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西新橋
東京都港区の町名 ウィキペディアから
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西新橋(にししんばし)は、東京都港区の地名。住居表示実施済み区域であり、現行行政町名は西新橋一丁目から三丁目。芝地区総合支所管内に属する地域の一つである。
地理
町域の大半はオフィスビルが立ち並ぶビジネス街となっており、会社員向けの飲食店なども集まっている。
西新橋は、1965年(昭和40年)の住居表示実施の際に、従前の芝田村町を中心とする区域に新しく命名された町名である。町名を決定する際に、港区は田村町とせず、新橋の西側に位置することから西新橋と命名した。
歴史
要約
視点
現在の西新橋の一帯は関東大震災以前には「桜田」を冠称する多くの町があった。関東大震災後の復興のための大規模な町名整理が行われ、桜田地区の数多くの町はその名前を変え新たに田村町となった。1965年に実施された住居表示により田村町一帯は新たに「西新橋」の町名がつけられた。

沿革
- 1794年(寛政2年) - 麹町から出火した大火により類焼した桜田七か町(桜田太左衛門町・久保町・善右衛門町・和泉町・鍛冶町・備前町・伏見町)が現在の西新橋の地に移転してくる。
- 1827年(文政10年) - 本郷五・六丁目が火除地として召し上げられ、一部が移転して幸橋御門外本郷六丁目代地が成立する。
- 1868年(明治元年) - 東京府成立に伴い、当地域は東京府の所属となる。
- 1869年(明治2年) - 本郷六丁目代地が桜田本郷町と改称する。
- 1873年(明治5年) - 佐久間小路と呼ばれていた武家地に南佐久間町一・二丁目が、田村右京大夫(田村宗良)屋敷に因み田村小路と呼ばれていた武家地に田村町が成立する。桜田本郷町が大的場跡を合併する。芝新銭座・川口町・湊町の一部が移転し、新桜田町が成立する。
- 1878年(明治11年) - 芝区成立に伴い、当地域は東京府芝区の所属となる。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 東京市成立に伴い、当地域は東京市芝区の所属となる。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により桜田地区はほとんど焦土と化す。
- 1932年(昭和7年)12月1日 - 関東大震災後の復興のための大規模な町名整理が行われ、桜田地区の数多くの町が消滅し、従来の田村町の隣に、新たに田村町一丁目から田村町六丁目が成立する。
- 1947年(昭和22年) - 芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い町名に「芝」の冠称がつく。
- 1956年(昭和31年) - この年から翌年にかけて、桜田地区の残余部分(芝新桜田町・芝桜田太左衛門町など)が芝田村町に編入され消滅する。
- 1965年(昭和40年)7月1日 - 住居表示が実施され、芝田村町に周辺の芝南佐久間町などを合わせて現在の西新橋が成立する。
- 2014年(平成26年)3月31日 - 新虎通り(愛称)開通
- 2016年(平成28年)4月1日 - 新虎通りエリアマネジメント協議設立
町名の変遷
震災復興期の桜田地区(田村町)
住居表示実施前後
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世帯数と人口
2025年(令和7年)4月1日現在(港区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年4月現在)[12]。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
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施設・名所・史跡

西新橋一丁目
西新橋二丁目
- 南桜公園
- 住友不動産日比谷ビル
- 日比谷シティホテル
- 永谷園本社
- 愛宕日立別館 (日立グローバルライフソリューションズなどが本社を構える)
西新橋三丁目
交通

鉄道
路線バス
その他
日本郵便
脚注
外部リンク
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