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日本の政治家 ウィキペディアから
山井 和則(やまのい かずのり、1962年 〈昭和37年〉1月6日 - )は、日本の政治家、立憲民主党所属の衆議院議員(9期)。
山井 和則 やまのい かずのり | |
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2009年10月、厚生労働省にて | |
生年月日 | 1962年1月6日(62歳) |
出生地 | 日本 大阪府大阪市 |
出身校 |
京都大学工学部工業化学科 京都大学大学院工学研究科修士課程 |
前職 |
立命館大学講師 奈良女子大学専任講師 やまのい高齢社会研究所長 |
所属政党 |
(旧民主党→) (民主党→) (民進党→) (希望の党(前原G)→) (旧国民民主党→) (無所属→) 立憲民主党(小勝会) |
称号 | 工学修士 |
配偶者 | 斉藤弥生(大阪大学教授) |
公式サイト | 衆議院議員 山井和則 |
選挙区 |
(比例近畿ブロック→) (京都6区→) (比例近畿ブロック→) 京都6区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 2000年6月26日 - 現職 |
その他の職歴 | |
立憲民主党ネクスト厚生労働大臣 野田佳彦「次の内閣」 (2024年9月30日 - 現職) |
民主党国会対策委員長(第18代)、民進党国会対策委員長(第2代)、民進党国会対策委員長代行、国民民主党国会対策委員長代行、厚生労働大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院懲罰委員長を歴任した。
大阪市生まれ、京都市出身[1][2]。洛南高等学校卒業。京都大学工学部工業化学科卒業。1986年、京都大学大学院工学研究科修士課程を修了し、工学修士号を取得した。その後、松下政経塾に入塾(第7期生)[3]。松下政経塾卒塾後、京都ボランティア協会に勤務。スウェーデンのルンド大学福祉学部研究科への留学を経て、1994年から立命館大学政策科学部で講師を務めた。1995年より奈良女子大学生活環境学部専任講師[3]。
1996年、第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で京都6区から立候補したが、新進党公認の玉置一弥に敗れ、次点で落選した。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、比例近畿ブロック単独で民主党から立候補し、初当選[3]。2003年の第43回衆議院議員総選挙では再度、京都6区から民主党公認で立候補し、自由民主党の菱田嘉明を破り再選[3]。2005年の第44回衆議院議員総選挙では民主党に逆風が吹く中、京都6区で自民党新人の井澤京子を退けて3選したが、井澤に比例復活を許した。2008年、民主党京都府連代表に就任。
2009年9月、鳩山由紀夫内閣で厚生労働大臣政務官(医療以外の厚生労働行政全般の担当[4])に任命され、菅直人内閣まで務める。
2011年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明[5]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では前原誠司の推薦人に名を連ねた[6]。
2012年9月には、城島光力国会対策委員長の財務大臣就任に伴い、後任の民主党国会対策委員長に起用される[3]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、民主党に2005年以上の猛烈な逆風が吹き荒れる中で、京都6区で自民党新人の安藤裕を下し、5選。総選挙大敗による野田執行部の総退陣に伴い、民主党国対委員長を離任。選挙後、民主党代表・海江田万里の下に設置された「次の内閣」において、ネクスト厚生労働大臣に起用され、また衆議院厚生労働委員会の筆頭理事に就任した。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、京都6区で6選[3]。2015年の民主党代表選挙では長妻昭の推薦人に名を連ねる[7]が、長妻は1回目の投票で最下位に終わった(当選者は岡田克也)[8]。
2016年3月、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加し、国会対策委員長代理に就任した[9]。同年9月の民進党代表選挙では前原グループの一員として前原誠司を支援し、前原は蓮舫に敗れたが、山井は代表選後の党役員人事で国会対策委員長に昇格した[10][11]。
2017年9月の民進党代表選挙後の党役員人事では国会対策委員長代行に就任し、蓮舫前執行部との継続性が重視されて前原新執行部に残留したが、事実上の降格となる異例の人事となった[12][13][14]。
10月3日に希望の党に公認申請していたが、3区前職の泉健太、4区前職の北神圭朗と共に府内の申請者が全て公認された。そのため、京都府内の民進党出身者の中では枝野幸男議員を代表とする新党「立憲民主党」に参加する前議員はいなかった[15]。同月の第48回衆議院議員総選挙では2回連続で自身が破ってきた自民党の安藤に1,639票差で敗れ比例復活に回った。11月の希望の党共同代表選挙後の党役員人事では認知症対策推進本部長に就任した[16]。
2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[17]。5月8日、国民民主党の総務副会長ならびに代議士会長に就任した[18][19]。9月11日より国会対策委員長代行[20]。
2019年6月3日、国民民主党に離党届を提出し、立憲民主党会派に入会する意向を示した[21]。同月26日、同党総務会で「国対委員長代行の要職にありながら会期中に重い職責を放棄する無責任極まりない行為で、野党間の連携に水を差しかねない」として離党届を受理せず、山井を除籍処分とする方針を決定[22][23]。同年7月24日の同党総務会で正式に除籍処分となった[24]。26日、立憲民主党会派に正式に参加[25]。
希望の党からの比例復活であったため、比例で競合していた立憲民主党に議席を維持して入党することは不可能であったが、2020年9月に旧党が解党し新たな立憲民主党が誕生したためこれに参加した。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙では、安藤が不出馬となったこともあり直前に出馬を表明した自民党の清水鴻一郎を小選挙区で破り8選[26]。枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では泉健太の推薦人に名を連ねた[27]。
2024年9月30日、立憲民主党次の内閣ネクスト厚生労働大臣に就任[28]。
2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙では、自民党の新人園崎弘道、日本維新の会の前職中嶋秀樹、参政党から出馬した元職安藤らを小選挙区で破り、比例復活も許さず9選。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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落 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 34 | 京都6区 | 旧民主党 | 5万4905票 | 24.14% | 1 | 2/5 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 38 | 比例近畿 | 民主党 | 30 | / | 1/7 | ||
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 41 | 京都6区 | 民主党 | 11万7467票 | 46.89% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 43 | 京都6区 | 民主党 | 13万3708票 | 45.50% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 47 | 京都6区 | 民主党 | 17万6022票 | 57.39% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 50 | 京都6区 | 民主党 | 8万9672票 | 33.55% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 52 | 京都6区 | 民主党 | 10万2030票 | 44.27% | 1 | 1/3 | / |
比当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 55 | 比例近畿(京都6区) | 希望の党 | 10万338票 | 42.28% | 1 | 2/3 | 3/3 |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 59 | 京都6区 | 立憲民主党 | 11万6111票 | 45.25% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 62 | 京都6区 | 立憲民主党 | 9万7542票 | 40.11% | 1 | 1/5 | / |
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