平岡ダム(ひらおかダム)は、長野県下伊那郡天龍村平岡地先、天竜川本川に建設されたダムである。長野県では最南端に位置する水力発電用の重力式コンクリートダムで、その高さは戦前に建設・計画された天竜川水系のダムの中では最大の62.5メートル。

概要 平岡ダム, 所在地 ...
平岡ダム
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所在地 左岸:長野県下伊那郡天龍村大字平岡
右岸:長野県下伊那郡天龍村大字平岡
位置 北緯35度16分57秒 東経137度50分48秒
河川 天竜川水系天竜川
ダム湖
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 62.5 m
堤頂長 258.0 m
堤体積 252,000 m3
流域面積 3,650.0 km2
湛水面積 258.0 ha
総貯水容量 42,425,000 m3
有効貯水容量 4,829,000 m3
利用目的 発電
事業主体 中部電力
電気事業者 中部電力
発電所名
(認可出力)
平岡発電所
(101,000kW)
施工業者 熊谷組
着手年 / 竣工年 1938年 / 1951年
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ダムに付設する平岡発電所は最大出力10万1,000キロワットと天竜川水系の一般水力発電の中では規模が大きい。ダムの下流は佐久間ダムが形成した佐久間湖の上端にあたり、天竜川は平岡ダムから佐久間ダムまでの33キロメートルの区間は佐久間湖となる。また、平岡ダムが形成するダム湖(人造湖)は中部電力の管理ではなく、国土交通省中部地方整備局の直轄区間である。

上流側の川底に貯めこまれた土砂の割合を示す堆砂率は、平成15年12月31日現在84.8%で、総貯水容量500万トン以上のダムの中で最も高い。

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平岡発電所

歴史

福澤桃介によって手掛けられた天竜川の水力電源開発事業は、1935年昭和10年)の泰阜ダム完成によって本格的なダム式発電所建設へと発展していった。天竜川電力(後に矢作水力と統合)は泰阜ダム下流の平岡地点にダムを建設し、発電を行う計画を1938年(昭和13年)に着手した。

この間にも電力の国家統制策が進み矢作水力は解散、日本発送電株式会社によって事業は継承され建設は継続された。折りしも太平洋戦争に突入した時期であり、中国朝鮮半島の人々や敵対する連合国軍の捕虜強制的に建設工事に使役した[1]

戦後、日本発送電は過度経済力集中排除法に抵触。1951年(昭和26年)に分割・民営化され中部電力株式会社が事業を継承し、同年完成した。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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