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安土桃山時代から江戸時代前期の武将、大名 ウィキペディアから
稲垣 重綱(いながき しげつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川家の家臣。上野国伊勢崎藩第2代藩主、越後国藤井藩主、同三条藩主、三河国刈谷藩初代藩主。鳥羽藩稲垣家2代。
稲垣氏は文明年間に、伊勢国から三河国宝飯郡に移住した地侍の家系である。
天正11年(1583年)、三河牛窪城主・牧野康成の家臣(のち徳川氏の直参家臣→伊勢崎藩初代藩主)・稲垣長茂の長男として生まれる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して真田昌幸(西軍)の居城・信州上田城攻めに参加した。
慶長17年(1612年)、父・長茂の死により家督と上野伊勢崎藩1万石の所領を継ぐ。慶長19年(1614年)からの大坂の陣においては酒井家次隊に属して参戦し、戦功を挙げたことから元和2年(1616年)、越後藤井藩2万石に加増移封された。元和6年(1620年)、さらに3000石加増のうえ、越後三条城に居城を移した。慶安元年(1648年)から慶安2年(1649年)の間には、大坂城代も務めている。
慶安4年(1651年)、三河刈谷に移封され、承応3年(1654年)1月8日、72歳で死去した。嫡男の重昌は既に死去していたため、重昌の長男・重昭が跡を継いだ。
父母
正室
子女
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