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日本の俳優 ウィキペディアから
小池 徹平(こいけ てっぺい、1986年〈昭和61年〉1月5日 - )は、日本の俳優・シンガーソングライター。本名同じ。ウエンツ瑛士との音楽デュオ・WaTの元メンバー。大阪府南河内郡狭山町(現大阪狭山市)出身。バーニングプロダクション所属。
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こいけ てっぺい 小池 徹平 | |||||||||||
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2019年8月 | |||||||||||
本名 | 小池 徹平 | ||||||||||
生年月日 | 1986年1月5日(38歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・大阪府南河内郡狭山町(現大阪狭山市) | ||||||||||
身長 | 167 cm | ||||||||||
血液型 | B型 | ||||||||||
職業 | 俳優、タレント、シンガーソングライター | ||||||||||
ジャンル | テレビドラマ、CM、映画、演劇 | ||||||||||
活動期間 | 2002年 - | ||||||||||
配偶者 | 永夏子(2018年 - ) | ||||||||||
事務所 | バーニングプロダクション | ||||||||||
公式サイト | 小池徹平オフィシャルモバイル | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『まだ見ぬ父へ、母へ・魂で歌う青い海〜全盲のテノール歌手・新垣勉の軌跡』 『シバトラ〜童顔刑事・柴田竹虎〜』 『鉄の骨』 『ドロクター~ある日、ボクは村でたった一人の医者になった』 『苦くて、甘い~希望の茶~』 『ボーダーライン』 『佐武と市捕物控』 WEBドラマ 『奪い愛、夏』 映画 『KIDS』 『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』 『サラリーマンNEO 劇場版(笑)』 | |||||||||||
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備考 | |||||||||||
音楽デュオ・WaTの元メンバー |
雑誌の活動を経て、2002年に関西テレビ制作のドラマ『天体観測』で俳優デビュー[2]し、ウエンツ瑛士と音楽デュオ・WaTを結成して2005年にメジャーデビューを果たす[3]。同ユニットは、2016年をもって解散となった。
2016年、舞台『1789』『キンキーブーツ』での演技が評価され第42回菊田一夫演劇賞・演劇賞受賞。
「徹平」という名前は父親の好きなマンガ『おれは鉄兵』(作:ちばてつや)から[8]。
左利きであるが、ギター・ボウリング・習字などは右手を使っている。これは元来右利きだったのが、幼少期に左利きの父親の真似をしていたことによって自ずと両利きになり、厳密には矯正による左利きである。左利きであるがゆえに、WaTではお互いの利き腕がぶつからないように、「小池が右・ウエンツが左」と立ち位置が決まっている[3]。矯正左利きで手先が器用でマジックやコンピュータゲームを得意とし[9]、ドラマなどで左手を利き腕にしている事が多い。
趣味は料理と釣り[10]。魚を捌けるようになったのは独学で、YouTubeで色んな人のを見て習得した[10]。父が釣りをしていた影響で、中学生の時にクリスマスプレゼントで竿を買って貰い、一時期釣りに行っていた[10]。
結婚後は義理父と趣味が合うこともあり、泊まりで一緒に釣りへ行くことがある[10]。
特技はヨーヨーが得意で、2011年4月29日放送分の『笑っていいとも!』の『ドヤテクZ』コーナーでハイパーヨーヨーの技術を披露したことがある[11]。
中学生時代は、バスケットボール部に所属していた。空手もやっていたが、「人を殴るのが嫌」という理由ですぐに辞めた[12]。
高校は、大阪府立長野高等学校に入学したが、ジュノンボーイコンテストグランプリ後に、堀越高校ヘ転校した。高校生時代は芸能の仕事が無く、皆勤賞だった[12]。
目標の人物に福山雅治の名前をあげて「ああいう色っぽい大人になりたい」「ああいう音楽と俳優を両立できてる人になりたい」と語っている[13]。
父、母、2人兄弟で弟がいる[15]。
SixTONESの京本大我ははとこに当たる(小池の父と京本の母である山本博美がいとこ同士)。
息子が2人。小池がお酒好きなこともあり、子供が20歳になったら一緒に飲めるようにと長男が生まれた時に梅酒を漬けた[16]。
本人は「基本真面目だけど、マイペース。」 ドラマや映画で共演したキャストやスタッフから、芝居に対する真面目な姿勢や気配り上手な人柄を高く評価されることが多く、シバトラで共演した真矢みきも「叩いたら人間の嫌な部分が出てくるんだろうと思うんだけど、どこからも出てこない(笑)」等と小池の人柄を絶賛している[17]心配性で涙もろい一面もあり、シバトラではプレッシャーから涙を流しながらのクランクアップとなった[18]。コブクロと初対面した時に徹平が「僕等の居場所」を歌った際、お返しにコブクロが「轍」を歌った時にイントロから感激のあまり泣いていた[19]、インディーズのデビューイベントで号泣した[19]。
音楽を始めたのは中学2年の時で、ゆずの弾き語りに憧れてギターを始めたことがきっかけだった[20]。初めて弾いた曲はゆずのシングル「友達の唄」[21]。2012年4月27日放送の音楽番組『僕らの音楽』(フジテレビ)で、ゆずと共演している[21]。
ジュノンボーイコンテスト最終選考会ではコブクロの「轍-わだち-」を歌っている[22]。このとき、演奏中にギターの弦が切れたが演奏を続けてグランプリに選出された[23]。
2002年にウエンツと「WaT」を結成し、「アイドル歌手」ではなくオリジナルの楽曲で代々木公園近辺でストリートミュージシャンの活動から始めた[3]。WaTとして第56回NHK紅白歌合戦と第57回NHK紅白歌合戦に出演した。初出場時にマイクスタンドが倒れ、翌年本番前に楽屋からステージに移動するエレベーターが急停止し閉じ込められたが、56回はマイクなしの生声で歌唱し、57回は本番に間に合った。初出場の第56回はメジャーデビューから2か月だった[24]。
コブクロのファンを公言し、コンテスト最終選考会の他に月光音楽団 (TBSテレビ) にWaTとして出演した際、ストリートミュージシャン時代に歌った「YELL〜エール〜」をカバーした[14]。
ソロデビューは2007年2月の「君に贈る歌/ラッキーでハッピー」で、森永乳業の「アロエヨーグルト」のコマーシャルソングとして使われていた。[25]
前述の通り、「WaT」は2016年2月をもって解散した。
2009年現在で一番大変だった仕事はドラマ『ウォーターボーイズ2』で、撮影期間は一週間のうち6日が撮影で1日はシンクロナイズドスイミングの練習と、過酷であった。撮影まではほとんど泳げずにスポーツジムで練習した。礼儀正しさと芝居に対する真剣さが当時のスタッフから評価され、シンクロの大技である「五段やぐら」を練習している際に肩を脱臼したが撮影を続行している。この際の脱臼はこの後も脱臼癖として残っている[26]。
(2013年、NHK) - 主演・早川広太 役
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | オリコン | 初収録アルバム | |
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1st | 2007年2月14日 | 君に贈る歌/ラッキーでハッピー | CD | UMCK-5163(小池徹平ジャケット盤) | 2位 | pieces |
2nd | 2007年4月25日 | my brand new way/Awaking Emotion 8/5 | CD | UMCK-5169(小池徹平ジャケット盤) | 4位 | |
3rd | 2009年6月24日 | キミだけ | CD+DVD | UMCK-9285(初回限定盤) | 4位 | Jack In The Box |
CD | UMCK-5242(通常盤) |
日程 | 種別 | タイトル | 会場・備考 |
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2009年7月17日 - 8月31日 | コンサートツアー | 小池徹平 SOLO CONCERT TOUR 2009 “1人でもやってますねん” |
19会場21公演
7/17 北海道厚生年金会館 (北海道) ソロデビューから2年を経て敢行された初のライブツアー。 |
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