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日本の女優 (1937-2003) ウィキペディアから
小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日[1] - 2003年11月26日[1][2])は、日本の女優。夫は山本耕一[2]。愛称は「おっかさん」。
朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、のちに東京へ移る。
共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ[1]。清純さの中にどこか哀愁を漂わせ、「鈴を張ったような」と形容された大きな目の美貌で人気を集め[要出典]、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ[1]、テレビ草創期のスターとなった。
1972年、一人娘・麻利央を出産。
フリーとなってからもテレビを中心に活躍し、1986年からは『おはようワイド・土曜の朝に』では3年2か月司会を務め、『象印クイズ ヒントでピント』では1981年から13年間レギュラー解答者として出演する。特に後者では気さくで飾らない人柄のせいか、司会の土居まさるからは「おっかさん」と呼ばれ親しまれた。
また、引き揚げ体験を題材にしたエッセーや童話を発表するなど、マルチな才能を発揮した。社会派昼ドラマ「わが子よ」シリーズでは、全シリーズで母親役を務め、ライフワーク的作品となった。
1997年、疲労を訴え病院で血液検査を受けたところ「骨髄腫」の疑いありと診断(担当医師は夫の山本に「骨髄腫ならば余命5年」と宣告していた)。2000年には「多発性骨髄腫」と小林本人にも正式に診断結果を告知。死の約1年前からは腰痛の悪化に苦しむなど、闘病生活を送りながら芸能活動を続けていた。
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