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徳川将軍家歴代の墓所 ウィキペディアから
徳川家霊廟(とくがわけれいびょう)は、江戸幕府の将軍職を務めた徳川将軍家歴代の墓所のことで、江戸(現・東京)の寛永寺と増上寺、及び栃木県日光の輪王寺にある[注釈 1]。江戸時代の華麗な建築技術・意匠の粋を集めた建築群として日光東照宮と並び称されるが、このうち寛永寺と増上寺の霊廟は、大部分の建物が1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。
家康の一周忌を前に(1617年3月〜4月)日光へ分祀された。分祀後の1617年12月に社殿が完成し、東照宮の原型となる。社殿は国宝、神廟他は重要文化財に指定されている。
厳有院(4代家綱)と常憲院(5代綱吉)の霊廟があったが、1945年(昭和20年)、大部分が空襲で焼失。焼け残った以下の建築が重要文化財に指定されている。
8代吉宗、13代家定の宝塔は常憲院霊廟、10代家治、11代家斉の宝塔は厳有院の霊廟の敷地内に建っている。
台徳院(2代秀忠)、崇源院(秀忠夫人)、文昭院(6代家宣)、有章院(7代家継)の霊廟と、9代家重、12代家慶、14代家茂の宝塔があったが、1945年(昭和20年)、大部分が空襲で焼失。焼け残った以下の建築が重要文化財に指定されている。
秀忠夫人崇源院霊廟の一部は鎌倉建長寺に移築された。霊廟跡地は、東京プリンスホテル(文昭院、有章院等)、ザ・プリンス パークタワー東京(台徳院、崇源院等)となっている。
これらの霊廟に祀られていた遺体は、1958年(昭和33年)に改葬され、墓所は増上寺安国殿裏の徳川家墓所に移転している。同墓所の入口の門は、もと文昭院霊廟の奥院の門だったもの。同墓所には以下の8基の宝塔が移築されている。
現存する宝塔の画像
高野山塔頭・蓮花院は松平家時代より徳川家の菩提所・宿坊であった。文禄3年(1594年)の家康参詣を機に大徳院と改称、聖方の本寺となる。
3代家光により初代家康と2代秀忠の霊廟は大徳院にも建築された(徳川家霊台、南院の裏手にあるが、現在は金剛峰寺の所有)。国の重要文化財および世界遺産に指定されている。
明治期に大徳院は他の塔頭寺院と合併して金剛峯寺門前に移り、旧名の蓮花院に復したが、現在も徳川家歴代や大奥関係の位牌が祀られている。ちなみに奥の院には松平秀康および同母の霊屋(蓮花院の所有)があり、そちらも国の重要文化財および世界遺産に指定されている。
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