本満寺
京都府京都市上京区にある日蓮宗の本山 ウィキペディアから
京都府京都市上京区にある日蓮宗の本山 ウィキペディアから
本満寺(ほんまんじ)は、京都市上京区にある日蓮宗の本山(由緒寺院)の寺院。山号は広布山(広宣流布山)。本尊は十界曼荼羅。塔頭が四院ある。
応永17年(1410年)に本国寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白近衛道嗣の子)が開いた。当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。
天文5年(1536年)に天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない天文8年(1539年)に関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となったという。ただし、移建の時期については異説もある。山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、天文14年(1545年)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、天正18年(1590年)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある[1]。
万治4年(1751年)に江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府の祈願所となった。近世にはたびたび火災に遭っており、寛文元年(1661年)の火災、宝永5年(1708年)の宝永の大火、天明8年(1788年)の天明の大火により焼失するが、その都度再建されている。慶応3年(1867年)4月13日・14日に新選組を脱走した田中寅蔵が当寺に潜伏するが見つかり、翌15日に切腹させられた。本堂は1911年(明治44年)2月8日にも焼失し、1927年(昭和2年)に再建された。
日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
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