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東海旅客鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから
飯田線(いいだせん)は、愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶ東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。
飯田線 | |||
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基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 愛知県、静岡県、長野県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・地方交通線) | ||
起点 | 豊橋駅 | ||
終点 | 辰野駅 | ||
駅数 | 94駅(起終点駅含む) | ||
電報略号 | イイセ[1] | ||
路線記号 | |||
開業 | 1897年7月15日[2] | ||
全通 | 1937年8月20日[3] | ||
ルート変更 | 1955年11月11日[4] | ||
所有者 | 東海旅客鉄道(JR東海) | ||
運営者 |
東海旅客鉄道(全線 第1種鉄道事業者) 日本貨物鉄道(JR貨物) (豊橋駅-豊川駅間、元善光寺駅-辰野駅間 第2種鉄道事業者) | ||
使用車両 | 使用車両の節を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 195.7 km | ||
軌間 | 1,067 mm | ||
線路数 |
複線(豊橋駅-豊川駅間) 単線(上記以外) | ||
電化方式 |
直流1,500 V 架空電車線方式 | ||
最大勾配 | 40 ‰ | ||
保安装置 | ATS-PT | ||
最高速度 | 85 km/h | ||
駅間平均長 | 2.1 km | ||
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開業からダム建設輸送、第二次世界大戦下の国有化、国鉄分割民営化と、折々の時代の要請の中で、愛知県、静岡県、長野県に跨る険しい山岳地帯を貫いて全通を果たし、現在も愛知県東三河地方と静岡県浜松市天竜区北西部、長野県中南信地方の都市や農山村を結んでいる。起点の豊橋駅から終点の辰野駅を経て、長野県の上諏訪駅まで各駅に停車して直通する列車もあり、豊橋駅から辰野駅までは約6時間かかるが、一度も乗り換えることなく行くことができる。1983年までは旧形国電の宝庫として鉄道ファンの注目を集め、現在でも天竜川の険しい渓谷を縫うように走る車窓風景や、小和田駅や田本駅などのいわゆる秘境駅の存在から鉄道ファンや旅行者に人気がある路線であり、JR東海も観光客向けの臨時列車として、急行「飯田線秘境駅号」を運行している[5]。
元々は直結していたものの4社に分かれていた私鉄(豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道)の路線を、戦時国有化・統合したことで成立した路線であり、駅はほぼ開通時の沿線集落ごとに設けられている。このため駅間距離が旧国鉄の地方路線としては著しく短いことが特徴で、全長195.7 km中に起終点を含めて94もの駅があり、平均駅間距離は約2.1 kmと、大都市の市街地路線並みの短さである。また、地方鉄道の簡易な規格で建設されたことから速度は低く、急カーブや急勾配も多く見られる。中でも赤木駅 - 沢渡駅間の最大勾配は40 ‰で、信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)廃止後は、JR線で最急の勾配となった。また、駅間が短い路線ながらも、山岳区間を中心に大小138本のトンネルが存在する。特に、半数の68本が平岡駅 - 天竜峡駅間の22.4 kmに集中しており、同区間では約46 %がトンネルで占められている。また、鉄道トンネルとしては珍しい素掘りトンネル[注釈 1]が14箇所に存在している[6]。
急峻な地形を縫う線形から、過去にはしばしば鉄道事故が発生した。1955年1月に落石に電車が乗り上げて天竜川へ転落した事故では、「落石騒ぎは年中行事」と新聞記事の見出しで扱われた。当時は、防護対策工事を進めるとともに全国一といわれるほど多くの監視員が配置されていた[7]。
豊橋駅 - 豊川駅間はICカード「TOICA」の利用エリアに含まれ[8]、他のTOICAエリアの路線と同じく交通系ICカード全国相互利用サービスのICカードが利用できる。
豊橋駅 - 豊川駅間は、沿線にある日本車輌製造豊川製作所で製造された車両の輸送に用いられており、2004年までは同所で製造されたフル規格(標準軌)の新幹線車両も、狭軌の在来線用の台車に交換したうえで、この区間を通過していた。
豊橋駅 - 豊川駅間の複線区間のうち、豊橋駅 - 平井信号場間は名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線と共用しており、JR東海が所有する下り線を飯田線と名鉄名古屋本線の下り列車(中部天竜・名鉄岐阜方面行)が通り、名鉄が所有する上り線を同名古屋本線と飯田線の上り列車(豊橋方面行)が通る。これは、1927年6月に愛知電気鉄道(名鉄名古屋本線の前身)の豊橋延長に際し、豊川鉄道(飯田線大海駅以南の前身)と線路共用を行う協定が結ばれ、これが現在にまで踏襲されているものである。この区間にある船町駅と下地駅には名鉄の列車は停車しない。
共用区間の運行管理は上下線ともJR東海が行っており、基本的に飯田線列車の運行が優先される。共用区間の名鉄の列車は1時間に最大6本に制限されている。制限速度も85 km/h以下に抑えられ、遅延が長引くと入線できず、伊奈駅以西で折り返すことがある。また、名鉄の列車はミュージックホーンを使用しない[9]。
全線がJR東海東海鉄道事業本部の直轄である。ただし、辰野駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)が鉄道資産を保有し、上り場内信号機が資産上の境界となっている。国鉄時代は愛知県内および長野県内も含めて、全線が静岡鉄道管理局(現・JR東海静岡支社)の管轄であった。
飯田線の経路は、伊那谷地域を経由して東海道本線と長野県を結ぶものであり、明治時代以来長い時間をかけて建設が進められたルートである。特に大正期以降に建設・延伸された区間については、この時代に中部山岳地帯各地において盛んに行われた水力発電所建設に伴う資材の輸送を担うべく延伸が促進されたものであり、合わせて早期に電化が行われる一因ともなった。
豊橋駅 - 大海駅間は豊川鉄道が開通させた。1897年(明治30年)に最初の区間として豊橋駅 - 豊川駅間が開業、大海駅まで開通したのは1900年(明治33年)である。1925年(大正14年)に全線が電化され、翌年には名古屋からの路線を延ばしてきた愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身の一つ)が乗り入れを開始している。
大海駅 - 三河川合駅間は豊川鉄道傍系会社の鳳来寺鉄道により1923年(大正12年)に開業した。豊川鉄道と同年に電化されている。
三河川合駅 - 天竜峡駅間は三信鉄道によって開通した。鉄道会社が設立されたのは、鉄道が投機の対象となっていた1927年(昭和2年)であり、路線測量はその翌年4月から開始された。測量には、アイヌ民族の測量士で山地での測量技術に長けた川村カ子トらが高給で招聘されて従事した。ところが、1929年(昭和4年)には昭和恐慌が起こり、経済情勢が急変。だが、筆頭株主が東邦電力と天竜川電力という電力会社で、濃くなる戦雲の中、天竜川に国内エネルギー資源開発を目論んでいた両社は、電源開発(発電所建設など)の資材や労働力運搬のため鉄道を使用しようとして、1929年(昭和4年)8月の天竜峡駅 - 門島駅間の着工後も工事は放棄されることなく、1930年(昭和5年)には南から三河川合駅 - 出馬駅間も着工した。しかし、中央構造線のもろい地層と、天竜川峡谷の断崖絶壁に阻まれて工事は難航。コスト削減のため、実際の土木工事は、ほとんど朝鮮半島から来た人々が担った。それでも会社の資金繰りは悪く、朝鮮人の労働者は労働争議に訴えてようやく不払いの賃金を一部だけ獲得するというありさまであり、もろい地層の工事にもかかわらず保安設備は劣悪で犠牲者が続出、恐れをなした朝鮮人労働者が現場から逃げ出し、近隣の農村に駆け込む事態も起こった。1931年(昭和6年)からとうとう工事は中断したが、三菱銀行などから多額の融資が得られ、この工事に生命をかけた飛島組の熊谷三太郎の工費を自分で立て替える熱意とあいまって、工事は再開された。このような紆余曲折と日本鉄道史に残る凄惨な工事の末、最後の大嵐駅 - 小和田駅間の開業でこの区間が全通したのは1937年(昭和12年)である(当初より電化)。これをもって、豊川鉄道の最初の区間が開業してから40年後、現在の飯田線である吉田駅(現在の豊橋駅) - 辰野駅間は全通、直通電車が走り始めた。なお、この難工事成功の実績により、熊谷三太郎は自立に成功、戦後に熊谷組として成長する地歩を築いた。
天竜峡駅 - 辰野駅間は伊那電気鉄道が開通させた。最初の開業区間は辰野駅(のちの西町駅) - 松島駅(現在の伊那松島駅)間で、当初の社名を「伊那電車軌道」と称したとおり、一部が併用軌道であった。しかし、軌道では大量輸送・高速化に適さないため、伊那松島駅 - 伊那町駅(現在の伊那市駅)間が専用軌道に移設され、全線が軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更されたのは1923年(大正12年)、天竜峡駅 - 辰野駅間が全通したのは1927年(昭和2年)である。
伊那電気鉄道、三信鉄道、鳳来寺鉄道、豊川鉄道各社の鉄道路線が国有化され、飯田線となったのは1943年(昭和18年)である。鉄道路線を失った鳳来寺鉄道・豊川鉄道両社は翌年に名古屋鉄道に吸収合併された。
太平洋戦争最中の1942年(昭和17年)に、豊川にあった豊川海軍工廠への物資輸送・通勤用に供するため、豊川鉄道が豊川駅 - 西豊川駅間の支線を開業した。戦後の1956年(昭和31年)に廃止され、海軍工廠跡にできた国鉄名古屋工場豊川分工場の専用線となり、さらに同工場廃止後は日本車輌製造豊川製作所の専用線として同所で製造された鉄道車両の搬出などに使われている。
なお、名古屋鉄道には名古屋本線の伊奈駅から分岐して飯田線の小坂井駅に至る小坂井支線が1926年(大正15年)から豊川線の開業する1954年(昭和29年)まで存在しており、愛知電気鉄道時代から小坂井駅 - 豊川駅間で豊川鉄道→飯田線との直通運転を行っていた。初詣シーズンには豊川稲荷への参拝客輸送のため、新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅)と近畿日本名古屋駅(現在の近鉄名古屋駅)の間に存在した連絡線を用いて近畿日本鉄道(近鉄)からの団体列車が乗り入れたこともあり、その他にも戦前には愛知電気鉄道、豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道の4社線直通を行った行楽列車の「天龍号」が、戦後には本長篠駅から分岐していた田口鉄道に乗り入れる紅葉狩り列車などが小坂井支線を使用して運行されていた。
1955年(昭和30年)には、佐久間ダムの建設により線路が水没するため、佐久間 - 大嵐間が水窪経由の新線に切り替えられた(詳細は「佐久間ダム建設に伴う路線変更」を参照)。
飯田線の優等列車の詳細な沿革については以下の項目を参照のこと。
天竜川水系は、水量が豊富でなおかつ急流であるというダム建設に適した河川系であったために、戦前から数多くのダムが造られていた。戦後の経済復興にあわせた電力供給の拡充は経済発展の礎となるためにも急務とされ、その一環として、天竜川水系のうちダム建設に適した地形であった磐田郡佐久間町(現在の浜松市天竜区佐久間町)に発電用大型ダムの佐久間ダムが建設されることとなった。
佐久間ダムは、当時日本で最大規模の堤体と発電量を持つ巨大ダムであり、そのダムによって生成された人造湖(佐久間湖)は上流の泰阜発電所付近に至る全長33 kmにもなり、当時天竜川左岸を走っていた飯田線の佐久間駅 - 大嵐駅間約18 kmの部分がダム湖に水没するため、ダム建設に伴う補償としてこの水没区間の路線変更が行われた。
佐久間ダムにより水没する部分は佐久間駅 - 大嵐駅間の約18 kmであり、この区間には豊根口駅、天龍山室駅、白神駅の3駅があったが、これらは線路共々廃止となった。
変更路線のプランは、「大入川線」「水窪線」の2ルートが計画された。このうち「大入川線」は、上市場駅から北方、天竜川右岸の山中に進路を取り、途中「大笹」「田鹿」「横林」の3駅を経由した後に大嵐駅に出るルートであった。一方、「水窪線」は、佐久間からトンネルで水窪川水系に出た後、秋葉街道沿いに水窪町まで北上、そこからトンネルで再び天竜川水系に戻り大嵐に至るという現在のルートである。2つのルートを比較すると、「大入川線」は、途中で掘削する長大トンネルはキビウトンネル(延長4,850 m)の一本だけで済むものの、曲線とトンネルが連続するなど線形が悪く、また途中の3駅は小和田駅のように人家もほとんどない山中に建設されるため利用客がほとんど見込めない上、現路線が経由している佐久間の町を経由しないという最大の欠点があった。一方、「水窪線」は、佐久間から秋葉街道および水窪を経由していくため、ある程度の利用客が見込めたが、峰トンネル(延長3,619 m)と大原トンネル(延長5,063 m)という2つの長大トンネルを掘削しなければならない上、この付近には中央構造線と天竜川断層という2つの断層地帯が走っており、難工事となることが予想された。
比較検討の結果、「水窪線」ルートでの路線変更が決定され、1953年(昭和28年)12月に着工された。前述したように、この付近は2つの断層地帯に挟まれたきわめて地盤の不安定な地域であったため、城西 - 向市場間のような工事の難航した箇所もあり、また、大原トンネルは当時の日本で十指に入る有数の長大トンネルであったが、関係者らの努力などもあって(大原トンネル掘削に際しては鉄道工事初の全断面掘削工法が採用され、12 m/日、260 m/月という掘削記録を樹立した)大きな事故もなく工事は終了した。1955年(昭和30年)11月11日には路線変更が行われ、豊根口、天龍山室、白神の旧線上の3駅が廃止になるとともに、新線に、相月駅、城西駅、向市場駅、水窪駅が新たに開業した。新線との合流地点となった大嵐駅はプラットホームの移動や構内配線の変更が行われ、また佐久間駅は路線変更に合わせて移転し、旧佐久間駅跡には佐久間発電所が建設されている。
これまでも書いたように、路線変更後の新線沿線となる水窪川沿岸は、右岸(天竜川とを隔てる山系)に中央構造線、左岸に天竜川断層と2つの断層地帯に挟まれた部分を通っており、飯田線付替線建設工事に際してもこれらの断層地帯に起因した不安定な地盤に悩まされた。
城西駅 - 向市場駅間に架かる第6水窪川橋梁は、対岸まで渡りきらずに元の岸に戻ってくる特異な構造から、「渡らずの橋」や「S字橋」と称される。これは不安定な地盤を考慮した結果の産物であった。
本来、飯田線は城西駅 - 向市場駅間のこの箇所を水窪川左岸側に掘削する全長45 mの向皆外(むかがいと)トンネルで抜ける予定であった。向皆外トンネルは1954年(昭和29年)2月に着工され同年6月に貫通したものの、その後の降雨や台風の影響により坑内のアーチ、側壁のコンクリートに剥脱が生じ始め、次いで地盤の変化によるトンネル中心線の移動や断面の変形が発生し、ついにはトンネル周辺の地山全体が水窪川に向かって滑り始めたため、放棄せざるを得ないと判断された。向皆外トンネルが放棄されたことにより、代替のトンネルをより奥に掘削することも検討されたが、工期や工費に余裕がないことや、この付近の地山自体が天竜川断層に近く不安定であることから、掘削しても再び崩落する危険性も否定できなかったため、最終的には水窪川上にU字形の橋梁を建設し、不安定な箇所を迂回する方法が取られた。
こうして建設された第6水窪川橋梁は、総延長400.7 m、半径250 mとなった。対岸に近い箇所まで大きく迂回しているのは、向皆外トンネルのある部分の地山がさらなる大崩壊を起こした場合に備えてのことである。
前節の向皆外トンネルだけではなく、同じく城西駅 - 向市場駅間において向皆外トンネルの北に建設された第1久頭合(くずごう)トンネルも完成はしたものの、同様に地山の地殻変動により廃棄されるおそれが生じた。
ただし、トンネル全体が損傷した向皆外トンネルとは異なり、第1久頭合トンネルの危険箇所は城西側坑口付近のみであったため、より城西側からトンネルを再掘削して第1久頭合トンネル内部につなげ、危険箇所周辺部分のみを放棄するだけで済んだ。
なお、この放棄された部分は接続部にコンクリート壁を設置したのみにとどめた為、第1久頭合トンネルはY字状のトンネルとなっている。
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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優等列車については、1996年3月16日に登場した特急「伊那路」が、豊橋駅 - 飯田駅間に1日2往復運転されている。
飯田駅以北には一時期、臨時特急「ふれあい伊那路」が豊橋方面から駒ケ根駅まで運行されていた[63]。
1960年代から1980年代の国鉄時代の末期には、新宿駅や長野駅、名古屋駅などとの間に直通急行列車が4両から7両編成で運行されていたが、中央自動車道が全通し、これを経由する高速バス(中央高速バス・中央道高速バス)が設定されたため、利用客数が激減して廃止された。
普通列車については、飯田線全線を約6 - 7時間かけて走り抜く直通列車もあるが、列車の運行区間はおおむね、豊橋近郊の東三河地区、本長篠駅から中部天竜駅を経て天竜峡駅に至る急峻な3県県境越えの三遠南信、および飯田駅・伊那市駅周辺の伊那谷の3区間に分けられる。
中部天竜駅 - 天竜峡駅間を除く区間では一部の普通列車でワンマン運転が行われている。このうち、北部の天竜峡駅 - 辰野駅間については2001年3月から119系電車にワンマン対応工事を施した上でワンマン運転が開始され、2007年3月以降は辰野駅から先の中央本線岡谷駅までワンマン運転を行っている。また、南部の豊橋駅 - 中部天竜駅間についても313系3000番台電車の導入を機に2012年3月17日のダイヤ改正からワンマン運転が行われている。
なお、飯田駅 - 駒ケ根駅間などでは普通列車では珍しく昼間に弁当が車内販売されていたが、2004年1月をもって廃止された。
青春18きっぷを利用する場合等で、普通列車だけを乗り継ぐ場合、豊橋駅から東海道本線で金山駅に行き、中央西線に乗り換え塩尻駅で中央東線に乗り換え、上諏訪・岡谷方面を目指す方が所要時間が短い場合がある(逆ルートも同様)。
東三河の市街区間であり、飯田線では最も旅客輸送の盛んな区間である。
1時間あたり豊橋駅 - 豊川駅間が3 - 4本(15 - 20分間隔)、豊川駅 - 新城駅間は2本程度(30分間隔)、新城駅 - 本長篠駅間は1 - 2本程度(30 - 60分間隔)で運行されている。初詣シーズンなどは豊川稲荷への参詣輸送も行われる。2012年3月17日のダイヤ改正からこの区間の一部列車(列車番号の末尾がGの列車)でワンマン運転が行われている。
2006年9月30日までは朝夕に本長篠駅・新城駅と東海道本線名古屋方面との間で直通列車が運行されていた。1999年12月3日までと翌4日から2006年9月30日までとではパターンが異なっていた。前者は新城駅行きの片道のみの設定で、1991年より夕方に当時の大垣電車区に配属されていた211系5000番台3両編成を使用し、東海道線内は普通列車、飯田線内は快速列車として運転されていた。後者は大垣電車区の313系300番台2両編成(豊橋駅で増解結し、東海道線内は4両または6両編成で運転)を使用し、前者の場合とはほぼ逆に、東海道線内は主に特別快速(一部新快速)、飯田線内では下りは小坂井駅 - 本長篠駅間、上りは牛久保駅 - 本長篠駅間を各駅停車として運転されていた(豊橋駅 - 小坂井駅または牛久保駅間はノンストップ)。2006年10月1日のダイヤ改正で東海道線との直通列車が全廃され、以降は全列車が豊橋駅での折り返しとなっている。また、過去には初詣シーズンの昼間に東海道線の新快速が豊川駅まで延長運転されたこともある。この時は飯田線内ではノンストップで運転されていた。
宇連川・天竜川沿いの小町村・小集落を縫って走る。列車は豊橋方面との直通が多いが、一部は豊橋駅 - 中部天竜駅または水窪駅間および飯田駅・天竜峡駅 - 平岡駅間の区間運転となり、おおむね朝夕1時間1本、日中は2 - 3時間程度運転間隔が開く。愛知・静岡・長野の3県にまたがる区間で沿線人口も少ないため、この区間を通しで普通列車に乗車する利用者は少ない。2012年3月17日のダイヤ改正から本長篠駅 - 中部天竜駅間の一部列車でワンマン運転が行われているが、中部天竜駅 - 天竜峡駅間では全列車に車掌が乗務している。城西駅 - 向市場駅間には、川の対岸に渡らず戻ってくる通称S字橋こと第六水窪川橋梁がある。水窪駅 - 天竜峡駅間には秘境駅と呼ばれる駅もいくつか存在する。
かつて1987年から2006年まで、行楽シーズンに豊橋駅 - 中部天竜駅間でトロッコ列車「トロッコファミリー号」が運転されていた。その後も2009年春から中部天竜駅前にあった佐久間レールパークの閉園まで、同区間で臨時快速列車「佐久間レールパーク号」が運転されていたが、こちらは名古屋駅からの東海道本線直通列車であった(ただし、2009年11月1日運転の「佐久間レールパークフィナーレ号」は豊橋駅 - 中部天竜駅間のみの運転)。
おおむね1時間に1本が運転され、飯田市・駒ヶ根市・伊那市などの長野県南信地方主要都市を結んでいる。この区間の一部列車ではワンマン運転が行われている。
普通列車は朝の上り1本・夜の下り1本が辰野駅始発・終着である以外は中央本線の岡谷駅まで直通しており、中央本線の辰野駅 - 岡谷駅間は飯田線と一体の運行になっている。一部列車はさらに岡谷駅より先の中央本線上諏訪駅または茅野駅まで直通する。また、岡谷駅からみどり湖駅・塩尻駅を経由し、篠ノ井線と直通する列車として、飯田駅 - 長野駅間および松本駅 - 飯田駅間に「みすず」や、天竜峡駅 - 松本駅間および長野駅・松本駅 - 飯田駅間直通の普通列車が運転されており、「みすず」は飯田線内で快速運転を行う。塩尻・篠ノ井線方面との直通列車は全て岡谷駅・みどり湖駅経由で、信濃川島駅・小野駅を経由する列車はない。
全て電車で運転されている。
飯田線において2両編成の車両で車掌が乗務する列車は、停車後に運転士がドアの開閉操作を行うため、駅に到着してもすぐにドアは開かない。これは車掌が無人駅(夜間が無人となる有人駅を含む)で乗車券を回収または降りた客が提示した定期券類を目視確認するためである。3両以上の編成の列車は車掌がドアの開閉操作を行う。
JR東海では2012年度までに313系120両の投入を進めており、その玉突き転配で神領車両区から大垣車両区に転属した213系5000番台や313系3000番台が2011年11月から2012年3月にかけて飯田線に導入された。213系5000番台は2扉車で、飯田線南部で普通列車に2扉車が定期運用されるのは、1989年に運用終了した165系以来22年ぶりのことである。これにより、119系の運用は2012年3月に終了した。
豊橋駅 - 新城駅間では6両編成の運転も可能。それより辰野方の駅の多くはプラットホーム有効長が5両または4両分しかない。
かつて、飯田線はいわゆる旧形国電や旧形電気機関車が残存することで知られていた。山岳勾配線区のため、旧形国電の電動車はMT30モーター搭載車が多かったようにいわれるが、ほとんど各駅停車ばかりで最高速度75 km/h(当時)程度では出力の差はさほど影響せず、実際は多数在籍していたMT15モーター搭載車と共通に運用されていた。「流電」クモハ52形や「合いの子[注釈 2]」クモハ53形が有名であるが、両数的には51系(クモハ51またはクモハ54+クハ68)が主力であり、同系のクハユニ56形やクモハユニ64形も含めて1983年の完全新性能化まで残っていた。
国鉄編入前から既に電化されていたため、臨時列車や団体列車、気動車で運転していた一部の中央本線の急行と併結運転していた急行・準急列車以外で気動車やディーゼル機関車が走ったことは少ない。また、蒸気機関車も戦時中の試運転のみである。
旧形国電における塗色の変遷は、一般車は1968年頃までぶどう色2号、快速用車は1952年からクリーム色とマルーンの「初代快速色」(17 m車に採用)、1957年から黄かん色と青2号の「静鉄快速色」(20 m車のみに採用)、1964年から「湘南色」(1961年の準急「伊那」新設に伴い戦前形を使用した快速は廃止されたが、旧快速用の2扉車を中心とした4両貫通編成に充当される車のみ湘南色とされた。)、1968年以降は全車クリーム1号と青15号の「スカ色」の順だった(1978年転入の80系300番台のみ例外で「湘南色」のまま運用された)。
国有化以前は以下の項目を参照。
駅番号 | 駅名 | 営業キロ | 標高 | 普通 | 快速 | 快速みすず | 接続路線・備考 | 線路 | 所在地 | |||
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駅間 | 累計 | |||||||||||
CD00 | 豊橋駅 | - | 0.0 | ● | ● | 東海旅客鉄道: 東海道新幹線・ 東海道本線〈浜松方面・名古屋方面〉(CA42) 名古屋鉄道:NH 名古屋本線 (NH01) 豊橋鉄道:渥美線(新豊橋駅: 1)・東田本線(駅前停留場: 1) |
∥ | 愛知県 | 豊橋市 | |||
CD01 | 船町駅 | 1.5 | 1.5 | ○ | ↑ | ∥ | ||||||
CD02 | 下地駅 | 0.7 | 2.2 | ○ | ↑ | ∥ | ||||||
- | 平井信号場 | - | 3.9 | | | ↑ | (名鉄名古屋本線との施設上の分岐点。停車場としては小坂井駅構内の扱い) | ∥ | 豊川市 | ||||
CD03 | 小坂井駅 | 2.2 | 4.4 | ● | ● | ∥ | ||||||
CD04 | 牛久保駅 | 2.2 | 6.6 | ● | ● | ∥ | ||||||
CD05 | 豊川駅◇ | 2.1 | 8.7 | ● | ● | 名古屋鉄道:TK 豊川線(豊川稲荷駅: TK04) | ∨ | |||||
- | 三河一宮駅 | 3.3 | 12.0 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 長山駅 | 2.4 | 14.4 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 江島駅 | 1.0 | 15.4 | ● | ● | | | ||||||
- | 東上駅 | 1.6 | 17.0 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 野田城駅 | 2.7 | 19.7 | ● | ● | ◇ | 新城市 | |||||
- | 新城駅 | 1.9 | 21.6 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 東新町駅 | 1.0 | 22.6 | ● | ● | | | ||||||
- | 茶臼山駅 | 1.2 | 23.8 | ● | ● | | | ||||||
- | 三河東郷駅 | 1.2 | 25.0 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 大海駅 | 2.9 | 27.9 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 鳥居駅 | 1.4 | 29.3 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 長篠城駅 | 1.5 | 30.8 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 本長篠駅 | 1.3 | 32.1 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 三河大野駅 | 3.5 | 35.6 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 湯谷温泉駅 | 2.4 | 38.0 | ● | ● | | | ||||||
- | 三河槙原駅 | 2.6 | 40.6 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 柿平駅 | 2.3 | 42.9 | ○ | ↑ | | | ||||||
- | 三河川合駅 | 2.3 | 45.2 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 池場駅 | 4.9 | 50.1 | ○ | ↑ | | | ||||||
- | 東栄駅 | 1.1 | 51.2 | ● | ● | ◇ | 北設楽郡 東栄町 | |||||
- | 出馬駅 | 4.2 | 55.4 | ○ | ↑ | | | 静岡県 浜松市 天竜区 | |||||
- | 上市場駅 | 0.6 | 56.0 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 浦川駅 | 1.3 | 57.3 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 早瀬駅 | 1.2 | 58.5 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 下川合駅 | 1.4 | 59.9 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 中部天竜駅 | 2.5 | 62.4 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 佐久間駅 | 1.1 | 63.5 | ● | ● | | | ||||||
- | 相月駅 | 5.0 | 68.5 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 城西駅 | 2.0 | 70.5 | ● | ● | | | ||||||
- | 向市場駅 | 2.8 | 73.3 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 水窪駅 | 1.0 | 74.3 | ● | ● | ◇ | ||||||
- | 大嵐駅 | 6.5 | 80.8 | ● | ↑ | ◇ | ||||||
- | 小和田駅 | 3.0 | 83.8 | ● | ↑ | | | ||||||
- | 中井侍駅 | 4.0 | 87.8 | 289 | ● | ↑ | | | 長野県 | 下伊那郡 | 天龍村 | ||
- | 伊那小沢駅 | 2.3 | 90.1 | 291 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 鶯巣駅 | 1.6 | 91.7 | 303 | ● | ↑ | | | |||||
- | 平岡駅 | 2.1 | 93.8 | 324 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 為栗駅 | 4.7 | 98.5 | 319 | ○ | ● | | | |||||
- | 温田駅 | 3.7 | 102.2 | 340 | ● | ● | ◇ | 泰阜村 | ||||
- | 田本駅 | 2.0 | 104.2 | 346 | ○ | ● | | | |||||
- | 門島駅 | 3.7 | 107.9 | 350 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 唐笠駅 | 3.4 | 111.3 | 367 | ● | ● | | | |||||
- | 金野駅 | 2.3 | 113.6 | 384 | ○ | ● | | | 飯田市 | ||||
- | 千代駅 | 1.2 | 114.8 | 380 | ○ | ● | | | |||||
- | 天竜峡駅 | 1.4 | 116.2 | 382 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 川路駅 | 1.3 | 117.5 | 373 | ● | | | ||||||
- | 時又駅 | 1.8 | 119.3 | 383 | ● | ◇ | ||||||
- | 駄科駅 | 1.8 | 121.1 | 411 | ● | | | ||||||
- | 毛賀駅 | 1.4 | 122.5 | 403 | ● | | | ||||||
- | 伊那八幡駅 | 1.1 | 123.6 | 414 | ● | ◇ | ||||||
- | 下山村駅 | 1.1 | 124.7 | 427 | ● | | | ||||||
- | 鼎駅 | 1.0 | 125.7 | 450 | ● | | | ||||||
- | 切石駅 | 2.0 | 127.7 | 493 | ● | | | ||||||
- | 飯田駅 | 1.6 | 129.3 | 512 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 桜町駅 | 0.8 | 130.1 | 520 | ● | ▲ | | | |||||
- | 伊那上郷駅 | 1.0 | 131.1 | 500 | ● | ▲ | | | |||||
- | 元善光寺駅◇ | 2.7 | 133.8 | 441 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 下市田駅 | 1.8 | 135.6 | 435 | ● | | | | | 下伊那郡 | 高森町 | |||
- | 市田駅 | 1.2 | 136.8 | 440 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 下平駅 | 2.7 | 139.5 | 442 | ● | | | | | |||||
- | 山吹駅 | 1.0 | 140.5 | 460 | ● | | | | | |||||
- | 伊那大島駅 | 2.6 | 143.1 | 519 | ● | ● | ◇ | 松川町 | ||||
- | 上片桐駅 | 3.8 | 146.9 | 607 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 伊那田島駅 | 1.3 | 148.2 | 635 | ● | | | | | 上伊那郡 中川村 | ||||
- | 大沢信号場 | - | 149.7 | | | | | ◇ | 下伊那郡 松川町 | |||||
- | 高遠原駅 | 2.5 | 150.7 | 665 | ● | | | | | 上伊那郡 飯島町 | ||||
- | 七久保駅 | 1.6 | 152.3 | 695 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 伊那本郷駅 | 2.8 | 155.1 | 645 | ● | ▲ | ◇ | |||||
- | 飯島駅 | 2.8 | 157.9 | 647 | ● | ● | ◇ | |||||
- | 田切駅 | 2.2 | 160.1 | 637 | ● | | | | | |||||
- | 伊那福岡駅 | 2.8 | 162.9 | 663 | ● | ● | ◇ | 駒ヶ根市 | ||||
- | 小町屋駅 | 1.5 | 164.4 | 672 | ● | ● | | | |||||
- | 駒ケ根駅 | 1.2 | 165.6 | 674 | ● | ● | ● | ◇ | ||||
- | 大田切駅 | 1.4 | 167.0 | 649 | ● | ↓ | ▼ | | | ||||
- | 宮田駅 | 2.1 | 169.1 | 648 | ● | ● | ● | ◇ | 上伊那郡 宮田村 | |||
- | 赤木駅 | 1.3 | 170.4 | 637 | ● | ↓ | ▼ | | | 伊那市 | |||
- | 沢渡駅◇ | 3.0 | 173.4 | 614 | ● | ● | ● | ◇ | ||||
- | 下島駅 | 1.1 | 174.5 | 623 | ● | ↓ | ▼ | | | ||||
- | 伊那市駅 | 3.5 | 178.0 | 640 | ● | ● | ● | ◇ | ||||
- | 伊那北駅 | 0.9 | 178.9 | 643 | ● | ● | ● | ◇ | ||||
- | 田畑駅 | 2.1 | 181.0 | 650 | ● | ↓ | ▼ | | | 上伊那郡 | 南箕輪村 | ||
- | 北殿駅 | 2.2 | 183.2 | 661 | ● | ● | ● | ◇ | ||||
- | 木ノ下駅 | 2.4 | 185.6 | 676 | ● | ↓ | ● | | | 箕輪町 | |||
- | 伊那松島駅 | 1.5 | 187.1 | 680 | ● | ● | ● | ◇ | ||||
- | 沢駅 | 2.6 | 189.7 | 702 | ● | ● | ● | | | ||||
- | 羽場駅 | 1.9 | 191.6 | 723 | ● | ● | ● | ◇ | 辰野町 | |||
- | 伊那新町駅 | 1.8 | 193.4 | 719 | ● | ● | ▼ | ◇ | ||||
- | 宮木駅 | 1.2 | 194.6 | 720 | ● | ↓ | ● | | | ||||
- | 辰野駅◇ | 1.1 | 195.7 | 722.8 | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:■中央本線(支線 塩尻・岡谷方面) | ◇ |
飯田市内の伊那上郷駅 - 元善光寺駅間でリニア中央新幹線と交差する予定で、付近にはリニア中央新幹線の駅も設置される予定である。飯田線への乗り換え新駅の設置については、飯田市の市長に新駅の設置を取り止め既存の元善光寺駅と新しい交通システムで結ぶことを公約に掲げた佐藤健が2020年に就任したことで中止された[66]。
括弧内の数値は起点からの営業キロを表す。
#廃止区間にある駅を除く。括弧内は豊橋駅起点の営業キロ。軌道線時代の廃駅は「伊那電気鉄道#駅一覧」を参照。
ゆうきまさみ著の『究極超人あ〜る』において、この路線のスタンプラリーをモチーフにしたオリジナルアニメビデオ (OVA) が制作された。監督知吹愛弓、音楽山本正之、田中公平、音響監督千葉繁。1991年10月発売[69]。
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