佐用町
兵庫県佐用郡の町 ウィキペディアから
兵庫県佐用郡の町 ウィキペディアから
佐用町(さよちょう, さようちょう)は、兵庫県の南西部に位置し、佐用郡に属する町。人口は県内41自治体中第36位、面積は県内第10位。
さよちょう, さようちょう 佐用町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 兵庫県 | ||||
郡 | 佐用郡 | ||||
市町村コード | 28501-3 | ||||
法人番号 | 5000020285013 | ||||
面積 |
307.44km2 | ||||
総人口 |
14,274人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 46.4人/km2 | ||||
隣接自治体 |
宍粟市、たつの市、赤穂郡上郡町 岡山県:備前市、美作市 | ||||
町の木 | イチョウ | ||||
町の花 | ヒマワリ | ||||
佐用町役場 | |||||
町長 | 庵逧典章 | ||||
所在地 |
〒679-5380 兵庫県佐用郡佐用町佐用2611-1 北緯35度00分15秒 東経134度21分21秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
本項では町制前の名称である佐用村(さよむら)についても述べる。
中国山地の東端部に連なる西播磨山地があり、この山地を水源とする千種川水系が北から南に貫流し、全体的に平地の占める割合は少ない[1]。
出雲街道と因幡街道の交わる位置にあり、千種川水系の佐用川(さよがわ)沿いの盆地に町が形成されている。晩秋から冬にかけての早朝には、しばしば「佐用の朝霧」と呼ばれる霧が立ち込める。
佐用の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
降水量 mm (inch) | 48.3 (1.902) |
58.5 (2.303) |
96.8 (3.811) |
106.6 (4.197) |
137.1 (5.398) |
166.0 (6.535) |
215.3 (8.476) |
140.0 (5.512) |
184.6 (7.268) |
99.7 (3.925) |
59.0 (2.323) |
57.9 (2.28) |
1,369.8 (53.929) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 7.7 | 8.7 | 10.5 | 9.6 | 9.9 | 11.4 | 11.6 | 9.4 | 10.1 | 7.6 | 6.5 | 7.6 | 110.5 |
出典:気象庁 |
古代の播磨国佐用郡の地。郡中心部の佐用町本位田甲には延喜式内社・佐用都比売賣(さよつひめ)神社が鎮座する。佐用都比売賣は『播磨国風土記』に登場する神で、別名・玉津日女命(たまつひめのみこと)と言う。玉津が兄である伊和大神(いわのおおかみ)と国の占有を巡って争った際に、鹿の腹を裂いてその血に種を撒き一夜で稲の苗を育て、その一夜苗を五月に植えたところ兄神が「五月夜に植えたな」と言ってその地から去ったことから、苗を植えた地域を「五月夜郡(さつきよのこおり)」と名付け、玉津日女も佐用都比売賣と名を変え農業の神として敬われるようになった[2][3]。『播磨国風土記』には佐用とは五月夜(さよ)の意であると説く。古書においては「さよ」は賛用、狭依、賛容などとも表記された[2]。
なお、佐用は元来「さよ」と読んでいたが、1955年(昭和30年)の合併時に「さよう」に読みを変更している。
佐用町(3代目)(2005年(平成17年) - )
2010年(平成22年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、8.28%減の19,273人であり、増減率は県下41市町中40位、49行政区域中48位。
佐用町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 佐用町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 佐用町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
佐用町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2014年(平成26年)5月8日に「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」が発表した2040年人口推計結果で、20歳から39歳までの若年女性の減少率が2010年(平成22年)比で68.2%となり、「消滅可能性都市」の1つとされた[8]。
緑色で示したものが、旧佐用町及び佐用町の人口
また、青色を加えたものが現在の町域の人口
括弧内の数字は合併前の佐用町の人口
(なお、人口は国勢調査による各年10月1日時点のものである)
<参考 - #行政区域の変遷(市制町村制施行以後)>
1940年(昭和15年) | 29,281 (3,894) |
1947年(昭和22年) | 38,253 (5,250) |
1950年(昭和25年) | 38,352 (4,949) |
1955年(昭和30年) | 35,664 (13,298) |
1960年(昭和35年) | 32,455 (12,191) |
1965年(昭和40年) | 28,921 (10,998) |
1970年(昭和45年) | 26,410 (10,135) |
1975年(昭和50年) | 25,600 (9,872) |
1980年(昭和55年) | 24,874 (9,717) |
1985年(昭和60年) | 24,516 (9,565) |
1990年(平成2年) | 23,827 (9,360) |
1995年(平成7年) | 23,341 (9,131) |
2000年(平成12年) | 22,337 (8,789) |
2005年(平成17年) | 21,012 |
2010年(平成22年) | 19,273 |
2015年4月現在[9]
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