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室町時代前期から後期の公卿・古典学者。一条経嗣の六男。従一位・摂政、関白、太政大臣、准三宮。一条家8代。妻に家女房(子に光智、恵助(1450-1477、相応院))。子に十真院尊好尼 ウィキペディアから
一条 兼良(いちじょう かねよし/かねら)は、室町時代から戦国時代初期にかけての公卿・古典学者。関白左大臣・一条経嗣の六男[2]。官位は従一位・摂政、関白、太政大臣、准三宮。一条家8代当主。桃華叟、三関老人、後成恩寺などと称した。
時代 | 室町時代 - 戦国時代初期 |
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生誕 | 応永9年5月7日(1402年6月7日) |
死没 | 文明13年4月2日(1481年4月30日)[1] |
改名 | 兼良→覚恵(法名) |
別名 | 桃華叟、三関老人、号:後成恩寺 |
墓所 | 京都市東山区本町東福寺常楽院 |
官位 | 従一位、摂政、関白、太政大臣 |
主君 | 称光天皇→後花園天皇→後土御門天皇 |
氏族 | 一条家 |
父母 | 父:一条経嗣、母:東坊城秀長の娘 |
兄弟 | 雲章一慶、経輔、兼良、良済、祐厳、良什、義玄 |
妻 |
正室:中御門宣俊の娘 源康俊の娘、町顕郷の娘 家女房 |
子 | 教房、尊秀、教賢、尋尊、厳宝、秀高、良鎮、桓澄、慈養、了高、光智、恵助、秀賢、経子、尊好、宗方、冬良、政尊、南御所、高千穂有俊室、他早世等含め計26人 |
応永19年(1412年)、病弱であった兄の権大納言・経輔が隠居した後を受け、元服して家督を継ぐ。
応永20年(1413年)、従三位に叙せられて、公卿に列した。
応永25年(1418年)、父の経嗣が没したため、九条流の家長と関白の地位は九条満教に移ったが、家長の職権の1つであった東福寺などの九条流ゆかりの寺院の管理権は権大納言である兼良が継承した(本来は九条家と一条家のうち上位者が継ぐ原則であった)。これは、九条家の家臣が東福寺の領内で殺害された事件を巡って九条家と東福寺が不仲で寺側が九条家の管理に抵抗したため、将軍足利義持がやむなく寺院の管理権は兼良が継ぐように御教書を出したためである[3]。その後、累進して正長2年(1429年)に左大臣に任ぜられるが、実権は従兄弟の二条持基に握られていた。
永享4年(1432年)、兼良は摂政となったが、月余で辞退に追い込まれ、同時に左大臣も辞職を余儀なくされる。その背景には同年に実施された後花園天皇の元服を巡る兼良と二条持基の対立があった。かつて後小松天皇の元服の際に、摂政の二条良基が加冠役・将軍の足利義満(左大臣)が理髪役を務めた。後花園天皇の元服を後小松天皇の先例に倣って実施しようとした際に、二条家の摂政が加冠役・足利将軍が左大臣として理髪役を務めるべきとする主張が出され、兼良は摂政を持基に、左大臣を足利義教に譲ることになったのである[4]。
その後は不遇をかこったが、学者としての名声は高まり、将軍家の歌道などに参与した。
享徳4年(1455年)頃、『日本書紀纂疏』を著す。同年7月、改元に強い意向を発揮して康正の年号に移行させたものの、享徳の乱の最中の関東において受け入れられず、一部で享徳の年号が使用されたままとなった。
応仁元年(1467年)1月、関白に還補したが、同年9月に応仁の乱が勃発し、一条室町の邸宅と書庫「桃花坊文庫」が焼失した。
応仁2年(1468年)8月、奈良興福寺大乗院に子で門跡の尋尊を頼って身を寄せた。奈良でも講書、著作に力を入れ、源氏物語注釈書『花鳥余情』を完成させる。のち斎藤妙椿の招きで美濃国に赴き、文明5年(1473年)には『ふぢ河の記』を執筆している。
文明9年(1477年)、応仁の乱が終息すると、12月に帰京。9代将軍・足利義尚や生母日野富子の庇護をうける。富子の前で『源氏物語』を講じ、『樵談治要』を義尚に贈り、政道の指南にあたると共に公武を問わず好学の人々に学問を教えた。兼良は、当時の人々からは、「日本無双の才人」と評され、兼良自身「菅原道真以上の学者である」と豪語しただけあって[5]、その学問の対象は幅広く、有職故実の研究から、和歌・連歌・能楽などにも詳しかった。また、古典では従来の研究を集大成し、宋学の影響を受け、一種の合理主義的な立場から、神仏儒教の三教一致を説いた。主要著作は70歳を過ぎてからのものであり、その後女児3人をもうけるという精力家であった。
文明13年(1481年)4月2日、薨去。享年80。その死に対して、「五百年来この才学無し」とまで惜しまれた。墓は京都東山東福寺常楽院にある。
※日付=旧暦
斎藤義龍の妻には「一条氏」の女性がおり、彼女は『孤岫語録』によると一条兼良の末裔とされている。兼良が応仁の乱の際に美濃国に下向した時にもうけた子の末裔と考えられる[21]。
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