佐藤浩市

日本の俳優 (1960-) ウィキペディアから

佐藤 浩市(さとう こういち、1960年昭和35年〉12月10日 - )は、日本俳優。本名同じ[1]

概要 さとう こういち 佐藤 浩市, 本名 ...
さとう こういち
佐藤 浩市
本名 佐藤 浩市(さとう こういち)
生年月日 (1960-12-10) 1960年12月10日(64歳)
出生地 日本 東京都新宿区
身長 182 cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1980年 -
配偶者 元モデル(1986年 - 1989年
広田亜矢子(1993年 - )
著名な家族 三國連太郎(父)
寛一郎(息子)
事務所 テアトル・ド・ポッシュ
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
映画
青春の門』/『敦煌
忠臣蔵外伝 四谷怪談』/『GONIN
美味しんぼ』/『らせん
ホワイトアウト』/『KT
壬生義士伝』/『うつつ
亡国のイージス
ザ・マジックアワー
誰も守ってくれない
少年メリケンサック
最後の忠臣蔵
アンフェア the answer
愛を積むひと』/『HERO
起終点駅 ターミナル
64(ロクヨン)
Fukushima 50
サイレント・トーキョー
太陽は動かない
春に散る
テレビドラマ
炎立つ』/『親愛なる者へ
横浜心中』/『素晴らしきかな人生
恋人よ』/『タブロイド
天気予報の恋人
リミット もしも、わが子が…
天国への階段』/『忠臣蔵1/47
プライド』/『新選組!
クライマーズ・ハイ
官僚たちの夏』/『陽はまた昇る
鍵のかかった部屋
鎌倉殿の13人』/『どうする家康
テレビコマーシャル
麒麟麦酒一番搾り生ビール
トヨタ自動車マークX
受賞
東京国際映画祭
最優秀男優賞
2005年雪に願うこと
日本アカデミー賞
最優秀主演男優賞
1995年忠臣蔵外伝 四谷怪談
2017年64(ロクヨン)
最優秀助演男優賞
2001年ホワイトアウト
2004年壬生義士伝
新人俳優賞
1982年青春の門
ブルーリボン賞
その他の賞
#受賞歴参照
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テアトル・ド・ポッシュ所属。父は俳優の三國連太郎

来歴

要約
視点

東京都新宿区神楽坂出身[2]。幼少期から父親の仕事場だった東映東京撮影所日活調布撮影所松竹大船撮影所に連れて行かれ、早くから映画俳優を志す[3][2]千代田区立富士見小学校[2]千代田区立九段中学校[2]、高校(昭和第一高等学校とされる)を経て、1992年に閉校した専門学校である多摩芸術学園映画学科[注釈 1]中退[2]。同校在籍中の1980年(19歳の時)にNHK『続・続事件』でデビュー[2]

翌年出演した映画青春の門』でブルーリボン賞新人賞受賞。丸の内東映で、スクリーンに映った自分の姿を観て感激し「俳優として生きていこう」と決意した[4][5]

20代から30代前半にかけては脇役の出演が多かったが、『あ、春』『』『KT』で重厚な演技を披露。これらの作品の映画賞獲得における大きな原動力となっている。演技力の高さから舞台への進出も期待されているが、「自分は映像で際立つ役者である」ことを理由に一貫して映像作品への出演を貫いている。

2012年4月、東北芸術工科大学の文芸学科客員教授に就任した。任期は2015年3月31日までの3年間[6][7]

私生活では、1986年モデルの女性と結婚したが、手塚理美との不倫騒動もあり3年後に離婚1993年に舞台女優、広田亜矢子(広田レオナの従妹)と再婚。前妻と現在の妻との間にそれぞれ1児ずつもうけている。現在の妻との間に生まれた息子・寛一郎は俳優[8]。以前よりチャリティ活動やボランティアに理解を示していた妻の申し出を受け入れ、2018年頃から里親制度フレンドホーム)を活用して、児童を一時的に預かる活動をしている[9][10]

2013年頃、心酔していた原田芳雄から歌うことを勧められ、その後原田の追悼ライブで歌を初披露した[2]2020年に還暦を迎えたのとデビュー40周年を記念し、初のアルバム『役者唄 60 ALIVE』を発表[2]。以後、俳優業の傍らブルーノート東京で定期的にライブを開くなど歌手活動も行っている[2]

2019年5月、漫画誌『ビッグコミック』に掲載されたインタビュー記事にて、佐藤が映画『空母いぶき』で総理大臣役を演じた際に、「総理はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらった」「最初は絶対にやりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」などと発言していたことが波紋を呼び、潰瘍性大腸炎を患っている安倍晋三を揶揄したとして批判の声もある一方、演出上の発言であるとして擁護する意見もあった[11][12]

2021年現在のチーフマネージャーは、フジテレビジョンが展開するCS放送チャンネルであるフジテレビONE(旧:フジテレビ721)で放送されているゲームバラエティー番組『ゲームセンターCX』の「2代目AD」の笹野大司である[13]

人物

要約
視点

学生時代

新宿区神楽坂で暮らしていたが、千代田区富士見にある幼稚園に越境入園し[注釈 2]、その流れで同区内の小中学校に進学することとなった[2]。小学5年生の頃に両親が離婚し、以後は飲食店を営む母により育てられた[2]。小学生時代は大人しい性格だったが、体が大きかったこともあってイジメられることはなかった[2]。学校では友達と野球をするなどしたが、越境入学したこともあって家の近所には友達と呼べる存在はいなかった[2]。また、一人っ子だったこともあり、帰宅後は自分で考えて一人で行動していたため、自然と自立心が育った[注釈 3]

先述の通り小学生の頃から映画好きとなり、地上波の映画を見たり親に連れられて映画館で鑑賞していた[2]。中学入学後は、一人でバスに乗って新宿の三番館[注釈 4]や池袋の文芸坐地下劇場(詳しくは新文芸坐を参照)に訪れるようになった[2]。高校生の頃には新宿の牛込文化(ロマンポルノを上映していた三番館)で日活ロマンポルノを鑑賞し、一般映画にも劣らない独特の熱量に魅了されて足繁く通うようになった[注釈 5]

高校2年生の時に実家を出て新宿区早稲田で一人暮らしを始め、喫茶店でバイトをするようになった[2]。本人は不良ではなかったが、体がでかいせいで街で会う不良などからよくケンカを売られており、基本的に相手が3人以上でなければ買っていたとのこと[2]。広く映画の勉強をしたいとの考えから高校卒業後は多摩芸術学園映画学科に進学したが、毎日16ミリフィルムの編集ばかりやらされたことや、講師と編集をめぐる考えが合わずに1年で中退した[注釈 6]

父・三國連太郎との関係

幼少時代、父の三國が家出という形で離婚し母に育てられたため、三國との間に確執があった。子供時代はたまにしか親子3人で食卓を囲めないことを非常に苦痛に感じていた[2]。先述の通り幼い頃に三國に連れられて行った映画撮影所で、スタッフ陣や役者たちの働く様子を見て映画の世界の厳しさを感じながらも、俳優業をする父の姿を見て格好いいと思ったことから、小学生の頃に漠然とではあるが役者に憧れ始めた[2]

多摩芸術学園映画学科中退前後の頃、父の知り合いからNHKのドラマ『続・続事件』のオーディションに誘われ、父に俳優になるつもりであることを報告した上で、役者デビューした[注釈 7]

1986年の映画『人間の約束』で父子初共演。この時点でお互いのわだかまりは消えておらず、直接関わり合う場面は少なかった。

遡ってデビューからしばらくは、どの撮影現場でも「(演技などが)できてない!」と罵倒され、できるまで何度もやらされた[2]。当時本人は知らぬ間に周りに悪い印象を与えていたのか、ほどなくして制作スタッフから陰で“佐藤浩市は生意気だ”と評されるようになったという[2]。30代の頃、その噂を耳にした三國から「生かされてあればこそ」と一筆したためられた書を渡されたのを機に、撮影現場での立ち居振る舞いを気にかけるようになり、役者として成長することができたとのこと[2]

1996年に公開された映画『美味しんぼ』では、雄山役のオファーがあった三國が「主演を佐藤にして親子対決にすること」を提案した。製作会見では互いを「三國さん」「佐藤くん」と他人のように呼び、佐藤が「俳優はサービス業」と発言すると、三國が「サービス業などという考え方は間違っている」と発言。映画の発表会見らしからぬ険悪な雰囲気となり[14]、共演の羽田美智子も言葉を失っていた。だが、後に公開されたメーキング映像では、撮影の合間に2人が談笑する様子も収められている[15]

2000年代に入ると徐々に親子関係は改善の兆しを見せ、いつの間にか親子間の距離も縮まり、自然に和解するような形となった。その「自然な和解」後の2008年ANAの親子共演CMでは仲睦まじい姿を見せており、2009年に出演した『徹子の部屋』では父のことを「努力の人」と語っている。

趣味嗜好

趣味等では、芸能界屈指のゴルフ好きであり、頻繁に練習場を訪れている[16]。「フジサンケイクラシック」、「サントリーオープン」、「日本メディアシステムカップ」などの大会に出場しアマチュア部門で優勝したこともある。年末年始は毎年オーストラリア明石家さんま中村勘三郎などとゴルフなどして過ごす。また、俳優の中井貴一とんねるず木梨憲武とはゴルフ仲間であり、これにヒロミを加えた4人のゴルフ番組がテレビ朝日系列で不定期に放送されている。

江口洋介とは付き合いの長い友人関係を築いている[17]オダギリジョーとはオダギリの初主演作で出世作仮面ライダークウガの現場を息子の寛一郎と共に訪ねた時からの仲である[18]


また、20代からの競馬好きであり、馬のいない東京競馬場のターフビジョンでレースを見るのが楽しいと語る。大泉洋小池徹平蒼井優らと共演したJRAのCM『CLUB KEIBA』も話題となった[19]。また、ペット競走馬の「トウカイテイオー」の名前をつけた。

音楽鑑賞、特にヘヴィメタルを好む。

横浜DeNAベイスターズ(大洋ホエールズ時代から)のファンである[20]

映画エピソード

犬死にせしもの』で組んだ井筒和幸と一緒に映画館でクリント・イーストウッドの『ペイルライダー』を鑑賞した[21]。イーストウッドの大ファンであり、とりわけマカロニウエスタンの『夕陽のガンマン』や『続・夕陽のガンマン』が好きで、イーストウッド以外にも『続・荒野の用心棒』やフランコ・ネロジュリアーノ・ジェンマなどもファンで、テレビの洋画劇場育ちもあり山田康雄小林清志野沢那智納谷悟朗の吹き替えを好む。

前述の井筒は著書で、佐藤の父の三国が主演した水上勉原作・内田吐夢監督『飢餓海峡』を「日本映画の最高傑作!」とまで絶賛しているが、『犬死にせしもの』撮影終了後に「お父さんが演じた飢餓海峡を、いつかやろうよ」とリメイクを仄めかしたことを書いている[22]

アメリカン・ニューシネマの世代であるが「アメリカン・ニューシネマと言われているもののほとんどが駄作だと思っているんです」と評し、「だけど、その中でもポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』という映画は凄く好きでしたね」と言っている。またデヴィッド・リンチ監督のファンでもあり、「『ロスト・ハイウェイ』は凄く面白いのでオススメです」とも言っている。70mmフィルムの大作映画が上映されていた世代でもあり、70mmフィルムの『ポセイドン・アドベンチャー』や『ベン・ハー』を見たのが映画館の思い出であるとも語っている[23]

出演

テレビドラマ

配信ドラマ

映画

ドキュメンタリー

  • 敦煌莫高窟・美の全貌(2008年、NHK総合) - ナレーション
  • プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健インタビュースペシャル(2012年9月10日、NHK総合) - 映画「あなたへ」の共演者として出演
  • TOYOTA MARK X × GOETHEスペシャル番組「MUSEな君と。」(2012年10月 - 12月) - ナビゲーター
  • 戦後70年 千の証言スペシャル「私の街も戦場だった」(2015年3月9日、TBS) - ナビゲーター[72]

その他の出演番組

  • 浩市・貴一・ヒロミも大興奮!超豪華アスリート総出演!!木梨憲武メジャー制覇の旅(2004年6月13日、テレビ朝日)
  • 憲武・浩市・貴一・ヒロミの世界殿堂に挑戦するぞ!SP(2004年7月14日、テレビ朝日)
  • 憲武・浩市・貴一・ヒロミの世界最高峰を体感SP 〜僕たちの全英オープン〜 (2004年12月25日、テレビ朝日)
  • 土曜スタジオパーク『鎌倉殿の13人』特集(2022年4月16日、NHK総合)
  • アッコのいいかげんに1000回(2023年9月2日、ニッポン放送)

CM

ミュージックビデオ

受賞歴

脚注

外部リンク

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