この項目では、北海道文化放送について説明しています。社名に「文化放送」が付く他の放送局については「文化放送 (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
北海道文化放送株式会社 (ほっかいどうぶんかほうそう、英 : Hokkaido Cultural Broadcasting Co., Ltd. )は、北海道 全域を放送対象地域 としてテレビジョン放送 事業を行っている特定地上基幹放送事業者 。北海道新聞社 (道新)のグループ企業であり、フジ・メディア・ホールディングス (FMH)の持分法適用関連会社 である[5] 。
取材ヘリ(ユーロコプター ドーファン )北海道航空 が運航
略称 はUHB (U HF H okkaido Cultural B roadcasting)。1983年 (昭和 58年)10月のCI 制定で変更された小文字の「uhb」 ロゴマーク が一般の視聴者に定着しており、略称も小文字であると誤解されるが、小文字はロゴのみで使用する [6] 。uは「ユニーク」、hは「ヒューマン」「ホット」「ヒート」、bは「ボックス(局)」の頭文字とし、小文字表記は親しみやすさと世相や視聴者に鋭く反応する軽快さを表したものとされている[7] 。
コールサイン はJOBM-DTV 、リモコンキーID はキー局のフジテレビ と同じ「8 」。
FNN /FNS 系列に属し、同系列の基幹局 でもある。
北海道における民放 は、まず、道新が北海道放送 (HBC)を立ち上げ、次に地方紙 ・2番手の北海タイムス が北海道炭礦汽船 社長の萩原吉太郎 を担ぎ、札幌テレビ放送 (STV)をつくった。
昭和40年代に入ると、北海道にもUHF の時代がやってきて、UHF局 の第1局として、地元選出の代議士 で地崎組 社長である地崎宇三郎 が調整役を務め、全国紙の朝日新聞社 と読売新聞社 も参画の上、岩澤グループ総帥 で地崎の後援会長を務める岩澤靖 が社長となり、 1968年 (昭和 43年)11月、北海道テレビ放送 (HTB)が開局した。さらに翌1969年 (昭和44年)10月、郵政省 は北海道に4局目の電波割り当てを公にした。
これに地元マスコミ や財界 は色めき立ったが、最も熱心だったのは道新だった。というのも、HBCは道新を核として設立されたものの、TBS の今道潤三 社長が唱える「新聞 からの独立」という方針を受けて生みの親である道新とは距離感が生じつつあった。そうした背景があって道新としては、メディアミックス による報道体制の確立という点で、気心の通じる新局が欲しかった。一方、全国ネットの実現に力を入れていたフジテレビはSTVから番組を放映していたものの、あくまでもクロスネット で、フジの番組の30%強しか道民には届いておらず、あわせて報道取材拠点の確保という意味でも北海道に完全系列局が欲しかった。さらに札幌オリンピック が1972年 (昭和47年)2月に開催されるということもあり、北海道における新局フィーバーはいやが上にも高まっていた[注 1] 。
出願競争は激しく1970年 (昭和45年)時点で岩本常次 北海道電力 社長を代表とする「北海道文化放送」のほか上関敏夫 らによる「テレビ道新」・伊藤義郎 らによる「テレビ北海道」[注 2] ・広瀬経一 と島本融 と圓城寺次郎 らによる「北海道経済テレビ」・玉置信一 らによる「道民テレビジョン放送」・阿部文男 らによる「白樺テレビジョン」・岩澤誠 らによる「全道テレビ」・伊藤俊夫 らによる「北海道開発放送」・蔦井與三吉 らによる「北海道総合テレビ」・岡田包義 らによる「テレビ大雪」・松坂有祐 らによる「内外放送」、沢田誠一 らによる「拓友テレビ」、渡辺省一 らによる「テレビはまなす」等約60件の申請があり[13] 、郵政省から一本化調整を託された町村金五 知事は地崎に協力を求め、その結果、発起人 代表に岩本が就き、本社 の敷地は道新が所有している交通の便がいい札幌市 中央区 の一角に決まり、北海道文化放送は創立された。初代社長には道新専務の大内格之助 に決まった。以来UHBの歴代社長の座は道新専務級の人材が座ることになっている。
UHBは初めの10年間、フジテレビの番組が不調に喘いでいたこともあって、必ずしも順風満帆とはいかなかった。1980年 (昭和55年)、フジテレビはいわゆる「80年代大改革」を断行し、それが実って80年代は黄金時代を迎えるが、その象徴がUHBが制作協力し、開局10周年記念番組として制作されたドラマ 『北の国から 』だった。
中村敏夫 プロデューサー ・杉田成道 ディレクター らによるこのドラマは、1981年 (昭和56年)から24回の放送で、北海道のみならず全国的に圧倒的な人気をかちとり、その後、スペシャル版が放送され、回を追うごとに視聴率 が上がっていった。UHBの社史には「このドラマがUHBのイメージアップに果たした役割は計り知れないほど大きく、躍進の起爆剤となった」と記載されている。
地上デジタル放送 に関しては、道内の民放で初めて総務省 から支援措置の認定を受け、2003年 (平成 15年)4月10日に認定書が交付された。
2014年 (平成26年)夏、在札局では最後発でアニメ製作に参入して、初の自社製作アニメ『フランチェスカ 』を放送した。以降、ミニアニメやUHFアニメ に製作参加するなど散発的に放送している。道新のテレビ番組表 ではNHK総合 ・教育 の次にUHBの番組欄が掲載され[注 3] 、道新の編集委員 もキャスター やコメンテーター として番組に出演することがある。
天気予報 フォーマット は、ウェザーニューズ のものを使用している。
みちゅバチ
UHBの旧ロゴ(右)
現在のマスコット は「みちゅバチ」で、2000年 (平成12年)2月に誕生したマスコットキャラクター集団の「ともだっち 」のひとつだった「みちゅ」が原型である。元々はデジタル放送移行をPRするキャラクター だったが、デジタル放送に完全移行した現在も続けて使用されている。
受信確認書 (ベリカード )の発行は2024年 (令和6年)3月31日をもって終了した[16] [17] 。
企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[20] [21] [22] [23] [24]
2021年3月31日
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5億円 1,000,000株 17
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5億円 20億円 500円 1,000,000株
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株主 株式数 比率
北海道新聞社 100,000株 10.0%
産業経済新聞社 0 70,000株0 7.0%
日本経済新聞社 0 70,000株0 7.0%
大内格之助[注 4] 0 42,000株0 4.2%
北海道拓殖銀行 0 40,000株0 4.0%
瀬戸舜[注 5] 0 40,000株0 4.0%
岩本常次[注 5] 0 40,000株0 4.0%
安藤孝俊[注 5] 0 40,000株0 4.0%
福田英雄[注 5] 0 40,000株0 4.0%
野平昌人 [注 5] 0 40,000株0 4.0%
渡辺喜久雄 0 40,000株0 4.0%
菊地昌世 0 40,000株0 4.0%
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5億円 20億円 500円 1,000,000株 30
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5億円 1,000,000株 30
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株主 株式数 比率
北海道新聞社 201,000株 20.1%
フジテレビジョン 105,000株 10.5%
道新サービスセンター 0 80,000株0 8.0%
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1972年 (昭和47年)
4月1日 - フジテレビ系列 として開局する。札幌テレビ放送 (STV)と北海道テレビ放送 (HTB)からフジテレビ 制作番組が移行され、現在まで変更は無い。STVがFNN非加盟でFNS加盟のフジテレビ系列局であったことから、移行比率はSTV9.5:HTB0.5である。1989年 (平成元年)10月にTVh が開局するまでは、テレビ東京 の番組も他道内民放局同様、一部番組販売 扱いでネットされていた(開局当初は水曜と木曜の22時台がテレビ東京ネット枠)。
FNSは札幌テレビ放送から引き継いで加盟、FNNには新規加盟し、北海道でFNNニュース が放送開始される。UHBが開局するまではフジテレビが直接取材し、札幌支局 を設けて取材していた。
10月1日 - 全道で[注 8] 放送開始し、ごく一部の例外を除いてSTV・HTBとの一部共有ネットを終了する。
1982年
おもしろいからスキ! (開局10周年)
1983年
春:胸さわぎの春さき。
秋:燃えるようなマークになった。
1984年
春:春ワンダフル
1985年
春:おもしろさも進化する
秋:現代気分の大全集
1986年
アドベンチャンネル
1987年(開局15周年) - 1989年夏
I'm夢人類
1989年
秋:コロンブスのココロ
1990年
UHBとなら、やっていけそう。
1991年春
いつだって、私がいる。
1991年秋 - 1994年夏
らしく、生きる。
1994年
いいオチつけよう。
1994年秋
チャ!チャ!チャ!
1995年
ラララでいこう。
1996年
じぶんぶんぶん
1997年(開局25周年) - 2000年
おもしろ万年(1998年から、テーマ曲を米良美一 が歌う)
2000年 - 2001年
ともだっち (現在もキャラクターとして使用)
2002年(開局30周年)
その気、UHB(キャンペーンキャラクターにZONE を起用)
テーマ曲:「going〜その気〜」(現曲名:「mind」)
2003年
ゆーえっちびーむ(引き続きZONEを起用)
テーマ曲:「BeaM」
2004年 - 2006年
あ、いいかも。
2006年 - 2009年
きっかけは、UHB
2010年
どこでも○○○UHB
○○○の部分を特別番組などに関係する単語に置き換えて使用。
2011年
何かあったらUHB
2012年(開局40周年) - 2022年
キミと、ずっと。UHB
2022年(開局50周年)
北海道に、ユーがいる。
アナログ放送での音声多重放送 は札幌から道内各地への中継回線使用料が高い等の理由で、他の道内民放テレビ各局も含め札幌地区のみ(胆振管内の苫小牧市 ・勇払郡 も含む)で行われていた。
地上デジタル放送による音声多重放送は放送対象地域内全域で行われており、2か国語放送・ステレオ2音声放送・5.1chサラウンド放送を行わない限り、モノラル収録であっても常時ステレオ放送の状態となっている。
北海道文化放送のマラソン移動中継対応中継車(車種:いすゞ・フォワードマックス )
本社スタジオ
第1スタジオ (140坪):新館1Fに位置し、関東以北では最大のテレビスタジオ。『みんテレ 』、『いっとこ! 』、他、各種特番
第2スタジオ (40坪):本館3Fに位置し、報道フロアと一体化されている。『uhb NEWS 』、『のりゆきのトークDEお悩み解決!』など
第3スタジオ (10坪):アナブース、ネットワークニュース素材裏送り等
外部スタジオ
北海道警察本部記者クラブ、道内各支社内に報道用顔出しブースがある。
現在の番組の詳細は、公式サイトの番組情報 または週間番組表 を参照。
報道・情報
情報・バラエティ
BOSS TALK(水曜 0:25 - 0:45(火曜深夜))
いっとこ! (土曜 10:25 - 11:30)
みんテレ増刊号(土曜 11:30 - 11:50)
みんテレ噂の街グルメ(土曜 18:30 - 19:00)
バラエティ
音楽
tanto musik(タント・ムジーク)(水曜 1:15 - 1:25(火曜深夜))
スポーツ
F-PARK(木曜 0:25 - 0:40(水曜深夜))
Dr.折茂のレバンガ・ホスピタル (金曜 0:25 - 0:35(木曜深夜))
コンサラボ (月曜 0:30 - 0:40(日曜深夜))
KEIBAプレミア (日曜 15:00 - 16:00)
北海道Meijiカップ (毎年8月に放送)※データ放送(最終日のみ)
北海道マラソン (毎年8月に放送)
札幌市で行われるマラソン大会。2011年までフジテレビ系全国ネット(テレビ大分を除く)で生中継していたが、2012年は北海道ローカルで放送。2013年からはBSフジでも放送。
みんすぽBASEBALL
北海道日本ハムファイターズの試合を中継。
日本シリーズ の全国中継はフジテレビ主導制作(技術面・リアルタイム字幕放送・連動データ放送付加・番組送出も全て担当し、北海道文化放送は制作協力扱いとなる)で放送する。
番宣・自己批評
uhb 番組Hot Line(毎月第1日曜 6:15 - 6:25)
8チャン! みちゅバチ (月曜 11:20 - 11:25・隔週金曜 22:52 - 22:56・土曜 0:55 - 0:59(金曜深夜)ほか)
ミニ番組
FumuFumu(毎月第1・3火曜 11:20 - 11:25)
みんテレpresents あらっ、やだお得!(水曜 - 金曜 11:20 - 11:25)
みんなのてんき(月 - 木曜 22:54 - 23:00・金曜 22:56 - 23:00・土曜 12:59 - 13:02・日曜 21:54 - 22:00 ほか)
&sauna(水曜 21:54 - 22:00)
SASARU(木曜 21:54 - 22:00)
週末シアター(隔週金曜 22:52 - 22:56)
おはようのおはなし(土曜 5:25 - 5:30)
ビジネスフラッシュ(隔週火曜 11:20 - 11:25)
談談のりさん+(毎月第2日曜 6:15 - 6:30)
FNS 系列局制作・時差ネット番組、ローカル枠同時ネット・時差ネット番組
製作局の表記のない番組はフジテレビ制作。
プロダクション等制作番組
再放送・単発番組枠
みんなのドラマ(1部 月曜 - 木曜 13:50 - 14:49、2部 月曜 - 金曜 14:49 - 15:45)
月曜スペシャル(フジテレビおよび系列局制作の単発特番などを遅れネットする枠)(火曜 0:25 - 0:55(木曜深夜))※特番の放送時間によって時間が変更される事がある。かつては「フジ深」→「よるバラ!」として放送されていた。
水曜スペシャル(木曜 0:40 - 1:20(水曜深夜))
土曜スペシャル・土曜スペシャルα (土曜 13:28 - 14:27、14:30 - 15:30)※特番の放送時間によって時間が変更される事がある。
土曜スペシャルα (土曜 15:30 - 16:30)
日曜セレクション(フジテレビおよび系列局制作の単発特番などを遅れネットする枠)(日曜 13:00 - 14:00)
日曜スペシャル (日曜 16:00 - 17:25)
報道・情報
平日早朝のワイド番組
平日午前のワイド番組
平日午後の情報ワイド番組
夕方のニュースワイド番組
平日夕方の天気予報番組
土曜昼の情報ワイド番組
その他の報道・情報番組
道新ニュース
フライデー11(UHB初の情報番組)
奥様トーク・あなたはリポーター
出番ですよ!
N-SOKEN
特捜!ほっかいどう
にちよう特捜!ほっかいどう
スーパーニュース momo21
石井ちゃんとゆく!
NEWSクリップ
トップの発想 The Interview
いいコト聞いた
北海道ライブ天気
石井ちゃんのコレいいんじゃな〜い!?
創造都市さっぽろ
Doサンデー 〜北の開拓者たち〜
タカトシ牧場+ ご当地おとどけか!
北海道からはじ○TV
札幌クロニクル
映女と音女と福男
映女と音女とユリコ
土曜プレゼンアワー
教養・ドキュメンタリー
こんにちは赤ちゃん
月尾嘉男 大日本未来考古学
地デジ100%
北海道プライド 〜世界に見せたい北海道の誇り〜
バラエティ
サウンドイン・ほっかいどう
ビートたけし のおもしろクイズ合戦
くず哲也 のおもしろザウルス
サウンドクラブ1700
もっともっとキネマ
夢人類倶楽部
情報マガジン やむちゃ
我慢大敵
TVくるーず PUCA2
Muse2
禁断どんす
虎のバター
笑ハンティング のアゲ曼陀羅
ブラボーミクス
好奇心HOKKAIDO
トミーズ のよしもとのもと
(タカアンドトシ はアマチュア時代にこの番組でTV初出演を果たした)
ドラマ
アニメ
スポーツ
プロダクション等制作番組
輝け!ゴルフガールズ
SNOW BOARDING LIFE(NORTH FEEL制作)
スノースマイル・アット・トマム(NORTH FEEL制作)
こども環境情報番組 エコチルTV(ADVCOM制作)
SNOW SWEET LIFE(NORTH FEEL制作)
TVh開局まで放送していたテレビ東京系番組
★は1989年10月、TVh開局時に移行。土日早朝(アニメ)、平日深夜(バラエティ)、土日午前〜日中(バラエティ、特番)に放送枠が割り当てられていた。
開局当時は水曜、木曜の22時台のローカルセールス枠をテレビ東京(東京12チャンネル)ネット枠としており、当時の道内4局の中では最も多くのテレビ東京系番組が放送されていた。『プロレスアワー 』はネットはされていないものの、札幌大会の収録時には制作協力で参加していた。
『日曜ビッグスペシャル』のオーディション企画や素人賞レース企画でも北海道地区の募集・統括を担当しており、参加募集のスポットCMもテレビ東京同様に放送されていた。開局当初は日経資本も強かったことから、テレビ東京との関係は非常に深かった[注 21] 。
ほか多数
札幌テレビ(STV)からUHBに移動したフジテレビ系の番組
北海道テレビ(HTB)からUHBに移動したフジテレビ系の番組
UHB開局に伴い北海道でも放送が開始されたフジテレビ系の番組
ほか多数
旧ロゴ時代に放送していたフジテレビ系の番組
★は現ロゴになってからも放送。また、☆の番組は現在も放送中。
道内のケーブルテレビ局のほか、道外でも以下のケーブルテレビ局で再放送されている。
なお、地上デジタル放送では民放連 の方針では区域外再放送 は原則禁止となっていたが、下記のケーブルテレビ局でも地上デジタル放送の区域外再放送が行われることになった。
青森県
青森ケーブルテレビ (ACT)
アナログ放送ではテレビ北海道とともに札幌送信所と専用回線を結んで再放送していたが、2011年 (平成 23年)7月24日 再放送開始のデジタル放送では函館送信所を県内の大間町 で直接受信し専用回線を結んで再送信している。
風間浦村営共聴システム
NHK函館放送局および在道民放各局を、各局の同意を得て再放送している。
編成局アナウンス部に所属、現在のアナウンス部長は加藤寛。
過去に所属していたアナウンサー
●は故人。
男性
1972年
1975年
伊藤治明 (1993年制作部へ異動。1999年映像局に異動。現フリー)
1978年
山田英寿 (1990年代中盤から制作部所属のキャスターとして活動していたが、2009年 4月からアナウンス部へ復帰。現フリー)
1981年
1988年
穀山敏 (テレビ岩手 から移籍、その後番組プロデューサー、スポーツ部長、報道制作局アナウンス部長を歴任。2014年から2022年6月までuhbの関連会社である「トップ・クリエーション」代表取締役社長→相談役を務めた[69] )
1990年
1991年
近田誉 ( - 2009年、ラジオたんぱ から移籍。スポーツ部へ異動後もマラソン・駅伝中継などで登場することがあった。現在はスポーツ部プロデューサー)
1998年
篠原巨樹 (4月入社 - 2007年、同年北海道新聞社へ出向後、2011年7月にUHBへ復帰し「U型テレビ→U型ライブ」のリポーターとして出演し、2015年4月からは8年ぶりにアナウンス部に復帰)
2014年
2018年
田代茂巳
長谷川邦彦 ●(報道制作部アナウンス部長在籍中、1989年6月8日死去[32] )
女性
1972年
1979年
1993年
高田英子 (4月入社 - 2001年12月31日退社)
1994年
1995年
伊藤美菜子(美幌町 出身、他部署異動を経て、現在はフリーアナウンサー。「シークレット歌劇團0931」主宰としても活動)
成田敦子(元NHK函館放送局 リポーター。結婚後も仕事を続けていたが妊娠のため2004年に退社)
1996年
1998年
2001年
遠藤麗奈 (山梨放送 から移籍、4月入社 - 2008年3月退社。現在はフリーアナウンサー)
2002年
2005年
鈴木亜希子 (4月入社 - 2010年3月31日退社)
2006年
2007年
2008年
榊菜美 (4月入社 - 2014年3月退社。現在はフリーアナウンサー)
2009年
2010年
2012年
染井明希子 (4月入社 - 2015年3月退社。現在はフリーアナウンサー)
小菅晴香 (4月入社 - 2016年3月退社。現在はフリーアナウンサー。2013年11月から2014年12月までは報道記者も兼任していた)
2015年
2019年
2020年
石井祐里枝 (4月入社 - 2022年12月退社。現在はセント・フォース所属のフリーアナウンサー(2023年1月から2024年3月までは名古屋テレビ放送契約)[67] )
北浜真理子(退社後はソプラノ歌手として活動)
千葉真鈴
石田園枝
山本亜津子
佐藤玲子
米山みつ
唐沢真由美
長谷川園子(テレビ新潟 より移籍。現在はフリーアナウンサー)
山口英里子 (報道記者兼任・キャスター、現在は「沢英里子」の名前でフリーアナウンサー)
2005年 (平成17年)10月21日 深夜3時30分頃から放送中の『Fの炎 』が番組送出用のHDD サーバ のトラブルにより約20分間中断して「しばらくお待ちください」という画面が流れたが、番組送出とは別のサーバから送出しているCMのみ正常に放送された。
2013年 (平成25年)6月2日 午後12時40分頃に放送中のCM映像が突然静止。その後も『VS嵐 (再放送)』の後半から『ペケ×ポン (再放送)』の冒頭までの約15分程が中断し、その間はお天気カメラの映像が流れた。このトラブルによって各家庭のテレビ受像機の一部には「UHBだけが映らなくなった」「テレビ側の時計がズレた」等の影響が出た。尚、その後の調査で映像や音声を社外の送信所に送る機器に不具合が見つかった。VS嵐の再放送は6月9日に改めて行われた。
注釈
UHBの正式開局は1972年4月だが、1月からサービス放送 を開始し2月3日からの札幌オリンピックを中継、ジャネット・リン の優雅なスケーティングなど、試験的なサービス放送とは言いながら計79時間にわたり、全民放のトップであった。
その後伊藤は1986年の第5波割当に際して「テレビ札幌」として申請し、『テレビ北海道 』(TVh)として一本化された際に社長に就任。
開局当初から10年ほどは一番左端に掲載されていたが、このときは「UHBテレビ」 と書かれていた。左端からNHK総合・Eテレの次に掲載位置が変更された以降の現在は「UHB」の表記のみとなっている。なお、東奥日報 テレビ欄でも、1980年代後半から1990年代前半頃まで、『UHBテレビ』と表記されていた。
UHB制作のFNS全国ネット番組としては、事実上(北海道ローカルに格下げとなった)北海道マラソンの後継番組という位置付けだった。翌年以降も、タカアンドトシの司会によるバラエティ番組が年1回(7月の放送が多いが、一部年度では別の月の場合あり)に全国放送されている。
稚内市、根室市など一部受信不可能な地域が残されていたが、中継局の設置が進められ、1980年代前半以降は北海道放送 (HBC)・STV・HTBとともに道内全域をほぼカバーする。
札幌送信所と函館送信所はテレビ放送に限れば局単独施設だが、両送信所とも民放FMラジオ2社の送信設備も併設されている。
2014年9月29日、混信地域に対する受信状況改善のため18chより変更[37] 。
アナログ放送は函館地区であるが室蘭基幹送信所の管轄だった。デジタル放送は函館基幹送信所の管轄。
デジタル中継局はTVh の中継局施設を使用し、道内民放各局で共同使用。
NHK及び他の民放と共にデジタル新局として2014年5月29日に開局。
1993年3月以前は『道新ニュース 』のタイトルで放送していた。テレビ北海道 (TVh)開局後もしばらく使用していたが、『道新ニュース』のタイトルをTVhが使用するようになり、UHBは現在のタイトルになった。詳細は当該記事を参照。
EPG上では16:50で区切られているが、実際には16:49.15に『みんテレ』のオープニングを流した後、一旦フジテレビの『Live News イット!』第2部の冒頭部分(16:50 - 17:12.30)を挟んで17:12.30に『みんテレ』本編へ接続する流れとなっている。
毎年7月の「FNSの日」(2020年以降を除く)など深夜の特別番組放送時も休止となる。
JRA のG1が開催される競馬場を有しない地域では唯一放送。
2022年7月より開始したUHB製作参加のテレビアニメ『邪神ちゃんドロップキックX 』は関東地区のネット局がテレビ東京になったためTVh開局以降33年ぶりにテレビ東京との関係が生じている。
1976年9月まで『水曜スペシャル 』を放送していた関係で、関西テレビ制作の水曜22:00枠は毎週日曜12:00 - 12:55に4日遅れで放送されていた。
STVから移行、フジテレビ系列の土曜プレミアム 枠などで再放送された後、劇場版及び2期・3期はフジテレビ系全国放送。
なお、アナウンサーとしての業務は2006年10月1日付まで。
札幌文化放送自体は実在しない架空の放送局に該当するものの、文化放送が付けられている点から当局をもじったと見られる。但し、同番組のテロップには「札幌文化放送って…?」と表示されていた。
出典
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、245頁。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2022』コーケン出版、2022年11月30日、247頁。
北海道文化放送・編著『uhb20年の歩み』1993年、91頁
経営資料8 民放FM局、UHF局をめぐる動向 - 新聞資料no.31(日本新聞協会)
ジミヨン (2007年2月10日). “北海道文化放送 ”. ジミブロ . 2024年10月8日 閲覧。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、239-240頁。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2016』コーケン出版、2016年11月25日、224頁。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、167頁。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、170頁。
uhb20年の歩み - 北海道文化放送(1993年)
このほかにも、小樽、定山渓、円山、苫小牧中継局も本放送開始と同時に開局した。(出典:『民間放送三十年史』(日本民間放送連盟、1981年))
北海道文化放送・編著『uhb20年の歩み』1993年、81頁
北海道文化放送・編著『uhb20年の歩み』1993年、90・91頁
北海道文化放送・編著『uhb20年の歩み』1993年、94・95頁
豪華船でグアムへ「UHB少年の船」参加者を募集 - 北海道新聞1985年10月18日朝刊
「少年の船」終了 UHB、本年度限り - 北海道新聞2005年3月31日朝刊
北海道文化放送・編著『uhb20年の歩み』1993年、178頁
『東奥日報』1992年4月4日付け朝刊22面および翌5日付け朝刊22面の北海道文化放送テレビ欄。
第2部の冒頭(16:50 - 17:12.30)も同時ネット。第3部のFNN枠(17:48 - 18:09)は全国ネット、プロ野球シーズン中の北海道日本ハムファイターズ戦中継、8月第2週の女子ゴルフ『北海道Meijiカップ』初日、夕方のローカル情報番組『みんテレ』拡大スペシャル放送時は休止。
『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)10月 - 1982年(昭和57年)6月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)7月 - 1983年(昭和58年)3月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)4月 - 1984年(昭和59年)1月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1979年(昭和54年)4月 - 1980年(昭和55年)4月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1979年(昭和54年)10月 - 1981年(昭和56年)2月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)3月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)1月 - 7月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)4月 - 1981年(昭和56年)4月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)4月 - 1987年(昭和62年)7月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月 - 1981年(昭和56年)1月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)4月 - 1982年(昭和57年)4月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)7月 - 1982年(昭和57年)1月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)3月 - 1983年(昭和58年)5月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)10月 - 1993年(平成5年)1月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)4月 - 1983年(昭和58年)5月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)5月 - 1984年(昭和59年)3月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1984年(昭和59年)2月 - 6月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)10月 - 1989年(平成元年)3月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)1月 - 5月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1985年(昭和60年)4月 - 1989年(平成元年)9月、テレビ欄。
『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)3月 - 4月 テレビ欄
『北海道新聞』(縮刷版) 1971年(昭和46年)12月 - 1972年(昭和47年)1月 テレビ欄
『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)3月 - 1973年(昭和48年)4月 テレビ欄
『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1959年(昭和34年)3月 - 1961年(昭和36年)9月 テレビ欄
『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)3月 - 1973年(昭和48年)1月 テレビ欄
『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1961年(昭和36年)6月 - 1964年(昭和39年)3月 テレビ欄
北海道文化放送・編著『uhb20年の歩み』1993年、175頁