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南北朝時代の公卿、歌人。従一位・関白、左大臣。日記『愚管記』作者。勅撰集『風雅和歌集』以下に41首入集。後村上天皇出仕は正平一統時。近衛家10代当主。 ウィキペディアから
暦応元/延元3年従三位• 内大臣。右大臣、左大臣を経て康安元/正平16年関白・藤氏長者となる。号は後深心院。日記に『愚管記』があり、その中で足利義詮執奏の勅撰集『新拾遺和歌集』を衆人同意の勅撰集ではないと記し、義詮を批判している。『実冬公記』(三条実冬の日記)には、道嗣が足利義満とは昵懇であったが気遣いも多く、それが病を招き死に至ったとあり、詩歌はその道に達するほどではなかったが、当代においては数寄人と評され、その死は義満を落胆させたとの記述もみえる。なお二条良基選『菟玖波集』に漢文の序を寄せており、互いの親交がうかがわれる。
天授4年9月8日、『愚管記』にハレー彗星の観測を記録している。同10月15日、北朝は尊道入道親王を宮中に召し、五壇法を修して彗星の災いを祓う祈祷を行わせた。
蹴鞠の名手としても名を馳せた。
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