トップQs
タイムライン
チャット
視点

相楽晴子

日本の女優、タレント、元アイドル ウィキペディアから

Remove ads

相楽 晴子(さがら はるこ、旧芸名:相楽 ハル子(読み同じ)、1968年3月1日[1][3] - )は、日本女優歌手[1]福島県郡山市出身[1]。ニックネームはパル[1]パル子。1995年以降はアメリカ合衆国へ移住し、芸能活動を休止している[4]

概要 さがら はるこ 相楽 晴子, 生年月日 ...
Remove ads

来歴

ドラマデビューまで

福島県郡山市出身。両親は家具店を営んでいた。子供の頃に父親が交通事故で他界。母親は借金返済のため、店を畳んで相楽が12歳の頃に子供達を連れて上京した[5][6]。中学卒業後、ヘアメイクの専門学校への進学準備中、渋谷を友人と歩いていたところをカメラマンにスカウトされてモデルクラブに所属。芸能界デビューのきっかけとなる。 売れっ子モデルとして多数のコマーシャルに出演し「相楽ハル子」の芸名で雑誌の表紙やグラビアも飾るようになるが、女優への道を歩もうと俳優専門のプロダクションに移る[7]

女優・タレント時代

1985年(昭和60年)、フジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で準主役の"ビー玉のお京"・中村京子 役を演じ、人気を博す[1][2][7]。翌1986年5月、同ドラマ挿入歌『ヴァージン・ハート』で歌手デビュー[1]。以降もお京イメージのロック歌謡のシングルをリリースするなど当初はアイドル歌手としてスタートしたが、次第に女優としての評価を高めていく[2][7]

斉藤由貴高井麻巳子と共演した大森一樹監督『恋する女たち』(1986)で映画デビュー。翌1987年にはテレビシリーズの映画版『スケバン刑事』にビー玉のお京役で出演。深作欣二監督『必殺4 恨みはらします』では時代劇に初挑戦し、千葉真一の娘役を演じた[7]

1988年、芸名を本名の「相楽晴子」へ改名。4本目の映画『バカヤロー! 私、怒ってます』で初主演[1]

1989年、阪本順治監督『どついたるねん』でのヒロイン役演技が評価され、キネマ旬報ベストテン毎日映画コンクールヨコハマ映画祭など同年の映画祭助演女優賞を軒並み受賞した[7]。また『アリエスの乙女たち』『おヒマなら来てよネ!』『ADブギ』等のテレビドラマにも数多く出演し、『オールナイトフジ』MCや『天使のU・B・U・G』などバラエティ番組、写真集、CM等、明るく気さくなキャラクターで幅広く活躍した[7][8]

結婚・渡米

1992年、ロサンゼルスで撮影した写真集『MOTHERS』の現地コーディネーターをしていた男性との出会いから遠距離恋愛が始まり、1995年に渡米し結婚[6]。その後、出産を機に女優業を休業。2003年にハワイオアフ島に渡り、2019年からハワイ島に移住した[4]

Remove ads

人物

要約
視点

アイドル時代

ストレートに自己主張する性格で、アイドル時代はファンから「お姉さん」「姉御」「頼りがいがある」というイメージで見られることが多かった[9]

10代のモデル時代から芸能人が集まる六本木ディスコ『プレステージ』などでよく遊んでおり、遊び仲間に梶原真理子吉川晃司風見しんご尾崎豊木村一八などが居た。『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の過酷な撮影やアイドル業のストレスを夜の街で遊ぶことで発散していた[10]。六本木界隈で仕事関係の男性とマネージャーを交えずに飲食などしていたことから噂を立てられ、ドラマのプロデューサーから「いい加減にしないと役から降ろすぞ」と叱責されたこともあったという[11]

女優として

尊敬する俳優として、佐藤浩市の名を挙げている。役者志望だったモデル時代の相楽に、俳優のプロダクションを紹介したのが佐藤であった[12]。 佐藤からは、相楽の出演番組を見て怒られたりストレートに辛辣な忠告を受けることもあった。相楽が光GENJIと一緒に出演していた夕方の番組を見ていた佐藤から、「夕方でどうせ子供が見ていると思って、気を抜いているだろう。そんなことをしていると仕事が無くなるぞ。どんな番組でも私はここにいますっていう絶対的存在感をアピールすれば、晴子のキャラクターっていうのはきっと確立されていくから、手を抜くな。見ている奴は、ちゃんと見ているからな」と忠告され、気楽に番組をやっていた相楽にとって、佐藤の言葉は本当に胸に痛かったと語っている[13]

女優として自身の中でのライバルとして南野陽子の名を挙げている[14]。『スケバン刑事Ⅱ』『アリエスの乙女たち』でも絶えずずっと自分の前におり、その中で共演者として南野の脇を固めなければいけない立場で色々と悔しい思いもさせられ、いつか必ず追い抜いてみせるという悔しさが役者としての向上心に繋がるエネルギーであったと語っている[14]。女優業は本当に神経を使う仕事であるとした上で、当時の南野は完璧主義者でストレスを溜め込んでおり、外で遊ぶことで気持ちを発散できていた自分と異なり、気持ちも行動も内にこもるタイプであった南野は色々な事が鬱積していたのではないかと語っている[15]

交遊関係

東京での第二の父として、俳優の原田芳雄の名を挙げている。とあるきっかけでミュージシャンの桑名正博と仲良くなり、桑名と親交のあった原田の家へ一緒に行く中で、次第に原田家と親しい間柄になった[16]。1988年、木村一八のタクシー運転手暴行事件の際に現場に居合わせていた相楽は、芸能メディアから追及を受けることとなった[8][17]。木村は、幼馴染の相楽に「彼氏ができた」と紹介されたのが原田芳雄の息子の原田喧太であり、暴行事件の真相はタクシー運転手とトラブルになっていた喧太を守るためであったと語っている[18]。相楽は少年院に入った木村に対し喧太が挨拶に行かなかったことから「あんた!誰のために、一八はすべてをかぶったのよ」と叱責したといい、木村は相楽を「とても男前の女だ」と評している[18]

エピソード

  • 番組撮影で札幌に行った際、一人きりのホテルの部屋で誰も来ないと思い安心しきった相楽は灰皿一杯になるまで煙草を吸い、そのまま就寝した。そして『スターどっきり(秘)報告』のアイドル寝起きドッキリとして、レポーターの田代まさしが相楽の部屋に入ってきた。田代は枕元にあった相楽の下着を身に付ける、ストッキングの匂いをかぐなどしてふざけていたが、ベッドサイドにあった灰皿や煙草の箱を見つけると、すぐにカメラをストップさせてそれらをベッドの下へ隠した。この時相楽は寝込んでおり何も気付かなかったが、後からこの話を聞き田代はとても優しい人だと思ったと語っている[19]
Remove ads

ディスコグラフィー

シングル

さらに見る #, 発売日 ...

アルバム

オリジナルアルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...

ベストアルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...

タイアップ

さらに見る 曲名, タイアップ ...

出演作品

テレビドラマ

映画

バラエティ

CM

Remove ads

脚注

Loading content...

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads