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大久保 満寿子(おおくぼ ますこ、天保11年(1840年) - 明治11年(1878年)12月7日[1][2])は、維新の三傑の一人・大久保利通の妻。名前はます、増子、益子とも[2]。本人の手紙には舛の字を使っている[3]。
薩摩藩士・早崎七郎右衛門の次女[2][4]。七郎右衛門は、長期にわたり大坂蔵屋敷の留守居役をつとめた[注釈 1]。弟は早崎七郎(海軍少佐)、早崎源吾(海軍少将)[1]。子は利和、牧野伸顕、利武、石原雄熊、芳子(伊集院彦吉夫人)。
安政4年(1857年)暮れ、利通が27歳の時に結婚[5]。利通が藩主の側近として京都や鹿児島を行き来する間、満寿は鹿児島で家を守った[6]。
明治維新後も鹿児島で暮らしていたが、盟友であった西郷隆盛との対立が表面化して以降、大久保家の立場は厳しくなり、明治7年(1874年)に上京し、利通と暮らすようになる[7]。
明治11年(1878年)5月、利通が紀尾井坂の変で暗殺される。満寿は体調を崩して病床につき、半年後の12月に死去した。『明治天皇記』では12月6日に死去し、9日の葬儀に宮中から勅使が差し遣わされたとする。死亡日は17日とする年譜もある[8]。
東京に出てきてわずか4年で亡くなったため、残された記録は少ないが、後年、曾孫の利泰が世田谷の自宅で唯一残る満寿子の手紙を発見した。利通が京都で幕府打倒の密謀に奔走している頃、薩摩での日常の細々とした報告の手紙であった[9]。利通からは息子2人の米国留学を心配する妻をなだめる手紙や、欧米視察の際、旅先から妻を想う歌を詠んだ手紙が残されていて、愛妻家であった事がうかがえる[10]。利通は厨房で五目寿司を作ることもあったという[11]。大久保家には満寿の霊代として、小さな指輪が残されている[6]。
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