒状の珠皮が珠心を包み込んでいて、珠皮は外から外表皮(銀杏の一番外側の皮になる)、肉質部(銀杏の臭い肉質部となる)、石層部構造(銀杏の堅い殻となる)、内表皮(銀杏の薄皮のうち外側の皮となる)からなる[78]。珠皮は種子の形成に伴い種皮となる[78]。被子植物は内珠皮と外珠皮の2枚があるので、種皮も内種皮と外種皮の2枚あるのに対し、イチョウを含む裸子植物は珠皮が1枚なので、種皮も1枚である[78]。銀杏は臭い肉質の部分と内側の硬い殻が印象的であるため、外種皮と内種皮と呼ぶ記述も見られるがこれは誤りである[78]。
本種の雌性配偶体や造卵器の形成過程はソテツに類似している[55]。遊離核分裂による多核性段階を経て、細胞壁の発達した多細胞段階になる[55]。胚珠の発生初期において、珠皮と雌性胞子嚢の間に隙間があるが、発生が進むにつれ両者は融合する[78]。この間に、珠皮と雌性胞子嚢ともに細胞分裂と伸長を行い大きくなるが、雌性胞子嚢の先端部分が伸び出ししばらくすると先端部内側の細胞が崩壊し、花粉室と呼ばれるクレーター上の構造ができる[78]。雌性胞子嚢の外側にある珠皮は先端部分が伸びて珠孔となる[78]。雌性胞子嚢の中の雌性胞子は4月の受粉後、遊離核分裂を行い、その後細胞質分裂によって数百細胞からなる雌性配偶体が形成される[78]。雌性配偶体の細胞は分裂と伸長を繰り返し、雌性胞子嚢の花粉室側にまで拡がる一方、雌性胞子嚢は退縮して薄くなる[78]。雌性配偶体上に通常2個の造卵器(1個から5個までの変異がある)が形成される[55]。始原細胞は珠孔側の表皮細胞であり、並層分裂により中央細胞と第一次頸細胞(第一次首細胞)ができ、それがすぐに垂直分裂をして2個の頸細胞(首細胞)となる[55]。造卵器は頸細胞、腹溝細胞、卵細胞からなり、頸細胞が花粉室にむき出しとなる[78]。
雄性器官も短枝の葉腋上に雄性胞子嚢穂[註 14]として形成される[55][78]。雄性胞子葉は軸のみに退縮していて先端に2つの雄性胞子嚢を形成する[78]。雄性胞子嚢穂は尾状花序様で[7]、軸上に多数の付属体(雄蕊[7])が付き、各付属体は通常2個の雄性胞子嚢(小胞子嚢、葯[7])を先端につける[55]。雌性胞子嚢の中には1つの雌性胞子しか形成されなかったが、雄性胞子嚢の中では減数分裂によって数1000個の雄性胞子が形成される[78]。雄性胞子(小胞子母細胞)は雄性胞子嚢の中で分裂して、1つの雄原細胞(受精後分裂して2つの精子になる細胞)、1つの花粉管細胞、2つの配偶体細胞の合計4細胞からなる雄性配偶体となり、これが花粉である。小胞子嚢の中のが分裂し、4分子の小胞子(核相: n)をつくる[55]。
雄性配偶体はソテツに似ており、花粉散布時には生殖細胞、花粉管細胞、2個の前葉体細胞の4細胞性の構造をとる[55]。花粉が風で胚珠まで運ばれると、珠孔にできた受粉滴に付着して胚珠の内部に運ばれる[55]。生殖細胞は不稔細胞と精原細胞に分裂し、精原細胞はもう一度分裂し2個の精子となる[55]。花粉は分枝する花粉管を伸ばし、吸器として働く[55]。
裸子植物の雄性配偶子は花粉によって運ばれ、うちグネツム類や球果植物では花粉粒から花粉管を伸ばして胚嚢まで有性配偶子が運ばれるが、本種及びソテツは花粉管から自由運動可能な精子が放出されて受精が行われる[55]。
1895年、帝国大学(現、東京大学)理科大学植物学教室の助手平瀬作五郎が、種子植物として初めて鞭毛をもって遊泳するイチョウの精子を発見した[55][82][83]。平瀬は当時、ギンナンの内部にあった生物らしきものを寄生虫と考えたが、当時助教授であった池野成一郎に見せたところ、池野は精子であると直感したという[55]。その後の観察で、精子が花粉管を出て動き回ることを確認し、平勢は1896年(明治29年)10月20日に発行された『植物学雑誌』第10巻第116号に「いてふノ精虫ニ就テ」[84] という論文を発表した[7][55][註 15]。裸子植物であるイチョウが被子植物と同じように胚珠(種子)を進化させながら、同時に雄性生殖細胞として原始的な精子を持つということは、進化的に見てシダ植物と種子植物の中間的な位置にあるということを示している[82]。この業績は1868年の明治維新以降、欧米に学んで近代科学を発展させようとした黎明期において、世界に誇る研究として国際的にも高く評価された[82][83]。後年、平瀬はこの功績によって学士院恩賜賞を授与されている[82]。加藤 (1999) は、当時植物園教室は小石川植物園内にあり、身近にイチョウが植えられて研究材料として簡単に利用できる状態であったということが、この研究の一助となったとしている[82]。精子の発見された樹は樹高25 m、直径約1.5 m の雌木であり、今日も小石川植物園に現存している[7]。
耐寒耐暑性があり、強健で抵抗力も強いので、日本では北海道から沖縄県まで広く植栽されている[79]。北半球ではメキシコシティからアンカレッジ、南半球ではプレトリアからダニーデンの中・高緯度地方に分布し、極地方や赤道地帯には栽植されない。年平均気温が0–20℃の降水量500–2000 mmの地域に分布している[23][66]。IUCNレッドリスト1997年版で希少種 (Rare) に、1998年版で絶滅危惧(絶滅危惧II類)に評価された[1]。
自生地は確認されていないが中国原産とされる[3][79]。中国でも10世紀以前に記録はなく[30]、古い記録としては、欧陽脩が『欧陽文忠公集』(1054年)に書き記した珍しい果実のエピソードが確実性の高いものとして知られる[15][30][87]。それに先立ち、現在の中国安徽省宣城市付近に自生していたものが、11世紀初めに当時の北宋王朝の都があった開封に植栽されたという李和文による記録があり、中国でイチョウが広くみられるようになったのは、それ以降であるという説が有力である[87]。中国の安徽省および浙江省には野生状のものがあり、他の針葉樹・広葉樹と混生して森林を作っている[7]。
その後、仏教寺院などに盛んに植えられ、日本にも薬種などとして伝来したとみられるが、年代には古墳・飛鳥時代説、奈良・平安時代説、鎌倉時代説、室町時代説など諸説あるものの、憶測や風説でしかないものも混じっている[15][29]。六国史や平安時代の王朝文学にも記載がなく、鶴岡八幡宮の大銀杏(「隠れイチョウ」)を根拠とする説も根拠性には乏しいため、1200年代までにはイチョウは日本に伝来していなかったと考えられている[29][30]。行誉により1445年頃に書かれた問答式の辞書『壒嚢鈔』には深根輔仁『本草和名』(914年)にも記述がないとある[30]。
1323年(至治3年)に当時の元の寧波から日本の博多への航行中に沈没した貿易船[註 16]の海底遺物のなかからイチョウが発見されている[15][30][87]。1370年頃に成立したとみられる『異制庭訓往来』が文字資料としては最古と考えられる[30][87]。そのため、1300年代に貿易船により輸入品としてギンナンが伝来したと考えられる[30]。南北朝時代の近衛道嗣の日記『愚管記』(1381年)には銀杏の木について[87]、室町時代の国語辞書『下学集』(1444年)にも樹木として記載がある[30]。また、15世紀の『新撰類聚往来』[89] には、果実・種子としての銀杏(イチャウ)が記載されている。室町中期にはイチョウの木はかなり一般化し、1500年代には種子としても樹木としても人々の日常生活に深く入り込んでいったと考えられる[30]。
幹周 8 m 以上の巨樹イチョウの日本列島における分布は、東日本89本(雄株81・雌株8)、中部日本21本(雄株15・雌株6)、西日本50本(雄株24・雌株26)となっている[90]。
ヨーロッパには1692年、ケンペルが長崎から持ち帰った種子から始まり、オランダのユトレヒトやイギリスのキュー植物園で栽培され、開花したという[91]。1730年ごろには生樹がヨーロッパに導入され[92]、18世紀にはドイツをはじめヨーロッパ各地での植栽が進み、1815年にはゲーテが『銀杏の葉 (Gingo biloba)』と名付けた恋愛詩を記している[36]。
木材としての利用はあまり知られていないが、火や大気汚染に強く、病害虫にも強い特性を持っていることから、街路樹、寺院や神社、学校などの植栽樹として重用されている[25]。長寿で、寺社には樹齢が数百年以上といわれるイチョウの大木があるところもある。種子の仁であるギンナン(銀杏)は、秋の味覚として食べられている。
木材としての知名度は低い[12]。組織は針葉樹のものと似ている[12]。材は黄白色で、心材と辺材の色の差はほとんどない[7][12]。早材と晩材の差が少ないため、年輪ははっきりとせず広葉樹材のようであり、材は緻密で均一、柔らかいため加工性に優れる[12][79]。肌目は精で、木理は通直で、反曲折裂および収縮が少なく、歪みが出にくい良材である[7][12][79]。木材の中に異形細胞をもち、その中に金平糖型のシュウ酸カルシウムを含む[12]。気乾比重は0.55で、やや軽軟で、耐久性は低い[12]。器具・建具・家具・彫刻[7][12][79]、カウンターの天板・構造材・造作材・水廻りなど広範に利用されており、碁盤や将棋盤にも適材とされる[9][12]。ただし、カヤに比べ音が良くないため評価は低い[12]。その他、古くは鶏屋のまな板に好まれた[12]。用材はほかに和服の裁ち板としても使われる[14]。
土地を選ばず生育し、萌芽力がさかんで、病虫害が少なく、強い剪定にも耐えるため、庭園樹、公園樹、街路樹、防風樹、防火樹などとして植栽される[79]。日本では庭園や公園に植栽されたり[68]、寺社の境内にも多く植えられる[7][9] が、大規模な造林地になっているものはない[12]。古い社寺の境内には樹齢数百年を経たと称される「大銀杏」が多くみられる[70]。外国の植物園でもよく見られる[7]。盆栽にも利用される[9][76][79]。盆栽は実生または挿し木によって作られる[76]。チチイチョウはよく盆栽につくられる[76]。高木になるため庭木としての利用は少ないが、成長が遅いチチイチョウは庭木としても用いられる[14]。
また、樹皮が厚く、コルク質で気泡があるため、耐火力に優れているとみなされ、防火植林に用いられる[7][79]。江戸時代の火除け地に多く植えられた。大正時代の関東大震災の際には延焼を防いだ例もあったため、防災を兼ねて次項で記載する街路樹にイチョウが多く植えられるようになったという。これを提案したのは造園家の長岡安平であったことが、2019年12月27日放送の『チコちゃんに叱られる!』で取り上げられた[93]。
病害や虫害がほとんどなく[7][14]、黄葉時の美しさ[19] と、大気汚染や剪定、火災に強いという特性[14] から、街路樹としても利用される[6][7][8][9]。黄葉したイチョウはいちょうもみじ(銀杏黄葉)と呼ばれ[3]、並木道などは秋の風物詩となる。2007年の国土交通省の調査によれば、街路樹として57万本のイチョウが植えられており、樹種別では最多本数。東京都の明治神宮外苑や、大阪市御堂筋の街路樹[53] などが、銀杏並木として知られている。大阪を代表する御堂筋のイチョウ並木は、1966年時点で樹齢約50年、867本(うち雌株111本)あった[75][註 17]。雌株では秋期に落下した種子(銀杏)が異臭の原因となる場合があるので[7]、街路樹への採用にあたっては、果実のならない雄株のみを選んで植樹される場合もある[94]。移植は容易で、大木であっても移植することができる[14]。
日本には樹齢1,000年以上と称されるイチョウの巨樹が各地にある[11][註 18]。そのため、ソテツと同様に天然記念物に指定され保護されているものも多い[20]。社会や文化とのかかわりの項も参照。
イチョウの葉や種子は古くから薬用に利用され、中国の『神農本草経』や『本草綱目』に遡る[113]。健康な一般成人では、イチョウは適切な量(1、2粒程度)であれば食用として安全である[10][出典無効]。しかし生もしくは加熱したイチョウ種子は、有毒であり深刻な副作用を起こす可能性がある[10]。
100 gあたりの栄養価 | |
---|---|
エネルギー | 717 kJ (171 kcal) |
34.8 g | |
食物繊維 | 1.6 g |
1.6 g | |
飽和脂肪酸 | 0.16 g |
一価不飽和 | 0.48 g |
多価不飽和 | 0.60 g |
4.7 g | |
ビタミン | |
ビタミンA相当量 |
(3%) 24 µg |
チアミン (B1) |
(24%) 0.28 mg |
リボフラビン (B2) |
(7%) 0.08 mg |
ナイアシン (B3) |
(8%) 1.2 mg |
パントテン酸 (B5) |
(25%) 1.27 mg |
ビタミンB6 |
(5%) 0.07 mg |
葉酸 (B9) |
(11%) 45 µg |
ビタミンC |
(28%) 23 mg |
ビタミンE |
(17%) 2.5 mg |
ビタミンK |
(3%) 3 µg |
ミネラル | |
カリウム |
(15%) 710 mg |
カルシウム |
(1%) 5 mg |
マグネシウム |
(14%) 48 mg |
リン |
(17%) 120 mg |
鉄分 |
(8%) 1.0 mg |
亜鉛 |
(4%) 0.4 mg |
銅 |
(13%) 0.25 mg |
他の成分 | |
水分 | 57.4 g |
水溶性食物繊維 | 0.2 g |
不溶性食物繊維 | 1.4 g |
ビオチン (B7) | 6.2 µg |
ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した[115]。 | |
| |
%はアメリカ合衆国における 成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。 |
イチョウの種子は、銀杏(ぎんなん)といい、硬い種皮の内表皮(殻)の中に含まれる胚乳(さね、核、仁)が食用となる[5][7][20]。実と説明されることもある[6] が、果実ではない[116]。これを食用とするのは日本や中国など、東アジアにおける習慣である[117]。これは中国の本草学図書である『紹興本草』(1159年)にも記載される[11]。薬用(漢方)として利用されていたことが、明代の龔廷賢が1581年に著した『萬病回春』に記されている[11]。鎮咳作用があるとされる[53][118]。
仁は直径1 cm程度の紡錘形[9] で、新鮮な状態では光合成色素のクロロフィルの存在により緑色を呈するが、収穫後は殻付きで保存しても常温に置くと短期間のうちに黄色に褪色化する[119]。加熱により半透明の鮮やかな緑色になるが[120]、加熱を続けると微酸性である死んだ細胞の内容物との作用でクロロフィルのマグネシウムがはずれ、黄褐色のフェオフィチンとなる[119]。
食材としての旬の時期は秋(9–11月)で、雌株の下に落ちているイチョウの実(正確には種子)を拾ったら、周囲の外種皮部分を取り除き、よく洗って乾燥させる[121]。旬に先走って収穫される「走り」のぎんなんは、翡翠に似た鮮やかな緑色を呈し、やわらかく匂いも少ないことから通常の時期に収穫されるものより高級とされる[122][123]。茶碗蒸しやおこわなどの具に使われたり[11]、煮物や鍋物、揚げ物、炒め物など広汎な料理に用いられ[124]、酒の肴としても用いられる[120][125]。和食料理のあしらいとして欠かせない食材で、殻は割り、渋皮は弱火で炒るか、ゆでるときれいにむける[120]。韓国では、露店でも炒った銀杏を販売している。加工品としては砂糖漬やオリーブ油漬、水煮などの瓶詰や缶詰が売られている[124]。ただし、独特の苦味[124] および種皮の外表皮には悪臭[9][14] がある。秋の食材だが、加熱して真空パック詰めにした商品は年中手に入る。銀杏を保存するときは殻付きのままビンや袋に入れて、冷蔵しておけば数か月は保存できる[121]。
栄養素としてデンプンが豊富に含まれ[124]、モチモチとした食感と独特の歯ごたえがある。ほかにもレシチンやエルゴステリン、パントテン酸、カリウム、カロテン、ビタミンC、ビタミンB1も含有している[124][126][121]。銀杏の食用部分にはメチルピリドキシンという成分が含まれていて、大量に食べると、まれに食中毒による痙攣を引き起こすこともある[121]。このため、銀杏を食べ過ぎないことと、5歳以下の幼児には食べさせないように注意喚起されている[121]。
銀杏は古くは米の凶作時の備蓄食糧に使われたといわれており、今日では日本全土で生産されているが、特に愛知県稲沢市(旧:中島郡祖父江町)は銀杏の生産量日本一である[126][127]。ぎんなん採取を目的としたイチョウの栽培は1841年(天保11年)、祖父江町に富田栄左衛門がのちの「久寿(久治)」となるイチョウ苗を植えたことに始まるとされる[126][128]。愛知県ではぎんなん収穫用に畑で低く仕立てられ、栽培される[14]。佐賀県でも嬉野市の塩田町でウンシュウミカンからの転作としてよく栽培される[118]。ぎんなんの収穫・流通を目的とした栽培品種があり、大粒晩生の「藤九郎」、大粒中生の「久寿(久治)」(くじゅ)、大粒早生の「喜平」、中粒早生の「金兵衛」(きんべえ)、中粒中生の「栄神」などが主なものとして挙げられる[128][121]。「藤九郎」は岐阜県瑞穂市(旧穂積町)、「久寿(久治)」「金兵衛」「栄神(栄信)」は愛知県稲沢市(旧祖父江町)、「長瀬」は愛知県海部郡発祥の品種である[129]。
イチョウの種子が熟すと肉質化した種皮の外表皮が異臭を放ち[130]、素手で直接触れるとかぶれやすい[121]。異臭の主成分は下記の皮膚炎の原因となるギンコール酸である[130]。異臭によりニホンザル、ネズミなどの動物は食べようとしないが、アライグマは食べると言われている[131]。この外表皮を塗ると黒子が取れるとする薬効が『昭興本草』(1159年)にある[30]。また銀杏にはアナカルド酸が含まれ、Nostoc 属シアノバクテリアの糸状体に対して強力な殺菌活性を有しながらも、毒性を示さない極低濃度では明瞭なホルモゴニア分化誘導活性を示す[132]。
イチョウの種子は皮膚炎及び食中毒を起こすことが知られている。1379年の『種樹書』にはすでに銀杏に毒性のあることが記載されている[11]。銀杏中毒になる危険性があるため、日本では「歳の数以上は食べてはいけない」という言い伝えがある[117]。
種皮の外表皮には乳白色の乳液があり、それにはアレルギー性皮膚炎を誘発するギンコールやビロボールといったギンコール酸(ギンゴール酸)と呼ばれるアルキルフェノール類の脱炭酸化合物を含んでいる[45][113]。これはウルシのウルシオールと類似し、かぶれなどの皮膚炎を引き起こす[130]。イチョウの乾葉は、シミなどに対する防虫剤として用いられる[79]。これは、ギンコール・ギンコール酸が葉にも含まれているからである[113]。
食用とする種子にはビタミンB6の類縁体4'-O-メチルピリドキシン (4'-O-methylpyridoxine, MPN) が含まれている[130][133][134] が、これはビタミンB6に拮抗して(抗ビタミンB6作用)ビタミンB6欠乏となりGABAの生合成を阻害し、まれに痙攣などを引き起こす[130]。銀杏の大量摂取により中毒を発症するのは小児に多く、成人では少ない[117]。大人の場合かなりの数を摂取しなければ問題はないが、1日5–6粒程度でも中毒になることがあり、特に報告数の70%程度が5歳未満の小児である[135]。小児では7個以上、大人では40個以上の摂取で発症するとされる[117]。
太平洋戦争前後などの食糧難の時代に中毒報告が多く、大量に摂取したために死に至った例もある[117]。1960年代以降銀杏中毒は減少に転じ、1970年代以降死亡例はない[117]。上記の通りビタミンB6欠乏により中毒が起こるため、食糧事情の改善に伴う栄養状態の改善により減少したと考えられている[117]。
症状は主に下痢、嘔気、嘔吐等の消化器症状および縮瞳、眩暈、痙攣や振戦等の中枢神経症状で、加えて不整脈や発熱、呼吸促拍等の症状も報告されている[117]。
イチョウ葉にはフラボノイド、テルペノイド、アルキルフェノール類が含まれる[113]。
主要なフラボノイド成分はビフラボン、フラボノール、フラボンであり、このうちイチョウ葉エキスのビフラボン含有量は僅かである[113]。ビフラボンはアメントフラボン、アメントフラボンの誘導体であるビロベチン、ギンクゲチン、イソギンクゲチン、シアドビチシン、5'-メトキシビロベチンが含まれている[113]。フラボノール及びフラボノール配糖体は約20種が含まれており、主要なアグリコンはケンフェロール、ケルセチン、イソラムネチン、ミリセチンなどで、配糖体の糖部に多いのはグルコース、ラムノース、ルチノースなどである[113]。また、2種類のプロアントシアニジンも報告されており、イチョウ葉エキスには約7%含まれている[113]。
テルペノイドにはともにイチョウに特有な物質であるギンコライドおよびビロバライドがあり、イチョウ葉エキス中には前者2.9%、後者3.1%が含まれている[113]。ギンコライドはtert-ブチル基を持ち、6個の5員環からなる「籠型構造」を有するジテルペンである[113]。これまでにギンコライドA、ギンコライドB、ギンコライドC、ギンコライドJ、ギンコライドMの5種類が見つかっている[113]。ただしこのうちギンコライドMは根皮のみから見つかっている[113]。ビロバライドもtert-ブチル基を持つが、4個の5員環を持つセスキテルペンである[113]。
アルキルフェノール類であるギンコール酸は葉にも含まれる[113]。ギンコール酸はヒトの癌細胞に対する増殖抑制作用が知られている[113]。
イチョウ葉エキスの生理作用は主に抗酸化作用と血液凝固抑制作用、神経保護作用、抗炎症作用であり、その他、血液循環改善作用、血圧上昇抑制作用、血糖上昇抑制作用の報告もある[113][136]。
イチョウ葉エキス中のフラボノイド類には、脂質過酸化、血小板凝集、炎症反応などに関係する活性酸素やフリーラジカルの消去作用、血小板凝集の阻害効果、炎症細胞からの活性酸素産生の抑制作用が認められる[136]。イチョウ葉エキスEGb761はヒドロキシラジカル、ペルオキシラジカル、スーパーオキシドラジカルに対して消去作用を示すことが知られている[113]。
また、イチョウ葉エキスの中のギンコライドBは特異的な血小板活性化因子の阻害物質ということが確認され、脳梗塞や動脈硬化の予防の効果が期待されている[136]。
中国では古くから薬用に用いられていたが、イチョウ葉エキスが現代医学において効果があると示されたのは1960年代、ドイツの製薬会社で開発されたイチョウ葉エキスが脳や末梢の血流改善に使用されたことに端を発する[113]。ただし中国でもイチョウ葉を薬用とするようになったのはおそらく清朝以降であると考えられている[11]。『本草品彙精要』には胸悶心痛や激しい動悸、痰喘咳嗽、水様の下痢、白帯を治すとある[11]。
EGb761というイチョウ葉エキスを用いた臨床試験において、記憶力衰退の改善、認知症の改善、眩暈や耳鳴り、頭痛など脳機能障害の改善、不安感の解消などの有効性が報告されている[113][136]。
しかし、イチョウ葉エキスの効果に関する信頼性の高い研究はほとんどない[10][137]。アメリカ国立補完統合衛生センター(NCCIH)はイチョウ葉エキスの効果に対して否定的な態度を示しており、「イチョウがさまざまな健康上の問題に関して、有用であるという決定的な科学的証拠は存在しない」「認知症もしくは認知機能低下の予防や緩和、高血圧、耳鳴り、多発性硬化症、季節性情動障害、および心臓発作や脳卒中のリスクに対しては、イチョウは有用ではないことが、示唆されている」と述べている[10][137][138]。これは、NCCIHによって行われた大規模なRCT実験(被験者3000人)を含む研究に基づいている[137][138]。
日本と欧米では製造方法が異なり[136]、日本では健康食品として使用されるため食品衛生法の規制により、エタノール抽出が行われるが、欧米ではアセトン抽出が行われている[113]。欧米のアセトン抽出によるイチョウ葉エキスはEGb761というコードネームがつけられ、この薬理学研究は多数行われている[113]。イチョウ葉エキスで特定されている成分は、含量がエキス全体の半分にも満たないフラボノイドやテルペノイドなどであるため、フラボノイドやテルペノイドなどの含有量が同じであってもアセトン抽出品とエタノール抽出品が同等かどうかの判断はできない[136]。
雑誌などでイチョウ葉茶の作り方が掲載されることがあるが、イチョウ葉を集めてきて、自分で調製したお茶にはかなり多量のギンコール酸が含まれると予想され、推奨されない[136]。
ドイツでは、フラボノイド22–27%、テルペノイド5–7%(ビロバライド2.6–3.2%、ギンコライドA, B, C 2.8–3.4%)、ギンコール酸5 ppm以下の規格を満たすイチョウ葉エキスが医薬品として認証されており[139]、日本においても公益財団法人 日本健康・栄養食品協会がイチョウ葉エキス食品に対し、イチョウ葉エキスを20 mg以上含有し、ギンコール酸を5 ppm以下とするよう基準を設けている[136][140]。しかし、同協会の認証を受けていない商品についてはそういった基準はない。なお、イチョウ葉は日本からドイツやフランスへ輸出されている[141]。
日本では、イチョウ葉を素材とした健康食品は食品として流通している[142] が、医薬品として認可されておらず、食品であるため効能を謳うことはできない。しかし、消費者に対し過大な期待を抱かせたり、医薬品医療機器等法で問題となるような広告も散見される[139]。
国民生活センターのレポートによると、アレルギー物質であるギンコール酸、有効物質であるテルペノイド、フラボノイドの含有量には製法と原料由来の大きな差がみられる。また、「お茶として長時間煮詰めると、ドイツの医薬品規格以上のギンコール酸を摂取してしまう場合がある」とし、異常などが表れた場合は、すぐに利用を中止し医師へ相談するよう呼び掛けている[139]。
医薬品規格を満たすイチョウ葉エキスについては、適切に用いれば経口摂取でおそらく安全と評価されている[143]。240 mg以上のイチョウ葉エキスの摂取や医薬品規格を満たさないものについては、安全性は明確になっていない[136]。副作用として、胃腸障害、頭痛やめまい、動機、皮膚のアレルギー症状、血液凝固抑制薬(ワルファリンやアスピリン)との併用による出血の恐れが高まること[139][10]などが知られている[143][136]。まれな副作用としては、スティーブンス・ジョンソン症候群、下痢、吐き気、筋弛緩、発疹、口内炎などが報告されている。
イチョウ葉エキスには血液の抗凝固促進作用があり、アスピリンなど抗凝固作用を持つ薬との併用には注意を要する[136]。インスリン分泌にも影響を及ぼすため、糖尿病患者が摂取する場合は医師と相談した方がよい。また、抗うつ剤や肝臓で代謝されやすい薬(CYP2C9、CYP1A2、CYP2D6、CYP3A4の基質となる医薬品[註 19])も相互作用が生じる可能性がある[144][145]。原因は明らかでないものの、トラゾドンとイチョウ葉エキスを摂取した高齢のアルツハイマー病患者が、昏睡状態に陥った例も報告されている[136]。利尿剤との併用により、高血圧を起こしたとの報告も1例ある[10]。
イチョウは日本では神社や寺院などに多く植栽され、全国的に、民家に植えるのはどちらかといえば忌み嫌われる傾向にある[146]。
イチョウに関しては多くの伝承が伝わっている[146]。「杖銀杏」とは、空海や親鸞、日蓮といった高僧・名僧が携えた杖を地面に刺したものが成長し、根を張り、枝葉を生じたというもので、東京都港区麻布善福寺の「善福寺のイチョウ」(国の天然記念物)、山梨県南巨摩郡身延町の「上沢寺のオハツキイチョウ」(国の天然記念物)などはその一例である[146][147]。また、しばしば見かける「逆さ銀杏」とは枝葉が下を向いて生えることを称しており、「善福寺のイチョウ」「上沢寺のイチョウ」のほか、京都市下京区の「西本願寺の逆さイチョウ」(京都市天然記念物)などが有名であるが、それ以外にも全国各地に点在している[146][147][148]。
古いイチョウの樹に生じる気根にふれたり、気根を削って煎じたものを飲んだりすると乳の出がよくなるという「乳イチョウ」の古木も全国各地にみられる[146]。川崎市の影向寺のイチョウや仙台市宮城野区の「苦竹のイチョウ(姥銀杏)」(宮城県天然記念物)、富山県氷見市の「上日寺のイチョウ」(国の天然記念物)、千葉県勝浦市の「高照寺の乳イチョウ」(千葉県天然記念物)が特に知られている[146][149][150][151][152]。青森県西津軽郡深浦町の「北金ヶ沢のイチョウ」(国の天然記念物)は「垂乳根(たらちね)の公孫樹」とも呼ばれて崇敬されてきた樹で、母乳の不足する女性が青森県内はもとより秋田県や北海道からも願掛けに訪れ、気根にお神酒と米を供えて祈る風習が1980年代半ばまで続いていたといわれる[153]。徳島県板野郡上板町の乳保神社のイチョウ(国の天然記念物)も「乳イチョウ」で、これは神社名の由来になった樹木であり、神木である[154]。ここでは気根の先を白紙で結んでおくと病気平癒や乳の出がよくなるといった御利益があると信じられてきた[154]。
「子授け銀杏」には、東京都豊島区法明寺鬼子母神堂境内のイチョウが知られ、その木を女性が抱き、その葉や樹皮を肌につけると子宝が授かるという伝承がある[146]。
「泣き銀杏」には、千葉県市川市の弘法寺のイチョウが有名で、弘法寺1世日頂が養父富木常忍の勘当を受けて、この木の周りを泣きながら読経したという伝承に由来する[146]。各地の「泣き銀杏」の伝承には、さまざまなタイプがある[146]。
明治年間、日比谷通りの拡幅工事が実施されてイチョウの木が伐採されようとしたとき、造園家の本多静六が「私の首をかける」として伐採に反対したのが、東京都千代田区の日比谷公園内にある「首かけイチョウ」である[155]。日比谷公園は、1903年に本多によって造園され、イチョウは25日かけてレールを用いて同地に移植された。
小説家の橋本治は、東大紛争のさなかの1968年(昭和43年)、東京大学在学中に、東京大学駒場祭のポスターに「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打っている。それは、背中に銀杏のバッジを刺青風に描いたヤクザ風の男のセリフであり、勘亭流で書かれたものであった[156]。
イチョウは火災に強く、生命力が旺盛なところから「復興のシンボル」とされることがある。千代田区大手町の「震災イチョウ」は1923年の関東大震災にともなう周囲の火災から唯一焼失を免れた個体であり[103]、栃木県宇都宮市の旭町の大いちょうも1945年の宇都宮空襲で被災し、いったんは焼け焦げたものの、翌春に芽吹いたものである[157]。
世界的には上述したように、ドイツのヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの恋愛詩「銀杏の葉」 Gingo biloba(1815) (『西東詩集』「ズライカの書」所収)が知られるが、宮沢賢治の童話に『いてふの実』という作品がある[158]。
- 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に 与謝野晶子
山川登美子・増田雅子との合著詩歌集『恋衣』に収載されている短歌である[159]。何百、何千というイチョウの葉が夕日のなかを舞い散るさまは、まるで、おびただしい数の鳥が飛び交うようだという、きわめて鮮やかな視覚的イメージを読者にあたえ、上句よりどこか童画のような印象も呼び起こされる秀歌である[159]。
俳句においては、「銀杏(ぎんなん)」の季語は秋である[160]。また、「銀杏散る(いちょうちる、いてふちる)」「銀杏黄葉(いちょうもみじ、いてふもみぢ )」はともに晩秋の季語[161][162]、「銀杏落葉(いちょうおちば、いてふおちば)」は初冬の[163]、「銀杏の花」は晩春のそれぞれ季語となっている[164]。晩秋に黄葉して、それが散って路面に敷かれると、あたりがたいへん明るくなり、それを詠んだ句もある[165]。
日本三名城の一つ熊本城は、別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」と呼ばれている[125][166]。これは加藤清正が熊本城を築城した際、天守の傍にイチョウが植えられたためとされる[166][註 20]。現在生えているイチョウは二代目である[166]。
これが機縁となって熊本市の木は銀杏となっており、熊本市は「銀杏の都」と呼ばれることがある[167]。熊本大学の校章にもイチョウが用いられており[167]、熊本市にはかつて銀杏学園短期大学という私立短期大学もあった。
かつて鹿児島本線で運行していた急行列車「ぎんなん」(475系急行)[168]、2018年11月30日まで北九州-熊本間を運行していた高速バス「ぎんなん号」[169] などは、それに由来する。
賀茂御祖神社(下鴨神社)の祝として知られる日本の姓氏に鴨脚(いちょう)氏がある[5][170][171][註 21]。幕末期に孝明天皇に仕えた鴨脚克子などが知られる。また銀杏(いちょう、ぎんなん、ぎんな)氏という姓氏もある[4]。
イチョウの葉を象った紋所は「銀杏(いちょう)」として古くから用いられた[3]。公家では、藤原北家花山院流の飛鳥井家のみが用いており、当主が十六葉、嗣子が十二葉、庶子が六葉、一門が八葉の銀杏を図案化した紋を用い、家臣に賜与するものには三葉を用いるなどの規則があった[156][172]。武家では、越前国鯖江藩の藩主であった間部氏が「丸に三つ引両」とともに「三つ銀杏」を使用した[156]。また、源義仲の末裔を称し、関東管領上杉氏に仕えた大石氏が「銀杏の二葉」だったとの記録がある[172]。江戸幕府の旗本では、間部・大石氏のほか、岸・土方・林・町田・大柴・渋江・水島・森・平田・藤野・竹村・坪内・大岡・青木・大熊・長谷部の諸氏が銀杏紋を用いた[156]。なお、沼田頼輔『日本紋章学』には、徳川氏が葵紋を家紋とする以前は銀杏紋を家紋としていたのではないかという見解が記されている[156][註 22]。
ユニークなものでは、銀杏の葉を飛んでいる鶴の形に図案化した銀杏鶴(いちょうづる)という紋所が知られ、江戸の歌舞伎小屋中村座の定紋となっている[173]。
女性の髪の結い方で、髻(もとどり)を二分し、左右に曲げてそれぞれ輪を作り毛先を元結で根に結んだ髪型を銀杏返し(いちょうがえし)と呼ぶ[3]。この髪型は江戸中期から少女の髪形として行われ、明治以降は中年向きの髪形となった[3]。また、島田髷の髷の先を銀杏の葉の形に広げたものを銀杏髷(いちょうまげ、いちょうわげ)と呼び、この髷の中に浅葱色または紫の無地の縮緬を巻き込んだものを銀杏崩し(いちょうくずし)と呼ぶ[3]。ただし、銀杏髷は江戸時代の男性の髷である銀杏頭(いちょうがしら)のことを指すこともある[3]。これは二つ折りにした髻の刷毛先を銀杏の葉のように広げたものである[3]。武家の結い方で、髷の刷毛先を銀杏葉形に大きく広げた結い方を大銀杏(おおいちょう)と呼び、現在では相撲で十両以上の力士が行う[174]。
イチョウの特徴的な葉の形を銀杏形(いちょうがた)といい、上記の紋所や髪型の呼称として親しまれてきた[3]。ほかにも特徴的な葉の形になぞらえ、様々なものの命名に用いられてきた。たとえば、野菜を縦十文字に四つ割りにすることを銀杏切り(いちょうぎり)という[3]。また、末広の膳の足を銀杏脚(いちょうあし)、末広の下駄の歯を銀杏歯(いちょうば)という[3]。 雄のオシドリ Aix galericulata (Linnaeus, 1758)の両脇の羽はイチョウの葉に似るため「銀杏羽(いちょうば)」と呼ばれる[3]。
遊助(上地雄輔)の楽曲に「いちょう」がある。演芸番組『笑点』の大喜利では、レギュラー出演者の三遊亭小遊三が、解答の際に銀杏拾いのネタをよく用いる。
日本においては、本種は馴染み深い木である[176]。そのため、各自治体のシンボルマークや市町村の木、校章などに採用されてきた[註 23]。
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