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日本のテレビバラエティ番組 ウィキペディアから
『とんねるずのみなさんのおかげです。』[注 1]は、フジテレビ系列で1988年10月13日から1997年3月27日まで毎週木曜日 21:00 - 21:54 (JST) に放送されたバラエティ番組である。
とんねるずの みなさんのおかげです。 | |
---|---|
ジャンル | バラエティ番組 / お笑い番組 |
企画 | 石橋貴明、木梨憲武 |
構成 |
秋元康 ほか |
演出 | 港浩一、石井正幸 |
出演者 |
とんねるず (石橋貴明・木梨憲武) ほか |
製作 | |
プロデューサー | 石田弘、港浩一 |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送(※レギュラー版) |
放送国・地域 | 日本 |
火曜ワイドスペシャル版 | |
放送期間 | 1986年11月11日(パート1) 1987年4月7日(パート2) 1987年10月13日(パート3) 1988年3月8日(パート4) |
放送時間 | 火曜日 19:30 - 20:54 |
放送分 | 84分 |
レギュラー版 (363回) (第1期) | |
放送期間 | 1988年10月13日 - 1990年4月5日 |
放送時間 | 木曜日 21:00 - 21:54 |
放送分 | 54分 |
(第2期) | |
放送期間 | 1990年10月11日 - 1994年3月31日 |
放送時間 | 同上 |
(第3期) | |
放送期間 | 1994年10月13日 - 1997年3月27日 |
放送時間 | 同上 |
番組年表 | |
次作 | とんねるずのみなさんのおかげでした |
略称は『おかげです』もしくは『みなさん』と呼ばれている[注 2]。
お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された。
1989年から1994年までの6年間、バラエティ番組で年間平均視聴率1位を記録した。『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』と並ぶ、とんねるずの代表番組の一つである。
元々は火曜日の19:30-20:54に放送されていた『火曜ワイドスペシャル』(後の『カスペ!』)のスペシャル番組だった(パート1 - 4まで)。パート4の1コーナー「仮面ノリダー」のウケも良く、パート5を待たずにレギュラー番組へと昇格した(鹿内春雄会長死去後の混乱もあり、半年後の放送開始となった)。とんねるずの肖像権の複雑化の絡みや、実際のテレビ番組・映画・ドラマ・洋邦の音楽のMVのパロディコントが多い関係で再放送がないものの、放送ライブラリーで番組レギュラー初回の1988年10月13日放送分を閲覧する事ができる。
番組名は本番組の誕生のきっかけだった『火曜ワイドスペシャル』のとんねるず起用を決定した日枝久(同年6月に社長就任)の名を冠して『ヒエダさんのおかげです』にしようと、とんねるずが提案したがスタッフや当時の会長・鹿内宏明(春雄の義弟)の反対により『みなさんのおかげです』に落ち着いた。一方で当時のとんねるずが結成6周年と言う節目もあって『みなさんのおかげです』になったと言われている。
レギュラー放送の放送時間は、当初はTBS『ザ・ベストテン』の他にも、NHK『大河ドラマ』や日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の裏番組に設定することも検討されていたが、『大河ドラマ』と『元気が出るテレビ!!』には視聴率では太刀打ちできないと判断し、最終的に石田弘と険悪の関係にあり[注 3]、かつ出演拒否が相次ぐなど低迷傾向にあった『ベストテン』の裏番組に落ち着いた(『なんてったって好奇心』は日曜20時台へ移動)[1]。港浩一は放送時間決定直後に「『ザ・ベストテン』じゃねえかよ!」と、当初は『ベストテン』に太刀打ちできずに、早期打ち切りになるのではないかと不安に感じていたという[2]。放送開始前に石田はTBSへ出向き、石田は「『ベストテン』のチャートに入ってるうちは、その歌手をうちが触ることはない。入る前とか、落ちた後とかに出演させるんで、どうか理解してほしい」と説明し、これに対してTBSは了承したが[1]、後にその約束は本番組によって破られることになる(後述)。また、港の予想に反して、開始直後から高視聴率を叩き出すことになる(後述)。
レギュラー番組に昇格した1988年10月からは、コントがメインの番組としてはまだ当時珍しかったステレオ放送[注 4]で放映された。当時のキャッチコピーであった「ギャグる、コントる、アドリブる。」の通り、ドラマコントがメインの番組構成で、番組後半にゲストの歌を1曲流すなどの放送内容が中心であり、音声の臨場感を伝える役割を果たしていた。この体制は後番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に至るまで続けられた。後に音楽企画やドラマコントが事実上廃止状態となり、通常のバラエティ番組と同様の内容になったことから、2005年夏頃以降は総集編スペシャルと音楽企画の回を除いてモノラル放送(地上デジタルテレビ放送はモノステレオ放送)へと変更されたが、2008年6月5日以降は、再びステレオ放送へと変更されている。
1990年4月から同年9月までにかけてはとんねるずが日本テレビ系ドラマ『火の用心』の出演に専念するためいったん打ち切り。『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が代わりに放送され、ドラマ収録終了後の10月に番組が復活した。他に1994年4月から9月まで『ラスタとんねるず'94』、1997年4月から6月19日までは『とんねるずの本汁でしょう!!』が放送された。石橋貴明によれば、どちらもプロデューサー・石田弘の糖尿病療養期間のつなぎ番組だとネタにされているが、『ラスタとんねるず'94』の方は表向きの理由であり、放送の裏には1993年12月に宜保タカ子のロケで富士山麓の天然記念物生息地(氷穴)を爆薬などで荒らし、撮影セットのゴミを不法投棄したことが問題となり、当時、各局や各新聞でニュース報道され、スタッフが処分されて番組も半年間収録が出来なくなったというのが実情である。この件に関しては翌1994年1月13日の放送終了時、ブルーバックにお詫びテロップを表示している。
その後、フジテレビお台場社屋移転後の1997年6月26日から、『とんねるずのみなさんのおかげでした』にリニューアルして放送を再開。それに伴い、『おかげです』の最終回は、新聞のラテ欄では終マークはなかった。『おかげでした』では、コントなしでゲストの嫌いな食べ物を見抜く「新・食わず嫌い王決定戦」や「モジモジくん」のコーナーが人気になっている。
コントに登場する名物キャラクターは他のバラエティ番組の追随を許さなかった。チェッカーズや宮沢りえなど、当時一世を風靡した豪華なゲストも毎週出演していた。
木曜21時台という当時では子供向けと言うにはやや遅めの時間帯の番組であったが、「仮面ノリダー」を中心にさまざまなコントキャラクターが子供にも絶大な人気を誇っていた。宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさ、ともさかりえ、松嶋菜々子などを、まだ知名度が高くない時代から抜擢し人気タレントに駆け上がっていった。その一方で、本来ならば子供人気や新人清純派タレントとは相容れない下ネタも多かったが、意味を理解しないまま子供受けしていたのも事実であり、子供人気、新人タレント、下ネタという綺麗なトライアングルを形成できたのはとんねるずのキャラクターによるある種の奇跡である。石橋が女性ゲストにキスをしたり、押し倒したり添い寝をしたり、口に入れたお粥を牧瀬里穂の顔に垂らしたり、赤ちゃん役に扮していた小泉今日子が咥えていたおしゃぶりやイチゴなどを石橋が取り上げて自分の口に入れ「…おいし〜い!」と至福の表情で言う、松嶋菜々子などに下ネタを言わせるなどといったセクハラも目立った。子供への絶大な人気を受け『コミックボンボン』で1990年1月号から4月号にかけてミスター=ヒロ(かみやたかひろの別名義)による漫画が連載され、『月刊コロコロコミック』などでも特集記事が組まれたりしていたが、下ネタギャグに関してはほとんど触れられていなかった。
スペシャル版の放送は、人気絶頂期においては通常の延長よりも長くされており、75分拡大の放送とされることが多く[注 5]、子供からの人気が高かったことから深夜時間帯に差し掛かる直前にエンディングが流れるなどの配慮がされていたほか、稀に夜19時からの放送となることもあった。
2018年3月21日、放送開始30周年記念として、3枚組のDVD-BOX「とんねるずのみなさんのおかげでBOX」が発売。「観賞用」と「保存用」の2パターンがあり、「保存用」に関しては、箱がシールで封がされている。剥がす事は可能だが、その際箱に傷がつく恐れがあり、その際の責任は一切負いかねる[3]。
2019年5月22日には第2弾となる9枚組のDVD-BOX「とんねるずのみなさんのおかげでBOX コンプライアンス」が発売。第1弾のBOXに封入していた「何かあるかも券」3枚を今回のBOXに封入されている専用ハガキに貼って応募すると、スペシャルDVD3枚が応募者全員にプレゼントされる。
上述のように実際のテレビ番組・映画・ドラマ・洋邦の音楽のMVのパロディコントを多く行っていたため、権利をクリアできないそれらに関してはDVDに一切収録されていない(「太陽にほえるな」「北の国から」など収録が許されたコントもある)。
レギュラー版全体を通しての放送回数は363回。
1986年秋に石橋が当時フジテレビの編成局長であった日枝久に「僕らにゴールデンタイムの2時間番組を下さい、視聴率30%とってみせます」と編成部まで行って頼み込んだという。ちなみにこの際、日枝局長に「もし取れなかったらどうする?」と聞かれた石橋は、番組プロデューサーである石田弘を「彫刻の森美術館に飛ばしてください」と言った(石田はその場には居なかった。一方で、30%を達成したらフジテレビの食堂で何を食べてもいいという約束を取り付けた)。
まもなく『火曜ワイドスペシャル』で番組を持たせてもらい、放送が始まった。結果、視聴率30%には及ばなかったものの常に高視聴率を獲得し(平均20.3%。この結果は放送翌日の「夕やけニャンニャン」で石橋の口から発表され、「まあこんなもんだろ、よしよし」と二人は結果に満足していた)、定期的にスペシャルを行った後に1988年10月からレギュラー番組としてスタート。もう一説によるとこの公約を叩きつけた石橋は「20%に届かなかったら笑いの世界から身を引く」と後年TBSの特別番組でそのまんま東の発言によって語られた。
当初の視聴率は15%台を目標としていた[2]。番組開始当初から「仮面ノリダー」のコーナーなどで人気を博し、視聴率も回を追うごとに上昇し、1988年11月3日放送分では24%を記録した[2]。1989年2月2日放送分では27.7%を記録し、開始から半年が経過した1989年3月30日(『とんねるずのみなさんのおかげです春休みスペシャル』)に最高視聴率29.5%[15](関東地区)を記録した(ただし、普段の時間ではなく午後7時スタートのスペシャル版にて)。その後、「仮面ノリダー」終了後も他のコーナーも大人気となり、1989年から1994年まではバラエティ番組年間平均視聴率の第一位を保持、2度にわたる充電期間を経ても人気を保った他、放送開始前に高視聴率を誇っていた『ザ・ベストテン』を開始直後から低視聴率に追いやり、開始から1年後の1989年9月に『ザ・ベストテン』を打ち切りに追い込んだ[5]。
番組晩年にあたる1995年以降も全盛期ほど視聴率は取れなくなったものの安定した数字を残していた。95年は平均視聴率で番組開始以来初となる1位から陥落したものの、4位(3位に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」がランクイン)と高視聴率をキープその後も番組終了まで常にベスト5以内の地位を保った。
1997年3月に放送終了(4月に内容変更・改題などのリニューアル)した。 「おかげです」(8年半を通じて)としての平均視聴率は20.2%(最終回の前週に発表)。9年間で使った予算は186億8900万円(こちらは最終回でダーイシが発言)。
1997年3月27日放送の『おかげです』としての最終回はかつての人気コント「仮面ノリダー」、「保毛尾田保毛男」、「最終回によくある風景」、「太陽にほえるな!」、「貧乏家の人々」など番組の人気コントを全て新作、完結編として放送した。また、番組の冒頭と最後にかつての常連ゲストで番組を愛していた小泉今日子を迎え、石橋扮する石田(ゼネラル)プロデューサーと木梨扮する小港ディレクター(兼プロデューサー)とともに局内に入り「石田プロデューサーの引越しと『みなさん』が終わっちまって大変なんだよォ日記」なるコントを放送。最後は番組を作り終えた石田プロデューサーがテレビマンとして燃え尽き死んでしまいその霊がバブルスとなって木梨、小泉とともに「最後のバァーイ、センキュー」のコールとともに本編は終了。ちなみにこの時、石橋が「以上、みなさんのおかげでした」と発言しているが、これが後継番組のタイトルとして使用されているのと関係があるかどうかは不明である。
そして、ラストはフジテレビ社屋が河田町から現在のお台場に移転したこともあり、とんねるずが歌う当時の番組のエンディングテーマ『テレビ〜時々の神よ〜』をバックに『おかげです』と共に使命を終えた旧社屋の表情を映し、最後は現お台場社屋の屋上でとんねるずが歌っているシーンに繋がるという映像で番組を締めくくった。
『おかげです』終了から20年後、『おかげでした』2017年12月7日放送分で2018年3月22日をもってとんねるずのみなさんシリーズを完結することを発表した。その際に、港浩一が社長を務める共同テレビジョンの社長室にて前述の「ちょっと北の国から」以来15年ぶりに往年のダーイシと小港さんによるコント形式で完結を発表した。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 | |
北海道 | 北海道文化放送 | 同時ネット | ||
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1991年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局[注 9][注 10] |
岩手県 | 岩手めんこいテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1991年4月開局から[注 11] |
宮城県 | 仙台放送 | |||
秋田県 | 秋田テレビ | |||
山形県 | 山形テレビ | 1993年3月25日打ち切り[16][注 12][注 13] | ||
さくらんぼテレビ | 開局前サービス放送期間中の1997年3月20日・27日のみ[17] | |||
福島県 | 福島テレビ | |||
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | 遅れネット | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
長野県 | 長野放送 | |||
静岡県 | テレビ静岡 | |||
富山県 | 富山テレビ | |||
石川県 | 石川テレビ | |||
福井県 | 福井テレビ | |||
中京広域圏 | 東海テレビ | |||
近畿広域圏 | 関西テレビ | |||
鳥取県 島根県 |
山陰中央テレビ | |||
広島県 | テレビ新広島 | |||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 | 遅れネット | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | 途中打ち切り | |
岡山県 香川県 |
岡山放送 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
愛媛県 | 愛媛放送 | |||
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1996年9月打ち切り[注 14] |
高知さんさんテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1997年3月の開局前サービス放送期間中のみ | |
福岡県 | テレビ西日本 | |||
佐賀県 | サガテレビ | |||
長崎県 | テレビ長崎 | 1990年9月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 | ||
熊本県 | テレビくまもと | 1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
大分県 | テレビ大分 | 日本テレビ系列 フジテレビ系列 |
遅れネット[注 15] →同時ネット[注 16] |
1993年9月までは、テレビ朝日系列を加えた3系列クロスネット局 |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | 1994年3月までは、日本テレビ系列とのクロスネット局 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ |
「PITCH&JAB」(第2期) 1990年10月11日~1991年7月?
1994年10月13日〜1996年3月?
1996年4月〜1997年3月20日
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