プリンスホテル
西武グループのホテルチェーン ウィキペディアから
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プリンスホテルは、西武ホールディングス子会社のホテル・レジャー事業会社である株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド(英: Seibu Prince Hotels Worldwide, Inc.)が運営する日本最大のホテルチェーンである。
本社が入居するダイヤゲート池袋 | |
種類 | 株式会社 |
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略称 | SPW[1] |
本社所在地 |
日本 〒171-0022 東京都豊島区南池袋一丁目16番15号 北緯35度43分36.2秒 東経139度42分39.9秒 |
本店所在地 |
〒171-0022 東京都豊島区南池袋一丁目16番15号 北緯35度43分36.2秒 東経139度42分39.9秒 |
設立 | 2021年(令和3年)12月13日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 3013301048431 |
事業内容 | ホテル、ゴルフ場、スキー場などの経営 |
代表者 | 小山正彦(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円(2022年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 西武ホールディングス 100% |
関係する人物 |
堤康次郎 堤義明(元社長) 渡辺幸弘(元社長) 小林正則(元社長) 赤坂茂好(元社長) |
外部リンク | https://www.princehotels.co.jp/ |
西武グループに属し、西武鉄道とともにグループの中核的企業である。国内のホテル・レジャー業界で最大の規模を誇る。東京都心部を中心としたシティホテルやスキー場・ゴルフ場などのレジャー施設、それに併設されたリゾートホテルなどを運営している[2]。
西武グループによるホテル・リゾート事業は、堤康次郎が創業した不動産会社の箱根土地(後のコクド、2006年2月解散、旧プリンスホテルに合併)が主導して計画・立案した箱根・軽井沢などへの観光地への進出を図ったのが源流である。社名は、太平洋戦争敗戦に伴い行われた皇籍離脱後、生活に困窮した旧宮家の土地を購入し、ホテルを開業した事に由来し、旧宮家をグループで雇用することにより、生活の安定に大きく寄与した。長野県軽井沢町千ヶ滝地区にあった皇族・朝香宮家の別邸を改装、1947年にホテルとしてオープンした際、「プリンス・ホテル」と命名したのを起源として(千ヶ滝で後述)、「晴山ホテル」(旧根津嘉一郎別荘。現在の軽井沢プリンスホテルウエスト)がオープンしたのが1950年、その3年後に「品川プリンスホテル」(旧竹田宮邸。現在の高輪プリンスホテル貴賓館)がオープンし、その後続々と開業していった[3]。そういった経緯から東京都港区の高輪や芝公園などの一等地に多くの不動産・ホテルを所有する。品川駅前に位置する品川プリンスホテル(港区高輪)はシネマコンプレックスや水族館などの施設を併設し[4]、客室数で日本一を誇る巨大シティホテルである[5]。
当初は西武百貨店(旧セゾングループ)と近い関係で、堤康次郎の次男・堤清二がプリンスホテルを含むホテル・リゾート事業に関わっていた[6]。国土計画・西武鉄道の創業者である堤康次郎が1964年に死去し、清二が西武百貨店の、三男・堤義明が国土計画・西武鉄道の後継者の座に就くと、清二から義明にホテル・レジャー事業の実権が移る。
西武企業グループが堤義明が率いる西武鉄道グループと、堤清二が率いる西武流通グループ(後のセゾングループ)の2つに分立すると、ホテル・レジャー事業は西武鉄道を中核とする鉄道グループに属することになり、1971年に西武鉄道のホテル部門を独立させる形で「(初代)株式会社プリンスホテル」を設立。康次郎の五男で、西武百貨店寄りの要職に就いていた堤猶二が社長に就任する(後にセゾン下のIHGの社長・東京テアトル社長を歴任)。同氏によって「プリンスホテルスクール」が設立され、各種学校としてホテリエの育成を手がけ始めるが、1976年に笹川良一率いる財団法人日本船舶振興会が支援した「財団法人日本ホテル教育センター」に経営が譲渡され、「専門学校 日本ホテルスクール」として継承されている。ホテル会社によって設立されたホテル養成学校は、プリンスホテルスクールが日本国内では嚆矢であり、その設立には一定の評価がなされている。
1980年代からは大規模なスキーリゾートやシティホテルを首都圏や信越地方、東北地方、北海道を中心に数多く進出させる。時期を前後してアメリカ合衆国(ハワイ、アラスカ、グアム)やカナダ、東南アジア諸国、台湾、オーストラリアなどの海外リゾート企業を買収・提携のうえで進出を行い、バブル景気の中で都心の一等地を多く保有していたプリンスホテルの母体であったコクドは日本一のホテル・レジャー事業を運営する企業へ成長した。コクドの下で行われてきた事業拡大に合わせて資金調達に用いた方法は、膨大な含み益を持つ東京都心の品川や高輪、芝、赤坂といった東京都港区の超一等地の土地を担保に、銀行などから巨額の融資を得て土地を取得。その後、ホテルやレジャー施設を建設して土地の付加価値を高め、値上がりした地価上昇分で更に銀行融資を受けるものであった。苗場プリンスホテルや「赤プリ」の愛称で親しまれた旧赤坂プリンスホテルはバブル期のシンボル的なホテルであった[7]。それにより西武グループオーナー・代表であった堤義明はアメリカの経済誌フォーブスが発表する世界長者番付で一時は総資産額で世界一となったこともある。
日本の経済がバブル景気に突入した1980年代末期から、加速した地価上昇により保有する土地の含み益が大幅に増加すると、さらに積極的にホテル・リゾート事業の拡大を推し進めることになった。1990年代のバブル崩壊後は、地価上昇を前提にした事業計画は軌道修正されたが、平成不況期にあっても、プリンスホテル事業はリストラや事業再編されず、2005年の「東京プリンスホテルパークタワー」の開業まで続けられていた。
2004年、西武鉄道を舞台にした総会屋利益供与事件・有価証券報告書虚偽報告事件により、堤義明が失脚。2006年前半(2005年度末)に西武グループが西武ホールディングスの下で再編される際に、不採算施設については順次、営業終了もしくは不動産と運営権を売却することとなり、それ以外のコクド、(初代)プリンスホテル、西武線沿線施設を除く西武鉄道が所有するホテル・リゾート事業の不動産については「(二代目)株式会社プリンスホテル」のもとに集約・統合された。また、それまでプリンスホテルが発行していた、西武グループのレジャー施設を全て網羅した冊子『レジャーガイド』も2006年版をもって発売終了となった。
2006年の西武グループ再編以前までの「(初代)株式会社プリンスホテル」は、堤義明の計画立案により西武鉄道、伊豆箱根鉄道、近江鉄道、西武不動産といったコクドの傘下企業が主に首都圏と関西で開発した、あるいは地場企業とコクドの合弁や地方自治体の誘致による第三セクター方式で設立した運営会社(海外、苗場スキー場・軽井沢プリンススキー場以外のスキーリゾートなど)が開発した「プリンスホテル」のフランチャイズや客室販売など対外的なマーケティング事業が主体であり、経営自体は各社が行っているため統一的な戦略はなかった。(初代)プリンスホテルの自社物件は「サンシャインシティプリンスホテル」のみである。
2006年7月、高輪地区と品川地区の競合解消のため、2名いた総支配人を1名にし、高輪地区を上位とする地区統合を行なった。2007年12月中に、本社を埼玉県所沢市の西武鉄道本社ビルから、東京都豊島区東池袋のサンシャインシティプリンスホテルへ移転した。
2007年4月1日にホテルブランドの「プリンスホテル」はグレードに応じた3つのカテゴリーに細分化され、シンボルマークを一新した。
2017年7月3日、「パークレジス」と「レジャーイン」のブランドを展開するオーストラリアのステイウェルホスピタリティーグループからホテル事業を買収した[8]。
2018年11月13日、イギリスの高級ホテル「ザ・アーチ・ロンドン」買収を発表。同社では最上級ブランドと位置付けて新設した「ザ・プリンス・アカトキ」へと2019年9月16日にリブランドされた[9]。
2019年4月15日に本社を東京都豊島区南池袋の西武ホールディングス新本社ビル「ダイヤゲート池袋」14階・15階へ再移転した。
2021年12月に、ホテル・レジャー事業の運営会社を2022年4月にプリンスホテルから西武・プリンスホテルズワールドワイドに変更することを発表した[1]。
2022年2月、プリンスホテルが持つ31施設をシンガポールの政府系投資ファンドGICに売却することを発表。同時に、それらの施設での受託運営権を取得することも発表した[10]。
かつてプリンスホテルの事業法人であった旧プリンスホテルの2022年4月以降の沿革については、西武リアルティソリューションズを参照。
景色が良い場所に立地している事が多いため、窓が大きく、カーテンも壁面に隠れる設計になっている。建物が円筒形や三角形だったり、全層吹き抜けのアトリウムを採用する等、特徴的な構造のホテルも複数運営している。
ホテルでのディナーショーは、プリンスホテルが先駆けた。1978年に東京プリンスホテルに3千人収容の大宴会場「鳳凰の間」が開業する際、「空間を利用してお客の育成、開発を考えよう」という堤義明の発想により、当時、五木ひろしの米国ラスベガス公演成功を知った堤は、ディナーショー形式でそのまま鳳凰の間に持ってきた。このディナーショーは大成功を納め、以降様々な有名人のディナーショーが開催されることになった。芸能人の結婚披露宴やドラフト会議で有名な新高輪プリンスホテルには5千人収容の「飛天」など、多くの主宴会場(ホール)を有しており、空間を売る一つの戦略である。
堤義明が幼少期時代の堤家はまだ貧しく、食糧不足を経験した経緯から社員に食べ残しについて厳しく指導していた。ホテルのレストランについても食べ残しを減らす観点から堤がビュッフェを推奨した関係で、プリンスホテルにはビュッフェ形式があるレストランが多い。
プリンスホテルの最高級ブランドであり「フラグシップ」に位置づけられている。
ラグジュアリークラスのホテル。6施設が該当する。海外の「マウナケアビーチホテル」も含まれる。
プリンスホテルのうち都市部に所在する上級の施設に対して設定されたブランドで、「○○プリンスホテル」から「グランドプリンスホテル○○」に改称された(大阪ベイを除く)。4施設が該当する。
宿泊に特化した次世代型のホテルとして、全国各都市(首都圏、地方都市、新幹線停車駅や地方空港周辺都市など既存タイプのホテルが出店していないエリアをメインとする予定)に展開予定。
プリンスホテルが「プリンスホテル&リゾーツ」と位置づけているその他の宿泊施設。
※狭山スキー場は西武レクリエーションが運営している。
プリンスホテル(コクド・西武鉄道・伊豆箱根鉄道の保有・運営施設を含む)は堤義明の意向などで進出した地方などで不採算の施設も多く、2004年に発覚した西武鉄道株式の有価証券報告書虚偽記載問題による上場廃止で着手された経営再建にあたり、約40箇所の施設を売却または閉鎖した。売却先の意向によって転売されたり、営業終了を検討している施設もあり、運営面で険しい道のりが課せられている。また、プリンスホテルの売店などで販売されていた西武グループのレジャー施設を網羅した冊子『プリンスホテルレジャーカタログ』も、2005年版を最後に発行を中止している。
※印はコクド・プリンスホテルの譲渡後に転売もしくは営業休止された施設
以下の施設(スキー・ゴルフリゾート)はシティグループのシティグループ・プリンシパル・インベストメンツ・ジャパン株式会社に売却され、転売されなかった施設については子会社のウィンターガーデン・リゾーツが運営を担っている。
以下の施設はルートインジャパンへ売却された。
以下の施設はアパグループへ売却された。
カラオケ店チェーン「歌広場」などを運営する株式会社クリアックス系列スタディー(現・株式会社伊東園ホテルズ、東京)は、計3施設を伊豆箱根鉄道、近江鉄道から買収。格安ホテルチェーン「伊東園ホテルグループ」に編入して運営している。
近江鉄道が所有する3施設を売却。
売却施設のうち、田沢湖・野尻湖・徳島・阿蘇の各プリンスホテルはプリンスホテルの運営最終日から10か月間(2008年3月31日まで)、ライセンス契約でプリンスホテルの名称を使用できた。
愛媛県松山市の「道後プリンスホテル」、茨城県水戸市の「水戸プリンスホテル」、北海道紋別市の「紋別プリンスホテル」をはじめ、資本関係は全くないが「プリンスホテル」の名を冠している宿泊施設は日本全国に多々ある。これらは本項の企業が「プリンスホテル」を商標登録する1992年以前から使用していたため、名称の使用差し止めを求めなかったという事情があった。
かつて栃木県塩谷郡藤原町(現:日光市)にあり、火災を起こした川治プリンスホテル、北海道で「室蘭プリンスホテル」などを展開している野口観光とも資本関係はない。
長野県上田市の菅平高原にある「菅平プリンスホテル」は本項の企業と資本関係は無いが、西武鉄道の元社員であった創業者が、堤義明社長から名称使用の許可を得て開業したものである[38]。
2018年4月に開業した東京都北区の「田端プリンスホテル」は「商標権や営業上の利益を侵害している」として、プリンスホテルからホテル名の使用の差し止めを求めて東京地裁に提訴されていたことが、同年6月7日のテレビ朝日『テレ朝news』で報道された[39]。ニュースでも触れられているが、「プリンスホテル」の名前やロゴマークなどは1992年に商標登録されている。同年9月6日、名称などに「プリンス (Prince) 」を一切使わないことで和解が成立し、ホテル名は「田端王子ホテル」に改名された[40]。
滋賀県彦根市にある「ファッションホテルプリンス」、および2012年5月13日に火災が発生し(福山ホテル火災)廃業した広島県福山市のホテル「ホテルプリンス」は無関係。
2008年2月2日と3日の2日間、グランドプリンスホテル新高輪で、日本教職員組合(日教組)の全体集会が予定されていた。ホテルはいったん予約を受理したが、2007年11月になってから、右翼団体の抗議活動による周辺住民への迷惑、特にこの日を中心に行われる入学試験に重大な影響を与えるおそれがあるとして、受け入れ拒否に転じた。
2008年2月には、前年3月に予約を受け付けていた日教組の教育研究全国集会の契約解除通告をめぐり、解約の無効と、使用させる義務があることを確認した東京高等裁判所の仮処分命令を無視して、予定されていた会場の使用を拒否した(宴会場「飛天」で開催されるはずだった)[41]。当日は就職フェア開催を受け入れ、二重予約とした。
これに抗議する意味で、上部組織日本労働組合総連合会がプリンス系ホテル及び関連施設の利用をボイコットする旨を表明した(2009年1月の、日本経団連の新年会に会長が来賓として招かれたが、これにより欠席)。傘下の全ての組合にも同様の行動を呼びかけるという。全国労働組合総連合や全日本教職員組合、日本弁護士連合会も懸念を表明する談話を出した。
2月18日に衆議院予算委員会における山井和則議員からの質問に対し、鳩山邦夫法務大臣は個別の案件についてではなく一般論であるとして、「いかなる紛争であれ、裁判所が公正な審議を経た上で出した裁判、それを無視して、あえてこれに反する行動をとられる当事者がもしいらっしゃるとすれば、法治国家にあるまじき事態である」との見解を示した。また、舛添要一厚生労働大臣は同ホテルが集会参加者の約190室分の予約を取り消したことについて、旅館業法に違反している疑いが濃厚だとの見解を示した[42]。2月21日以降、港区は旅館業法違反の疑いでホテル側から事情聴取を行った。3月28日の再度の事情聴取の際、渡辺幸弘社長は、宿泊契約の解約が旅館業法に違反することについては「反省している」と述べた[43]。
プリンスホテル側は使用拒否の理由として、高裁判決の仮処分命令が出たのは開催予定日の3日前であり、警察当局からの具体的な相談もないことから安全に集会を開催することは困難であること、また、日教組側が周辺住民への事前説明を行っておらず混乱は不可避であったこととする[44]。契約を解除したことについては、予約を受けつけたことが問題の発端とする批判は甘んじて受けるとしつつも、日教組側の説明が実態と大きく異なるものであり、実態を確認したためとする[45]。4月15日、港区はプリンスホテルの「宿泊拒否」が旅館業法違反にあたるとして、口頭で厳重注意する。8月、日教組は刑事告訴し、2009年3月17日、警視庁保安課は、旅館業法違反で、プリンスホテルと渡辺社長ら幹部社員4人と、法人としての同社を書類送検した。2010年7月、起訴猶予処分[46]。
また日教組は2008年3月14日、損害賠償を求める民事訴訟を東京地裁に提起し[47]、2009年7月27日、東京地裁はプリンスホテル側に2億9千万円賠償と謝罪広告を命じる判決を下した(日教組の請求を全面認容)[48]。控訴審となり、2010年11月25日、東京高裁はプリンスホテル側に約1億2500万円の賠償を命じる判決を下した。謝罪広告の請求は認められなかった[49]。双方が上告しなかったため、東京高裁判決が確定した。
子会社のステイウェル・ホールディングスが「ザ・プリンス アカトキ」「ポリシー」「パーク レジス」「レジャー イン・プラス」「レジャー イン」の5ブランドのホテルを運営している。本社所在地はオーストラリアのシドニー。2017年にプリンスホテルがStayWell Hospitality Groupから事業を取得した[50]。
2019年、新ブランドのザ・プリンス アカトキ ロンドンがイギリスに開業した。
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