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日本のテレビ番組 ウィキペディアから
『ママとあそぼう!ピンポンパン』は、1966年10月3日から1982年3月31日までフジテレビで放送された子供向けのテレビ番組。1970年4月1日から1971年10月2日までは「みんなであそぼう!ピンポンパン」と題して放送された。
本項では同番組のリメイク番組として2000年12月4日から2002年4月5日までBSフジで放送されていた『うたであそぼうピンポンパン』についても記述する。
NHKの『おかあさんといっしょ』を意識し、番組の進行を「お姉さん」「お兄さん」などと呼んでいた。また、河童のキャラクター・カータンや巨大な唇がトレードマークの毛虫のキャラクター・デベロンも人気を集めた。また、番組中からいくつか広く歌われるようになった歌も生まれており、中でも1971年発売の「ピンポンパン体操」はオリコンの童謡チャートで1位となり、260万枚[2]を売り上げる大ヒットを記録し、1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞している(同曲を作曲した小林亜星のオフィシャルサイトでは大雑把に200万枚以上[3]としている)。
番組名の由来はプッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」の登場人物で狂言回し役の3人の大臣ピン・ポン・パンPing, Pong, Pangから[要出典]。
番組は当初白黒放送だったが、1971年4月1日からカラー放送となっている。[1]
視聴率は、開始当初から長らく3%前後で伸び悩んでいたが、1971年11月〜12月には「ピンポンパン体操」の人気と共に8.5%にまで上昇[4]。1972年3月には幼児向け番組としては異例となる朝の視聴率が7〜8%、夕方の再放送が9〜10%に達した[5]。
毎回、番組のラストに新兵ちゃんの「おもちゃへいこう!」の掛け声を合図に、出演者の子供たちがスタジオセットの大木、「おもちゃの木」の節の中に用意されたおもちゃを取りに行く様子は、テレビの前の子供たちを羨ましがらせた(このコーナーは2代目お姉さんの時代から定着。ただし、土曜日には無かった)。
1972年、第9回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞[6]。
1975年からの酒井ゆきえお姉さん時代からは、子役グループの「ビッグ・マンモス」がレギュラーに加入、そして酒井時代後期からレギュラーによる、「にっこり町」を舞台にした町内コメディーをメインにする様になった。
1980年ごろから番組も低迷期に入る。後年には、番組の支え役だった河童のキャラクター・カータンが1981年12月31日で卒業し、1982年1月4日から、新キャラクターのバビちゃんを迎えて番組イメージの刷新を図ったが、1982年3月31日に15年半の歴史に幕を閉じた[注 1]。最終回では歴代のお姉さん(初代の渡辺直子はVTR出演)や、坂本新兵・金森勢(初代お兄さんとして紹介された)・石村治樹・カータン・富山敬(ドンピー、ラック、ブチャ役)・富田耕生(デベロン、手羽チキン、ワンダー・ワンタン役)や、番組グループのビッグ・マンモスとレディー・バッグ、音楽担当の服部克久などが出演、そして最後は全員で番組オリジナルソング「レッツゴーともだち」を歌い[注 2]、(井上)「さようなら〜!!」(全員)「さようなら〜!!」と叫ぶと、画面下部に「『さようなら』のむこうは明日のとびら」のテロップが表示されて大団円となった[注 3]。
放送時間はいずれも日本標準時。また移動に関する番組は全て関東地区のもの[8]。
期間 | 放送時間(日本時間) | ||
---|---|---|---|
平日 | 土曜 | ||
1966.10 | 1968.03 | 8:15 - 8:55(40分) | (放送なし) |
1968.04 | 1969.03 | 8:00 - 8:45(45分) | |
1969.04 | 1970.03 | 8:00 - 8:45(45分) | |
1970.04 | 1971.09 | 8:10 - 8:55(45分) | |
1971.10 | 1974.03 | 8:00 - 8:45(45分) | |
1974.04 | 1975.09 | 8:00 - 8:40(40分) | |
1975.10 | 1977.03 | 7:45 - 8:15(30分) | 8:00 - 8:30(30分) |
1977.04 | 1978.04 | 7:30 - 8:00(30分) | |
1978.04 | 1980.03 | 7:30 - 8:00(30分) | |
1980.04 | 1982.03 | 7:30 - 8:00(30分) | (廃枠[注 8]) |
お姉さん役は、フジテレビの若手女子アナウンサーが担当し、当時はアイドルアナウンサーの登竜門だった。
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
童謡以外の、歌謡曲や洋楽のポピュラー・ソングを原曲とする曲が多くみられる。洋楽の中には、日本で一般に知られている訳詞ではなく、子供向けの詞がつけられたものもある。NHK「みんなのうた」で取り上げられた曲と重なるものも多い。
など、童謡多数
放送日 (1982年) | サブタイトル |
---|---|
6月5日 | ピンポンパン工作教室 |
7月3日 | |
7月24日 | うたおうピンポンパン |
8月21日 | ピンポンパン工作教室 |
10月1日 | うたおうピンポンパン2 |
10月8日 | うたおうピンポンパン3 |
系列はネット終了時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 北海道文化放送 | 1972年1月14日のサービス放送開始から番組終了まで[注 10] | |
岩手県 | 岩手放送 | TBS系列 | 現・IBC岩手放送 番組終了まで 1972年10月から1973年9月時点は、月曜 - 金曜 17:00 - 17:45に放送[21]。 |
秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列[注 11] |
1969年10月開局から番組終了まで。 1971年8月から1973年9月時点は同時ネット[22]。 |
山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列[注 12] | 1970年4月開局から番組終了まで。 1971年8月から1973年9月時点は同時ネット[22]。 |
宮城県 | 仙台放送 | フジテレビ系列 | 1967年10月から番組終了まで同時ネット[23]。 |
福島県 | 福島中央テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1971年4月 - 1971年9月に放送。 月曜 - 金曜 17:00 - 17:45[24] |
福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
1973年4月から1975年3月まで放送[25]。 月曜 - 金曜 10:55 - 11:40(1973年4月 - 1973年12月) 月曜 - 金曜 10:45 - 11:30(1974年1月 - 1974年3月) 月曜 - 木曜 10:45 - 11:25(1974年4月 - 1975年3月) | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列[注 13] |
現・NST新潟総合テレビ 1971年10月25日[注 14]から番組終了まで。 |
富山県 | 富山テレビ | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から番組終了まで ただし、開局当初は平日版のみ17時からの放送だった[26] |
石川県 | 石川テレビ | 1969年4月開局から番組終了まで 開局当初から早朝版(月 - 土)と夕方の再放送(平日のみ)共に放送[26] | |
福井県 | 福井テレビ | 1969年10月開局から番組終了まで 夕方枠で放送 | |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | 1975年頃に夕方枠で放送 |
長野県 | 長野放送 | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から番組終了まで ただし、開局当初は平日版のみ17時からの放送だった[27] |
静岡県 | テレビ静岡 | 1968年12月開局から番組終了まで | |
中京広域圏 | 東海テレビ | 1981年3月まで | |
三重県 | 三重テレビ | 独立UHF局 | 1975年頃に夕方枠で放送 東海テレビと並行で放送 |
近畿広域圏 | 関西テレビ | フジテレビ系列 | 土曜版は放送なしの時期あり[28] |
鳥取県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 (およびフジテレビ準系列・NETテレビ準系列) |
1970年3月までの時点では未ネット 1972年9月の山陰相互乗り入れ開始による打ち切りまで |
島根県 ↓ 島根県 鳥取県 |
山陰中央テレビ | フジテレビ系列 | 開局から1972年3月までの正式社名は島根放送(愛称テレビしまね) 1970年4月開局から番組終了まで 1972年9月の山陰相互乗り入れまでは島根県でのみの放送 |
岡山県 ↓ 岡山県 香川県 |
岡山放送 | フジテレビ系列[注 15] | 開局から終了までの愛称はテレビ岡山 1970年4月1日から番組終了まで 1979年4月の岡山・香川相互乗り入れまでは岡山県でのみの放送 |
広島県 | 広島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1972年4月28日から1975年3月28日まで(土曜版は放送なし) 1975年4月から9月は広島県では未放送 |
テレビ新広島 | フジテレビ系列 | 1975年10月開局から番組終了まで | |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列[注 16] |
番組終了まで 1974年3月までは17:00 - 17:45 1974年4月から1975年9月までは17:00 - 17:40 その後は16:45 - 17:15に放送 |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | 1975年頃に夕方枠で放送 |
香川県 | 西日本放送 | 1968年9月30日から1970年3月26日まで | |
愛媛県 | 愛媛放送 | フジテレビ系列 | 現・テレビ愛媛 1969年12月開局から終了まで |
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 1975年頃に夕方枠で放送 |
福岡県 | テレビ西日本 | フジテレビ系列 | |
佐賀県 | サガテレビ | 1969年4月開局から番組終了まで | |
長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1969年4月開局から番組終了まで
[注 17]当局最初のネット番組である |
熊本県 | テレビ熊本 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1969年4月開局から番組終了まで |
大分県 | テレビ大分 | 1970年4月開局から1979年2月まで 土曜版に限り最終回まで[注 18] | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | 1970年4月開局[要検証]から番組終了まで | |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | 1969年4月開局から1981年3月まで[注 19] | |
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 1969年4月のFNN加盟からネットを開始し、日本に復帰した1972年5月から正式に開始、以降番組終了まで |
『うたであそぼうピンポンパン』は、2000年12月4日から2002年4月5日までBSフジで『ママとあそぼう!ピンポンパン』のリメイク番組として放送された子供向けテレビ番組である。放送前に公表された仮題は「デジタルピンポンパン」であった。放送時間は毎週月曜 - 金曜 18:00 - 18:30 (日本時間)。再放送は毎週月曜 - 金曜 8:00 - 8:30 (日本時間)。
BSフジ開局に伴い平日の夕方と朝を中心に編成された子供向け番組群の1つである。同時期に放送された子供向け番組には『PLAY ROOM』『Myポンキッキーズ』『ディズニーGOGO5 アラジンの大冒険』『世界名作劇場 完結版』などがある。
番組進行を務めるお兄さんとして花田勝、お姉さんには西村ちさと、アシスタントのお兄さんとして山元全、高橋竜大が出演した。 番組キャラクターは熊のビンゾー。花田を除いた3人は音楽ユニットTOMATO CUBEのメンバーである。
番組のオープニングはスタジオで出演者と子供達が一緒にピンポンパン体操を踊る。花田が元大相撲力士だったことから、この版では歌詞の「王選手」は「お相撲さん」に改変された。その後はお兄さんお姉さん達がゲームやクイズをするコーナー、『ポンキッキーズ』で放送された歌やショートアニメ、著名人が幼稚園や保育園に赴き子供達と料理や工作などをする様子を撮影したレポートなどで占められた。『ママとあそぼう!ピンポンパン』と内容は異なり、『ポンキッキーズ』のコンテンツやキャラクターを流用・共用した再編集番組の傾向が強い。
同時に放送されたデータ放送では、リモコンのボタンを押すことでタンバリン・トライアングル・カスタネットの音色をテレビの音声に重ねて出すことができた。これらの電子打楽器は番組内で歌や音楽が放送された際に、視聴者の幼児も一緒に演奏をしてもらおうという意図の下で制作されたものである。
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