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2019年に日本の京都府京都市で発生した放火殺人事件 ウィキペディアから
京都アニメーション放火殺人事件(きょうとアニメーションほうかさつじんじけん)は、2019年(令和元年)7月18日に京都府京都市伏見区で発生した放火殺人事件。報道における略称は京アニ事件[12]、京アニ放火[13]など。
この項目では、被告人及び被害者(死亡した著名人を除く)の実名は記述しないでください。記述した場合、削除の方針ケースB-2により緊急削除の対象となります。出典に実名が含まれている場合は、その部分を伏字(○○)などに差し替えてください。 |
京都アニメーション放火殺人事件 | |
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全焼した第1スタジオ(2019年7月21日撮影) | |
場所 | 日本・京都府京都市伏見区桃山町因幡15番地1 京都アニメーション第1スタジオ |
座標 | 北緯34度55分59.0秒 東経135度47分34.6秒 |
日付 |
2019年7月18日 10時31分ごろ (JST) |
標的 | 京都アニメーション第1スタジオとその従業員 |
攻撃手段 | 放火 |
武器 | ガソリン、多目的ライター |
死亡者 | 36人 |
負傷者 | 34人(被告人を含む)[注 1] |
損害 | 建物全焼 |
犯人 | 男X(刑事裁判で係争中:#犯人も参照) |
容疑者 | 建造物侵入罪、現住建造物等放火罪、殺人罪、殺人未遂罪、銃砲刀剣類所持等取締法違反 |
動機 | 京都アニメーションに対する憎悪[5] |
攻撃側人数 | 1人(被告人) |
対処 | 京都府警が男Xの身柄を確保し[6]、Xは退院後に逮捕[7]・起訴された[8] |
訴訟 | |
有罪判決 | 死刑(第一審判決)[9] |
管轄 |
アニメ制作会社「京都アニメーション」の第1スタジオに男Xが侵入し、ガソリンを撒いて放火したことで、Xを含む70人が死傷した。この事件は1938年(昭和13年)に発生した津山事件の犠牲者数30人を超えて、戦争を除く、明治時代以降の事件において日本で最多の犠牲者数となっている。
2019年7月18日昼前、京都アニメーション第1スタジオに男X(当時41歳)が侵入、バケツからガソリンを建物1階にまいてライターで着火したことにより、爆燃現象が発生した。結果としてスタジオは全焼、社員36人が死亡、33人が重軽傷と、日本国内の事件では過去に例を見ない大惨事となった(#被害状況)。
国内外で人気を得ていたアニメ制作会社を標的とした大量殺人事件として、世界に衝撃を与え、内閣総理大臣や国際連合事務総長、各国の政府の長や大使館、各界の著名人から弔意が寄せられた。また、Twitterではハッシュタグ「#PrayForKyoani」と共に、さまざまな言語による追悼や応援の声が上がった。更に、国内外からの寄付金は30億円を超え、税制上の優遇制度を適用する特例措置が取られた(#政界の対応)。一方、事件で死亡した犠牲者全員の氏名が公表されるまで1か月以上かかる異例の事態となり、実名報道の是非や要否についての議論が巻き起こった(#犠牲者の実名報道)。同時に、被害者や遺族への支援の不足も表面化した(#被害者支援)。
被疑者の男Xは、事件直後に身柄を確保された。Xも犯行時に瀕死の重傷を負ったものの、約10か月にわたり入院した後に逮捕、更に半年後に起訴された(#犯人)。刑事裁判では、2023年(令和5年)から2024年(令和6年)にかけて京都地方裁判所で第一審(裁判員裁判)の審理が行われ、Xは現住建造物等放火罪、殺人罪、建造物侵入罪、殺人未遂罪、銃刀法違反などの罪に問われた。事件当時のXの責任能力について争われ、中間論告・弁論を何度か行う異例の長期審理になったが、2024年1月25日に同地裁は責任能力を認定したうえで、「死刑はやむを得ない」としてXを死刑とする第一審判決を宣告した(#刑事裁判)[9]。
1981年(昭和56年)に創業した京都アニメーションは「京アニクオリティー」と呼ばれる高い品質によって国内外でも人気を得ていた[14][15]。だが、事件の数年前から作品への批判や社員への殺害予告が相次いでおり、その都度警察や弁護士へ相談し、対処していた[16]。しかし今回の事件との関係については分かっていないと捜査関係者は話している[17]。
同社は以前から防火・防災に熱心に取り組んでおり、第1スタジオは平成26年度の消防記念日(2015年〈平成27年〉3月7日)に伏見消防署長表彰を受けている。また、2018年(平成30年)10月17日に消防法に基づいて行われた立入検査でも不備はなく、同年11月14日の訓練でも配属社員の9割に当たる70人が参加していた[1][18]。
事件当日、現場となった第1スタジオでは、NHKが京アニに2020年東京パラリンピック関連の短編アニメ『アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜』の一編の制作を依頼した関係で、NHKによる取材が11時より予定されていた[19][20][注 2]。
午前10時31分、赤いTシャツとジーパン姿の犯人Xが第1スタジオ(地上3階建て、面積691.02平方メートル)の自動ドアから侵入し、バケツ2個で10リットルから15リットルのガソリンを建物1階に撒いた。ガソリンが近くにいた社員たちやその資料に降り掛かり、驚いた社員たちはその場から退避しようとしたが、Xは「死ね」と暴言を吐きながら多目的ライターを近くにいた社員に突き出して放火。爆発音、閃光とともにオレンジ色の炎が天井まで上り、爆燃現象が発生。Xの侵入から放火までは10~20秒ほどだった[23]。
放火から火災鎮火までの経緯は以下の通り。
京都府警察などによると、第1スタジオには役員・従業員合わせて70人がいたが、そのうち69人が被害を受け、40代男性1人のみ無事[28][注 4]だった。死亡した犠牲者の中には木上益治、武本康弘、西屋太志、池田晶子などの著名なアニメーターも含まれていた[30]。
事件当日に33人の死亡が現場で確認され[注 5]、翌日以降に3人が死亡した(後述)。各階での死因や人数は、右表の通りである。以下、各階の特記事項を列記する。
法医解剖医の西尾元は、多くの犠牲者の死因が焼死と診断された理由について、熱による作用が体の表面に大きく及んだ遺体が多かったためと推測している[46]。京都アニメーションは、犠牲者の葬儀には社員が2人1組で参列するよう手配し、中には5回参列した社員も複数いたが、それでも一部の葬儀には参列できなかった[47]。
警察庁によれば「放火事件としては平成期以降最多の死者数」である[48][注 8]。また、『読売新聞』では更に時期の範囲を広げ、殺人事件として「戦後でも最も死者が多いとみられる」と報じている。なお、この事件による死者数は、戦前の1938年(昭和13年)に発生した津山事件の死者30人をも上回っている[50]。
一方、現場から脱出した社員(後に死亡した者を除く)の年齢は21歳から53歳まで[3]、事件発生時点での所在、および脱出地点は以下の通りである[52][53][54]。
ある若い女性社員は、被疑者の男Xに直接ガソリンをかけられて全身火傷を負ったものの、脱出して病院に搬送された(その後の容態は不明)[24]。ベランダから脱出した25人の内、2人は近隣住民が掛けた梯子を渡り、残りの23人は飛び降りた[55]。事件発生直後、負傷者は火傷の深さや面積および骨折の重さより、重症10人、中等症6人、軽症20人と判定された(被疑者を除く)[4][注 9]。この内、19人は事件当日の夜に病院から帰宅、16人は入院した(後に3人が死亡)[63]。10月18日の時点で女性4人が入院中、2人が自宅療養中だった[64]。2020年5月現在では1人が入院中だったが[65]、2021年7月の時点で退院しており、社員3人がリハビリテーションに取り組んでいる[66]。
第1スタジオの建物が全焼した件について、京都市消防局は市議会において、同社の防火対策は適切だったと説明した[67]。消防法上、事業所扱いとなる第1スタジオに設置が義務付けられていたのは消火器と非常警報設備のみで、避難階段や避難器具、スプリンクラーなどの消火設備は設置が義務付けられておらず、実際に設置されていなかった[68][69]。同種の事件におけるスプリンクラーの効果の有無については、専門家の間でも意見が分かれている[70][71]。
また、1階から3階にかけて吹き抜けとなっている螺旋階段があり、2007年の完成検査で京都市が防煙壁の設置を指導し、天井からつり下がる長さ50センチメートルの防煙壁が設置されていた。しかし、玄関と螺旋階段の間の焼け方が特に激しかったことから螺旋階段の脇で火が放たれた疑いが高く、消防局は煙を食い止めることは難しかったとみている[72]。
前述の西野智研は、出火から5秒で煙が3階に到達、15秒で摂氏100度を超える煙が3階に充満し、30秒で2階から上の空間のほとんどが煙で満たされ、可燃物に火が付いた疑いを指摘している[73][74]。消防庁が12月23日に公表したシミュレーションでも、60秒で2階から上の空間が煙で包まれたという検証結果が出ている[75][76]。
京都アニメーション社長の八田英明は7月19日午後の記者会見において、近隣住民への配慮から建物を撤去したいと述べた上で「思いとしては、できれば公園にして碑を作りたい」と述べた[77]。一方、近隣住民の町内会は、不特定多数が訪れるような慰霊碑や公園を整備しないよう求める要望書を12月23日に京都アニメーションに提出している[78]。
11月25日から解体に向けた準備が始まり、2020年1月7日に着工、4月28日に完了した[79][80]。現地では、毎年の事件発生日に追悼集会が催されている(#当事者・関係者)。
京都アニメーションは、2021年12月より慰霊碑の建立を検討するため、遺族との意見交換会を始めた[81]。2022年6月、遺族会の代表者4人、会社の代表5人、従業員8人の合計17人から成る、慰霊碑建立に向けた検討委員会が設置され、建立する場所・形状・碑文の内容などを協議すると報じられた[82][83]。2024年時点の報道では、京都アニメーションは跡地が会社の事業用地としての利用も想定される状況になったとして、慰霊碑を建立しても非公開となる見込みとされている[84]。これとは別に宇治市内に事件の記憶を伝える碑が2024年に建立されている(詳細後述)。
7月19日の会見で、京都アニメーション社長は第1スタジオに保管されていた過去の作画や資料などはすべて焼失したと説明していた[85][86]。しかしその後、社外のイベント向けに貸し出されていた一部の資料が被害を免れていたほか、建物1階のコンクリートで覆われたサーバールームは、付箋がそのまま残っているほど無傷だったことが判明し[87][88]、デジタル化された原画などのデータについては欠損なく回収に成功したと発表された[89]。
この経験を踏まえ、マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟による「メディア芸術ナショナルセンターの整備及び運営に関する法律案」(別称・MANGA法案)が発案された際、京都アニメーションも作品資料の保管と活用およびアーカイブは切実な課題であるとし、法案の早期成立を呼びかけた[90]。
2021年7月、テレビアニメ『小林さんちのメイドラゴンS』が放送開始された。同作のエンドロールには犠牲者の1人である武本康弘がシリーズ監督・シリーズ構成・シナリオなどとして記載されている。京都アニメーション社長は記者の質問に対し、「この期間で2期放送出来るのは武本康弘としてほぼシナリオなどが完成していたおかげなので当然の事。別の所に紙媒体などが残っていたので記載している」とコメントしている[91]。
被疑者として逮捕・被告人として起訴された男Xは1978年(昭和53年)[92][93][94]、当時の埼玉県浦和市で出生した[94]。3人兄妹の次男(第2子)として、浦和市(現在のさいたま市緑区)で育つ[95]。1985年(昭和60年)に市内の小学校に入学したが、1987年(昭和62年)[94]、9歳の時に両親が離婚したため、以降は父と兄、妹の4人家族で暮らす[96][注 10]。1991年(平成3年)に公立中学校に入学した[94]。父親はトラック運転手をしていたが、その後、糖尿病を患い、無職となり[98]、生活保護を受けるようになった[99]。小学生時代には、不良仲間を誘って日常的に万引きを繰り返していた。また中学時代には柔道部に所属し、部長が兄で威張っていたために、かなり嫌われていた[100]。
父親は家賃が支払えなくなり、Xが中学2年生の時に転居[101]。Xは1992年(平成4年)に市内の別の公立中学校に転校したが[94]、転校後には「友達がおらずなじめない」と言い、不登校になった[99]。父親は離婚後、冬にパンツ1枚で兄弟2人を外に立たせて水をかけたり、眠らせなかったりといった虐待も行っていた[99]が、兄弟の体が大きくなると虐待はなくなった[102]。
中学卒業後は、1994年(平成6年)に浦和市(現在のさいたま市浦和区)の定時制高校に通いつつ、埼玉県文書課の非常勤職員として3年間勤務した[103]、日中は仕事、夜間は学校で授業。高校2年の時に、職を失っていた父親の体調が良くなり、タクシー運転手として再び働き始めた[104][105]。高校の先輩から紹介されたゲームによって、後に京都アニメーション作品を知るようになった[106]。高校の4年目には、県庁での仕事に加え、ガソリンスタンドのアルバイトも始めた[104]。1998年(平成10年)に皆勤で高校を卒業した後は[94]、「ゲームの音楽を作る人になりたかった」の理由で音楽の専門学校に進学し[105]、学費を払うために新聞販売店に住み込んだが、「学ぶものは何もない」と学校を約半年で辞め、新聞配達のアルバイトも辞めてアパートで1人暮らしを始めた。兄がアパートを訪ねても「帰れ」「俺に関わるな」と追い返すようになった[101][107]。その後は後述の強盗事件までコンビニエンスストアのアルバイト店員など非正規の仕事を転々とする[101]。個人タクシー運転手だった父親は業務中に死亡事故を起こして失業し、1999年(平成11年)12月に死去[103][108][109]。この際駆け付けた母親とは十数年ぶりに再会したが、会話はほとんどなく、Xは母親を睨みつけていた[101]。
Xは28歳だった2006年(平成18年)8月[110]もしくは9月[97][111]、暴行・窃盗事件を起こして逮捕される[112][113]。同事件は埼玉県越谷市で起こしたもので[114]、アパートのベランダで住人女性の下着を盗み、部屋に侵入して女性の口を塞いだというものであった[115]。動機については「性欲に困っていた」[110]「金欠でヤケになった」と語り[97][111]、2007年(平成19年)3月[110]、懲役2年・執行猶予4年の有罪判決を受けている[97][111]。留置場に収容されていた間の家賃は母親が負担しており、その後は母親の住む茨城県に移り、母親と母親の再婚相手の3人で同居した。しかし、再婚相手に「夢はないのか」と問われ口論になるなど険悪となり、半年間引きこもり生活を続けた後、仕事が見つかったとして母親宅を出て、茨城県や栃木県内で職に就いたが、いずれも長続きしなかった[116][117]。2008年(平成20年)12月、世界金融危機による派遣切りにより、常総市内の雇用促進住宅に移り住むが、家賃滞納などの問題を頻繁に起こしていた[95]。
2009年(平成21年)、京都アニメーション制作のアニメの原作小説に感化され、31歳で小説を書き始め、SFや学園系ライトノベルの小説家を志した[118]。ライトノベル業界や京都アニメーションのある女性監督に憧れ、インターネットの匿名掲示板2ちゃんねるのスレッドを見ていた際、その女性監督がそこに書き込んでいると思い込み[119]、そこでその女性監督とやり取りを交わし、恋愛関係にあるとの妄想を抱いた[120][121]。しかし、自身の作品に満足できず何度も書き直し[122]、掲示板でも嘲笑されて将来を悲観した[121]。また、掲示板に「変態」と書き込まれたことから、コンピューターをハッキングされ女性監督の写真で自慰をしたことが発覚したという被害妄想や、2012年放送の京アニ制作アニメ作品中の「なんで顔出さないの」という台詞が女性監督から自分に向けられたメッセージであるというような妄想を抱いた[119]。これらのことから自殺を試みるも死にきれず、コンビニ強盗事件の直前には自暴自棄になって部屋のものを破壊していた[122]。
2012年(平成24年)6月19日には住居の壁に穴を開け、ガラスを割るなどして暴れ[95]、翌20日未明(0時20分ごろ)に坂東市のコンビニエンスストアで現金21,000円を奪う強盗事件を起こした後、11時ごろになって茨城県境警察署に出頭[123]、強盗と銃刀法違反の容疑で逮捕された[124]。その際には「遊ぶ金が欲しかった。オウム真理教の信者も次々逮捕されており[注 11]逃げ切れないと思った」[125]「仕事上で理不尽な扱いを受けるなどして、社会で暮らしていくことに嫌気が差した」と供述している[95]。また、取り調べの際には「秋葉原無差別殺人犯と同じ心境だ」と述べた[122]ほか、動機のきっかけとして「母親があまりよい顔をしてない」「小説を書いていたけど、それを(出版社に)送らなかったこと」と述べたほか、「(仕事を)クビになったときは、母を、兄も含めて、ガソリン撒いて燃やしてやろうか、と」などとも述べており、小説へのこだわりや家族への恨み、放火などを示唆する供述をしていた[126]。この事件以降、母親とは断絶状態となり[127]、兄や妹とも連絡を取ることはなくなった[107]。強盗および銃砲刀剣類所持等取締法違反に問われ[122]、同年9月には水戸地裁下妻支部で懲役3年6月の実刑判決(自首認定により減軽)を言い渡される[128]。当時は30歳代半ばで[122]、同年10月もしくは11月以降は水戸刑務所に服役したが[94]、この時に自身が事件前に牛久大仏を見に行っていたことを刑務所の同房者に知られていたことから、「闇の人物」につけられているという妄想を抱くようになる[129]。同年12月には喜連川社会復帰促進センターに移送された[130]。服役中の2013年(平成25年)1月から2015年(平成27年)3月にかけ、粗暴な言動を理由に相次いで懲罰を受け[注 12]、2014年(平成26年)11月には窓枠を動かしたことを注意されて逆上、保護室に収容された[94]。2015年10月、担当医から統合失調症と診断された[94]。
2013年7月以降の刑務所での記録により、Xは幻聴、幻覚、不眠などによるイライラに悩まされ、自殺のリスクが高い「要注意者」に指定[131]。服役中は騒音などで10回以上の懲罰を受け、2015年10月には37歳で精神障害と診断され、障害者手帳の交付や薬物療法も受けた[97][132]。刑務所の中で京都アニメーションの作品を鑑賞していて[131]、受刑中も小説のアイデアを書きため[121]、出所前のアンケートには、「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後は大御所」と記していた[131]。
2016年(平成28年)1月に出所し、浦和区にある更生保護施設清心寮で過ごした後、同年7月から見沼区のアパートに入居した。そこでは生活保護を受けながら暮らしていたが、そこでも騒音などの問題をたびたび起こしていた[95][103]。出所後、京都アニメーションが作品を公募する「京都アニメーション大賞」に短編と長編、「ナカノトモミの事件簿」、「リアリスティックウエポン」[133] [134]とタイトルをつけた小説2作を応募するも、翌2017年(平成29年)に落選通知が届く[120]。その後、応募作品の一部を改変した上で小説投稿サイト「小説家になろう」[135]に同じ作品を分割して投稿するも、その読者はいなかったことからサイトを退会[118][136]。
2018年(平成30年)1月には、小説のネタ帳を自ら焼却した[137]。同年5月、訪問看護のスタッフはXの自宅を訪れた際、 玄関先で男から胸ぐらをつかまれ、 包丁を振り上げられ 「しつこいんだよ、いいかげんにつきまとうのをやめろ。やめないなら殺すぞ」「今のままでは人を殺してしまう。人間は足を引っ張る人間ばかり信用できない」[131]と脅され、男性看護師は包丁を渡すよう説得し、けがはなかった[138][139]。同年11月偶然にテレビで京都アニメーションのアニメを見た際、自身のアイデアが使われていると考えたと訴えた[140]。
2019年2月には、他人との関わりを絶とうと通院をやめ、翌3月には訪問看護にも居留守を使うようになった。スマートフォンも解約した。同年6月、事件現場に持ち込まれた刃渡り20 cm以上の包丁6本をさいたま市内の量販店で購入し[141][142]、大宮駅前で無差別殺人を計画したが、未遂に終わった[143]。Xは被告人質問で、自分を監視している人物や京アニから離れるためには、それらに対するメッセージ性(作品を盗まれた人物が事件を起こした、すなわち「パクったことが害を生む結末になった」と伝えること)を込めた無差別殺人をしなければならないと考え、秋葉原通り魔事件を参考に鋭い刃物6本を用意して大宮で無差別殺人をしようとしたが、駅前に向かったところ人の密集度が低かったため、自分が想定する犯罪にはならないと判断して断念したと述べている[144]。その後、「京都アニメーションに応募した小説からアイデアを盗まれた。」、「人生がうまくいかないのは京都アニメーションのせい」、「社員も連帯責任で同罪」と思い込み復讐を決意し、2019年7月15日に自宅を出発。包丁6本を持って新幹線で京都に向かい[121]、3日後の18日に犯行に及んだ。
前述の通り、被疑者の男Xも身柄確保の時点で全身に火傷を負っており、確保直後に京都市東山区の京都第一赤十字病院に搬送された[25][172]。命の危険もある重篤な状態が続いており、より高度な治療を受けさせる必要があると判断され、7月20日にドクターヘリで大阪府大阪狭山市の近畿大学医学部附属病院に転院[25][155][172]。男の主治医となった上田敬博は、搬送されてきたXの姿を初めて見た際に「もうすぐ絶命するだろう」と思ったことや、Xの予測死亡率は「97.45%」であったことを手記で述べている[173]。室温を摂氏28度に保った蒸し風呂のような手術室で深夜まで緊急手術が行われ、何とかその日は延命することができた[174]。
全身の93%が最も重いIII度熱傷に分類される状態だったが、他者からの提供皮膚が不足して被害者へ供給できなくなる事態を避けるため、初期の治療には人工真皮(皮膚)を、その後は自分の残った皮膚から細胞を培養し、培養表皮シートを作って移植するという治療法が選択された[175]。広範囲の重いやけどに対して提供皮膚を使うことなく治療するのは、世界でも前例のないケースだった[174][注 17]。当初は全身麻酔で終日眠っている状態がしばらく続いた[150]が、移植などの治療によって反応を示し始め、麻酔を緩めると意識を回復して「痛い」などと言葉を発するようになった[178]。その後は集中治療室に入っているものの、命の危険がある重篤な状態を脱して快方に向かった[179]。
9月9日、気管切開した部分に取り付ける管を発声できるものに交換し、再び声が出せるようになると「声が出る」「もう二度と出せないと思っていた」「世の中には自分に優しくしてくれる人もいるんだ」と言って涙を流した[180]。リハビリテーション中「意味がない」「どうせ死刑だから」「自分は意味のない命」などと投げやりな態度を見せたり、食べ物の好き嫌いによる病院食を拒むことも多かったXであったが、主治医から「私たちは懸命に治療した。君も罪に向き合いなさい」と繰り返し諭されると、被疑者は「他人の私を、全力で治そうとする人がいるとは思わなかった」との発言[181]や「道に外れることをしてしまった」「病院のスタッフに感謝している」とも語った[182]。主治医は、被疑者は常に敬語で話すなど礼儀正しく、リハビリテーションを嫌がったために厳しくたしなめられると、素直に従ったと証言している[183][184]。
11月14日、高度な治療が終了したため、最初に入院した京都第一赤十字病院へ搬送されて転院した[185]。国内外の過激なファンからの報復を受ける危険性が高いため、被疑者の身柄は捜査関係者曰く「一般人は自由に出入りできない場所」に収容された[186]。その後は「かゆい、痛い」などとたびたび不満を訴え、リハビリテーションにも積極的には取り組もうとしなかったという[187]。
京都市は緊急検証対策チームを設置し、建物内の螺旋階段が火の回りを早くした疑いもあるとして、市内の防火対象物(防火・準防火地域以外の建物も含む)の螺旋階段の実態把握と防火指導に取り組むことを決定した[190]。なお、毎日新聞が事件1周忌を機に行った調査では、全国の多くの消防機関が吹き抜け構造がある建物について対策が必要と考えつつ、法的根拠がないために指導できない実態が明らかになっている[191][192]。
消防庁および警察庁は、ガソリンを容器で販売する際の販売記録を残す方針となり、7月25日に消防庁から各都道府県の防災部署、消防機関のほか、石油の精製や元売りの業界団体である石油連盟や、ガソリンスタンドの業界団体である全国石油商業組合連合会宛てに通達が、警察庁生活安全局から各都道府県警察等宛に事務連絡が行われた[193]。
しかし、販売の際に身分証の提示を求めても拒否される事例があるとして、事業者側が「確認が義務であること」を法令で明確することを求めた結果、改正された消防法の関係省令が2020年2月1日に施行された[194]。また、京都市消防局は2019年度中に、放火やテロによる火災時の避難指針を策定し、避難梯子の設置などを促す方針を固めた[195]。また、2020年3月に京都市消防局は大規模火災を想定した「火災から命を守る避難の指針」を発表した[196][197]。
京都府警は、約100人体制の捜査本部とは別に、約100人による被害者支援班を立ち上げ、遺族らの支援に当たった。一時期は被害の拡大などに対応し、捜査本部の7 - 8割の人員も被害者支援に回ることもあった[198]。内容は心理的ケア・病院への付添・宿泊先への送迎・事情聴取の同席・被害者支援制度の給付金の説明など多岐にわたった。2021年2月に支援班は解散したが、支援活動は京都府警犯罪被害者支援室や京都犯罪被害者支援センターに引き継がれた[66][199]。他県在住の遺族からも、地元の警察による支援に感謝する声が挙がっている[200][201]。一方で、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、遺族や負傷者との対面がままならず、孤立が懸念されている[202]。
この事件の遺族のため、新たに犯罪被害者等支援条例を制定した自治体もあった[203][204]。一方で、居住自治体に条例がないため、金銭補償などの支援を受けられない遺族もおり、自治体による被害者支援の格差が課題となっている[205][206]。
京都府警察本部刑事部捜査第一課と京都府伏見警察署は現住建造物等放火・殺人事件として本事件の捜査を開始し、事件翌日の19日には京都府警察学校(伏見区)に100人体勢の捜査本部を設置した[10]。また、7月19日に死亡した犠牲者を含む34人の遺体は同学校(捜査本部)に安置され、7月23日まで司法解剖が行われた[10][207][208]。
同時に、京都府警本部は身柄を確保した男Xについて、まだ逮捕していないものの、事案の重大性から氏名を公表した[17]。20日、京都府警捜査本部は殺人・現住建造物等放火の罪状でXの逮捕状を取った[209]。25日には、死因が判明しなかった1人を除く33人の殺人などの容疑で逮捕状を取り直した[210]。8月8日、35人への殺人容疑、負傷者34人および無傷の1人への殺人未遂容疑でXの逮捕状を取り直した[211]。その後、10月4日に新たに1人が死亡したため、逮捕状を取り直している[212]。
事件直後の7月20日、同社社長の八田英明は、Xとは過去に直接のトラブルはなく、同社主催の「京都アニメーション大賞」への応募もなかったため、一切の関わりがないと話していた[213]。しかし、7月30日に同社の代理人弁護士の桶田大介は、改めて確認したところ、同姓同名で同住所の人物から小説が応募されていたことが分かったと発表し、応募の内容は明らかにしないとしたうえで「1次審査を通過していない」「これまで制作された弊社作品との間に、同一または類似の点はないと確信している」と語った[214][215]。その後、Xが「学園もの」の長編と短編の小説2点を応募していたと報じられた[216]。8月26日、Xによる京都アニメーション大賞への複数の小説の応募を警察が断定したと報じられた[217][218]。
11月8日に初めて事情聴取が行われた際、被疑者は容疑を大筋で認め「どうせ死刑になる」「(犯行動機は)自分の小説を盗まれたから」「(犯行時に所持していた包丁は)犯行を邪魔する人がいたら襲うつもりだった」「(ハンマーは)ドアが閉まっていたらガラスを割って中に入ろうとした」などと供述した[182]。
当初、京都府警は年明け2020年1月ごろに逮捕する方針だったものの、発熱が起きるなど被疑者の容態が不安定であり、更に新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって着手時期が遅れた[219]。
2019年7月下旬に、京都府警が犠牲者の遺体を遺族に返還する際に犠牲者が身に着けていた腕時計を紛失したことが判明し遺族に謝罪していたことが8月16日に判明している[220]。
上記コロナウイルスの感染症による緊急事態宣言の対象から京都府が外れた後[108]、京都府警は2020年5月27日7時18分[221]、殺人・殺人未遂・現住建造物等放火・建造物侵入・銃刀法違反の各容疑で、被疑者の男Xを通常逮捕した[222]。被疑者は容疑を認めると共に、初めて被害者の数を知り「(犠牲者は)2人ぐらいと思っていた。36人も死ぬと思わなかった」と語った[65]。この時点で、指先は黒っぽく変色し、やけどの痕がうかがわれたが[223]、調書には自ら署名した[221]。伏見警察署に京都地方検察庁の検察官が自ら赴いて送検手続きを行い[224]、被疑者を京都地方裁判所に搬送して、裁判官による勾留質問を受けさせ、勾留決定後は大阪拘置所に搬送した[225]。
通常、日本の警察は逮捕から1 - 2日後に被疑者の身柄を検察庁へ送り、検察官は24時間以内に勾留請求を行うが、この事件では逮捕から勾留決定までの手続きがわずか約8時間半だった。捜査関係者は取材に対し、被疑者への負担を考え、日程を圧縮して移動を減らしたと証言した[224][226][227]。また、通常の勾留先は最寄りの刑事施設(京都拘置所)になるが、この事件では医療設備が充実しているということで大阪拘置所が選ばれ[224]、逮捕前から居室や面会室を改修の上で介護ベッドを搬入、エア・コンディショナーの設置、医療スタッフの増員といった準備がなされるなど、異例づくしの対応が取られた[228]。
逮捕当日に伏見警察署で開かれた記者会見において、捜査第一課長の川瀬敏之は逮捕に踏み切った理由を「逃亡や罪証隠滅の恐れがあると判断した。現時点で容体は安定している。記憶の減退などを懸念した」と述べた[229]。一方で、歩行できない被疑者を逮捕する必要性についての質問が相次いだが「捜査上の必要があり、詳細は明らかにできない」とした[221]。一部の報道機関は、京都アニメーションの狂信的なファンによる襲撃や、事件への思い込みや刷り込みによる「供述が汚染されるリスク」の懸念を捜査関係者が証言したと報じた[186]。
被疑者の国選弁護人2人は「勾留の理由や必要性がない」として勾留の取り消しを求めたが[230]、京都地裁は5月29日に準抗告を棄却し、最高裁も特別抗告を6月5日に棄却した。9日に開かれた勾留理由開示の手続きにて、京都地裁は出廷した被疑者本人に「事案の性質や犯行の様態、精神状態などを考慮すると、逃亡や罪証隠滅の恐れがある」と説明した。同日、京都地方検察庁は事件当時の被疑者の精神状態を調べるため、9月10日までの鑑定留置を京都地裁が認めたと発表した[231]。そして12月10日までの鑑定留置を経て、京都地検は「刑事責任能力に問題はない」と判断し[11]、12月16日に5つの罪状(逮捕容疑と同一)で起訴した[232][233]。なお、起訴段階で負傷者の数を33人から32人に変更した[2]。
犯行の動機は、Xの小説を京アニ側が盗用したとの思い込みが募り、筋違いの恨みであることが判明した[234]。
京都地裁は第一審判決の判決理由で、Xが自身の小説を京アニに落選・盗用されたと思い込み、その落選に関与していると信じていた「闇の組織のナンバー2」に対し「つけ狙うのをやめるよう伝えるため、犯行を決意した」と認定している[235]。
被告人Xの刑事裁判の第一審は裁判員裁判の公判により[236]、京都地裁第1刑事部(増田啓祐裁判長)[注 18]で審理された[238]。裁判長は増田啓祐、陪席裁判官は棚村治邦・尾﨑晴菜の2人である[238]。京都地裁における事件番号は令和2年(わ)第1282号(建造物侵入、現住建造物等放火、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反事件)[239]。
公判では起訴事実については争われず、Xの事件当時の刑事責任能力の有無・程度が最大の争点となった[240]。起訴後には弁護側の申請を受けてXに対する2度目の精神鑑定が実施され、2022年(令和4年)3月中旬にその鑑定結果が出た[241]。
第1回公判前整理手続は2023年(令和5年)5月8日に京都地裁(増田啓祐裁判長)で行われ[242]、同月12日の同手続で、同地裁は全32回の公判期日を指定した[243]。その後、公判期日数は予備日を除いて計25回[244]、予備日を含めて計32回と報じられている[245]。
京都地裁は複数の被害者遺族の意向を踏まえ、複数の犠牲者の氏名などを法廷で非公開にする決定を出したが、性犯罪などを除くとこのような決定が出ることは異例とされている[246]。初公判では死亡した36人のうち、遺族が実名での呼称を希望した17人を除く19人と、負傷者全32人、怪我がなかった2人については実名を伏せ、死亡者については「別表1の2」、負傷者については「別表2の30」などと数字で読み上げた[247]。これは「被害者特定事項」(氏名や住所など、被害者の特定に繋がる情報)を被害者の名誉・社会生活の平穏が著しく害される恐れがある場合などに限って公開の法廷で秘匿することが認められるとする刑事訴訟法の規定に基づくものである[247]。
2023年8月9日、本裁判における裁判員の選任手続が京都地裁で行われ、裁判員6人と補充裁判員6人が選任された。京都地裁は2017年に裁判が行われた関西青酸連続死事件(920人)に次ぐ500人の候補者を選出したが、長期審理になることから辞退者が相次ぎ、当日の選任手続に出席したのは全体の12.6%となる63人だった[248][249]。
2023年9月5日に初公判が開かれ、罪状認否で被告人Xは起訴事実を認めたが、自身の犯行によってこれほど多数の死者が出るとは思わなかったという旨を述べた[247][236][250]。
Xの弁護人は起訴内容については争わなかったが[240]、「闇の人物」が京アニと一体となって自分に嫌がらせをしているという妄想を抱いた末に犯行に至ったと主張[251]。事件当時のXは精神障害の影響により、責任能力が欠如した心神喪失の状態だったとして無罪を主張した上で、仮にこの主張が認められなかった場合でも心神耗弱として量刑を減軽すべきだと主張した[250]。
一方で検察官は、犯行動機は筋違いの恨みであり[250]、現場スタジオを犯行前に下見した上で犯行に用いる道具やガソリンを購入し、犯行当日にも計画通り実行するか否かを迷った末に実行することを選んだと主張[93]。犯行時には「小説を盗作された」「公安に監視されている」といった妄想はあったが、それに支配されていたわけではなく、完全責任能力が認められると主張した[245]。また検察官は冒頭陳述で、Xが事件の約1か月前(2019年6月18日)、思い通りにならないことが続いたことから自暴自棄になり、包丁6本を持って自宅近くの大宮駅(埼玉県さいたま市大宮区)に行き、無差別殺人事件を起こそうとしたが断念していたと指摘した[252]。
Xに対する被告人質問は2023年9月7日に初めて行われた。証言台に立ったXはまず、自身の名を述べマイクテストをした[253]。終始、淡々とした様子で答えた[254]。
「昨日、事件直後の音声を聞きましたよね」と弁護人が質問すると、Xが「はい」と答え、続けてXが事件直後、警察に犯行理由を訊かれ複数回発した「お前ら全部知ってるんだろ」という発言に対し、「お前ら」とは誰のことかと弁護人に訊かれ、少し考え込んでから、「警察の公安部になります」と答えた。Xは以前から「公安部に監視されている」と妄想していたためか[255]、理由を「火災で消防よりも警察が早く来るのに疑問を感じた」としている[256][257][255]。
弁護人の質問に対し、Xは「(放火で負ったやけどで)立って歩くことができず、(植皮治療で)汗腺を失ったため、頭と胸以外で汗をかかない」、「箸やフォークは使えるが、重いものを持つのは難しい」などと自身の身体について述べ[256][258][257]、両腕を交互に上げた[259]。
弁護人は、「X被告が生まれてから事件を起こすまでの経緯を時系列に沿って質問していく」と述べた[256][258]。
2023年9月20日に被害者参加制度を利用した、遺族によるXに対する直接の質問がこの日、この事件で初めて行われた。遺族だけではなく、遺族側代理人弁護士も参加した[254]。
最初に、事件に巻き込まれて死亡した、当時京都アニメーション取締役で作画監督であった池田晶子の夫は深呼吸をし、質問に臨んだ。夫はXに対して「Xさん」と呼びかけ、「自分の妻はターゲットでしたか。池田晶子は知っていますか」と質問[260]。Xは、「作画監督として勤めているという認識は少しはありましたが、厳密に誰かを狙うというより、『京都アニメーション全体』を狙うという認識でした。誰か個人をという考えは、申し訳ないが、なかったです」と考えを述べるとともに否定した。次に、「放火殺人の対象者に家族、特に子どもがいることは知っていましたか」との質問に対しても、「申し訳ございません。そこまで考えなかったというのが自分の考えであると思います」と初の謝罪の意を表明[260]して否定。この返答の際、Xは質問されてから少しため込んでいた。夫は、質問に際し時折声を震わせていたが、Xは夫の方を向くことはなく、変わらず淡々とした様子で答えた。そして、被害者と遺族、傍聴者の中には、涙を流す者もいることがうかがえた[254][261][262]。
犠牲者の一人、事件当時22歳だった女性アニメーターの母親からの、「娘は、被告が盗作されたと主張するアニメの制作後に入社した。そうした社員がたくさんいたが、すべて焼け死んでもよいと思っていたのですか」との主張と質問に対しても、Xは「そこまでは考えが及ばなかったです」と否定した[254]。また、生存者の証言でXが放火直前に発した「死ね」との発言について問われると、「本心で間違いないです」と認めた[263][262]。
一方で、別の遺族の代理人弁護士からは、「事件の直前に被害者のことを考えなかったのですか」との再三の問いに対し、Xは「京都アニメーションは自分の作品を盗んだのですから」などの一点張りで回答になっていない返答があり[254]、代理人の質問に対し「逆に聞くが、(小説を)パクった京アニは良心の呵責(かしゃく)はなかったのか[264]」と怒り心頭で逆質問し、裁判長から注意を受けたりした[263][262]。この発言について別の代理人が問うと、「自分はどんな罰も受けなければならないが、京アニが自分にしてきたことは全部不問になるのですか」と反論した[262]。これに対し、池田の夫からは、「たとえ盗作されたとしても、人を殺していいのか」と反論したあと、マスメディアの取材を受け、「自分の責任を分かっていない上、相手に転嫁する。幼稚すぎる」、「そんな幼稚な理由で晶子は殺され、子どもが苦しい思いをしているのか。被告に訊いたことで、余計に気持ちがしんどくなった」と嘆いた[264][262]。
被告人Xは、「第1スタジオにいた人はすべて死んでもいいという認識でした」と述べ、「自分が死ぬ気持ちがありましたか」という代理人の問いに対し、「そこまでの思いはなかったです」と犯行当時の自身の気持ちについて述べた[263]。
また論告求刑前最後の公判となった12月6日 の第21回公判で、Xは被害者や遺族に対する謝罪の意思を初めて明確に示した一方、小説のアイデアを盗用されたとする点については従来の主張通り、「やはり京アニの方も(盗用を)やってきたという思いは正直ある」と述べた[265]。
10月23日から11月6日まで、Xの責任能力に絞った審理が行われた[266]。まず、同日には検察側の要請を受け起訴前に行った精神鑑定の医師が証言し、「被告は妄想性パーソナリティー障害で犯行の対象に京アニを選んだ点は被害妄想が影響を及ぼしたが、それ以外の犯行時の行動には影響はほとんどみられない」とする鑑定結果を明らかにし、「犯行にいたった主な要因は小説にまつわる現実と被告の性格傾向によるものだ。小説が落選し、小説家の夢を断念したことで妄想が大きくなり、犯行に影響を与えているが、あくまで補助的なものだ」と述べた[266]。
一方で26日には、弁護側の要請を受け起訴後に精神鑑定した医師が「被告は犯行時から現在にかけて重度の妄想性障害にかかっていて、妄想は犯行の動機を形成している」とする鑑定結果を明らかにし、妄想が影響して人を信用できず孤立し困窮したことが犯行につながり、妄想の世界で被害を受けていることが影響し怒りやすく、攻撃的な行動に出やすくなっていたなどと説明した[267]。
30日に二人の医師が同時出廷し、検察の依頼で鑑定した医師は「京アニに小説を盗作されたと考えたあと犯行にいたるまで、直接抗議するなど現実的な行動は起こしていない。妄想は被告の言動に著しい影響を及ぼしていない」と述べた一方、弁護側の請求で鑑定した医師は「京アニに対しては『盗作され続ける』と妄想し、関係を絶つために犯行に及んだ」と述べ、妄想が犯行に影響したとした[268]。6日の中間論告、弁論で責任能力についての審理は終了した[269]。
鑑定医師 | 責任能力の有無 | 理由 | 犯行動機 |
---|---|---|---|
検察側 | 犯行はXのパーソナリティーによるもので責任能力が著しく減退していたとは到底言えない。 | 放火殺人は重大犯罪とわかっており、引き返すという選択肢もあったにも関わらず、みずからの意思で実行することを決断した。思いとどまることが期待できる状態だった。 | 幼少期の不遇な環境や仕事が続かなかったことなどから、『真面目にやっているのに他人が足を引っ張るせいでうまくいかない』という思考を持ち、他者に攻撃を向けるという行動パターンが現れたものである。盗作されたといった妄想は、被告の怒りや焦燥感を強化した程度で、本質は筋違いの恨みである。 |
弁護側 | Xは重度の妄想性障害だった。検察が依頼した医師の精神鑑定は、信頼することはできない。 | Xが小説を落選させたと話す『闇の組織のナンバー2』に対する情報が欠けている。この妄想は被告の精神世界や現実を大きく支配しているが、その妄想が抜け落ちている。 | 被告の妄想が現実の行動に影響しているのは明らかで、検察が依頼した医師の鑑定はこれを除外しており、信頼することはできない。事件を起こすことをためらったことと、善悪の区別ができることは同じではないことや、妄想の内容が直接事件を起こすことを命じるものでなくても、その影響で事件を起こすことはありえること、「今はやりすぎた」と思っていることと事件当時に責任能力があったことは同じではないことを踏まえて判断するべきである。
10年以上、あらがえない妄想の世界で翻弄され、苦しみ続けてきた。Xは、自分がやろうとしていることがやってはいけないことと認識し、思いとどまる力がなかった。 |
この節の加筆が望まれています。 |
11月27日の第17回公判より量刑判断についての審理が開始された。3つに分けられた一連の裁判の最後の工程で、12月の結審までこの審理が行われた。
最初の審理となったこの日では、検察側が事件はXの「筋違いの恨みによる復讐」であると強調し、重視すべき事柄として「被害者の肉体的苦痛、恐怖や絶望感、負傷者の後遺症や自責の念、遺族の絶望感や喪失感」、ガソリンを用いた計画的犯行の危険性や残虐性を挙げた。弁護側は憲法で残虐な刑罰を禁じる規定があることを紹介し、「死刑を科すことが残虐な刑罰かどうかを念頭に置いてほしい」「被害者や遺族の意見陳述は裁判の証拠ではない」と強調して「たくさんの悲しみ、怒り、やるせなさに触れると、裁判員がその立場になってしまい、証拠の認識を曲げてしまう」と心配していると述べた[271]。
この事件の裁判では、被害者参加制度を用いて約80人の遺族が参加し、意見陳述を行った[272]。12月7日の公判では、この事件で亡くなった池田晶子の夫が裁判員に一人一人に語りかけるように意見陳述を行い、Xへの死刑判決を求めた[273]。
「X被告には、法律で定められた中で最も重い刑罰が科されることを望みます。最終論告で本当に話したかったのは、私ではなくこの場に参加し話す機会すらも与えてもらえなかった亡くなられた被害者の方たちだと思います」「正直、晶子はX被告を恨んでおり、何か言いたいことがあり、たくさんのものを奪われ、子どもを残してしまい...非常に無念な気持ちだと思います。なので私は、晶子がこの場に立てたら言いたかったであろうことを想像出来る範囲で少し心情も含んでしまいますが、述べさせていただきます」
「下される判決は、12歳の息子が聞いて、理解できるような内容であってほしいですし、ここに立ちたかったであろう晶子が受け入れられるような判決を、仏前に報告できるよう、強く、強く、本当に強く望んでいます」 — 池田晶子の夫
その他にも、論告求刑公判までの間に生存者や被害者遺族が意見陳述を行い、厳刑やXによる反省を求めた。
2023年(令和5年)12月7日の第22回公判で、第一審の審理は結審した[274]。同日は検察官による最終論告と弁護人による最終弁論がそれぞれ行われ[275]、検察官は科刑意見として被告人Xを死刑に処し、柳刃包丁6本を没収することが相当であると意見陳述した一方[275]、弁護人はXは事件当時心神喪失状態にあったとして無罪とするよう求めた[276][277]。
検察官は論告で、事件の性質について「他に類例を見ない凄惨な大量殺人事件」「殺人、殺人未遂事件として日本刑事裁判史上、突出して多い被害者数」と評した上で、強固な殺意に基づく計画的な犯行であり、犯行態様も極めて危険で非道・残虐なものである点、犯行動機は筋違いな逆恨みという理不尽かつ身勝手なものである点、遺族や被害者の処罰感情の峻烈さ、社会的影響の重大性、そして被告人Xの年齢・前科・犯行後の情状(更生や被害者・遺族に対する慰謝が期待できない点)を挙げ、最高裁が示した死刑適用基準に照らしても極刑を回避すべき事情はないと主張した[275]。またXの事件当時の責任能力に関しては、妄想は動機の形成に影響してはいたが限定的であると主張した[275][276]。
加えて池田晶子の夫と被害者8人の遺族の代理人もそれぞれ意見陳述を行い、前者はXが過去に犯罪を重ねた後、更生に2度失敗していることや、弁護側から「妄想を理由に犯罪を起こさないよう施されるべき治療計画」について十分な説明がないことを指摘した上で、「社会が理解可能な判決と異なる判決が出た場合、犯罪への抑止が弱まり類似事件が増える危険性がある」などと述べ、被害者・遺族の無念だけでなく、Xによる再犯の防止・同種事件の再発防止といった観点からも死刑に処すべきだと求めた[275]。また後者は犯行には酌量の余地がないこと、Xの供述は罪の意識や反省の念を感じさせるものではなく、遺族の心情を逆撫でしているものであることなどを主張し、死刑に処すことを求めた[275]。
一方で弁護人は、絞首刑による死刑執行は憲法第36条で禁じられた「公務員による残虐な刑罰」に該当すると主張した上で、事件当時のXは責任能力が減退しており、結果の重大さを予期することができなかったとして、心神喪失として無罪にするか、心神耗弱として刑を減軽すべきであり、仮にそれらの主張が認められず、検察官の主張通り完全責任能力が認められたとしても、死刑を選択すべきではないと主張した[275][276]。最終意見陳述で、Xは裁判長から最後に言いたいことはあるかと問われると「質問に答えるとか自分でできる範囲でちゃんとやってきたので、この場において付け加えて話すことはございません」と陳述した[275]。
2024年(令和6年)1月25日に判決公判が開かれ、京都地裁第1刑事部(増田啓佑裁判長)は求刑通り、被告人Xを死刑とする判決を言い渡した[9][278]。
判決公判では23の傍聴席に対し、409人が傍聴を希望し、倍率は17.79倍となり、これまでの公判では最高であった。同地裁は午前10時30分の開廷後証拠整理を行い、30分の休廷を挟んで午前11時より判決の言い渡しに入った[274][279]。増田裁判長は、「有罪判決ですが、主文は後回しにします」と告げて判決文の読み上げを開始した[280]。その後正午前に一部の証拠調べを再開するためにいったん審理を再開し、改めて結審した上で午後1時より言い渡しを再開[281]、合計3時間に渡って以下のような判決理由を読み上げた上で、1時40分過ぎに主文を宣告した[282]。
以上の理由から、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも法が定める最も重い刑である極刑をもって臨むほかないとして、弁護人の主張する事情(建物の構造や被害結果についてのXの認識など、犯行の動機形成に妄想性障害による妄想が影響している点、幼少期の虐待や生活の困窮・周囲からの孤立など)はいずれも特に責任非難を低下させる事情とはなり得ないと判断し、反省・改善可能性についても真摯な反省がなく、あまり改善が期待できないとして、犯行に至る経緯・背景にXに帰責できない面がないとは言えない点、一応の反省の情を示しており、改善可能性が皆無とは言えない点など、Xにとって有利に斟酌すべき事情を最大限に考慮しても、死刑を回避しうる事情は見いだせないと結論付け、「被告人を死刑に処する。京都地方検察庁で保管中の柳刃包丁6本を没収する」と主文を宣告した[278]。
Xは主文宣告後、うなづくような動きを見せ、うつむきながら退廷した。同日午後3時15分からおよそ1時間、裁判に参加した裁判員たちが記者会見を開き、意見を述べた[284]。
Xの弁護人は判決を不服として、翌26日に大阪高等裁判所へ控訴した[285]。Xは同日、戸田和敬(『朝日新聞』記者)と大阪拘置所で接見した際、判決については「厳粛に受け止めたい」「極刑は避けられないだろうと思っていた」と述べているが、戸田はX本人からも控訴する意思が窺えたと評している[286]。その後、2月7日付でX本人も大阪高裁へ控訴した[287]。
またXは、判決後の29日と30日の二日間にわたって遺族である池田晶子の夫と面会した。夫がまず、「気を使う必要はありません。本当に話したいことを話して」と伝えると、Xは困ったような表情を見せた後、アニメについて長い時間を使って話したという。「鑑定医に言ったことが全て妄想にされてしまった」と憤る場面もあった。30日の面会で何かメッセージはないかと聞かれると、頭を下げて「本当に申し訳ない」と謝罪した。控訴理由については「すべて妄想で片づけられたから」「そのことについて発信したいことがあった」と述べた[288][289][290]。
控訴審の審理は大阪高等裁判所にて行われる予定。2024年9月時点では、まだ第1回公判の期日の目処は立っていないものの、第一審と同じく責任能力の有無と程度が争点になるとみられている[291][292]。弁護側の控訴趣意書提出後に検察側が反論を検討するため、期日の確定には時間を要する見通しである[293]。
9月30日、Xの弁護人は大阪高裁に対し主張をまとめた控訴趣意書を提出した。弁護人は一審のXの精神鑑定に関し、鑑定を行った医師とは別の医師による意見書を提出し、精神鑑定結果そのものではなく地裁による鑑定結果の評価の誤りを主張する方針である。
7月19日の記者会見では、京都府警と伏見警察署は身元が特定された被害者は速やかに公表すると発表したが、22日に京都アニメーションは遺族のプライバシー保護のために実名報道を控えるよう要請した[294][295]。遺体の損傷は激しく、全員のDNA型鑑定が必要な他、対面確認時の家族らの精神的ショックなどに配慮し、京都府警が手続きを慎重に進めたため、身元特定は難航した[296]が、2019年7月25日、京都府警は死亡した34人全員の身元を特定したと発表[297]。すでに遺族に対する遺体の引き渡しが始まっており、警察は身元の公表時期や方法について京都アニメーション側と協議していた[297]。7月27日に更に1人が死亡した。
その後、8月2日に遺族と実名報道の了承が得られた10名の氏名を公表した[298]。公表直後に1人の遺族より京都府警を通して匿名への変更を希望する申し出があり[299]、フジテレビは犠牲者1人の犠牲者の実名報道を控え[300]、NHKは一旦発表した犠牲者1人の記事を削除した[301][302]。一方、翌日の全ての全国紙は10人全員を実名報道し、中日新聞・産経新聞・日本経済新聞・スポーツニッポン(共同通信社)は遺族の申し出の存在に言及しつつ、実名報道の原則を掲げている[299][303][304][注 19]。8月20日、京都府警が公表を控えていた被害者の身元について、在洛新聞放送編集責任者会議から「事件の全体像が分からない」との懸念を踏まえ、「過去の事件に比べても極めて異例」として速やかな公表を求める申し入れ書が提出され、先例を作らないよう要請された[307]。
8月27日、京都府警は氏名未公表だった25人の犠牲者について、25日に最後(全員)の葬儀が終わったことにより実名を公表した[308][309]。同時に、京都府警は25人中20人については遺族が公表に難色を示したり拒否をした、また遺族の中でも意見が分かれる事例があったと発表した[310][311]。一方で、遺族の一部は「そのような(公表を拒否するような)発言はしておらず、公表に前向きである」と府警の発言を否定するコメントを出している[312]。また公表当日、実名報道を了承した遺族の一人が伏見警察署で記者会見に臨み、犠牲となった息子の経歴や事件発生以降の様子を語ると同時に「決して『35分の1』ではなく、息子や被害者の個々の名前を長く残してほしい」「宇治、伏見に行けば息子の名前が見られる、慰霊碑のようなものを残してほしい」と述べた[313][314]。
残り25人の犠牲者の氏名が公表された当日のテレビ局、および翌日の全国紙は全て実名報道を行った[315]。一方で、一部の報道機関は実名報道を見合わせた[316]。実名を報道した報道機関並びに京都府警察は、次のような声明を出している[注 20]。
NHKは、事件の重大性や命の重さを正確に伝え社会の教訓とするため、被害者の方の実名を報道することが必要だと考えています。そのうえで、遺族の方の思いに十分配慮をして取材と放送にあたっていきます。—NHK NEWS WEB(2019年8月27日)[309]
朝日新聞は事件報道に際して実名で報じることを原則としています。犠牲者の方々のプライバシーに配慮しながらも、お一人お一人の尊い命が奪われた重い現実を共有するためには、実名による報道が必要だと考えています。—朝日新聞(2019年8月28日朝刊1面)
毎日新聞は、事件や事故の犠牲者について実名での報道を原則としています。亡くなった方々の氏名を含め正確な事実を報じることが、事件の全貌を社会が共有するための出発点として必要だと考えます。遺族の皆様への取材に関しては、そのご意向に十分配慮し、節度を守ります。—毎日新聞(2019年8月28日朝刊1面)
産経新聞は不条理な形で肉親を奪われた遺族の悲嘆を深く受け止めます。一方で性別と年齢だけでは失った存在の大きさを伝えられません。優れた作品を世に送り出した一人一人が刻んだ人生を実名によって伝えることこそが、悲しみを社会で共有し、卑劣な犯罪を検証して、再発防止につながる道になると考えます。—産経新聞(2019年8月28日朝刊28面)
日本経済新聞は殺人など重大事件の報道で、尊い命が失われた重い現実を社会全体で共有し、検証や再発防止につなげるために犠牲者を原則実名報道としています。今回も事件の重大性を考慮し、実名で報じる必要があると判断しました。—日本経済新聞(2019年8月28日朝刊40面)
京都新聞社は、犠牲者全員の身元を実名で報じます。関係者の安否を正確に伝え、事件を社会全体で共有するには、氏名を含む正確な情報が欠かせません。尊い命を奪われた一人一人の存在と作品を記録することが、今回のような暴力に立ち向かう力になると考えています。これまでの取材手法による遺族の痛みを真摯に受け止めながら、報道に努めます。—京都新聞(2019年8月28日朝刊1面)
ご遺族と、実名に反対している京都アニメーション側の意向を丁寧に聞き取りつつ、葬儀の実施状況などをみて広報の方法と時期を慎重に進めた結果だ。(理解が得られたかは)人それぞれだが、丁寧に説明を尽くした。(臆測が飛び交うなど)匿名によるデメリットも考慮した。—京都府警・西山亮二捜査1課長、毎日新聞(2019年8月28日朝刊29面)
10月3日、19社の東京都所在の報道各社で構成される在京社会部長会は、今後は速やかに被害者の実名を公表するよう警察庁に対し申し入れを行った[318]。だが、10月4日に死亡した社員についても、京都府警は翌日の死亡発表の時点では氏名の公表を控えた。そして11日、遺族は実名報道を拒否しているものの、葬儀が終わったことと「事案の重大性と公益性を勘案した」という従来と同じ理由により公表に踏み切った[319][320]。
前述のように第一審の初公判では犠牲者36人のうち19人は匿名とされたが、『京都新聞』は第一審の初公判を報じた2023年9月6日の朝刊で、犠牲者36人全員の氏名を一覧で報じ、その理由については以下のように説明した[247]。
事件で奪われたお一人お一人の命の重さを伝えるとともに、事件の全体像を社会で正確に共有するには、実名の報道が欠かせないと考えるからです。ただし、審理を伝える記事で、匿名審理となった被害者の実名については、掲載の是非を慎重に判断します。—京都新聞社、[247]
その後、遺族による被告人質問の詳報では匿名化された犠牲者の遺族については「被害者「別表1のXX」の〔続柄〕」と、実名で審理された犠牲者の遺族については「寺脇晶子さんの夫」「武本康弘さんの父親」などの形で表記されている[321]。
多くの遺族の反対を押し切り、8月27日に京都府警が実名を公表し、報道機関が実名報道したことには、SNSなどで議論を呼んだ[315][316][322]。なお、この事件の犠牲者の実名報道については、警察庁が京都府警に遺族の同意を得るよう指示し、それを受けて府警は取材の可否や窓口の有無をマスメディアに通達した[323][324][注 21]。
この事件ではメディアスクラムを避けるため、報道各社で取材を拒否する遺族の意向を共有し、なるべく各社まとめた形で取材を行い、且つ遺族の自宅周辺などの聞き込み取材は最小限に留めるなどの対策が取られた[316][326]。一部の遺族は、夜中に帰宅した際に強引にテレビ局から取材を申し込まれた、撮影のために勝手に遺影や遺骨を動かされたと批判している[327][328]。京都アニメーションの八田社長夫妻も、事件当日の夜は自宅がテレビ局の車両に囲まれていたために帰宅できなかった[47]。
その後もスタジオや社員の自宅をマスメディアが囲み続けたため、代理人弁護士の桶田は定期的な情報提供と引換に撤収を求めた[47]。遺族の勤務先に取材に訪れた記者や、葬儀会場で遺族を無断撮影しようとして警察官から退出を求められた記者もおり、そうした遺族と記者の間で起こったトラブルリストが京都府警の警察官の間で共有されていた。犠牲者の実名発表が行われた8月27日の夜、代表記者が(記者会見を行った1遺族を除く)犠牲者宅24軒を訪問したが、6軒で京都府警の支援要員により門前払いを受けた。京都新聞の記者が来訪を詫びた手紙を書き置いても、読むつもりはないと複数の遺族から抗議を受けた[329]。
京都新聞社はこの事件で取材する側の経緯[330]、これまで被害者を匿名にしたことや、警察発表をそのまま記事にしたことにより遺族から反発を受けた過去を説明すると共に[331]、国会議員が総理大臣官邸へ実名報道を控えるよう要請した経緯(#政界の対応)を、警察の権力行使への介入として問題視している[332]。京都新聞社の社員である広瀬一隆は、不正確な情報の流布防止および将来的な検証可能性のための実名報道の必要性を主張している[333]。
過去にメディアスクラムによる報道被害を受けた犯罪被害者遺族(神戸連続児童殺傷事件・桶川ストーカー殺人事件など)からも、社会の一員としての責務や犠牲者の名誉、時間と共に遺族とマスコミとの関係が変化すること(例えば遺族が法や制度の不備を改正するよう求めるキャンペーン活動を始め、マスコミがそれを報じる)などを理由に、実名報道の意義を指摘する声が挙がっている[334][335][336]。
一方、報道機関における実名報道の必要性について一貫した論理の欠如があるという主張[337]、警察による実名発表の場が記者クラブに独占されている問題があるという主張[338]、マスメディアによる実名報道の真の動機は捜査当局から情報のコントロールを奪うためという主張[339]、マスメディアが事前に犠牲者の個人情報を把握しておきながら警察発表まで待ち、実名の真偽の責任を警察に負わせているとして矛盾があるとする主張[322][340][注 22]などもある。
本事件と類似する[345]、2021年12月17日に発生した北新地ビル放火殺人事件においては、本事件とは異なり(身元確認に時間を要する)焼死者はいなかったものの、被害者の実名は判明直後に公表・報道された[346]。
事件発生から2日後の7月20日から8月25日までの約1か月間、京都アニメーションは事件現場から約100メートル離れた京阪電鉄六地蔵駅付近に献花台を設けた[401][402]。
2019年9月21日、(この時点での)犠牲者35人を悼む会が京都市で非公開の形式で開かれ、遺族や負傷者および社員ら約250人が出席し、献花や写真を交えた犠牲者の思い出の語り合い、遺族への12人の作画担当社員による肖像画や遺品などの贈呈が行われた[403][404][47]。
2019年11月2日から4日まで、京都市勧業館にて「お別れ そして志を
事件発生から1年となる2020年7月18日の10時30分より、京都アニメーションはYouTubeの公式チャンネルにて、追悼映像として関係者の匿名弔電を公開した[411]。同時刻、第1スタジオの跡地では追悼式が営まれ、京都アニメーションの社員や社長である八田英明の9人、30遺族85人の合計94人が参列した。遺族の一人が代表して弔辞を、続いて八田が挨拶文を読み上げた[412]。追悼式の終了後には、喪服姿の社員など約100人が跡地を訪れた[396]。20遺族は代理人弁護士を通じ、これまでに受けた支援に感謝する声明を発表した[413]。
事件発生から2年後の2021年7月18日、第1スタジオの跡地では追悼式が催され、26家族68人の遺族と同社関係者ら、計約70人が参列した。社長の八田は「犯人が憎いです」「みなさん一人一人に、守れなかったことを本当に申し訳なく思っています。心から謝罪致します」と、今までには無かった表現も交えて、追悼の言葉を述べた[414]。また、取締役の石立太一も挨拶に立ち、「(2年たっても)ふと思い出して胸を締め付けられる」「皆さまに愛され、その思いを抱いて頑張っていた皆の思いを後世に残していきたい」と語った[415]。
約5年が経過した2024年7月14日には宇治市内の公園に設置された「志を繋ぐ碑」(詳細後述)の公開に合わせた設置報告会がおこなわれ、遺族や従業員など93人が参加した[84]。
※肩書きは事件当時のもの。
京都アニメーションは、国内外から支援を申し出る連絡が多く寄せられていることに感謝を述べ、支援金預かり専用口座を開設すると発表した[456][457]。
7月24日18時に口座が開設され、7月25日15時時点で個人を中心とした約2億7432万円の寄付金が集まった。同社の代理人弁護士である桶田は「障害を負った方の今後の生活も考えたら、少なくとも数十億円規模の財団を形成しないと、被害回復は図れない」と話した[458]。
その後、8月2日15時の時点で6万1885件の寄付があり、合計で16億2226万円に達したと公表された。寄付の大半は1万円以内のものであったなど、内訳も明らかにされた[459]。
その後も支援は続き、8月16日15時の時点で約7万2000件の寄付があり、合計で19億9800万円に達したと公表された。支援金は遺族への見舞金や被害者の治療費のほか、会社の再建などに充てるとしていた[460]。
9月20日15時の時点で義援金は、合計25億8590万1823円集まり、全額を京都府が設置した義援金受入専用口座に移管したことを発表した。義援金は同府が設置した義援金分配委員会により適切に配分されていると伝えている[461]。
10月2日、参議院議員会館にてマンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟の総会が行われ、その場で京都アニメーションは寄付金を事業再開には使わず、全て遺族や負傷者のために使うと発表した[462]。
10月18日、記者会見にて前日までに寄せられた義援金は31億9244万円(18万653件)に上り、遺族や被害者に分配する方針であることを改めて発表した[391]。
10月31日に義援金の受付は締め切られ、最終的な総額は33億4138万3481円に達した[463]。
2020年2月28日、下記4点の条件の下、京都府の義援金配分委員会は心の傷も考慮した上で、無傷の1人を含む社員70人およびその遺族への配分額が決定した。具体的な内容は非公表[464][465][466]。
一部の遺族または負傷者は、受け取りを辞退した[467]。その後、ある遺族は福岡市民防災センターに、VR・AR防災体験装置を寄贈した[468][469]。別のある遺族は、犠牲者の母校に本棚を寄贈した[470]。
京都アニメーション制作の作品のロケ参考地も、各地独自に京都アニメーションへの支援に向けた行動や哀悼の意を示している。
事件発生後、この事件に関連した事件やこの事件を模倣した事件が発生した。
宇治市の「お茶と宇治のまち歴史公園」(京阪宇治駅近く[573])に「志を繋ぐ碑」という名称で建立されて2024年7月14日に公開され、犠牲者36人を象徴する36羽の鳥が羽ばたくデザインである[84][574]。宇治市は「慰霊碑ではなく、本事件に関わったすべての人びとの志を繋ぎ、長く記憶に留める象徴」としており、碑への献花や供え物を控えるよう呼びかけている[574]。これとは別に事件現場に慰霊碑が非公開で設置される予定である[84]。
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