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日本の政治家 ウィキペディアから
二之湯 智(にのゆ さとし、1944年〈昭和19年〉9月13日 - )は、日本の政治家。
二之湯 智 にのゆ さとし | |
---|---|
生年月日 | 1944年9月13日(80歳) |
出生地 | 日本 京都府京都市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 |
所属政党 |
(自由民主党(茂木派・谷垣G)→) 無所属 |
称号 | 法学士(慶応義塾大学・1968年) |
親族 |
長男・二之湯武史(元参議院議員) 次男・二之湯真士(元京都府議会議員) |
内閣 |
第1次岸田内閣 第2次岸田内閣 |
在任期間 | 2021年10月4日[1] - 2022年8月10日[2] |
選挙区 | 京都府選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2004年7月26日 - 2022年7月25日 |
第69代 京都市会議長 | |
在任期間 | 1999年5月24日[3] - 2001年5月29日[3] |
選挙区 | 右京区選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1987年 - 2003年 |
その他の職歴 | |
第53代 全国市議会議長会会長 (1999年6月23日[4] - 2001年5月22日[4]) |
国家公安委員会委員長(第98・99代)兼国土強靱化担当大臣兼領土問題担当大臣兼国家公務員制度担当大臣兼内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)[5]、総務副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)[6]、総務大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)[6]、参議院文教科学委員長[7]、同決算委員長[7]、参議院議員(3期)[7]、京都市会議長(第69代)[3]、京都市会議員(5期)[7]、自由民主党参議院政策審議会会長[7]、全国市議会議長会会長(第53代)[4]などを歴任。
1957年、三重県の小学校を卒業[8]。京都市立四条中学校、京都市立西京高等学校卒業。1968年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学時代は中村菊男ゼミで国際政治学を学んだ[9]。
1969年から国立京都国際会館に勤務するが、「世界を知りたい」と思い、退職し1972年にアメリカ合衆国に遊学[10]。
1983年、衆議院議員・野中広務後援会連合会事務局長に就任する。
1987年、42歳の頃に右京区から京都市会議員に初当選する。以来連続5回当選する。
1999年には京都市会議長、第53代全国市議会議長会会長に就任。
2004年7月、第20回参議院議員通常選挙に出馬し初当選。自民党内では平成研究会(津島派)に所属。
2007年8月29日以降、第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣で総務大臣政務官(地方行財政、消防の担当)[9]。
2010年7月、第22回参議院議員通常選挙において再選。
2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[11][12]。
2013年、長男二之湯武史が第23回参議院議員通常選挙で滋賀県選挙区より神道政治連盟の後援を受け自民党公認で初当選し、参議院で54年ぶりとなる親子同時在職となった[13]。同年9月、自民党京都府連会長の座を退く[10]。
2014年9月3日、第2次安倍改造内閣で総務副大臣に就任[10]。同年12月25日、第3次安倍内閣で総務副大臣に再任[10]。
2016年7月、第24回参議院議員通常選挙において3選。
2021年6月6日、翌年7月の第26回参議院議員通常選挙に立候補せず引退する意向を示した[14]。
同年10月4日、第1次岸田内閣で国家公安委員会委員長として初入閣。続く第2次岸田内閣でも再任された。
2022年5月、ロシアのウクライナ侵攻に伴うロシア政府による日本への報復措置(ロシア連邦への日本政府の政策に対する報復措置に関してのロシア外務省声明)によって、ロシア連邦への入国を恒久的に禁止された[15]。
内閣府特命相・国家公安委員長職は「クビにならない限り続ける」と宣言しており[16]、参議院議員の任期満了後も8月10日の内閣改造まで民間人閣僚の形で続投した[17]。
政界引退後は地元の京都市右京区で「子ども食堂」の運営を始めた[18]。また京都陸上競技協会会長に就任している[19]。
国家公安委員長在任中に奈良県奈良市に於いて安倍晋三銃撃事件が発生したことへの責任から内閣府より打診があった2023年秋の旭日大綬章への叙勲を辞退した[20]。
2023年11月、翌年の京都市長選挙に立候補を表明している次男の二之湯真士を支援するとして、自民党に離党届を提出した[21]。自民党は2024年2月6日の党紀委員会で離党を了承した[22]。
二之湯が代表を務める2つの政治団体ならびに資金管理団体において、2010年、2012年、2014年に計1070万円が政治資金収支報告書に虚偽・不記載されているとの告発があった[43]。
2013年12月6日、特定秘密保護法の参議院本会議採決で反対票を投じたが、これについて、「議場が混乱していて、賛成票を投じたつもりが慌てて間違った」と述べた[44]。
2014年3月12日の参議院本会議でおこなった代表質問の内容を公明党の要求に応じて事前に修正した。当日の代表質問では「子供を産み、立派に育てることが国家に対する最大の貢献」から「国家に対する貢献」の部分を削除し、「子供を持つことが社会人としての義務」との表現は「子供を持つことを望まない人たちが増えている」と修正した原稿を読み上げた[45]。
二之湯の公設秘書を勤めていた男性が、秘書だった時期の2010年9月に京都市内の不動産会社社長宅で発生した強盗致傷事件に関わっていたとして、2018年11月8日に同容疑で京都府警察に逮捕された[46]。
2022年2月10日、自民党京都府連が国政選挙の前に候補者から集めた現金を地元の地方議員に配っていたことが文藝春秋により報じられた[47]。二之湯は現金を配っていた事実は認めたものの、「買収や選挙活動の対価という意図はない」と違法性を否定[48]。一方で、2014年に作成したとみられる内部文書には、「候補者がダイレクトに議員に交付すれば、公職選挙法上は買収と言うことになりますので、京都府連から交付することとし、いわばマネーロンダリングをするのです」と記されていた[49]。
「二之湯」は全国に77世帯ほどの珍しい苗字で、二之湯が電話で問い合わせたところ、その人たちのルーツはいずれも三重県いなべ市員弁町宇野であった[8]。二之湯姓について、二之湯智は子供の頃、父に「どうして二之湯という名前をつけたのか」とたずねると父は「うちの先祖は百姓であるから、明治時代になって適当につけたのだろう。」と言っていたという[8]。また二之湯智は田舎の親類の法事の席上で古老から「江戸の末期、このあたりに二番目のため池ができた。そのため池にちなんで二之湯としたらしい。」と解説してもらっている[8]。
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