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点火するための装置 ウィキペディアから
ライター (lighter) とは、火をつけるための装置である。その多くでは何らかの燃料を消費する燃焼式が主流であるが、電熱式もある。
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近代以降よりさまざまな創意工夫が凝らされたライターが開発されてきた。ライターと、燃料やその他消耗品を組み合わせることで、簡便な着火を可能としている。
小型のものは、主にタバコに着火し喫煙するために、タバコと共に携帯して使われる。古くからある携帯機器であるため、さまざまな意匠を凝らした製品も多く、利用者の趣味性に応じてさまざまな製品が利用されている。
ガスコンロやストーブの奥まった場所にあるバーナーや花火などへの着火を目的とした柄の長いもの、仏壇のろうそく用の小さなもの、風のある戸外の墓参り時における線香着火を目的とした大型の風防を備えたものなど、用途に応じてさまざまに変化した製品が存在する。こと線香や業務用のコンロなど着火対象が明確な製品に関しては○○着火器(〜ちゃっかき)などと呼ばれる製品群も存在する。
着火し易い燃料に、点火機構により瞬間的に高温を発生させるなどして種火とし、目的の可燃物に炎を移す。従って燃料切れのライターでも点火機構のみにより、可燃ガス等になら点火できる事もある。
使用する燃料によってオイルライターやガスライターなどの種類がある。燃料および点火機構においてはいくつかの様式が存在するが、それぞれに利点と欠点がある。
燃料を安定して供給し安定した着火性能を発揮するために、液体または気体の燃料を利用する。固体燃料の製品は近年では一般に市販されていない。
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電熱線に通電し赤熱させて、タバコや葉巻を接触して点火する。炎が無いので風の影響がほぼ無い。
電熱式の車載用シガーライターはアメリカで1920年代中期以降にアフターパーツとして出現、1950年代には純正装備として普及した。
1940 - 1950年代に流行した。電熱線が赤熱できるだけの電流を流さねばならず比較的容量の大きな電池を必要としたため、電池が重く電池の持ちもあまりよくなかったために、今日では一次電池を用いるものはほとんどない。日本でも、立石電機株式会社(現・オムロン)が1948年(昭和23年)当時に製造・販売していた[2]。
現在は、小型軽量でタバコ専用のUSBを電源として用いる充電型が、日本や中国のメーカーから市販されている。タバコよりも太く硬い葉巻には使えない。
2015年ごろから、ガス・オイル等の燃料を使わず、二次電池を内蔵する電気式(USB充電式)だが電熱線を用いるのではなく昇圧回路による放電のみで対象物に着火させる「プラズマ放電ライター」「アーク放電ライター」等と称する、中国製と思われる商品がネット通販などで販売されはじめている。こちらは、たばこ用だけでなく、アウトドア用の長めのサイズのものもある。現状、スイッチが二重化されていて誤操作に対する配慮がなされている商品はあるものの、点火スイッチそのものの押下圧は軽く、チャイルド・レジスタンス面では不安がある。
1990年代、アメリカ合衆国では幼児によるライターを使用した火遊びに起因する事故や火災が問題視されるようになったことから、1994年7月12日以降、幼児の誤使用を防ぐためのチャイルド・レジスタンス機構(CR)を備えないライター、幼児が興味を引かれかねない意匠やギミックを備えたライター(ノベルティ・ライター)の製造・輸入が禁止された。後に同様の問題は欧州でも指摘され、EU圏内でも2002年以降、同様の規制が敷かれている[3]。具体的には、幼児の握力を超える強さでないと着火出来ない・着火には押し回しなどの操作を要することとされる(幼児は一度に二つ以上の操作は出来ない)。
2010年(平成22年)3月以降、立て続けにライターの悪戯を原因とする幼児の焼死事故が発生したことから、経済産業省が中心となって「消費経済審議会製品安全部会ライターワーキンググループ」により、ライターの機構や形状に関する規制が検討された。
実際に2010年(平成22年)12月27日からは、燃料を使うライターが消費生活用製品安全法の「特別特定製品」に指定され、事業届出、技術基準への適合、登録検査機関による証明書などの義務を履行したうえでPSCマークを表示することが要求されることになった。チャイルドレジスタンス機能はJIS S 4803:2018あるいは同等なものが要求される。(例えば、42 kNの操作力を要するなど)
2011年(平成23年)9月27日より、PSCマークが表示されていない、従来のCR機構を持たない100円ライター、おもちゃのような形状を備えるライターは販売禁止となった[4]。電熱式や2年のメーカー保証を付けた繰り返し利用出来るライターは対象外。2段階式、簡単に着火出来ないライター以外は販売できなくなった(例外規定有り)。
なおこういった機構の採用は複雑化に伴うコスト増加や「使い易さ」の低下が予測されており、握力の低下した高齢者では不便になるとも見られている。過去に使い捨てライター大手の東海はチャイルドレジスタンス機構を採用した製品を150円で「先行販売」したが、売り上げが伸び悩み、製造を中止したこともある[5]。のちに旭電機化成で「チャッカマン」用の、女性や高齢者向け補助具が別に考案発売された。
なおこの規制は使い捨てライターや点火棒(喫煙用ではない長い多目的ライター)で保証期間の短い製品(2年未満)に適用される[6] ため、ライターメーカーの中には逆に道具としての使いやすさを求め高齢者向けとして、敢えてコスト上昇を受け入れ燃料用ガスの再充填が可能な保証期間を2年に設定した、仏壇まわりなどで使いやすい形にした製品を製造・販売しているところもある[7]。
喫煙者は社会的な風潮から年々減少傾向にあるため、今日ではライターを持ち歩く人も減りつつある。
安価な使い捨てライターは、一般小売店の店頭販売価格が4個で税抜き100円程度からあるほか、日本国内においては喫茶店やバーなどのノベルティグッズとして、また煙草のカートン購入や新製品のプロモーションのための付加価値として、無料で入手する途は多い。
しかし、ファッションという点からみると財布やハンカチ以上に絶好の個性主張のできるアイテムにもなりうるため、百貨店の喫煙具売り場などでは多種多様なライターが販売されている。例えば、オイルライターでは高いブランド力を持ち着火とは直接関係のない装飾のバリエーションを幅広く展開してコレクターを生んでいる老舗メーカーがあったり、また男性向け・女性向け装身具の一種として洗練された装飾を備えた高級ガスライターもある。
他方、有償のライターの中には、実用性を追求したもの(例:着火性と防風性を高めたターボライター)や多機能化を図ったもの(例:LEDライト付き)もある。ちなみに、現在では多数のコレクターがいるジッポーのライターも、その登場時においては実用性を追求した(それ以前のライターに比べて大幅な防風性アップを果たした)製品であった。
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火縄式のライターは古くからあり、広く使われた。
ヨーロッパでは17世紀末にはフリントロック式銃の機構を利用して火口に点火する thinder lighter あるいは tinder pistol と呼ばれるものが発明されていた。18世紀初頭に作られたものは多数が現存する。
近代的なライターの開発は、1903年にカール・ヴェルスバッハが、高効率の火打石の合金を発明し特許を取得したことから盛んになった。1913年には、ロンソン社が現代のライターの原型を製造、販売を開始。1932年にはアメリカでジョージ・ブレイスデルが耐風ライターのジッポーを発明。
1946年、フランスのフレミネール(FLAMINAIRE)が液化気体燃料を使ったガスライターを発明。着火性の良さと燃料の持ち、臭いの少なさなどのメリットによりライターの主流になった[8]。
1965年、フランスのBIC社が樹脂製の燃料槽を持つ安価な使い捨てガスライターを開発。高級ライターが主流だった時代は人前で使うことを嫌う人もいたが、マッチに変わる手軽な点火器として急速に普及した。日本では1977年に消費生活用製品安全法で携帯用簡易ガスライターとして認定され、国産化が進んだ[9]。
最初に実用化されたライターは、1772年(安永元年)に平賀源内の発明した、火打石にバネ仕掛けの小さなハンマーを打ち付けて点火する、モグサを燃料として使用した物である。このフリントロック式銃の点火機構によく似た「刻みたばこ用点火器」は広く普及したという記録も無いが、当時の好事家には大変好まれたらしい。1827年に考案されたマッチより歴史が古い。
なお鉄砲研究家の澤田平によると鉄砲火打と呼ばれる携帯型ライターが寛永年間(1624年〜1645年)に日本各地の時計師、鉄砲鍛冶師によって製作されていた。
近代に入るとマッチ工業が盛んになり、点火器は忘れられていた。ライターの国産化は1914年(大正3年)日本郵船会社の船員であった本城真玄がアメリカで入手したオイルライターを参考に生産を始めたのが始まりで、魔法燐寸の名で売り出した。フリントだけは自製できずドイツから輸入したが、その後国産化に成功した[10]。
1941年、日本におけるオイルライターの生産は第二次世界大戦の開戦により中止された。フリントに使われるセリウムはサーチライトに使われるアーク灯の電極として使用されている。終戦後、進駐してきた米軍人が使うオイルライターに刺激を受けて生産が再開された[11]。朝鮮戦争期にはピストル型やカメラ型のライターのような変形ライターが駐留軍人に土産物として受け、以降の輸出に繋がった[12]。
1959年時点で国産ライターの生産量のうち8割が輸出されていた[11]。この頃アメリカでノベルティとしてタバコの柄をデザインしたライターがアメリカで出現し、安価な日本製を使用した。年間600万ダース以上を出荷する一大ブームとなったが1961年頃に収束し、生産体制を拡張していた国内メーカーは大きな打撃を受けた[12]。