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日本の作家 (1949-) ウィキペディアから
村上 春樹(むらかみ はるき、英語: Haruki Murakami、1949年〈昭和24年〉1月12日 - )は、日本の小説家・翻訳家。京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市育ち。
村上 春樹 (むらかみ はるき) | |
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エクアトリアーナ文化会館にて会談を行う村上(2018年) | |
誕生 |
1949年1月12日(75歳) 日本・京都府京都市 |
職業 | 小説家、翻訳家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 文学士 |
最終学歴 | 早稲田大学第一文学部演劇専修 |
活動期間 | 1979年 - |
ジャンル | 小説・翻訳・随筆・紀行文・ノンフィクション |
主題 | 社会体制と個人 |
代表作 |
『風の歌を聴け』(1979年) 『1973年のピンボール』(1980年) 『羊をめぐる冒険』(1982年) 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年) 『ノルウェイの森』(1987年) 『ねじまき鳥クロニクル』(1994年・1995年) 『海辺のカフカ』(2002年) 『1Q84』(2009年・2010年) 『騎士団長殺し』(2017年) 『街とその不確かな壁』(2023年) |
主な受賞歴 | #年譜を参照 |
デビュー作 | 『風の歌を聴け』(1979年) |
配偶者 | 村上陽子(1971年10月[1] - ) |
影響を受けたもの
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署名 | |
ウィキポータル 文学 |
早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり[2]、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』などがある[3]。それらの作品は、50ヵ国語以上で翻訳されている。
日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している[4]。2006年、フランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し[5]、以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされている[注 1]。デビュー以来、翻訳も精力的に行い、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーほか多数の作家の作品を訳している。また、随筆・紀行文・ノンフィクション等も出版している[6]。
1949年、京都府京都市伏見区に出生する。父親の村上千秋[7]が甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居。父は京都府京都市蹴上安養寺住職村上弁識の二男であり[8]、仏教系の西山専門学校を経て京都帝国大学文学部卒[9]、学業の途中で日中戦争に巻き込まれ、それによって深くトラウマを負った[10]。母は大阪・船場の商家の娘であった[11]。また両親ともに高校の国語教師であり、本好きの親の影響を受け読書家に育つ[12]。1955年に西宮市立浜脇小学校入学。4年生の頃から、急に本が好きになり、[13]ジュール・ヴェルヌや、デュマの小説、ホームズシリーズやルパンシリーズを読むようになった。また、娯楽がなかったため、父・千秋に連れられ、西部劇や戦争映画を見た。西宮市立香櫨園小学校卒業[14]。芦屋市立精道中学校卒業[15]。
1964年に兵庫県立神戸高等学校に進学。この頃から、国語教師であった父に『枕草子』や『平家物語』といった古典文学を暗唱させられ、その反動で海外文学に興味を移す[16]。最初に読んだ長編小説は、ショーロホフの『静かなドン』だった。この頃は、ツケで本が買え、[17]親が購読していた河出書房の『世界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』を一冊一冊読み上げながら10代を過ごした。また中学時代から中央公論社の全集『世界の歴史』を繰り返し読む[注 2]。在学中には新聞委員会に所属し、2年生の時には編集長も務めた。また、初めてロス・マクドナルドの『わが名はアーチャー』をペーパーバックで読む。
1年の浪人生活ののち、1968年に早稲田大学第一文学部に入学、演劇専修へ進む[注 3]。在学中は演劇博物館で映画の脚本を読みふけり、映画脚本家を目指してシナリオを執筆するなどしていたが[20]、大学へはほとんど行かず、新宿でレコード屋のアルバイトなどをしながら、歌舞伎町東映でほとんど毎週ヤクザ映画を観た[21]。また歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送る。1970年代初め、東京都千代田区水道橋にあったジャズ喫茶「水道橋スウィング」の従業員となった[22]。
1971年10月、高橋陽子と学生結婚したが、子供は持たないようにした[23]。一時文京区で寝具店を営む妻の家に間借りする。二人は昼はレコード店、夜は喫茶店でアルバイトをして250万円を貯め、さらに両方の親と銀行から借金をして総額500万円を開業資金とした[24][25]。大学在学中の1974年、国分寺駅南口にあるビルの地下でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店(場所は殿ヶ谷戸庭園のすぐ近く)[26]。店名は以前飼っていた猫の名前から。夜間はジャズバーとなり、週末は生演奏を行った[注 4]。
1975年、7年間在学した早稲田大学を卒業。卒業論文は「アメリカ映画における「旅」の思想」でアメリカン・ニューシネマと『イージー・ライダー』を論じた。指導教授は印南高一(印南喬)[注 5][20]。1977年、ビルの持ち主から増築を理由に立ち退くように言われ、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移す[29]。
1978年4月1日、明治神宮野球場でプロ野球開幕戦、ヤクルト×広島を外野席の芝生に寝そべり、ビールを飲みながら観戦中に小説を書くことを思い立つ[30]。それは1回裏、ヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが左中間に二塁打を打った瞬間のことだったという[30][31][32][33](投手:高橋里志)[33]。それからはジャズ喫茶を経営する傍ら、毎晩キッチンテーブルで書き続けた[34]。
1979年4月、『群像』に応募した『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。同作品は『群像』1979年6月号に掲載され、作家デビューを果たす。カート・ヴォネガット、リチャード・ブローティガンらのアメリカ文学の影響を受けた清新な文体で注目を集める。同年、『風の歌を聴け』が第81回芥川龍之介賞および第1回野間文芸新人賞候補、翌年『1973年のピンボール』で第83回芥川龍之介賞および第2回野間文芸新人賞候補となる。
1981年、専業作家となることを決意し、店を人に譲る。同年5月、初の翻訳書『マイ・ロスト・シティー フィッツジェラルド作品集』を刊行。翌年、本格長編小説『羊をめぐる冒険』を発表し、第4回野間文芸新人賞を受賞。1985年、長編『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』発表、第21回谷崎潤一郎賞受賞。
1986年10月、ヨーロッパに移住(主な滞在先はギリシャ、イタリア、英国)。1987年、「100パーセントの恋愛小説」と銘うった『ノルウェイの森』刊行、上下1000万部を売る大ベストセラーとなる。1988年、『羊をめぐる冒険』の続編『ダンス・ダンス・ダンス』発表。
1989年10月、『羊をめぐる冒険』の英訳版『Wild Sheep Chase』が出版された。1990年、米ザ・ニューヨーカーに短編「TVピープル」が翻訳掲載される。これを皮切りに続々と短編が同誌に掲載され、1993年には同誌と優先掲載の契約を結ぶ[35]。これが国際的な作家となる強力な足掛かりとなった。
1991年、ニュージャージー州プリンストン大学の客員研究員として招聘され渡米する。前後して湾岸戦争が勃発。「正直言って、その当時のアメリカの愛国的かつマッチョな雰囲気はあまり心楽しいものではなかった」とのちに述懐している[36]。翌年、在籍期間延長のため客員講師に就任する。現代日本文学のセミナーで第三の新人を講義、サブテキストとして江藤淳の『成熟と喪失』を用いる[注 6]。
1994年4月、『ねじまき鳥クロニクル』第1部、第2部を刊行。 1995年6月、アメリカから帰国。同年8月、『ねじまき鳥クロニクル』第3部を刊行、翌年第47回読売文学賞受賞。
1996年6月、「村上朝日堂ホームページ」を開設。1997年3月、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめたノンフィクション『アンダーグラウンド』刊行。それまではむしろ内向的な作風で社会に無関心な青年を描いてきた村上が、社会問題を真正面から題材にしたことで周囲を驚かせた。1999年、『アンダーグラウンド』の続編で、オウム真理教信者へのインタビューをまとめた『約束された場所で』により第2回桑原武夫学芸賞受賞。
2000年2月、阪神・淡路大震災をテーマにした連作集『神の子どもたちはみな踊る』刊行。
2002年9月、初めて少年を主人公にした長編『海辺のカフカ』を発表する。2004年にはカメラ・アイのような視点が登場する実験的な作品『アフターダーク』を発表する。
2005年、『海辺のカフカ』の英訳版『Kafka on the Shore 』が『ニューヨーク・タイムズ』の"The Ten Best Books of 2005"に選ばれ国際的評価の高まりを示した。2006年、フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞(Frank O'Connor International Short Story Award)と、国際的な文学賞を続けて受賞。特にカフカ賞は、前年度の受賞者ハロルド・ピンター、前々年度の受賞者エルフリーデ・イェリネクがいずれもその年のノーベル文学賞を受賞していたことから、2006年度ノーベル賞の有力候補として話題となった。同年の世界最大規模のブックメーカーである英国のラドブロークス(Ladbrokes)のストックホルム事務所による予想では、34倍のオッズが出され18番人気に位置(受賞は同予想で1位のオルハン・パムク)。2007年の同予想では11倍のオッズ、6番人気とさらに評価を上げた[41]。また近年の年収は海外分が既に国内分を上回っており、事務所の仕事量も3分の2は海外とのものであるという[42]。
2008年6月3日、プリンストン大学は村上を含む5名に名誉学位を授与したことを発表した[43]。村上に授与されたのは文学博士号である。
2009年1月21日、イスラエルの『ハアレツ』紙が村上のエルサレム賞受賞を発表[44]。当時はイスラエルによるガザ侵攻が国際的に非難されており、この受賞については大阪の市民団体などから「イスラエルの戦争犯罪を隠し、免罪することにつながる」として辞退を求める声が上がっていた[45]。村上は2月15日、エルサレムで行われた授賞式に出席し記念講演(英語)を行う[46]。スピーチ内容は全文が直ちにメディアによって配信され[47]、それを日本語に翻訳した様々な文章がインターネット上に並んだ[注 7] [注 8]。『文藝春秋』2009年4月号に村上のインタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」が掲載される。スピーチの全文(英語と日本語の両方)も合わせて掲載された。なお授賞式では、スピーチの途中からペレス大統領の顔がこわばってきたのが見えたという[51]。
2009年5月、長編小説『1Q84』BOOK 1およびBOOK 2を刊行する。同年11月の段階で併せて合計223万部の発行部数に達した。同作品で毎日出版文化賞受賞。同年12月、スペイン政府からスペイン芸術文学勲章が授与され、それによりExcelentísimo Señorの待遇となる。
2011年6月、カタルーニャ国際賞を受賞。副賞である8万ユーロ(約930万円)を東日本大震災の義捐金として寄付する。授賞式のスピーチでは日本の原子力政策を批判した[52]。
2012年1月2日、1月3日に放送された箱根駅伝のTVコマーシャルのナレーションを執筆した。制作はサッポロビール。監督は是枝裕和[53]。
同年9月28日、『朝日新聞』朝刊にエッセイ「魂の行き来する道筋」を寄稿した。その中で、日中間の尖閣諸島問題や日韓間の竹島問題によって東アジアの文化交流が破壊される事態を心配して、「領土問題が「感情」に踏み込むと、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。」「しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。」「安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いではしまってはならない。」と警告した[54][55]。
2013年4月12日、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を発表する。 2014年4月18日、短編集『女のいない男たち』を発表する。
2015年1月15日、期間限定サイト「村上さんのところ」を開設した[注 9]。同日から1月31日までの間に37,465通のメールが寄せられた。4月30日に更新終了[57]。読者とのやりとりは約3,500問に及んだ[58]。
同年8月4日、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』の新訳英語版がHarvill Seckerから出版された。翻訳はテッド・グーセン[59]。
2017年2月24日『騎士団長殺し』を発表する。2020年7月18日短編集『一人称単数』を発表する。2021年には、ユニクロから、関連するTシャツが販売され、[60]日本のみならず、海外にも販売された[61]。また、同年10月1日には、早稲田大学4号館を改築し、早稲田大学国際文学館(通称「村上春樹ライブラリー」)が開館した[62]。「村上春樹ライブラリー」は、建築家の隈研吾が村上の要望で設計を担当した[63]。
村上は小説とは根本的に方法論であり、小説書くこと自体を小説に書くという、転化の作業みたいなものが小説で、それが実際の小説になると、スラスラ読めるとか、風俗的になっちゃうんだ、と語っている[65]。
平易で親しみやすい文章は村上がデビュー当時から意識して行ったことであり、村上によれば「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章は、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だという[66]。「文章はリズムがいちばん大事」[67]とは村上がよく話す言葉だが、そう思うに至った理由を次のように説明している。「何しろ七年ほど朝から晩までジャズの店をやってましたからね、頭のなかにはずっとエルヴィン・ジョーンズのハイハットが鳴ってるんですよね。」[67]
隠喩[注 10]の巧みさについて、斎藤環は「隠喩能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない」と評している[70]。
一方、文章の平易さに対して作品のストーリーはしばしば難解だとされる。村上自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している[71]。このような「平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へとシームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という作風は日本国内だけでなく海外にも「春樹チルドレン」と呼ばれる、村上の影響下にある作家たちを生んでいる[72]。また、村上の作品は従来の日本文学と対比してしばしばアメリカ的・無国籍的とも評され、その世界的普遍性が高く評価されてもいるが、村上自身によると村上の小説はあくまで日本を舞台とした日本語の「日本文学」であり、無国籍な文学を志向しているわけではないという。なお村上が好んで使用するモチーフに「恋人や妻、友人の失踪」があり、長編、短編を問わず繰り返し用いられている。
村上の著作は小説のほかエッセイ、翻訳、ノンフィクションなど多岐にわたっており、それらの異なる形態の仕事で意図的にローテーションを組んで執筆している[73]。しかし自身を本来的には長編作家であると規定しており、短編、中編小説を「実験」の場として扱い、そこから得られたものを長編小説に持ち込んでいると語っている[74]。またそれらのバランスをうまく取って仕事をする必要があるため、原則的に依頼を受けての仕事はしないとしている[73]。
村上は1990年代後半より、しきりに「総合小説を書きたい」ということを口にしている。「総合小説」として村上はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を引き合いに出している。それは「いろいろな世界観、いろいろなパースペクティブをひとつの中に詰め込んでそれらを絡み合わせることによって、何か新しい世界観が浮かび上がってくる」[75]ような小説のことを指すのだという。そして「パースペクティブをいくつか分けるためには、人称の変化ということはどうしても必要になってくる」[75]という。その試みは『ねじまき鳥クロニクル』(一人称の中に手紙や他の登場人物の回想が挿入される)、『神の子どもたちはみな踊る』(すべて三人称で書かれた)、『海辺のカフカ』(一人称と三人称が交互に現れる)、『アフターダーク』(三人称に「私たち」という一人称複数が加わる)などの作品にあらわれている。
村上は自身が特に影響を受けた作家として、スコット・フィッツジェラルド、トルーマン・カポーティ、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガット、レイモンド・チャンドラーらを挙げている[76]。このほかにフランツ・カフカ、ドストエフスキーらの作家も加わる。「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」としてフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、そしてチャンドラーの『ロング・グッドバイ』の3冊を挙げている[77][注 11]。読売新聞で『1Q84』をめぐる記者との対談に於いて、後期ヴィトゲンシュタインの「私的言語」概念[注 12]に影響を受けていたことを明かした[注 13]。
文学賞 | 作品名 | 結果 | 選評など |
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第22回群像新人文学賞 (1979年4月発表) | 『風の歌を聴け』 | 受賞 | |
第81回芥川賞 (1979年7月発表) | 『風の歌を聴け』 | 候補のみ | |
第83回芥川賞 (1980年7月発表) | 『1973年のピンボール』 | 候補のみ |
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
村上は授賞式において、小説を書くときに常に頭の中に留めていることを「個人的なメッセージ」として述べた。「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」 [注 15]。この「壁と卵」という比喩が大きく注目されたため、スピーチ自体を「壁と卵」と呼ぶこともある(『文藝春秋』2009年4月号に掲載されたスピーチ全文のタイトルは和文が「壁と卵」、英文が "Of Walls and Eggs")。
かつては、一日5箱を喫うヘビースモーカーであったが、『羊をめぐる冒険』の執筆が完了した後に禁煙した。飲酒については好意的で、アイルランドのウイスキー賛歌ともいえるエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(平凡社、1999年12月)なども著している。
猫好きであり、大学生の頃からヨーロッパで生活する1986年まで多くの猫を飼った。ヨーロッパに渡る前、飼っていた猫を講談社の当時の出版部長に預ける条件として書き下ろしの長編小説を渡す、と言う約束をした。この書き下ろしの長編小説が『ノルウェイの森』である[130]。「猫」は村上小説の中で重要な役割を果たすことが多い。仕事で海外を飛び回ることが多いため、現在飼うことは断念しているという。
プライバシーの確保と静かな執筆環境を求め、また、陽子夫人の花粉症対策として、年間のうち数ヶ月間をハワイの別荘で過ごすと言われている[133]。
村上は創作活動と並行して多くの翻訳を行ってきた。『カイエ』(冬樹社)1979年8月号に掲載されたスコット・フィッツジェラルドの短編『哀しみの孔雀』が、商業誌に発表したものとしては初めての作品である。「最初に『風の歌を聴け』という小説を書いて『群像』新人賞をとって何がうれしかったかというと、これで翻訳が思う存分できるということでした。だからすぐにフィッツジェラルドを訳したんですよ」[143]と語っているように、『哀しみの孔雀』の発表は『風の歌を聴け』が『群像』1979年6月号に掲載されてからわずか2か月後のことであった。
1981年5月、中央公論社より初めての翻訳書『マイ・ロスト・シティー フィッツジェラルド作品集』を刊行。1983年7月、レイモンド・カーヴァーの作品集『ぼくが電話をかけている場所』(中央公論社)を刊行。2004年7月、『レイモンド・カーヴァー全集』全8巻の翻訳を成し遂げた。
2003年以降、アメリカ文学の新訳を継続的に刊行している。同年4月、『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルで親しまれてきたサリンジャーの長編の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表。同作品を皮切りに、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』(2006年11月)、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』(2007年3月)、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』(2008年2月)、チャンドラーの『さよなら、愛しい人』(2009年4月)、『リトル・シスター』(2010年12月)、『大いなる眠り』(2012年12月)、『高い窓』(2014年12月)、『プレイバック』(2016年12月)、サリンジャーの『フラニーとズーイ』(2014年2月)等を翻訳した。
小説の執筆と翻訳を交互に行う仕事のスタイルを、村上は「チョコレートと塩せんべい」という比喩で語る[注 20]。
2017年4月27日に自身の翻訳の仕事をテーマに語るトークイベントが都内で行われた際に本人は「翻訳がなければ僕の小説は随分違ったものになっていたはず。翻訳を通して自分は発展途上にある作家だと実感できる」と語って、翻訳そのものを「ほとんど趣味の領域と言っていい」として「学んだのは世界を切り取り、優れた文章に移し替える文学的錬金術とも言える働き」と説明した[145]。
村上は1996年6月に「村上朝日堂ホームページ」を開設して以来、断続的に自身のホームページを立ち上げている。ただしいずれも出版媒体が実質的に管理・運営をしており、自身が管理する、また長期にわたり運営されたものはこれまでにない。
タイトル | 更新期間 | 運営母体 | 刊行物 |
---|---|---|---|
村上朝日堂ホームページ | 1996年6月4日〜1997年11月11日 | 朝日新聞社 | 夢のサーフシティー(1998年7月1日) |
1998年2月14日〜1999年11月18日 | 朝日新聞社 | スメルジャコフ対織田信長家臣団(2001年4月1日) | |
『海辺のカフカ』ホームページ | 2002年9月12日〜2002年12月27日 | 新潮社 | 少年カフカ(2003年6月10日) |
村上モトクラシ | 2005年3月29日〜不詳 | 新潮社 | |
村上朝日堂ホームページ | 2006年3月8日〜2006年6月8日 | 朝日新聞社 | 「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける 490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (2006年11月30日) |
村上さんのところ | 2015年1月15日〜2015年4月30日 | 新潮社 | 村上さんのところ(2015年7月24日) 村上さんのところ コンプリート版(2015年7月24日) |
ここでは村上春樹と特にかかわりのある人物を取り上げる(順不同)。
年号 | 主な出来事 | 文学賞受賞・候補 |
---|---|---|
1949年 | 1月12日、京都府京都市伏見区で生まれる。 | |
1955年(6歳) | 西宮市立浜脇小学校入学。 | |
1961年(12歳) | 西宮市立香櫨園小学校卒業。 | |
1964年(15歳) | 芦屋市立精道中学校卒業。 | |
1967年(18歳) | 兵庫県立神戸高等学校卒業。 | |
1968年(19歳) | 早稲田大学第一文学部に入学。和敬塾に入寮[注 26]。 | |
1971年(22歳) | 10月、高橋陽子と結婚。 | |
1974年(25歳) | 国分寺にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開く。 | |
1975年(26歳) | 早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。 | |
1977年(28歳) | 「ピーターキャット」を千駄ヶ谷に移転。 | |
1979年(30歳) | 処女長編小説『風の歌を聴け』を出版。 | 『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。 また、第81回芥川賞と第1回野間文芸新人賞の候補となる。 |
1980年(31歳) | 『1973年のピンボール』が第83回芥川賞と第2回野間文芸新人賞の候補となる。 | |
1981年(32歳) | 「ピーターキャット」を友人に譲り、小説家業に専念。 最初の翻訳書『マイ・ロスト・シティー』を出版。 | |
1982年(33歳) | 『羊をめぐる冒険』が第4回野間文芸新人賞を受賞。 | |
1983年(34歳) | 最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』を出版。 | |
1985年(36歳) | 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が第21回谷崎潤一郎賞を受賞。 | |
1986年(37歳) | 10月、ヨーロッパへ渡る。 | |
1990年(41歳) | 1月、ヨーロッパ滞在より、帰国。 | 『TVピープル』が第17回川端康成文学賞の候補に上がる。 |
1991年(42歳) | 1月、米国のプリンストン大学に客員研究員として招聘される。 | |
1992年(43歳) | 客員講師として大学院で週にひとコマのセミナーを1年間担当。 | |
1993年(44歳) | タフツ大学に移籍。 | |
1995年(46歳) | 5月、4年間にわたる米国滞在を終え帰国。 | |
1996年(47歳) | 6月、「村上朝日堂ホームページ」を開設。 | 『ねじまき鳥クロニクル』が第47回読売文学賞を受賞。 |
1999年(50歳) | 『約束された場所で―underground 2』が第2回桑原武夫学芸賞を受賞。 『ねじまき鳥クロニクル』が国際IMPACダブリン文学賞の候補に上がる。 | |
2003年(54歳) | J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の題名で翻訳。 | |
2004年(55歳) | 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳によりBABEL国際翻訳大賞・日本翻訳大賞を受賞。 | |
2005年(56歳) | ハーバード大学よりvisiting scholarとして招聘される[191]。 | |
2006年(57歳) | フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞を受賞。 『ハナレイ・ベイ』が第32回川端康成文学賞の候補に上がる。 | |
2007年(58歳) | リエージュ大学より名誉博士号を受ける[192][193]。 | 2006年度朝日賞[194]、第一回早稲田大学坪内逍遥大賞を受賞。 |
2008年(59歳) | プリンストン大学より名誉博士号(文学)を受ける。 | カリフォルニア大学バークレー校より第1回バークレー日本賞を受賞。 |
2009年(60歳) | 『1Q84』が第63回毎日出版文化賞を受賞。 エルサレム賞を受賞。スペイン芸術文学勲章の受勲。 | |
2010年(61歳) | 『1Q84』が2010年本屋大賞の候補に挙がる(10位)。 | |
2011年(62歳) | カタルーニャ国際賞を受賞。 | |
2012年(63歳) | 国際交流基金賞を受賞。 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』が第11回小林秀雄賞を受賞。 | |
2013年(64歳) | 『1Q84』が国際IMPACダブリン文学賞の候補に上がる。 | |
2014年(65歳) | ドイツの「ディ・ヴェルト」紙よりヴェルト文学賞を授与される[195]。 『象の消滅』がノイシュタット国際文学賞の候補に上がる[196]。 | |
2015年(66歳) | 1月、期間限定サイト「村上さんのところ」を開設。 7月 - 国内初の電子書籍『村上さんのところ コンプリート版』の配信開始[197]。 | |
2016年(67歳) | アンデルセン文学賞を受賞。 | |
2018年(69歳) | アメリカ文学賞を受賞。 フランス芸術文化勲章コマンドゥールを受章[198]。 | |
2019年(70歳) | 10月11日にラッテス・グリンツァーネ文学賞ラ・クエルチャ部門を受賞[199][200]。 | |
2022年(73歳) | チーノ・デル・ドゥーカ世界賞を受賞。 | |
2023年(74歳) | アストゥリアス皇太子賞文学部門を受賞[201]。 |
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 各国語翻訳一覧 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
風の歌を聴け | 講談社 | 1979年7月23日 | 「#翻訳」を参照 | 『群像』1979年6月号掲載。 | |
1973年のピンボール | 講談社 | 1980年6月17日 | 「#翻訳」を参照 | 『群像』1980年3月号掲載。 | |
羊をめぐる冒険 | 講談社 | 1982年10月13日 | 「#翻訳」を参照 | 『群像』1982年8月号掲載。 | |
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド | 新潮社 | 1985年6月15日 | 「#翻訳」を参照 | ||
ノルウェイの森 | 講談社 | 1987年9月4日 | 「#翻訳」を参照 | 上下二分冊で刊行された。 | |
ダンス・ダンス・ダンス | 講談社 | 1988年10月13日 | 「#翻訳」を参照 | 上下二分冊で刊行された。 | |
国境の南、太陽の西 | 講談社 | 1992年10月5日 | 「#翻訳」を参照 | ||
ねじまき鳥クロニクル | 第1部 泥棒かささぎ編 | 新潮社 | 1994年4月12日 | 「#翻訳」を参照 | 『新潮』1992年10月号〜1993年8月号掲載。 |
第2部 予言する鳥編 | 新潮社 | 1994年4月12日 | |||
第3部 鳥刺し男編 | 新潮社 | 1995年8月25日 | |||
スプートニクの恋人 | 講談社 | 1999年4月20日 | 「#翻訳」を参照 | ||
海辺のカフカ | 新潮社 | 2002年9月10日 | 「#翻訳」を参照 | 上下二分冊で刊行された。 | |
アフターダーク | 講談社 | 2004年9月7日 | 「#翻訳」を参照 | ||
1Q84 | BOOK 1 | 新潮社 | 2009年5月30日 | 「翻訳」参照 | |
BOOK 2 | 新潮社 | 2009年5月30日 | |||
BOOK 3 | 新潮社 | 2010年4月16日 | |||
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 | 文藝春秋 | 2013年4月12日 | 「#翻訳」を参照 | ||
騎士団長殺し | 第1部 顕れるイデア編 | 新潮社 | 2017年2月24日 | ||
第2部 遷ろうメタファー編 | 新潮社 | 2017年2月24日 | |||
街とその不確かな壁 | 新潮社 | 2023年4月13日 |
作品名 | 初出 | 単行本 |
---|---|---|
街と、その不確かな壁 | 『文學界』1980年9月号 | 未収録 |
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
中国行きのスロウ・ボート | 中央公論社 | 1983年5月20日 | |
カンガルー日和 | 平凡社 | 1983年9月9日 | 『トレフル』1981年4月号〜1983年3月号連載。 |
螢・納屋を焼く・その他の短編 | 新潮社 | 1984年7月5日 | |
回転木馬のデッド・ヒート | 講談社 | 1985年10月15日 | 『IN★POCKET』1983年10月号〜1984年12月号掲載。なお2編は書き下ろし。 |
パン屋再襲撃 | 文藝春秋 | 1986年4月10日 | |
TVピープル | 文藝春秋 | 1990年1月25日 | |
レキシントンの幽霊 | 文藝春秋 | 1996年11月30日 | |
神の子どもたちはみな踊る | 新潮社 | 2000年2月25日 | 『新潮』1999年8月号〜12月号連載。1編は書き下ろし。 |
東京奇譚集 | 新潮社 | 2005年9月18日 | 『新潮』2005年3月号〜6月号連載。1編は書き下ろし。 |
女のいない男たち | 文藝春秋 | 2014年4月18日 | 『文藝春秋』2013年12月号〜2014年3月号連載ほか。1編は書き下ろし。 |
一人称単数 | 文藝春秋 | 2020年7月18日 | 『文學界』2018年7月号〜2020年2月号連載。1編は書き下ろし。 |
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
象の消滅 短篇選集 1980-1991 | 新潮社 | 2005年3月30日 | 1993年3月にクノップフ社より刊行された短編集『The Elephant Vanishes』の日本語版である。 |
はじめての文学 村上春樹 | 文藝春秋 | 2006年12月10日 | 「はじめての文学」シリーズ全12巻のうちの一冊。 |
めくらやなぎと眠る女 | 新潮社 | 2009年11月27日 | 2006年7月にクノップフ社より刊行された短編集『Blind Willow, Sleeping Woman』の日本語版である。 |
作品名 | 初出 | 収録書籍 | 備考 |
---|---|---|---|
中国行きのスロウ・ボート | 『海』1980年4月号 | 『中国行きのスロウ・ボート』 | |
貧乏な叔母さんの話 | 『新潮』1980年12月号 | 同上 | |
ニューヨーク炭鉱の悲劇 | 『BRUTUS』1981年3月15日号 | 同上 | |
5月の海岸線 | 『トレフル』1981年4月号 | 『カンガルー日和』 | |
スパゲティーの年に | 『トレフル』1981年5月号 | 同上 | |
鹿と神様と聖セシリア | 『早稲田文学』1981年6月号 | 未収録 | |
4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて | 『トレフル』1981年7月号 | 『カンガルー日和』 | |
眠い | 『トレフル』1981年8月号 | 同上 | |
かいつぶり | 『トレフル』1981年9月号 | 同上 | |
パン屋襲撃 | 『早稲田文学』1981年10月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | その後改題・改稿されて『パン屋を襲う』に収録された。 |
カンガルー通信 | 『新潮』1981年10月号 | 『中国行きのスロウ・ボート』 | |
あしか | 『ビックリハウス』1981年10月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻 | |
カンガルー日和 | 『トレフル』1981年10月号 | 『カンガルー日和』 | |
32歳のデイトリッパー | 『トレフル』1981年11月号 | 同上 | |
タクシーに乗った吸血鬼 | 『トレフル』1981年12月号 | 同上 | |
彼女の町と、彼女の緬羊 | 『トレフル』1982年1月号 | 同上 | |
サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM | 『トレフル』1982年2月号 | 同上 | |
あしか祭り | 『トレフル』1982年3月号 | 同上 | |
1963/1982年のイパネマ娘 | 『トレフル』1982年4月号 | 同上 | |
バート・バカラックはお好き? | 『トレフル』1982年5月号 | 同上 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻収録の際、「窓」に改題。 |
図書館奇譚 | 『トレフル』1982年6月号〜11月号 | 同上 | その後改稿されて『ふしぎな図書館』(講談社)と『図書館奇譚』(新潮社)の2冊の絵本が出版された。 |
書斎奇譚 | 『ブルータス』1982年6月1日号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻 | |
月刊「あしか文芸」 | 糸井重里『ヘンタイよいこ新聞』1982年7月 | 同上 | |
おだまき酒の夜 | 『ショートショートランド』1982年夏号 | 同上 | |
午後の最後の芝生 | 『宝島』1982年8月号 | 『中国行きのスロウ・ボート』 | |
土の中の彼女の小さな犬 | 『すばる』1982年11月号 | 同上 | |
シドニーのグリーン・ストリート | 『海』臨時増刊「子どもの宇宙」1982年12月号 | 同上 | |
駄目になった王国 | 『トレフル』1982年12月号 | 『カンガルー日和』 | |
チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏 | 『トレフル』1983年1月号 | 同上 | |
螢 | 『中央公論』1983年1月号 | 『螢・納屋を焼く・その他の短編』 | |
納屋を焼く | 『新潮』1983年1月号 | 同上 | |
鏡 | 『トレフル』1983年2月号 | 『カンガルー日和』 | |
とんがり焼の盛衰 | 『トレフル』1983年3月号 | 同上 | |
プールサイド | 『IN★POCKET』1983年10月号 | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | 連載短編。副題は「街の眺め」。 |
雨やどり | 『IN★POCKET』1983年12月号 | 同上 | 同上 |
めくらやなぎと眠る女 | 『文學界』1983年12月号 | 『螢・納屋を焼く・その他の短編』 | |
踊る小人 | 『新潮』1984年1月号 | 同上 | |
タクシーに乗った男 | 『IN★POCKET』1984年2月号 | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | 連載短編。副題は「街の眺め」。 |
今は亡き王女のための | 『IN★POCKET』1984年4月号 | 同上 | 同上 |
三つのドイツ幻想 | 『BRUTUS』1984年4月15日号 | 『螢・納屋を焼く・その他の短編』 | |
野球場 | 『IN★POCKET』1984年6月号 | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | 連載短編。副題は「街の眺め」。 |
BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察 | 『IN★POCKET』1984年8月号 | 未収録 | 同上 |
嘔吐1979 | 『IN★POCKET』1984年10月号 | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | 同上 |
ハンティング・ナイフ | 『IN★POCKET』1984年12月号 | 同上 | 同上 |
ハイネケン・ビールの空き缶を踏む象についての短文 | 『ショートショートランド』1985年5・6月特大号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | |
パン屋再襲撃 | 『マリ・クレール』1985年8月号 | 『パン屋再襲撃』 | その後改題・改稿されて『パン屋を襲う』に収録された。 |
象の消滅 | 『文學界』1985年8月号 | 同上 | |
はじめに・回転木馬のデッド・ヒート | 書き下ろし | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | |
レーダーホーゼン | 同上 | 同上 | |
ファミリー・アフェア | 『LEE』1985年11月・12月号 | 『パン屋再襲撃』 | |
双子と沈んだ大陸 | 『別冊 小説現代』1985年冬号 | 同上 | |
ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界 | 『月刊カドカワ』1986年1月号 | 同上 | |
ねじまき鳥と火曜日の女たち | 『新潮』1986年1月号 | 同上 | |
中断されたスチーム・アイロンの把手 | 『別冊 小説現代』1986年春号 | 未収録 | その後、安西水丸著『POST CARD』に収録された。 |
雨の日の女 ♯241・♯242 | 『L'E』(アド・プロラーズハウス)1987年1月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻 | |
TVピープル | 『par AVION』(MAD出版)1989年6月号 | 『TVピープル』 | 雑誌掲載時のタイトルは「TVピープルの逆襲」。 |
飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか | 『ユリイカ臨時増刊』1989年6月号 | 同上 | |
我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史 | 『SWITCH』1989年10月号 | 同上 | |
眠り | 『文學界』1989年11月号 | 同上 | その後改稿されて『ねむり』のタイトルで単独で出版された。 |
加納クレタ | 書き下ろし | 同上 | |
ゾンビ | 同上 | 同上 | |
トニー滝谷 | 『文藝春秋』1990年6月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | その後『レキシントンの幽霊』に収録された。 |
沈黙 | 書き下ろし | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻 | 1993年、集団読書テキスト中高生用として単行本化された。1996年、『レキシントンの幽霊』に収録。 |
緑色の獣 | 『文學界』1991年4月臨時増刊「村上春樹ブック」 | 『レキシントンの幽霊』 | |
氷男 | 同上 | 同上 | |
人喰い猫 | 書き下ろし | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | |
青が消える (Losing Blue) | 『ル・モンド』1992年 | 『村上春樹全作品 1990〜2000』第1巻 | |
ふわふわ | 『NUNO NUNO BOOKS : FUWA FUWA』1998年5月 | 『ふわふわ』 | |
めくらやなぎと、眠る女 | 『文學界』1995年11月号 | 『レキシントンの幽霊』 | |
七番目の男 | 『文藝春秋』1996年2月号 | 同上 | |
レキシントンの幽霊 | 『群像』1996年10月号 | 同上 | |
UFOが釧路に降りる | 『新潮』1999年8月号 | 『神の子どもたちはみな踊る』 | 連作短編。副題は「地震のあとで」。 |
アイロンのある風景 | 『新潮』1999年9月号 | 同上 | 同上 |
神の子どもたちはみな踊る | 『新潮』1999年10月号 | 同上 | 同上 |
タイランド | 『新潮』1999年11月号 | 同上 | 同上 |
かえるくん、東京を救う | 『新潮』1999年12月号 | 同上 | 同上 |
蜂蜜パイ | 書き下ろし | 同上 | |
バースデイ・ガール | 書き下ろし | 『バースデイ・ストーリーズ』(2002年12月) | |
蟹 | 『Stories Magazine』2003年4月号 | 『めくらやなぎと眠る女』 | |
偶然の旅人 | 『新潮』2005年3月号 | 『東京奇譚集』 | 連作短編。副題は「東京奇譚集」。 |
ハナレイ・ベイ | 『新潮』2005年4月号 | 同上 | 同上 |
どこであれそれが見つかりそうな場所で | 『新潮』2005年5月号 | 同上 | 同上 |
日々移動する腎臓のかたちをした石 | 『新潮』2005年6月号 | 同上 | 同上 |
品川猿 | 書き下ろし | 同上 | |
恋するザムザ | 書き下ろし | 『恋しくて』(2013年9月) | |
ドライブ・マイ・カー | 『文藝春秋』2013年12月号 | 『女のいない男たち』 | 連作短編。副題は「女のいない男たち」。 |
イエスタデイ | 『文藝春秋』2014年1月号 | 同上 | 同上 |
木野 | 『文藝春秋』2014年2月号 | 同上 | 同上 |
独立器官 | 『文藝春秋』2014年3月号 | 同上 | 同上 |
シェエラザード | 『MONKEY』2014年2月15日発行・Vol.2 | 同上 | |
女のいない男たち | 書き下ろし | 同上 | |
石のまくらに | 『文學界』2018年7月号 | 『一人称単数』 | |
クリーム | 同上 | 同上 | |
チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ | 同上 | 同上 | |
ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles | 『文學界』2019年8月号 | 同上 | |
「ヤクルト・スワローズ詩集」 | 同上 | 同上 | |
謝肉祭(Carnival) | 『文學界』2019年12月号 | 同上 | |
品川猿の告白 | 『文學界』2020年2月号 | 同上 | |
一人称単数 | 書き下ろし | 同上 | |
夏帆 | 『新潮』2024年6月号 | 未収録 | 2024年3月1日のイベント『村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会』のための書き下ろし作品。 |
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
村上朝日堂 | 若林出版企画 | 1984年7月15日 | 『日刊アルバイトニュース』1982年8月16日号〜1984年5月21日号連載、ほか。 |
映画をめぐる冒険 | 講談社 | 1985年12月24日 | 共著:川本三郎 |
村上朝日堂の逆襲 | 朝日新聞社 | 1986年6月25日 | 『週刊朝日』1985年4月5日号〜1986年4月4日号、1995年11月10日号〜1996年12月27日号連載。 |
ランゲルハンス島の午後 | 光文社 | 1986年11月30日 | 『CLASSY』1984年6月号〜1986年5月号連載。 |
THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代 | 文藝春秋 | 1987年2月1日 | 『Sports Graphic Number』1982年4月20日号〜1986年2月25日号連載ほか。 |
日出る国の工場 | 平凡社 | 1987年4月1日 | 共著:安西水丸 |
ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック | TBSブリタニカ | 1988年4月8日 | 村上のエッセイ8編、フィッツジェラルドの翻訳2編。 |
村上朝日堂はいほー! | 文化出版局 | 1989年5月20日 | 『ハイファッション』1983年8月号〜1988年12月号連載(ただし1987年を除く)ほか。 |
遠い太鼓 | 講談社 | 1990年6月25日 | |
雨天炎天 | 新潮社 | 1990年8月28日 | 「ギリシャ編 アトス―神様のリアル・ワールド」と「トルコ編 チャイと兵隊と羊―21日間トルコ一周」の二分冊。 |
やがて哀しき外国語 | 講談社 | 1994年2月25日 | 『本』1992年8月号〜1993年11月号連載。 |
うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル | 新潮社 | 1996年5月24日 | 『SINRA』7月号〜1995年10月号連載。 |
アンダーグラウンド | 講談社 | 1997年3月20日 | |
村上朝日堂はいかにして鍛えられたか | 朝日新聞社 | 1997年6月1日 | 『週刊朝日』1995年11月10日号〜1996年12月27日号連載。 |
若い読者のための短編小説案内 | 文藝春秋 | 1997年10月10日 | 『本の話』1996年1月号〜1997年2月号連載。 |
ポートレイト・イン・ジャズ | 新潮社 | 1997年12月20日 | 共著:和田誠 |
辺境・近境 | 新潮社 | 1998年4月23日 | |
約束された場所で―underground 2 | 文藝春秋 | 1998年11月30日 | 『文藝春秋』1998年4月号〜11月号連載ほか。 |
もし僕らのことばがウィスキーであったなら | 平凡社 | 1999年12月15日 | 『サントリークォータリー』1997年55号、56号掲載。 |
シドニー! | 文藝春秋 | 2001年1月20日 | |
ポートレイト・イン・ジャズ2 | 新潮社 | 2001年4月25日 | 同上 |
村上ラヂオ | マガジンハウス | 2001年6月8日 | 『anan』2000年3月17日号〜2001年3月3日号連載。 |
東京するめクラブ 地球のはぐれ方 | 文藝春秋 | 2004年11月15日 | 『TITLE』2002年10月、11月号、2003年3月号〜5月号、7月号、10月号、11月号、2004年1月号掲載。 |
意味がなければスイングはない | 文藝春秋 | 2005年11月25日 | 『ステレオサウンド』2003年春号〜2005年夏号連載。 |
走ることについて語るときに僕の語ること | 文藝春秋 | 2007年10月15日 | |
村上ソングズ | 中央公論新社 | 2007年12月10日 | 『エスクァイア日本版』2004年9月号〜2005年8月号連載。歌詞の翻訳と和田誠の挿絵が中心。 |
村上春樹 雑文集 | 新潮社 | 2011年1月31日 | |
おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2 | マガジンハウス | 2011年7月7日 | 『anan』2009年10月21日号、2010年3月3日号、2010年3月24日号〜2011年3月23日号連載。 |
サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3 | マガジンハウス | 2012年7月9日 | 『anan』2011年3月30日号〜2012年4月4日号連載。『GINZA』2012年4月号。 |
職業としての小説家 | スイッチ・パブリッシング | 2015年9月10日 | 『MONKEY』2013年10月7日 Vol.1〜2015年6月15日 Vol.6連載。『考える人』2013年夏号。 |
ラオスにいったい何があるというんですか? | 文藝春秋 | 2015年11月21日 | |
村上春樹 翻訳 (ほとんど) 全仕事 | 中央公論新社 | 2017年3月18日 | 柴田元幸との対談を含む |
猫を棄てる 父親について語るとき | 文藝春秋 | 2020年4月23日 | 初出:『文藝春秋』2019年6月号 |
村上T 僕の愛したTシャツたち | マガジンハウス | 2020年6月4日 | |
古くて素敵なクラシック・レコードたち | 文藝春秋 | 2021年6月 | |
更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち | 文藝春秋 | 2022年12月 | |
デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界 | 文藝春秋 | 2024年2月 |
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
ウォーク・ドント・ラン | 講談社 | 1981年7月20日 | 共著:村上龍 |
村上春樹、河合隼雄に会いにいく | 岩波書店 | 1996年12月5日 | 共著:河合隼雄 |
翻訳夜話 | 文藝春秋 | 2000年10月20日 | 共著:柴田元幸 |
翻訳夜話2 サリンジャー戦記 | 文藝春秋 | 2003年7月20日 | 同上 |
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです | 文藝春秋 | 2010年9月30日 | インタビュー集 |
小澤征爾さんと、音楽について話をする | 新潮社 | 2011年11月30日 | 共著:小澤征爾 |
みみずくは黄昏に飛びたつ | 新潮社 | 2017年4月27日 | 共著:川上未映子 |
本当の翻訳の話をしよう | スイッチ・パプリッシング | 2019年5月9日 | 共著:柴田元幸 |
本当の翻訳の話をしよう 増補版 | 新潮社 | 2021年6月24日 | 同上 |
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
CD-ROM版村上朝日堂 夢のサーフシティー | 朝日新聞社 | 1998年7月1日 | CD-ROMと書籍。 |
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? | 朝日新聞社 | 2000年8月1日 | |
CD-ROM版村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団 | 朝日新聞社 | 2001年4月1日 | CD-ROMと書籍。 |
少年カフカ | 新潮社 | 2003年6月10日 | |
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? | 朝日新聞社 | 2006年3月30日 | 台湾と韓国の読者からの質問は本書のみに収録。 |
「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? | 朝日新聞社 | 2006年11月30日 | |
村上さんのところ | 新潮社 | 2015年7月24日 | 書籍版。収録数は473問。 |
村上さんのところ コンプリート版 | 新潮社 | 2015年7月24日 | 電子書籍版。収録数は3716問。 |
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