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2018年のNHK大河ドラマ第57作 ウィキペディアから
『西郷どん』(せごどん)は、2018年(平成30年)1月7日から同年12月16日まで放送されたNHK大河ドラマ第57作[1][3]。NHK大河ドラマとしては平成のうちに最終回を迎えた最後の作品。
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西郷どん | |
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ジャンル | テレビドラマ |
原作 | 林真理子『西郷どん!』 |
脚本 | 中園ミホ |
演出 |
野田雄介 盆子原誠 岡田健[1] |
出演者 |
鈴木亮平 (以下五十音順) 青木崇高 秋山菜津子 石橋蓮司 泉ピン子 井戸田潤 伊武雅刀 内田有紀 瑛太 柄本明 遠藤憲一 大野拓朗 小栗旬 尾上菊之助 尾上寛之 忍成修吾 鹿賀丈史 笠松将 風間俊介 風間杜夫 上白石萌音 柏木由紀 木内みどり 北川景子 北村有起哉 国広富之 黒木華 劇団ひとり 小柳ルミ子 近藤春菜 近藤芳正 桜庭ななみ 迫田孝也 佐野史郎 沢村一樹 笑福亭鶴瓶 神保悟志 高梨臨 高橋光臣 玉山鉄二 塚地武雅 津田寛治 戸田菜穂 二階堂ふみ 錦戸亮 西田敏行 猫背椿 橋本愛 浜田学 浜野謙太 平田満 藤木直人 藤真利子 藤本隆宏 堀井新太 堀内正美 又吉直樹 町田啓太 松坂慶子 松田翔太 水川あさみ 南野陽子 美村里江 村上新悟 山田純大 竜雷太 渡辺謙 |
ナレーター | 西田敏行 |
時代設定 | 江戸時代末 - 明治時代初期 |
製作 | |
プロデューサー |
櫻井賢(制作統括) 小西千栄子 |
制作 | 日本放送協会 |
放送 | |
音声形式 | 解説放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 2018年1月7日 - 12月16日 |
放送時間 | 日曜 20:00 - 20:45 |
放送枠 | 大河ドラマ |
放送分 | 45分 |
回数 | 47[2] |
番組年表 | |
前作 | おんな城主 直虎 |
次作 | いだてん〜東京オリムピック噺〜 |
特記事項: 初回、最終回は15分拡大(20:00 - 21:00)。 |
明治維新の立役者・西郷隆盛を原作・林真理子と脚本・中園ミホの「女の視点」で、勇気と実行力で時代を切り開いた「愛に溢れたリーダー」として描く[1][3]。
2018年(平成30年)が「明治維新から150年」にあたることから企画された[4]。
2016年9月8日に制作発表が行われ、林真理子の小説『西郷どん!』[注釈 1]を原作に、脚本を連続テレビ小説『花子とアン』などを手がけた中園ミホが担当することが発表された[1][3]。
同年11月2日、主人公の西郷隆盛役を鈴木亮平が演じることが発表された[6]。会見の中で中園は、「原作には師弟愛や家族愛、男女の愛、BL(ボーイズラブ)までの色々な愛がある」と指摘する[7]一方で、BL要素を加えると明言したことに対する批判も起きている[8]。
語りの役は当初、市原悦子が起用される予定であったが、市原が体調不良を理由に降板したため過去に西郷隆盛を主人公とした大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990年放送)で西郷役を演じていた西田敏行が代役に選ばれ[9][10]、第1話から語りと中 - 高年期の西郷菊次郎役を兼任して担当している。他にも斉藤由貴の出演が予定されていたが[11]、2017年9月21日に出演辞退が発表され[12]、10月18日に南野陽子の起用が明らかにされた[13]。
2017年7月6日にクランクイン[14]。8月23日から9月初旬まで鹿児島ロケ[15]。11月7日、公式HPが開設され、同時にメインビジュアルが発表された[16]。
NHK局内での「働き方改革」の一環としてこの作品から大河ドラマの放送回数が全47回となり、当初の発表から3話減らされた[2]。減らされた話数には別番組を編成した。西郷が奄美大島、沖永良部島に流刑となる「島編」では、3週間にわたる奄美大島ロケが行われた[17]。奄美ことばのセリフには日本語(共通語)字幕が付けられた[18](ただし劇中の奄美ことばは伝統的な奄美の言葉よりもトン普通語に近いものだった)。
オープニングは雄川の滝や龍門司坂等の鹿児島の景勝地を映し、幕末、明治と時代が進むごとに西郷隆盛の容姿の変化を盛り込んでいる。[19]音楽の後半から里アンナによる歌声が流れるが第18回より島言葉による歌詞が付いた「西郷どん -メインテーマ- すらちまいあがれVer.」に変更となった。
次作『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は4K映像作品となったため[21]、NHK大河ドラマシリーズ最後の全編ハイビジョン撮影作品となった。
全47話の加重平均視聴率は12.7%となり、2018年12月の放送終了時点では『花燃ゆ』『平清盛』に続く当時歴代ワースト3位の数字だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)[22]。
西郷隆盛が日本史上最後の内戦・西南戦争で戦死してから21年後、すっかり白髪交じりの頭となった西郷の夫人・糸(イト)は、明治三十一年十二月十八日、上野公園で西郷隆盛像の除幕式に出席する。だが、幕が下ろされ、像を見た西郷夫人・糸は動揺し、「違ごう………うちの旦那さぁは……こげな人じゃ、ありもはん!」と叫ぶ。
時代は徳川泰平の世の末期の幕末、その幕末の薩摩藩(現在の鹿児島県)には、貧乏な下級藩士の子・西郷小吉がいた。小吉は、大家族の長男として生まれた。隣の家に住むのは幼馴染の大久保正助、のちの大久保利通である。少年時代に郷中同士の喧嘩に巻き込まれて、右腕を斬られ、剣を持てなくなる小吉。立派な侍になれないと嘆くが、薩摩藩の若君・島津斉彬に出会い「めそめそするな、この”やっせんぼ”!侍が腰に二本も刀を差してふんぞり返っている時代はもうすぐおわるんだ。民のために尽くす侍となれ!」と励まされる。小吉は成長し西郷吉之助(のちの隆盛)と名を変え、郡方書役助として薩摩藩に仕える。お由羅騒動の後、斉彬が藩主になると、西郷は藩の政を憂う書状などから斉彬に登用され、江戸勤めを命じられる。西郷は幼馴染の正助や離縁を申し出た須賀により支度金三十両を工面し、江戸に出発する。斉彬の「お庭番」として活動し、薩摩藩の篤姫を江戸幕府の第13代将軍徳川家定の元へ輿入れさせることに成功する。品川の宿では「ヒー様」と呼ばれる一橋慶喜と知り合いにもなる。
篤姫輿入れの策謀では斉彬(一橋派)はまずは成功(次期将軍に一橋慶喜を就任させるのが最終の策謀)したものの、味方一橋派の老中・阿部正弘が急死してしまう。次期第14代将軍は井伊直弼の推す徳川家茂となる。不幸は斉彬まで病死したことだ。井伊は反対派を粛正するためのちに『安政の大獄』と呼ばれる弾圧政治を始める。西郷は朝廷工作を行っていた僧侶・月照とともに薩摩に逃亡を図るが、「日向送り」(隣国・日向国の国境で処刑される刑罰)の沙汰が下る。西郷は月照と船から抱き合うように海に落ちて入水自殺を図り、一人だけ生き残ってしまう。「これは天命に違いなか」
西郷吉之助は菊池源吾と名を変えて、幕府には死亡したことにして、薩摩藩に「島流し」にされる。西郷は自暴自棄になり、ささくれだって島人を遠避け、死人の如く落ち込んでいたが、やがて、薩摩藩からの圧政に苦しむ島民と心通わせる。西郷は、島の娘・愛加那をアンゴ(島妻)とし、長男・菊次郎と長女・菊草を授かるが、薩摩に帰郷することを三年後に許される。だが、斉彬の弟・島津久光の怒りを買い、今度は沖永良部島に流される。紆余曲折の末再び薩摩に戻った西郷は、最初、会津藩と薩摩藩で幕府側として、禁門の変や長州征伐で指揮を執る。しかし、徳川幕府の腐りきった体制を見るにつけて、次第に西郷は倒幕に傾いていく。この後、慶喜とは決別をした。また幼馴染の糸と再婚し、京洛で、のちの維新の立役者、幕臣の勝海舟、公家の岩倉具視、土佐藩士の坂本龍馬らと知り合った西郷は、藩内の反対派を抑え、坂本龍馬の策で長州藩と薩摩藩は同盟を結ぶ。いわゆる『薩長同盟』である。若き将軍・徳川家茂が病死し、最後の第15代将軍となった徳川慶喜は、西郷ら武力倒幕を目指す輩が驚くような策を放つ。『大政奉還』である。だが、坂本龍馬は不貞な輩に暗殺されてしまう。江戸城総攻撃の前日、西郷と勝海舟は江戸薩摩藩邸で会談をもつ。勝は言う。「江戸百万の民に、塗炭の苦しみをなめさせて作る国に、この先にどんな望みがあるってんだ。せごどんが作る、新しい日本てのはなんだい?」勝海舟の言葉に我を取り戻した西郷は、勝に説得され『江戸無血開城』が成立する。
明治三十七年、京都市に新しい市長が赴任した。西南の役で戦死した西郷隆盛の息子の西郷菊次郎であった。彼は西郷の嫡男であるということはあまり主張しなかった、自分が庶子である、という。そして菊次郎は市長室にやってきた部下にせがまれ、西郷隆盛の話を再開する。
戊辰戦争で弟の吉二郎を亡くした西郷は薩摩に戻り、大島から菊次郎と菊草を引き取る。だが大久保に請われ、上京して明治新政府の参与に参画。ほどなく、岩倉具視、木戸孝允、大久保らが『岩倉使節団』として条約改正のため二年間の予定で欧米に出発した。留守政府を任された西郷たちは、廃藩置県や帯刀禁止令や地租改正、裁判制度など次々と改革を断行。やがて朝鮮国との外交を巡って『征韓論』が起こる。が、西郷は大使として朝鮮に赴き説得してくると主張する。だが、帰国した大久保・岩倉たちに反対され、征韓論は瓦解し、西郷と板垣退助・江藤新平らは明治新政府を去り、下野。西郷は薩摩・鹿児島県に戻ると、士族のための私学校をつくり、自分は校長として生徒たちの指導にあたる。そこに薩摩の西郷をしたって中村半次郎(桐野利秋)・別府伸介らや明治政府での薩摩出身の兵隊たちまでやってくる。だが、生徒たちが大久保の命を受けた刺客が西郷隆盛を暗殺しようとしたと激高し、騒動を起こした。そこから日本史上最後の内戦『西南戦争』に発展。「おいの命、おまはんらにあずけもんそ」西郷は新政府軍と戦うが、敗走に次ぐ敗走で、徐々に追い詰められる。 二万いた西郷軍はわずか数百となり、生まれ故郷の薩摩・鹿児島県の城山に最後の着陣。その夜、西郷たちは『ラ・マルセイエーズ(フランス革命の歌・現在のフランス国歌)』の演奏にあわせて円陣を組み、最後の夜に想いをひとつにはしゃぐ。
明治十年九月二十四日、明治新政府軍による城山の総攻撃が開始される。「そろそろいきもうそ」と西郷軍は城山を出て走り出す。視界が開けて雄大な噴煙を上げる桜島が見える。その時、銃弾を腹と脚に受けた。「もう……ここらでよか」が最期の言葉となり、西郷隆盛はついに絶命。多くの人がその死を哀しんだ。そして、西郷の盟友・大久保利通も西郷の死の翌年、東京の紀尾井坂で暗殺される。
『敬天愛人』……天を敬い人を愛した西郷隆盛と、その明治維新の英雄たちの時代はこうして幕を閉じた。
『5分で分かる西郷どん』として放送翌日(毎週月曜日)0時05分 - 0時10分(放送当日の深夜)に総合テレビで5分間のダイジェスト版(字幕あり、解説なし)を放送する。日曜早朝に再放送が行われる。
放送回 | 放送日 | サブタイトル | 演出 | 紀行 | 視聴率 | |
---|---|---|---|---|---|---|
第 | 1回1月 7日 | 薩摩のやっせんぼ | 野田雄介 | 西郷隆盛誕生地(鹿児島県鹿児島市) 竹田神社 (鹿児島県南さつま市) | 15.4%[37] | |
第 | 2回1月14日 | 立派なお侍 | 仙巌園(鹿児島県鹿児島市) | 15.4%[38] | ||
第 | 3回1月21日 | 子どもは国の宝 | 揖宿神社(鹿児島県指宿市) | 14.2%[39] | ||
第 | 4回1月28日 | 新しき藩主 | 旧島津氏玉里邸庭園(鹿児島県鹿児島市) | 14.8%[39] | ||
第 | 5回2月 4日 | 相撲じゃ!相撲じゃ! | 盆子原誠 | 旧集成館(尚古集成館)(鹿児島県鹿児島市) | 15.5%[39] | |
第 | 6回2月11日 | 謎の漂流者 | 高知城(高知県高知市) ジョン万次郎生家(高知県土佐清水市) | 15.1%[40] | ||
第 | 7回2月18日 | 背中の母 | 岡田健 | 西郷家の墓(鹿児島県鹿児島市) | 14.3%[41] | |
第 | 8回2月25日 | 不吉な嫁 | ペリー公園(神奈川県横須賀市) たまくすの木(横浜開港資料館)(神奈川県横浜市) | 14.2%[42] | ||
第 | 9回3月 4日 | 江戸のヒー様 | 野田雄介 | 紀尾井坂(東京都千代田区) 芝薩摩藩屋敷跡(東京都港区) | 14.8%[43] | |
第10回 | 3月11日 | 篤姫はどこへ | 盆子原誠 | 旧東海道 品川宿(東京都品川区) | 14.4%[43] | |
第11回 | 3月18日 | 斉彬暗殺 | 津田温子 | 目黒不動尊 瀧泉寺(東京都目黒区) | 14.6%[43] | |
第12回 | 3月25日 | 運の強き姫君 | 小石川後楽園(東京都千代田区 / 文京区) | 14.1%[44] | ||
第13回 | 4月 8日 | 変わらない友 | 野田雄介 | 清水寺成就院(京都府京都市) | 13.0%[45] | |
第14回 | 4月15日 | 慶喜の本気 | 岡田健 | 弘道館(茨城県水戸市) | 11.9%[46] | |
第15回 | 4月22日 | 殿の死 | 野田雄介 | 照國神社(鹿児島県鹿児島市) | 13.4%[47] | |
第16回 | 4月29日 | 斉彬の遺言 | 岡田健 | 埋木舎(滋賀県彦根市) | 11.1%[48] | |
第17回 | 5月 6日 | 西郷入水 | 津田温子 | 即宗院(東福寺)(京都府京都市) 市来湊(鹿児島県いちき串木野市) 月照上人遺跡之碑(鹿児島県鹿児島市) | 12.0%[49] | |
第18回 | 5月13日 | 流人 菊池源吾 | 盆子原誠 | 西郷松跡(鹿児島県龍郷町) | 14.4%[50] | |
第19回 | 5月20日 | 愛加那 | 開饒神社(鹿児島県大和村) ソテツ群生地(鹿児島県龍郷町) | 13.7%[51] | ||
第20回 | 5月27日 | 正助の黒い石 | 野田雄介 | 旧江戸城 桜田門(東京都千代田区) 愛宕神社(東京都港区) | 12.2%[52] | |
第21回 | 6月 3日 | 別れの唄 | 石塚嘉 | 愛加那の井戸(鹿児島県龍郷町) | 12.0%[53] | |
第22回 | 6月10日 | 偉大な兄 地ごろな弟 | 岡田健 | 錦小路薩摩藩屋敷跡(京都府京都市) | 13.4%[54] | |
第23回 | 6月17日 | 寺田屋騒動 | 石塚嘉 | 大黒寺(京都府伏見区) | 13.4%[55] | |
第24回 | 6月24日 | 地の果てにて | 盆子原誠 | 西郷南州翁謫居跡(鹿児島県天城町) 西郷腰かけ松(鹿児島県徳之島町) | 12.2%[56] | |
第25回 | 7月 1日 | 生かされた命 | 西郷南洲翁謫居之地(鹿児島県和泊町) | 12.7%[57] | ||
第26回 | 7月15日 | 西郷、京へ | 野田雄介 | 渉成園(京都府京都市) | 12.2%[58] | |
第27回 | 7月22日 | 禁門の変 | 天龍寺塔頭 弘源寺(京都府京都市) | 12.0%[59] | ||
第28回 | 7月29日 | 勝と龍馬 | 岡田健 | 龍護寺(現・清泰院)(山口県岩国市) | 11.1%[60] | |
第29回 | 8月 5日 | 三度目の結婚 | 堀内裕介 | 平松城跡(鹿児島県姶良市) 鶴丸城二之丸跡(鹿児島県鹿児島市) | 11.6%[61] | |
第30回 | 8月12日 | 怪人 岩倉具視 | 野田雄介 | 岩倉具視幽棲旧宅(京都府京都市) | 10.3%[62] | |
第31回 | 8月19日 | 龍馬との約束 | 岡田健 | 西郷南州翁宅地跡(鹿児島県鹿児島市) 亀山社中跡(長崎県長崎市) | 11.0%[63] | |
第32回 | 8月26日 | 薩長同盟 | 石塚嘉 | 木戸孝允旧宅(山口県萩市) 御花畑御屋敷跡(京都府京都市) | 10.4%[64] | |
第33回 | 9月 2日 | 糸の誓い | 霧島神宮(鹿児島県霧島市) | 13.2%[65] | ||
第34回 | 9月 9日 | 将軍慶喜 | 盆子原誠 | 元離宮 二条城(京都府京都市) | 11.9%[66] | |
第35回 | 9月16日 | 戦の鬼 | 大阪城公園(大阪府大阪市) | 11.7%[67] | ||
第36回 | 9月23日 | 慶喜の首 | 堀内裕介 | 城南宮(京都市伏見区) 相国寺塔頭 養源院(京都市上京区) | 11.0%[68] | |
第37回 | (BSプレミアム) (総合テレビ)10月 7日 |
9月30日江戸無血開城 | 野田雄介 | 勝海舟生誕の地(東京都墨田区) 四合稲荷(赤坂氷川神社)(東京都港区) | [69] | 9.9%|
第38回 | 10月14日 | 傷だらけの維新 | 長岡城本丸跡(新潟県長岡市) 戊辰戦役記念碑(新潟県三条市) 金谷山官修墓地(新潟県上越市) | 10.2%[70] | ||
第39回 | 10月21日 | 父、西郷隆盛 | 盆子原誠 | 旧岩倉具視邸(玄国寺)(東京都新宿区) 旧新橋停車場跡跡(東京都港区) | 12.3%[70] | |
第40回 | 10月28日 | 波乱の新政府 | 大嶋慧介 | 明治天皇駐蹕之処の碑(千葉県船橋市) 習志野騎兵旅団発祥の地(千葉県習志野市) | 11.7%[70] | |
第41回 | 11月 | 4日新しき国へ | 石塚嘉 | 神奈川台場跡(神奈川県横浜市) | 11.8%[70] | |
第42回 | 11月11日 | 両雄激突 | 野田雄介 | 西郷隆盛屋敷跡(東京都中央区) | 11.3%[71] | |
第43回 | 11月18日 | さらば、東京 | 盆子原誠 | 大久保利通生立ちの地(鹿児島県鹿児島市) 三年坂(東京都千代田区) | 11.6%[71] | |
第44回 | 11月25日 | 士族たちの動乱 | 石塚嘉 | 本行寺(佐賀県佐賀市) | 12.4%[72] | |
第45回 | 12月 | 2日西郷立つ | 大嶋慧介 | 吉野開墾社碑(鹿児島県鹿児島市) 松ヶ岡開墾場(山形県鶴岡市) 南洲神社(山形県酒田市) | 11.5%[73] | |
第46回 | 12月 | 9日西南戦争 | 盆子原誠 | 田原坂 三の坂(熊本県熊本市) 西郷隆盛宿陣跡資料館(宮崎県延岡市) | 11.4%[73] | |
最終回 | 12月16日 | 敬天愛人 | 野田雄介 | 鹿児島県鹿児島市 東京都千代田区 / 港区 / 目黒区 | 13.8%[74] | |
(総合テレビでの全放送回の加重平均視聴率12.7%[22]、視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム) |
話数の短縮に伴い、本編の放送を休止し特別番組が編成された。
西郷隆盛の出身地である鹿児島市内の加治屋町の旧鹿児島市立病院跡地において、放送期間と前後する2018年1月13日から翌2019年1月14日までの約1年間、大河ドラマ館が開館された[78]。オープンから347日目となる2018年12月26日に、入場者数が50万人を達成した。総入場者数は55万3052人だった。
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