伊勢崎市
群馬県の市 ウィキペディアから
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伊勢崎市(いせさきし)は、群馬県の南部に位置する市。施行時特例市に指定されている。
いせさきし 伊勢崎市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 群馬県 | ||||
市町村コード | 10204-1 | ||||
法人番号 | 8000020102041 | ||||
面積 |
139.44km2 | ||||
総人口 |
210,693人 [編集] (推計人口、2025年1月1日) | ||||
人口密度 | 1,511人/km2 | ||||
隣接自治体 |
前橋市、桐生市、太田市、みどり市、佐波郡玉村町 埼玉県:本庄市、深谷市 | ||||
市の木 | マツ | ||||
市の花 |
ツツジ(春) サルビア(夏) キク(秋) スイセン(冬) | ||||
伊勢崎市役所 | |||||
市長 | 臂泰雄 | ||||
所在地 |
〒372-8501 群馬県伊勢崎市今泉町二丁目410番地 北緯36度18分41秒 東経139度11分49秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
1940年(昭和15年)の市制施行当時の区域は旧佐波郡。現在の市域は旧佐波郡(佐位郡・那波郡)・勢多郡(南勢多郡)・新田郡の区域で構成される。人口増加率は県内有数の伸びを示している。東に隣接する太田市(人口は約22万人・県下3位)と僅かの差で拮抗しており、両市とも人口は増加している。
戦国時代、那波顕宗の領地であった赤石の地を金山城城主由良成繁が奪い、この地に伊勢宮(現存しない)を建てたことで、いつしか赤石の地名が伊勢崎となったといわれる。
江戸時代には、稲垣長茂が1万石として入封し伊勢崎藩が立藩、城下町が形成されるに至った。2代重綱の代に越後へ転封となり、前橋藩酒井忠行の次男酒井忠能が2万2500石として入封。忠能も小諸へ転封となり、前橋藩酒井忠清の次男酒井忠寛が2万石として入封した。以降、幕末まで忠寛の家系9代忠彰まで続いた。
江戸時代には絹の生産が盛んであった。江戸時代には太織として関西に出荷されるに至っていた。明治期には「伊勢崎縞」として名をはせ、大正期には銘仙が一世風靡した。隣接する桐生市と並び絹織物(伊勢崎銘仙)が有名となり、「上毛かるた」では、「め」の札に「銘仙織出す 伊勢崎市」として採録された。戦後はウール絣など新たな技法が生まれた。昭和50年、伊勢崎織物組合の規定する織物を「伊勢崎絣」の名で国の伝統的工芸品の指定を受けた。今では銘仙は製作されていない。
現在は市の積極的な誘致により郊外に広大な工場が建設され、北関東有数の工業都市である。製造品出荷額は1兆円を超え、太田市に次いで県内第二位の地位を持つ。
近年は郊外型店舗の進出が著しく、特に伊勢崎オートレース場付近(群馬県道2号前橋館林線沿い)の発展が目立つ。その一方で中心市街の空洞化が進んでいる。
市内にある伊勢崎駅は、東武鉄道の主力路線で大動脈路線である「東武伊勢崎線」の起終点であり、両毛を結ぶJR両毛線の中間駅である。
関東平野の北西部に位置し、市内南部を流れる利根川を隔てて埼玉県と隣接する。市の中心部までの距離は群馬県の県庁所在地である前橋市から約15 km、高崎市から20 ㎞、東京都心(日本橋)から約95 km。
伊勢崎市の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.6 (65.5) |
25.4 (77.7) |
28.0 (82.4) |
31.5 (88.7) |
36.0 (96.8) |
40.2 (104.4) |
40.3 (104.5) |
40.5 (104.9) |
39.0 (102.2) |
33.5 (92.3) |
27.9 (82.2) |
25.4 (77.7) |
40.5 (104.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.4 (48.9) |
10.4 (50.7) |
14.0 (57.2) |
19.6 (67.3) |
24.9 (76.8) |
27.6 (81.7) |
31.2 (88.2) |
32.5 (90.5) |
28.2 (82.8) |
22.3 (72.1) |
16.8 (62.2) |
11.8 (53.2) |
20.7 (69.3) |
日平均気温 °C (°F) | 4.1 (39.4) |
4.9 (40.8) |
8.4 (47.1) |
13.7 (56.7) |
19.1 (66.4) |
22.6 (72.7) |
26.3 (79.3) |
27.4 (81.3) |
23.5 (74.3) |
17.6 (63.7) |
11.6 (52.9) |
6.3 (43.3) |
15.5 (59.9) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.6 (30.9) |
0.0 (32) |
3.1 (37.6) |
8.2 (46.8) |
13.9 (57) |
18.5 (65.3) |
22.4 (72.3) |
23.5 (74.3) |
19.8 (67.6) |
13.6 (56.5) |
6.8 (44.2) |
1.5 (34.7) |
10.9 (51.6) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.8 (19.8) |
−5.6 (21.9) |
−4.2 (24.4) |
−0.6 (30.9) |
5.6 (42.1) |
11.6 (52.9) |
16.5 (61.7) |
16.5 (61.7) |
9.3 (48.7) |
3.1 (37.6) |
−2.5 (27.5) |
−5.6 (21.9) |
−6.8 (19.8) |
降水量 mm (inch) | 28.8 (1.134) |
25.3 (0.996) |
49.8 (1.961) |
73.8 (2.906) |
99.3 (3.909) |
139.9 (5.508) |
190.4 (7.496) |
169.9 (6.689) |
184.4 (7.26) |
149.7 (5.894) |
43.0 (1.693) |
27.1 (1.067) |
1,176.5 (46.319) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 2.9 | 3.6 | 6.6 | 7.8 | 9.4 | 11.7 | 14.3 | 10.8 | 11.5 | 8.8 | 5.3 | 3.7 | 96.0 |
平均月間日照時間 | 217.9 | 201.0 | 211.3 | 205.8 | 201.9 | 140.7 | 149.5 | 169.5 | 138.6 | 153.4 | 177.1 | 203.3 | 2,177 |
出典:気象庁(平均値:1998年-2020年[1]、気温極値:1998年-現在[2]) |
旧・伊勢崎市
旧・赤堀町
旧・東村
旧・境町
旧・伊勢崎市
新・伊勢崎市
永禄4年(1561年)に由良成繁が赤石城を攻め落とし、赤石郷の一部を伊勢神宮に寄進して、伊勢宮を守護神として奉った。以来、「伊勢の前(いせのさき)」と呼ばれるようになり、転じて「伊勢の崎」、「伊勢崎」となったとされる。
読み方は清音の「いせさき」が正しく、「いせざき」は誤り。しばしば混同されるのは横浜市中区の「伊勢佐木町」(明治7年(1874年)〜)で、こちらは「いせざき」と読む。また、高知県高知市の「伊勢崎町」は同じ漢字であるが「いせざき」と読む[4]。
人口は約21万人。人口増加率は県内有数の伸びを示している。東に隣接する太田市(人口は約22万人・県下3位)と僅かの差で拮抗しており、両市とも人口は増加している。
隣接する太田市や大泉町と共に、市内にはペルー人やブラジル人が多く在住しており、2022年(令和4年)12月末時点で14,045人、全人口の15%を占める[6]。この数は県内の自治体では最も多く、県内の外国人登録者数の約5分の1を占める[7]。2015年頃のペルー人の人口は、全国の在日ペルー人の5%にあたる2,300人[8]。
伊勢崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 伊勢崎市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 伊勢崎市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
伊勢崎市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
旧・伊勢崎市
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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初代 | 板垣源四郎 | 1940年(昭和15年)11月9日 | 1946年(昭和21年)11月16日 |
2 | 斎藤弥三郎 | 1947年(昭和22年)4月10日 | 1951年(昭和26年)4月4日 |
3 | 大澤三郎 | 1951年(昭和26年)5月1日 | 1955年(昭和30年)4月12日 |
4 | 久保田三郎 | 1955年(昭和30年)5月2日 | 1959年(昭和34年)5月1日 |
5 | 下城義三郎 | 1959年(昭和34年)5月2日 | 1962年(昭和38年)5月1日 |
6 | 中澤豊七 | 1962年(昭和38年)5月2日 | 1967年(昭和42年)5月1日 |
7 | 下城義三郎 | 1967年(昭和42年)5月2日 | 1970年(昭和45年)4月30日 |
8 | 下城雄策 | 1970年(昭和45年)5月7日 | 1993年(平成5年)1月17日 |
9 | 高橋基樹 | 1993年(平成5年)3月1日 | 2001年(平成13年)2月27日 |
10 | 矢内一雄 | 2001年(平成13年)2月28日 | 新市制施行後も継続 |
新・伊勢崎市
市内に於ける大字廃止事業は完了しており、市内に大字は存在しない。
※旧伊勢崎町には大字が存在しなかったため、旧伊勢崎町内の地名は全て通称町名である。
町名 | 旧住所 | 現在の町名 | 行政区 | 備考 |
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(大字無し) | 佐位郡伊勢崎町 →佐波郡伊勢崎町 |
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昭和42年(1967年)住居表示実施に伴いJR両毛線以南が分離。 昭和45年(1970年)町名制定により消滅。 |
栄町 | 佐位郡伊勢崎町(旧城内) →佐波郡伊勢崎町(旧城内) |
曲輪町の一部 | 栄町区 | 大正3年成立。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
上町 | 佐波郡伊勢崎町(紺屋町) | 曲輪町の一部 | 上町区 | 昭和15年(1940年)成立。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
泉町 | 佐位郡伊勢崎町(袋町) →佐波郡伊勢崎町(袋町) |
曲輪町の一部 | 泉町区 | 昭和15年(1940年)成立。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
新町 | 佐位郡伊勢崎町(新町) →佐波郡伊勢崎町(新町) |
本町、大手町の各一部 | 新町区 | 明治16年(1881年)相生町を編入。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
日吉町 | 佐位郡伊勢崎町(八軒町、片町) →佐位郡伊勢崎町(八片町) →佐波郡伊勢崎町(八片町) |
本町、大手町の各一部 | 日吉町区 | 明治9年(1876年)成立。 大正5年(1916年)改称。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
桜町 | 佐波郡伊勢崎町(立花町) | 平和町の一部 | 桜町区 | 昭和15年(1940年)成立。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
福住町 | 佐波郡伊勢崎町(日吉町) | 平和町の一部 | 福住町区 | 昭和15年(1940年)成立。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
旭町 | 佐波郡伊勢崎町(日吉町) | 平和町の一部 | 旭町区 | 昭和15年(1940年)成立。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
立花町 | 佐位郡伊勢崎町(同心町) →佐波郡伊勢崎町(同心町) →佐波郡伊勢崎町(立花町) |
大手町の一部 | 立花町区 | 大正5年(1916年)改称。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
紺屋町 | 佐位郡伊勢崎町(紺屋町) →佐波郡伊勢崎町(紺屋町) |
大手町、本町の各一部 | 紺屋町区 | 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
西園町 | 佐位郡伊勢崎町(川久保) →佐位郡伊勢崎町(西久保) →佐波郡伊勢崎町(西久保) |
若葉町の一部 | 西園町区 | 明治9年(1876年)成立。 昭和15年(1940年)改称。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
町名 | 旧住所 | 現在の町名 | 行政区 | 備考 |
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広瀬町 | 佐位郡伊勢崎町(中島) →佐位郡伊勢崎町(広瀬町) →佐波郡伊勢崎町(広瀬町) |
上泉町の一部 | 広瀬町区 | 明治9年(1876年)改称。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和27年(1952年)大字今泉のうち上泉町に編入され消滅。 |
川久保町 | 佐位郡伊勢崎町(川久保) →佐位郡伊勢崎町(川久保町) →佐波郡伊勢崎町(川久保町) |
若葉町の一部 | 川久保町区 | 明治9年(1876年)改称。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
西町 | 佐位郡伊勢崎町(西町) →佐波郡伊勢崎町(西町) |
三光町の一部 | 西町区 | 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
川岸町 | 佐位郡伊勢崎町(川岸町) →佐波郡伊勢崎町(川岸町) |
三光町の一部 | 川岸町区 | 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
宮本町 | 佐位郡伊勢崎町(裏町) →佐波郡伊勢崎町(裏町) |
本町、三光町の各一部 | 裏町区 | 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和15年(1940年)改称。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
東町 | 佐波郡伊勢崎町(錦町) | 中央町の一部 | 東町区 | 昭和15年(1940年)成立。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
本町一丁目 | 佐位郡伊勢崎町(本町) →佐位郡伊勢崎町(本町一丁目) →佐波郡伊勢崎町(本町一丁目) |
本町の一部 | 本町一丁目区 | 明治16年(1881年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
本町二丁目 | 佐位郡伊勢崎町(本町) →佐位郡伊勢崎町(本町二丁目) →佐波郡伊勢崎町(本町二丁目) |
本町の一部 | 本町二丁目区 | 明治16年(1881年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
本町三丁目 | 佐位郡伊勢崎町(本町) →佐位郡伊勢崎町(本町三丁目) →佐波郡伊勢崎町(本町三丁目) |
本町の一部 | 本町三丁目区 | 明治16年(1881年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
本町四丁目 | 佐波郡伊勢崎町(本町三丁目のうち六間道路以東) →佐波郡伊勢崎町(本町四丁目) |
本町の一部 | 本町四丁目区 | 明治43年(1910年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
本町五丁目 | 佐波郡伊勢崎町(錦町) | 本町の一部 | 本町五丁目区 | 大正4年(1915年)鍛冶塚から改称。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
住吉町 | 佐波郡伊勢崎町(南町一丁目) →佐波郡伊勢崎町(住吉町) |
緑町の一部 | 住吉町区 | 大正15年(1926年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
幸町 | 佐波郡伊勢崎町(住吉町) | 中央町の一部 | 幸町区 | 昭和15年(1940年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
南町一丁目 | 佐位郡伊勢崎町(釘打郭) →佐位郡伊勢崎町(本町南) →佐位郡伊勢崎町(南町一丁目) →佐波郡伊勢崎町 |
緑町、本町の各一部 | 南町一丁目区 | 明治16年(1881年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
南町二丁目 | 佐位郡伊勢崎町(釘打郭) →佐位郡伊勢崎町(本町南) →佐位郡伊勢崎町(南町一丁目) →佐波郡伊勢崎町 |
緑町、本町の各一部 | 南町二丁目区 | 明治16年(1881年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
南町三丁目 | 佐位郡伊勢崎町(釘打郭) →佐位郡伊勢崎町(本町南) →佐位郡伊勢崎町(南町一丁目) →佐波郡伊勢崎町 |
緑町、本町の各一部 | 南町三丁目区 | 明治16年(1881年)成立。 昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和42年(1967年)住居表示実施に伴い消滅。 |
町名 | 旧住所 | 現在の町名 | 行政区 | 備考 |
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下植木 | 佐位郡殖蓮村大字下植木 →佐波郡殖蓮村大字下植木 |
昭和町、宮前町、東本町、下植木町の各全域および三和町の一部 | 昭和町区、宮前町区、本町六丁目区、本町七丁目区、書上町区 | 昭和45年(1970年)消滅。 |
上植木 | 佐位郡殖蓮村大字上植木 →佐波郡殖蓮村大字上植木 |
本関町、鹿島町、上植木本町の各全域及び三和町の一部 |
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昭和45年(1970年)消滅。 |
八寸 | 佐位郡殖蓮村大字八寸 →佐波郡殖蓮村大字八寸 |
豊城町、上諏訪町、日乃出町の各全域 |
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昭和45年(1970年)消滅。 |
曙町 | 佐位郡殖蓮村大字上植木(間之原組) →佐波郡殖蓮村大字上植木(間之原組) |
三和町の一部 | 曙町区(全域) | 昭和15年(1940年)通称町名として成立。 昭和45年(1970年)消滅。 |
堤町 | 佐位郡殖蓮村大字上植木(堤原組) →佐波郡殖蓮村大字上植木(堤原組) |
三和町の一部 | 堤町区(全域) | 昭和15年(1940年)通称町名として成立。 昭和45年(1970年)消滅。 |
書上町 | 佐位郡殖蓮村大字下植木(書上組) →佐波郡殖蓮村大字下植木(書上組) |
三和町の一部 | 書上町区(全域) | 昭和15年(1940年)通称町名として成立。 昭和45年(1970年)消滅。 |
植木町 | 佐位郡殖蓮村大字上植木(西根組) →佐波郡殖蓮村大字上植木(西根組) |
鹿島町の一部 | 植木町区(全域) | 昭和15年(1940年)通称町名として成立。 昭和45年(1970年)消滅。 |
中下町 | 佐位郡殖蓮村大字上植木(中屋敷組、下西根組) 佐波郡殖蓮村大字上植木(中屋敷組、下西根組) |
鹿島町の一部 | 中下町区(全域) | 昭和15年(1940年)通称町名として成立。 昭和45年(1970年)消滅。 |
下諏訪町 | 佐位郡殖蓮村大字八寸(小齊組) →佐波郡殖蓮村大字八寸(小齊組) →伊勢崎市大字八寸(諏訪町) |
日乃出町の一部 | 下諏訪町区(全域) | 昭和15年(1940年)通称町名として成立。 昭和45年(1970年)消滅。 |
神谷町 | 佐位郡殖蓮村大字八寸(神谷組) →佐波郡殖蓮村大字八寸(神谷組) →伊勢崎市大字八寸(神谷町) |
日乃出町の一部 | 神谷町区(全域) | 昭和15年(1940年)通称町名として成立。 昭和45年(1970年)消滅。 |
町名 | 旧住所 | 現在の町名 | 行政区 | 備考 |
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今泉 | 佐位郡茂呂村大字今泉 →佐波郡茂呂村大字今泉 |
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昭和5年(1930年)からは南小学校区となる。 昭和45年(1970年)消滅。 |
茂呂 | 佐位郡茂呂村大字茂呂 →佐波郡茂呂村大字茂呂 |
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昭和45年(1970年)美茂呂町区の一部から新栄町区が成立し、南地区に移管される。 昭和54年(1979年)広瀬川西岸が広瀬小学校区となり、同時に新栄町区が茂呂地区に復帰する。 21世紀初頭消滅。 郵便番号は372-0034(現在の茂呂町一丁目、二丁目と同じ)であった。 |
茂町 | 佐位郡茂呂村大字茂呂(久保組) →佐波郡茂呂村大字茂呂(久保組) |
茂呂南町の全域および羽黒町、ひろせ町の各一部 | 茂町区(全域) | 昭和54年(1979年)広瀬川西岸が広瀬小学校区となる。 21世紀初頭消滅。 郵便番号は372-0036(現在の茂呂南町と同じ)であった。 |
町名 | 旧住所 | 現在の町名 | 行政区 | 備考 |
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羽黒団地 |
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羽黒町の全域 | 羽黒団地区(全域) | 昭和45年(1970年)大字茂呂(茂町)、馬見塚町(馬見塚淵町)の各一部から通称町名として成立。 昭和59年(1984年)以降は保泉町域を含む。 21世紀初頭消滅。 |
保泉町 | 佐波郡境町大字保泉 | 羽黒町 | 羽黒団地区(全域) | 昭和56年(1981年)成立。 21世紀初頭消滅。 郵便番号は372-0035(現在使われていない)であった。 |
町名 | 旧住所 | 現在の町名 | 行政区 | 備考 |
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東小保方 | 佐位郡東村大字東小保方 |
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昭和56年(1981年)一部(平井区、八寸区、三室区、下代区、下谷区、下区、新町区)が東村立南小学校(現・伊勢崎市立あずま南小学校)区となる。 郵便番号は379-2223(現在使われていない)であった。 |
旧伊勢崎市名誉市民及び旧境町名誉町民を継承[16]。
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