久本雅美

日本の女性お笑いタレント、女優(1958-) ウィキペディアから

久本 雅美(ひさもと まさみ、1958年昭和33年〉7月9日 - )は、日本お笑いタレント女優コメディエンヌテレビ司会者。愛称は「マチャミ」「ヒサモト」。

概要 久本(ひさもと) 雅美(まさみ), 本名 ...
久本ひさもと 雅美まさみ
本名 久本 雅美
ニックネーム マチャミ
ヒサモト
生年月日 (1958-07-09) 1958年7月9日(66歳)
出身地 日本 大阪府大阪市東住吉区(現:平野区
血液型 A型
身長 154cm
言語 日本語
方言
最終学歴 金蘭短期大学国文科
出身 劇団東京ヴォードヴィルショー
事務所 WAHAHA本舗
活動時期 1981年 -
現在の代表番組
過去の代表番組
他の活動
親族
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大阪府大阪市東住吉区(現:平野区加美出身。WAHAHA本舗所属。3人兄弟の長女で、1歳下の弟、6歳下の妹(久本朋子)がいる[1]

経歴

要約
視点

生い立ち

1958年7月9日運送業を営む父と保育士の母の長女として大阪府大阪市東住吉区(現:平野区加美に生まれる[2]。父は町内会長や地元の催し物の司会を買って出る人気者だった[2]。にぎやかな家庭で育ったこともあり、大阪市立加美小学校では自作のコントを友達や先生の前で演じて笑わせていた[3]

大阪市立加美中学校を経て大阪府立勝山高等学校に進む。初めて聴いたラジオの深夜放送[注釈 1]の面白さに衝撃を受け、将来はラジオDJになりたいと考えるようになる[2]。親からは大学へ進学するよう言われ、当初は気乗りしなかったものの、見学に行った金蘭短期大学のキャンパスに魅了されて進学を決意した[2]

短大2年次にアナウンサー養成所・生田教室で知り合った女友達と繁華街を歩いていたところ、吉本興業主催の素人演芸大会のポスターに目が留まる[2]。優勝賞品のシンガポール旅行に釣られて女友達と漫才コンビを組んで出場し、優勝を果たした[4]

上京と芸能界入り

短大卒業後、女友達に誘われて東京へ遊びに行き、劇団東京ヴォードヴィルショーの公演を観劇する[5]。大阪では見たことのないスマートな笑いに感動し、「この舞台に立ちたい」と考えたことから上京を決心した[6]

ただし当座の資金がなかったため、しばらくは大阪でアルバイト[注釈 2]をしながら、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団希望の電話をかけては断わられる日々を送った[4]。両親に上京の意思を伝えると猛反対され、芝居がやりたいなら目の届く関西地方でするよう告げられる[2]。しかし夢をあきらめられず、両親に「もう東京の劇団に合格したから」と嘘をつき、弟が運転する車に乗って半ば強引に上京した[注釈 3]

上京後は練馬区の風呂なしアパートに女友達と同居し[2]佐藤B作によるオーディションを通過して劇団東京ヴォードヴィルショーに入団した[7][8]。しかし舞台への出演時間は1回につき数分程度にすぎず、演劇志向を強める劇団の方向性にも疑問を抱くようになる[9]

WAHAHA本舗設立

1984年6月、「とにかく笑いの芝居をやりたい[9]」と志し、劇団東京ヴォードヴィルショーの劇団員だった柴田理恵佐藤正宏、同劇団の公演を通じて知り合った演出家の喰始らとともにWAHAHA本舗を旗揚げする[10][注釈 4]。事務所スタッフを雇う経済的余裕はなかったため、他の劇団員と交代で事務所の電話番を勤めたり、他の劇団員のマネージャーを務めたりもした[11]

役者として突き抜けられない時期がしばらく続いたが[2]、女子高生に悪魔が憑依するという設定のスケッチ「オカルト二人羽織」を吹越満とともに演じ、自らのキャラクターを確立するに至る[12][注釈 5]下ネタも辞さない過激なお笑いの形を追求し、型にはまらないパフォーマンスがやがて評判を呼ぶようになった[6]。柴田理恵らと演じたスケッチ「女囚漫才」でも世間の関心を集め、女性のお笑い芸人が少なかった時代にあって頭角を現していく[13]

好感度タレントへ

1985年に『今夜は最高!』(日本テレビ)に出演したことをきっかけに、舞台のみならず、バラエティ番組テレビドラマCMにも進出する。トークの達者なタレントとして注目され始め、1987年2月には全国ネットワークの深夜ラジオ番組『久本雅美のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)のパーソナリティに就任した[14]

1993年4月6日から2010年10月1日まで『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)にレギュラー出演し、女性では歴代最長となる17年半にわたってレギュラーを務める[15]。複数のコーナーで進行役を受け持ち、2001年に放送された『笑っていいとも!秋の祭典スペシャル』では森田一義(タモリ)とともに総合司会を担当した。

GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日)の司会に抜擢されたことを機にMCの仕事が増え始め[16]1996年4月6日に開始した『メレンゲの気持ち』(日本テレビ)では初回から総合司会に起用される。当時は深夜番組のタレントというイメージが強かったため、土曜の昼の番組への起用は意外感を持って迎えられたが[17]、番組は25年間にわたって高視聴率を維持する長寿番組となった[18]

NHK放送文化研究所2003年まで実施した『好きなタレント調査』アンケート調査において、2001年度から2003年度まで女性部門1位を記録し、同部門では山田邦子以来2人目となる連続首位記録保持者となった。また、オリコンが発表した『NHK紅白歌合戦』の司会希望調査(一般アンケート)においては、2007年度版で女性部門3位[19]、2008年度版で女性部門4位にランクインした[20]

2012年2月18日、『落語家Xの快楽スペシャル 久本雅美×古今亭菊之丞』(WOWOW)の企画として落語家古今亭菊之丞から指導を受け、日経ホールで上方落語たちきり』を口演する[21]

演劇分野での奮闘

2014年7月の新橋演舞場『劇団創立六十五周年記念 爆笑七夕公演』を皮切りに松竹新喜劇の公演に定期的に客演するようになり[22]、演目によっては女性初の役どころにも挑んでいる[23][24]2023年1月の南座『初笑い! 新春お年玉公演』では客演でありながら演目の主演を務め、続く2024年1月の南座『初笑い! 新春お年玉公演』でもわかぎゑふによるセルフリメイク作品『蕾』で主演を務めた。

2015年からは演芸コンクールの審査員も任されるようになり、『NHK新人お笑い大賞』『R-1ぐらんぷり』『女芸人No.1決定戦 THE W』の決勝戦で審査員を務めている。2018年女子SPA!が実施した『M-1グランプリ』の審査員希望調査(一般アンケート)では10位にランクインした[25]

2018年7月28日、畑泰介監督の映画『イマジネーションゲーム』で板野友美とともに映画初主演を飾る[26]。第21回上海国際映画祭の特別イベントとして上海市で開催された「2018上海・日本映画週間」のワールドプレミアではレッドカーペットを歩き[27]、自身初となる国際映画祭への出席を果たした[28]

人物

芸風

年齢

  • 芸能界入りしてから長らく、「1960年生まれ」と称していた。しかし、2007年5月に写真週刊誌『FLASH』で10歳年下の会社員との交際が報道されると同時に、年齢を2歳サバ読みしていたことが発覚する[32][33]年齢詐称の理由に関しては、「劇団に入るには22歳より20歳がいいだろうと思った」と釈明した[34]

私生活

出演

要約
視点

現在の出演番組

レギュラー番組

特別番組

過去の出演番組

テレビドラマ

配信ドラマ

映画

劇場アニメ

吹き替え

ラジオ番組

舞台

CM

オリジナルビデオ

ビデオ映画

ドキュメンタリー

創価学会広報ビデオ

  • すばらしきわが人生Part2(1993年、シナノ企画
  • すばらしきわが人生Part4(1998年、シナノ企画)
  • ヒューマントーク2(1998年、シナノ企画)
  • TOMORROW(1999年、シナノ企画)
  • Future -無限の未来へ-(2000年、シナノ企画)
  • Future2(2001年、シナノ企画)
  • チャレンジロード(2002年、シナノ企画)
  • 自分らしく輝いて(2005年、シナノ企画)
  • 自分らしく輝く生き方(2015年、SOKAチャンネル)

バラエティ

音楽作品

シングル

ゲスト参加

  • 所ジョージ 「二人でワルツ」(1996年)
    所のアルバム『僕の犬』に収録されたデュエット曲。所と久本の交互ボーカルだが、サビ部分は所のみで歌っている。
  • 嘉門達夫 「明るい未来」(2003年)

著書

単著

共著

スタイルブック

脚注

関連項目

外部リンク

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