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北海道のフジテレビ系列局 ウィキペディアから
北海道文化放送株式会社(ほっかいどうぶんかほうそう、英: Hokkaido Cultural Broadcasting Co., Ltd.)は、北海道全域を放送対象地域としてテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。北海道新聞社(道新)のグループ企業であり、フジ・メディア・ホールディングス(FMH)の持分法適用関連会社である[5]。
北海道文化放送本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | UHB |
本社所在地 |
日本 〒060-8527 北海道札幌市中央区北1条西14丁目1-5 |
設立 | 1971年(昭和46年)6月19日[1] |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 5430001022433 |
事業内容 |
テレビジョン放送 放送番組の制作・販売 その他上記に関連する事業 |
代表者 | 代表取締役社長:鶴井亨 |
資本金 | 5億円(2022年3月31日時点)[2] |
売上高 | 97億0123万0852円(2023年3月期)[2] |
営業利益 | 2386万4339円(2023年3月期)[2] |
経常利益 | 1億0881万7795円(2023年3月期)[2] |
純利益 | 7687万3471円(2023年3月期)[2] |
純資産 | 145億0021万0450円(2023年3月31日時点)[2] |
総資産 | 169億9635万9623円(2022年3月31日時点)[2] |
従業員数 | 173人(2022年4月1日時点、嘱託11人・契約5人を含む)[3] |
決算期 | 3月 |
主要株主 |
北海道新聞社 48.1% フジ・メディア・ホールディングス 21.0% (2020年7月1日時点)[4] |
主要子会社 |
トップ·クリエーション オーテック |
外部リンク | https://www.uhb.jp/ |
略称はUHB(UHF Hokkaido Cultural Broadcasting)。1983年(昭和58年)10月のCI制定で変更された小文字の「uhb」ロゴマークが一般の視聴者に定着しており、略称も小文字であると誤解されるが、小文字はロゴのみで使用する[6]。uは「ユニーク」、hは「ヒューマン」「ホット」「ヒート」、bは「ボックス(局)」の頭文字とし、小文字表記は親しみやすさと世相や視聴者に鋭く反応する軽快さを表したものとされている[7]。
北海道における民放は、まず、道新が北海道放送(HBC)を立ち上げ、次に地方紙・2番手の北海タイムスが北海道炭礦汽船社長の萩原吉太郎を担ぎ、札幌テレビ放送(STV)をつくった[8]。
昭和40年代に入ると、北海道にもUHFの時代がやってきて[9]、UHF局の第1局として、地元選出の代議士で地崎組社長である地崎宇三郎が調整役を務め、全国紙の朝日新聞社と読売新聞社も参画の上、岩澤グループ総帥で地崎の後援会長を務める岩澤靖が社長となり、 1968年(昭和43年)11月、北海道テレビ放送(HTB)が開局した[10]。さらに翌1969年(昭和44年)10月、郵政省は北海道に4局目の電波割り当てを公にした[9]。
これに地元マスコミや財界は色めき立ったが、最も熱心だったのは道新だった[9]。というのも、HBCは道新を核として設立されたものの、TBSの今道潤三社長が唱える「新聞からの独立」という方針を受けて生みの親である道新とは距離感が生じつつあった[11]。そうした背景があって道新としては、メディアミックスによる報道体制の確立という点で、気心の通じる新局が欲しかった[11]。一方、全国ネットの実現に力を入れていたフジテレビはSTVから番組を放映していたものの、あくまでもクロスネットで、フジの番組の30%強しか道民には届いておらず、あわせて報道取材拠点の確保という意味でも北海道に完全系列局が欲しかった[11]。さらに札幌オリンピックが1972年(昭和47年)2月に開催されるということもあり、北海道における新局フィーバーはいやが上にも高まっていた[11][注 1]。
出願競争は激しく1970年(昭和45年)時点で岩本常次北海道電力社長を代表とする「北海道文化放送」のほか上関敏夫らによる「テレビ道新」・伊藤義郎らによる「テレビ北海道」[注 2]・広瀬経一と島本融と圓城寺次郎らによる「北海道経済テレビ」・玉置信一らによる「道民テレビジョン放送」・阿部文男らによる「白樺テレビジョン」・岩澤誠らによる「全道テレビ」・伊藤俊夫らによる「北海道開発放送」・蔦井與三吉らによる「北海道総合テレビ」・岡田包義らによる「テレビ大雪」・松坂有祐らによる「内外放送」、沢田誠一らによる「拓友テレビ」、渡辺省一らによる「テレビはまなす」等約60件の申請があり[13]、郵政省から一本化調整を託された町村金五知事は地崎に協力を求め、その結果、発起人代表に岩本が就き、本社の敷地は道新が所有している交通の便がいい札幌市中央区の一角に決まり、北海道文化放送は創立された[11]。初代社長には道新専務の大内格之助に決まった[11]。以来UHBの歴代社長の座は道新専務級の人材が座ることになっている[12]。
UHBは初めの10年間、フジテレビの番組が不調に喘いでいたこともあって、必ずしも順風満帆とはいかなかった[12]。1980年(昭和55年)、フジテレビはいわゆる「80年代大改革」を断行し、それが実って80年代は黄金時代を迎えるが[14]、その象徴がUHBが制作協力し、開局10周年記念番組として制作されたドラマ『北の国から』だった[12]。 中村敏夫プロデューサー・杉田成道ディレクターらによるこのドラマは、1981年(昭和56年)から24回の放送で、北海道のみならず全国的に圧倒的な人気をかちとり、その後、スペシャル版が放送され、回を追うごとに視聴率が上がっていった[15]。UHBの社史には「このドラマがUHBのイメージアップに果たした役割は計り知れないほど大きく、躍進の起爆剤となった」と記載されている[14]。
地上デジタル放送に関しては、道内の民放で初めて総務省から支援措置の認定を受け、2003年(平成15年)4月10日に認定書が交付された。
2014年(平成26年)夏、在札局では最後発でアニメ製作に参入して、初の自社製作アニメ『フランチェスカ』を放送した。以降、ミニアニメやUHFアニメに製作参加するなど散発的に放送している。道新のテレビ番組表ではNHK総合・教育の次にUHBの番組欄が掲載され[注 3]、道新の編集委員もキャスターやコメンテーターとして番組に出演することがある。
天気予報フォーマットは、ウェザーニューズのものを使用している。
現在のマスコットは「みちゅバチ」で、2000年(平成12年)2月に誕生したマスコットキャラクター集団の「ともだっち」のひとつだった「みちゅ」が原型である。元々はデジタル放送移行をPRするキャラクターだったが、デジタル放送に完全移行した現在も続けて使用されている。
企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[20][21][22][23][24]
資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
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5億円 | 1,000,000株 | 17 |
株主 | 株式数 | 比率 |
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北海道新聞社 | 481,000株 | 48.1% |
フジ・メディア・ホールディングス | 210,000株 | 21.0% |
日本経済新聞社 | 70,000株 | 7.0% |
資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 |
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5億円 | 20億円 | 500円 | 1,000,000株 |
資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 |
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5億円 | 20億円 | 500円 | 1,000,000株 | 30 |
資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
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5億円 | 1,000,000株 | 30 |
送信所施設はAIR-G'・NORTH WAVEと共同使用。
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2007年9月7日、13:00から試験放送開始。10月1日より本放送開始。
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送信所施設はAIR-G'・NORTH WAVEと共同使用。
テレビ送信アンテナには指向性がかけられている。
デジタル放送は2007年8月30日に試験放送開始、2007年10月1日より本放送開始。
函館蛾眉野中継局は2013年1月より、蛾眉野地区テレビ受信組合によるギャップフィラーでの送信を開始したことにより廃止された。
デジタル送信所はTVhを除く民放各局が共同で新設。
2007年10月1日より放送開始。
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送信所施設はHBC・AIR-G'・NORTH WAVEと共同使用。
地上デジタル放送は2007年10月1日より放送開始。
送信所施設はHBC・AIR-G'と共同使用。
地上デジタル放送は、2007年10月1日に放送開始。
デジタル送信所はTVhを除く民放各局とNHK釧路放送局が共同で新設。送信鉄塔とUHF送信アンテナは2011年8月26日に開局したTVhを含め各局で共同使用するが、局舎はNHK釧路放送局・TVhを除く民放各局の共同施設と、新規建設されたTVh単独施設に分かれている。
2007年8月28日より試験サービス放送開始。10月1日より放送開始。
アナログ放送での音声多重放送は札幌から道内各地への中継回線使用料が高い等の理由で、他の道内民放テレビ各局も含め札幌地区のみ(胆振管内の苫小牧市・勇払郡も含む)で行われていた。
地上デジタル放送による音声多重放送は放送対象地域内全域で行われており、2か国語放送・ステレオ2音声放送・5.1chサラウンド放送を行わない限り、モノラル収録であっても常時ステレオ放送の状態となっている。
北海道警察本部記者クラブ、道内各支社内に報道用顔出しブースがある。
2005年(平成17年)1月に道内の民放で初めてハイビジョン大型中継車を導入。初めて導入されたことを記念してか、ナンバープレートの一連指定番号は「1」となっている。同年1月22日の「UHB杯ジャンプ大会」より運用開始。
ベースシャーシーはいすゞ・ギガマックスを採用(後に導入したSTV、HTBも同様)。全長は10mを超え、後輪は2軸式。ハイビジョンカメラを12式搭載。
北海道日本ハムファイターズや北海道コンサドーレ札幌中継、北海道マラソンや競馬中継などで運用される。
現在の番組の詳細は、公式サイトの番組情報または週間番組表を参照。
製作局の表記のない番組はフジテレビ制作。
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★は1989年10月、TVh開局時に移行。土日早朝(アニメ)、平日深夜(バラエティ)、土日午前〜日中(バラエティ、特番)に放送枠が割り当てられていた。
開局当時は水曜、木曜の22時台のローカルセールス枠をテレビ東京(東京12チャンネル)ネット枠としており、当時の道内4局の中では最も多くのテレビ東京系番組が放送されていた。『プロレスアワー』はネットはされていないものの、札幌大会の収録時には制作協力で参加していた。 『日曜ビッグスペシャル』のオーディション企画や素人賞レース企画でも北海道地区の募集・統括を担当しており、参加募集のスポットCMもテレビ東京同様に放送されていた。開局当初は日経資本も強かったことから、テレビ東京との関係は非常に深かった[注 21]。
ほか多数
ほか多数
★は現ロゴになってからも放送。また、☆の番組は現在も放送中。
道内のケーブルテレビ局のほか、道外でも以下のケーブルテレビ局で再放送されている。
なお、地上デジタル放送では民放連の方針では区域外再放送は原則禁止となっていたが、下記のケーブルテレビ局でも地上デジタル放送の区域外再放送が行われることになった。
編成局アナウンス部に所属、現在のアナウンス部長は加藤寛。
●は故人。
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