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サー・クリフ・リチャード(Sir Cliff Richard、OBE、1940年10月14日 - )は、イギリスの歌手。本名はハリー・ロジャー・ウエッブ (Harry Rodger Webb)。
ハリー・ロジャー・ウエッブは1940年10月14日、インドのラクナウで生まれる。1歳の時にラクナウからコルカタに移るが、一家は1947年のインド独立の後、イギリスに帰国する。
16歳の時、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」が停車中の車内から聞こえてきたことに触発され自らスキッフル・バンドを結成。17歳になりロンドンのソーホー地区にあるカフェ・バー「Two I'S」に出演し話題を集めるようになり、当時のコロムビア・レコードの音楽ディレクターでもあるイギリス音楽界の大御所ノリー・パラモァー(自らオーケストラのリーダーでもある)にデモテープを送り認められる。イギリスが生んだ自前のロックン・ローラーが誕生したのである。デビューするにあたり何か良い芸名がないかと考えた末、クリフ・リチャードと決まりバック・バンドがThe Drifters。これがブリティッシュ・ロックの夜明けである。後にこのThe Driftersはシャドウズと改名しクリフとシャドウズとして君臨することとなる。
1958年8月に発売されたデビュー曲「Move It」はブリティッシュ・チャート2位を記録。シャドウズと共に、ビートルズ時代が到来する前の1950年代末から1960年代初めにかけてイギリスのポップミュージック・シーンを席巻した。クリスチャンに改宗後、その音楽はポップスからロック寄りになる。アメリカにおいてはイギリスほどの成功を収めることはなかったが、イギリスでは映画やテレビにおいても成功し、いくつかの国でも同様の成功を収めた。
1970年代初頭はやや落ち着いた活動に終始していたが1979年に「コングラッチュレーションズ」[1]以来、11年振りに『恋はこれっきり』が全英No.1に輝きBBCニュースで速報として伝えられるなど話題となり再び第一線に返り咲いた。これより数年間は本国のみならずアメリカや日本でもヒット曲を量産した黄金期であった。
2002年にはジョン・レノンやポール・マッカートニー、ボーイ・ジョージ、ロビー・ウィリアムズらとともに100名の最も偉大な英国人に選出[2]。
オリビア・ニュートン=ジョンはクリフのバックコーラスを務めていた時期があり、「恋の予感」をはじめとする数多くのデュエット曲を共同で発表するなど、50年以上に渡る長年の友人同士でもあった[3]。
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