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日本の新聞 ウィキペディアから
産経新聞(さんけいしんぶん、題字: 產經新聞、英: THE SANKEI SHIMBUN)は、フジサンケイグループ(FCG)の産業経済新聞社(産経新聞社)が発行する日本の新聞(一般紙)。正式名称は産業経済新聞(さんぎょうけいざいしんぶん)で、1933年(昭和8年)に創刊[3]された。日本の5大紙の一つで[4]、紙媒体については主に関東・近畿地方を中心に販売を行っている。
產經新聞 THE SANKEI SHIMBUN | |
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種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 | 株式会社産業経済新聞社 |
本社 |
【東京本社】 東京都千代田区大手町1-7-2 【大阪本社】 大阪府大阪市浪速区湊町2-1-57 |
代表者 | 近藤哲司(代表取締役社長) |
創刊 | 1942年(昭和17年)11月1日 |
前身 |
時事新報 (1882年3月1日 - 1955年10月31日) 大阪新聞 (1923年6月1日 - 2002年3月30日) 大阪中外商業新報 (1924年12月1日 - 1942年10月31日) 日本工業新聞 (1933年6月20日 - 1942年10月31日) 世界日報(世界経済新聞) (1946年8月1日 - 1950年12月31日) 産経時事(東京本社版の旧名) (1955年11月1日 - 1958年7月10日) |
言語 | 日本語 |
発行数 |
(朝刊)約84.4万部[1] (夕刊)約21.2万部[2] |
ウェブサイト |
www |
大阪朝日新聞社(現在の朝日新聞大阪本社)や大阪毎日新聞社(同毎日新聞大阪本社)とともに大阪発祥の新聞社であるが、現在登記上の本店は東京都千代田区大手町の東京サンケイビルに置いている。
産業経済新聞社(産経新聞社)はフジテレビジョン(フジテレビ)やニッポン放送、ポニーキャニオンなどとともにフジサンケイグループ(FCG)に属する[5]。大阪新聞の僚紙である日本工業新聞(1933年6月20日創刊)を前身とし、時事新報の流れを汲む。「産業経済新聞」という正式名称ではあるが、日本経済新聞(日経新聞)のように経済に特化した経済専門紙ではない。キャッチフレーズは「モノをいう新聞」ある[6]。
2002年には発行部数の減少及びそれに伴う合理化のため東京本社版の夕刊を廃止した。そのため、現在は東京本社版が朝刊のみ、主力の大阪本社版が朝刊・夕刊発行[注釈 1]という変則的な発行体制が取られている。東京本社版の夕刊廃止後、産経系における時事的な夕刊は、スピンオフタブロイド紙の夕刊フジに事実上一任されていたが、この夕刊フジも2025年1月末での休刊が発表されている。
全国紙5紙の中では最も紙の販売部数が少ない89万部、これはブロック紙の中日新聞(東京新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井を含む)より少ない。従前から北海道・東北・中部・中四国・九州・沖縄地方での流通はごくわずか[7]であった。2020年10月よりコスト削減のため宅配網自体を関西と関東などに限定すると2018年にFACTAが報道した[8]が、2024年10月現在は、北海道、富山県、沖縄県以外では宅配網が維持されている。ただし、宅配不可の地域でも、第3種郵便物としての郵送購読(但しこの場合は発行日から数日程度遅れての発送となる)、または産経電子版を利用しての購読が利用できる他、東海地方の大半、九州(山口県を含み、沖縄県を除く)は他紙への委託宅配となっているほか、全国紙5紙で唯一、先述の札幌に加え、名古屋に発行所が存在しない。
また、元々前身の日本工業新聞が大阪新聞からスピンオフしたものであり、共同通信社・地方紙などで構成する47NEWS・よんななクラブに大阪本社が単独で加盟しているなど、全国紙であると同時に大阪府の地方紙としての性格を有している。
産経新聞は他社が紙媒体に固執するなか、いち早くデジタル分野に注力してきた。2005年11月に子会社の産経デジタルを設立し、ニュースサイト「Sankei WEB(現・産経ニュース)」「SANSPO.COM(現・サンスポ)」「ZAKZAK」「SankeiBiz(現在はイザ!の経済コーナーに統合)」、産経新聞グループのニュースポータル「iza!(イザ)」などを開設した。
2007年には日本マイクロソフトと共同でニュースサイト「MSN産経ニュース(https://sankei.jp.msn.com/)」を開設し、既存の「Sankei WEB」が新サイトに全面移行した。当時の住田良能社長は発表記者会見にて「MSN産経ニュースでは、原則としてスクープも紙面の締め切りを待たずにWebに掲載する『ウェブファースト』を実現するが、単に速さだけでなく質の高さも合わせて追求する『ウェブパーフェクト』を目指す」と語っている[9][10]。2014年10月にマイクロソフト米国本社のグローバル戦略の変更に伴って共同運営を終了、単独運営の「産経ニュース(https://www.sankei.com/)」に移行した[11]。
2022年12月の仕様変更によってTwitter(現・X)の投稿閲覧回数が第三者からも可視化された際には、FLASHがX公式アカウント「産経ニュース(@Sankei_news)」の圧倒的な拡散力を紹介した。「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞オンライン」公式アカウントはそれぞれ約133万、約98万、約83万のフォロワーを有しているものの、表示回数が数千回、多いもので1万回程度にとどまっている。その一方、フォロワー約70万人「産経ニュース」は、表示回数が1万回を超えるツイートが多く、なかには5万回以上の投稿もあると報じている[12]。
論調の根幹は右派的で親米保守・反共主義かつ旧体制への復古主義的傾向もみられる。また、右寄りといわれる読売新聞よりもタカ派的である。
電子版では「皇室」のコーナーを設けて動静を報じる[27][注釈 5]。
産経新聞は自由民主党(自民党)寄りの論調だと見なされることが多い[28]。一方で、公明党との連立解消を主張するなど、公明党に対しては批判的な主張もみられる。
1958年(昭和33年)の水野成夫の社長就任以降、一貫して自民党を支持している。とはいえ、近年では総裁が誰であれ無条件で支持する訳ではなくなってきている。2024年(令和6年)の第215特別国会召集前には、直前の第50回衆議院議員総選挙で大敗した第28代党総裁兼第102代内閣総理大臣石破茂の即時退陣を求めると主張[29]し、石破が第103代内閣総理大臣として再び首班指名を受けた後には「憲政の筋を踏まえない首相続投は残念」と書いた[30]。
社説「主張」・「正論」欄では親米保守・反共主義[注釈 6]に肯定的な主張を多く掲載してきた。これも『産経時事』から『産経新聞』へ改めた際の経緯が関係する(#「正論」路線と『主張』『正論』欄で後述)。但し、党内の親台反中・反米強硬勢力ともつながりがあり、中でも石原慎太郎は青嵐会を率いた1970年代から亡くなるまで深い関係にあった[31]。
2006年には他の全国紙が首相による靖国神社参拝を批判的な論調をとる中、第89代内閣総理大臣小泉純一郎による靖国神社参拝を支持する立場をとった[32]。小泉の後を継いだ第90・96-98代首相安倍晋三率いる安倍内閣についても「右傾化」との指摘は誤りであるとする論陣を張った[33][34][35][36]。
なお、自民党出身の閣僚ないし政務三役に不祥事があった場合は、自民党に対する国民の支持を繋ぎ止めるために批判に回ることもあり、過去には「主張」欄で「総理の対応が後手後手」[37]「首相は更迭を躊躇うな」[38]と表現したこともあった。
これら一連の本紙の動きに対し、自民党側は機関誌で「輝かしい信条を持ちその良識あふれる紙面によりわが国唯一の高級紙となっている」と評価し[39]、田中角栄が第6代総裁を務めていた時代には「産経新聞を拡張せよ」という秘密指令が飛んだこともあった。
2021年に最高裁が「夫婦別姓」を認めない民法の規定を再び「合憲」と判断した際には、「主張」欄で「夫婦同一の姓は社会に定着し、家族の呼称として意義があることを認めた平成27年の最高裁判決を踏襲した妥当な判断である」と表現し、選択的夫婦別姓制度の導入に反対する立場をとっている[40]。
日本維新の会に対しては、反共・憲法改正・親米保守などといった基本理念では本紙と共通し、さらに行政改革に対しても自民党以上に積極的なため、好意的な論調が多い[42][43]。
旧民主党とその後継の民進党に対しては、2015年の政治資金収支報告がなされた際に、連日所属国会議員の支出を批判する記事を掲載した[44]。またゆるキャラグランプリ2015で、民主党がエントリーさせた「民主くん」に対する支持が集まらなかったことを、写真付きで大々的に取り上げ嘲笑した[45]。民進党の事実上の後継政党である立憲民主党に関しても、「立憲共産党」と揶揄するなど批判的論調が多く見受けられる[46]。
日本共産党に対しては、反共主義の観点から批判する傾向が強く、1973年(昭和48年)12月2日付本紙朝刊に掲載された、自由民主党が有償で出稿した日本共産党に対する意見広告への無償の反論権があるかを巡りサンケイ新聞事件が起きている[47]。1977年の第一審と1980年の控訴審の二度の判決で共産党側による反論権の主張は否定され、1987年(昭和62年)、最高裁が共産党による上告を棄却する判決を行い、産経全面勝訴の判決が確定した[47]。
2013年には中沢啓治の漫画『はだしのゲン』について、「ジャンプで打ち切りになり共産党系・日教組系と連載誌を転々とし始めた頃から、旧帝國陸軍のありもしない蛮行や昭和天皇への呪詛がてんこ盛りになった」とする記事を掲載した[48][49]。
少数政党では、幸福の科学傘下で保守強硬色の強い幸福実現党関連の記事、連載、広告を本紙および僚紙で多く受け入れる傾向がある。
2009年(平成21年)6月24日の夕刊フジに開祖大川隆法の妻で当時党首だった大川きょう子のインタビュー記事を掲載[50]、2009年8月2日、大川きょう子(当時宣伝局長)と田母神俊雄の対談記事が全面広告として掲載された。2010年1月28日から夕刊フジに初代党首の饗庭直道(当時広報本部長代理)の連載コラム「いざ!幸福維新」がスタートし[51]、これは竜の口法子(当時党女性局長)[52]ら歴代党首を経て現党首釈量子に受け継がれた連載は、2025年1月の夕刊フジ廃刊まで続けられる予定である。
また『ビジネスアイ』およびその電子版『SankeiBiz』にも石川悦男(当時党首)のコラムが2010年(平成22年)2月から毎週掲載(もしくは隔週掲載)されていた。その後、ついき秀学(当時党首)をはじめ歴代党首に引き継がれて、2021年の紙版休刊まで掲載された[53]。
総じて米共和党を支持する傾向があり、米民主党には批判的である。
日米関係では日米同盟の重要性を主張[54][55][56]し、これを見直す動きについて懸念を表明している[57][58][59]。また、日米関係を重視する識者の寄稿を掲載することもある[60]。
中国共産党を「北京」と呼称する事がある点が特徴である。文化大革命期に共同通信社を皮きりに他紙が次々と国外追放される中、朝日新聞のみが中国国内に残り、以降、産経を除く他社は中華人民共和国国務院(中国当局)の台湾支局閉鎖の要求を呑んで中国に支局を開局した。これとは対照的に、産経新聞は中国当局の要求を一貫して拒否し、結果として1967年(昭和42年)に特派員柴田穂が国外追放されて以降は、北京への特派員常駐を認められなかった[注釈 7]状態で、日本の新聞で最も早く林彪の死亡推測記事を伝える[注釈 8]など、むしろ政治的には中国を詳しく報道することとなった。以後、1998年(平成10年)までの31年間、北京に支局を置くことがなかった。
1998年(平成10年)に、北京に再び開局した支局を「中国総局」とし、組織上「台湾支局」をその下に配置することで中国支局を再開した。産経新聞がこうして中国の支局を再設置した結果、マスコミ他社もそれに倣って同じ条件で台湾に支局を開局することとなった[66]。
蔣介石支持で古くから知られていたが、1972年の日中国交回復の頃からその傾向を強め、1974年(昭和49年)8月15日から1976年(昭和51年)12月25日まで「蔣介石秘録」を連載した。鹿内信隆は、介石の後継として中華民国総統に就任した息子・経国と会談した際に、介石の日本への恩を忘れないようにとの思いでフジサンケイグループとして箱根彫刻の森美術館に父親の威徳を讃える「中正堂」を建立したと述べている[67]。
信隆社長時代に2年にわたって掲載された『蔣介石秘録』には、南京大虐殺について死者数を30万〜40万とする主張を載せた記事やコラムを掲載していた[68]。
2022年ロシアのウクライナ侵攻に関しては、他の主要メディアと比較しても特に「侵略」と言う言葉を用いて批判的な報道を多く行っている[69][70]。
2022年5月4日に「反ロマスコミ」だとして、63人の日本人についてロシア連邦への入国を恒久的に禁止する措置が発表された[71]が,その中でも、読売は経営者のみ(渡邉恒雄)、日経は経営者と編集局長の二人だけであるところ、産経新聞は代表取締役社長飯塚浩彦(現・会長)、専務取締役近藤哲司(現・社長)だけでなく、ソビエト連邦の崩壊を世界に先駆けてスクープした論説顧問の斎藤勉と、東京本社外信部次長兼論説委員遠藤良介も入国禁止措置リストに入れられた。「メディア関係者」で最多かつ論説委員クラスからは唯一対象者を出しており、自民党(在任中は党籍離脱する衆参両院議長含む25人)に次ぐ入国禁止措置対象となっている[72][71]。
冷戦時代、日本のメディアの朝鮮半島報道は、北朝鮮肯定・韓国否定が主流だったが、産経新聞はほぼ唯一、韓国支持・北朝鮮批判の論陣を張った。
韓国が第3代大統領朴正煕による第三共和政だった当時、日本メディアの多くは、朴政権をクーデターで政権を奪った独裁政権と否定的にとらえ、野党や知識人に対する弾圧に注目する一方、近代化や経済発展に関心を示さなかったが、産経新聞は、朴の近代化政策や経済建設を高く評価した。韓国国内でも、産経新聞は親韓メディアとみなされていた。朴は1976年の産経新聞による単独取材に「産経新聞が公正な態度で偏見のない報道を貫き、日本国民の正しい認識を深めるのに尽くされていることに対し感謝したい」と述べている[73]。
第13期大統領選挙を前に、後の第6代韓国大統領盧泰愚による民主化宣言が出された後の1990年代以降は、徐々に立場が逆転。産経は南北双方に対して批判的になり、朝日の方が韓国の立場を支持するという意味で良心的と讃えられるようになった。背景には、民主化宣言以後の金泳三、金大中、盧武鉉政権など北朝鮮に対する融和的なムードが韓国国内で広がったこと、冷戦終結で相互に遠慮が無くなったこと、また慰安婦問題など植民地時代の歴史認識をめぐって産経が日本政府の立場を前面に押し出す姿勢を見せたことなど、様々な理由がある[74]。
2014年には、朴正煕の長女で第11代大統領だった朴槿恵に関する報道が外交問題化している。元ソウル支局長黒田勝弘は、「娘・槿恵時代の韓国に産経新聞の記者が名誉毀損で裁判にかけられていることを父は草葉の陰でどう思っているだろうか。お互い残念なことだが、これは時代および日韓関係の変化の象徴である」と述べている[74]。
1980年1月7日、産経新聞は社会部記者(後に産経デジタル初代社長)阿部雅美による「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」という記事を朝刊一面トップに載せ、マスメディアで初めて拉致事件の報道をする[75]。その後も拉致疑惑とされていた、北朝鮮による日本人拉致事件をいち早く報道した。スクープから7年後の1987年に爆破テロである大韓航空爆破事件が発生し、日本人拉致が北朝鮮によるテロ活動の一環として認知されるようになると、1988年(昭和63年)3月26日の参議院予算委員会において国家公安委員長(当時)梶山静六が日本共産党の橋本敦の質疑に答え「日本海側から消えている日本人は北朝鮮による拉致の可能性がある」と国会の席で初めて述べた。この梶山答弁はNHKの国会中継で放送されなかった上に民放テレビ各社も全く取り上げず、新聞紙面で報道したのも橋本が所属する共産党の中央機関紙『赤旗』および一般全国紙では産経新聞のみだった[66][75]。
2006年(平成18年)4月には常務取締役加藤雅己が共同通信加盟社の旅行団メンバーとして北朝鮮へ渡った。
1996年に“北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)”というような正式呼称の併置を廃止し、日本メディアで最初に「北朝鮮」と単独表記することにした。このことで朝鮮総聯から抗議を受けたが、その後2002年(平成14年)〜2003年(平成15年)にかけて他の全国紙やNHKを含む日本のテレビ・ラジオ各局からも正式呼称が消え単に「北朝鮮」と呼称されるようになった。最近では「北」という表記も使用している。
中東問題では、社説などでイスラエル寄りの主張を行っている。パレスチナ自治区のイスラム原理主義組織「ハマース」に「イスラエルの存在を認めるべきだ」という旨を主張したり、パレスチナの国連加盟申請を「中東和平の阻害になる恐れがあり、イスラエルとの直接交渉こそすべきである」という主張をしたりしている[76]。
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に伴う福島第一原発事故発生以降も原子力発電の推進を主張し、脱原発の動きに懸念を表明している[77][78][79]。この点については読売新聞と共通点がある一方、中日新聞社(東京新聞・中日新聞)とは対極の位置関係にある。
2013年11月14日の『主張』では、元首相・小泉純一郎による脱原発の主張を非難した[80]。
日本共産党中央機関紙しんぶん赤旗によると、2008年度から2010年度の3年、経済産業省の外局資源エネルギー庁より原子力発電推進の広報事業(電力生産地・消費地交流事業)を請け負っており、2010年度の委託費は7400万円であった[81]。
2022年12月の産経新聞の販売部数は、朝刊が約99万部、夕刊が約29万部である[82]。朝刊部数では『読売新聞』、『朝日新聞』、『中日新聞』(東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井を含む。)、『毎日新聞』、『日本経済新聞』に次ぐ業界5位。他紙同様、発行部数も減少傾向にある。
日本ABC協会の調査によれば、産経新聞の販売部数は2009年2月時点で前年同月比30万部以上減少(218万部→187万部)した[83]が、これは押し紙廃止の方針を採った影響とされる[84]。
購読者は、東京本社版では90%以上が関東・静岡地区、大阪本社版では近畿地区にそれぞれ集中している[85]。都道府県別では、大阪府が全体の3分の1強(約34%)を占める[86]。一方、沖縄県では223部しか売れていない[87]など地域差に偏りが見られる。このため、2020年(令和2年)10月から紙版の自社販売網を首都圏と近畿圏に絞り込んだ。なお静岡県は元から地元紙の静岡新聞と複数の全国紙を扱う合売方式が主流。九州・山口特別版は最初から西日本新聞、毎日新聞の販売網に委託している。
2007年(平成19年)9月1日までにリストラの一環として行われた総支局の統合、撤退に伴い東京本社管内の県域版を廃止。「首都圏・静岡版」「北関東版」「東北版」「甲信越版」にそれぞれ統合、東京本社管内においての実質的な“県版”は廃止された(首都圏・静岡版は2009年(平成21年)2月11日より県域版が復活し各都県版に分けられた)。また大阪本社管内の中国地方と四国地方の県域版も「中四国版」に統一された。発行拠点のない地域では、直売所以外にブロック紙の販売店を通じて委託販売するなどしてカバーしている。
2009年(平成21年)2月から、全社員の約5%削減を目標として早期希望退職者の募集を開始[88][84]。期間限定で役員報酬の減額も実施するとした[89]。早期希望退職には、北京駐在の福島香織記者など多くの社員が応募。2010年1月には“社歴10年以上で40代”の社員に対しても早期退職勧奨を開始[90]。
経費節減と九州・山口地区への販路拡大を目的に[84]、2009年(平成21年)4月1日に大阪本社の下部組織として「九州・山口本部」(現・西部本部)を新設。同年10月1日から毎日新聞と提携して佐賀県鳥栖市の毎日新聞鳥栖工場で、「産経新聞九州・山口特別版」の現地印刷を開始した。「九州・山口特別版」は九州と山口県向けに発行される産経新聞(朝刊単独)で、九州の読者のニーズに配慮して九州独自の紙面構成になっている(紙面の大半は東京本社版を使用しているが、地方版とテレビ欄は大阪本社で製作される)。
日本国内外の記事を共同通信社や時事通信社からの配信に頼る事が多い。そのため、中日新聞(東京新聞)、北海道新聞及び西日本新聞などの多くのブロック紙、地方紙と同じ内容も見受けられる。また金融記事は米経済専門通信社のブルームバーグから配信を受けている。
東京本社版では2001年(平成13年)11月7日に夕刊を廃止することを発表し、翌年の2002年(平成14年)3月30日付で発行を終了した(大阪本社版=近畿地方のみでは夕刊を発行している。これは東西別対応というよりも、近畿地方では元来朝刊紙と夕刊紙とで住み分けされた文化があることに加え、同日付で夕刊専門紙として大阪で長年発行してきた僚紙の大阪新聞を廃刊し、その内容を産経新聞大阪本社夕刊に事実上継承させた経緯によるもので、主に大阪新聞時代からの連載・特集と、関西圏の地場ニュースに特化したものとなった)。夕刊廃止についてフリーライターの山口俊明が“産経新聞の東京圏での夕刊セット率は3割程度でコスト割れを起こしていた”とし、更に“売れ残った夕刊を販売店に引き取らせ、代金も徴収するいわゆる押し紙を行っていた。これに販売店も反発し、本社の前でトラックに山と積まれた押し紙を投げ捨てたこともあり、一方で大阪圏のセット率は6割前後を維持していた”としている[91]。
産経新聞は夕刊廃止の理由について「『一日の出来事が、丸ごと一紙でわかる』24時間編集の新聞をめざす。世界の一流紙はみな朝刊専門紙である。夕刊が無くなっても犬は困らない」(当時の産経新聞夕刊廃止広告のキャッチフレーズ)と述べている。また「ワンコイン作戦」と称して、一部売り朝刊を2001年9月1日付より一部110円から100円に値下げ。これ以降「新朝刊」という表現を用いている。
以来、東京本社で廃止された全国紙・産経新聞としての夕刊の機能は夕刊フジが担っている(夕刊フジの論評がそのまま本紙電子版に載る)。しかし産経新聞の夕刊が廃止されたことに伴い宅配自体は原則、翌朝配達(広義の一回配達に同じ。鉄道駅・コンビニエンスストアなどにおける即売のみ[注釈 9]発行当日の夕刊での販売は継続されている)へ切り替えられている。その夕刊フジも2024年10月1日発行の2日付で、「2025年1月31日発行の夕刊(2月1日付)で休刊する」[92]と発表し、事実上産経新聞の夕刊が完全撤退となる。
2002年(平成14年)2月より駅売り即売版のみ新聞休刊日の発行を行ったが、日本新聞協会加盟各社の反発を招き、清原武彦社長が日本新聞協会副会長を辞任する騒動となった。さらに2002年ソルトレークシティオリンピック開催期間中だったため、読売新聞が『オリンピック特別号外』と称して、定期購読の宅配分も含め新聞休刊日にも発行してこれに対抗、朝日新聞など他紙もこれに倣って宅配分も含めての新聞休刊日発行を行った。その結果、3ヶ月で産経新聞は新聞休刊日の発行を中止し、各社も同じく発行を中止した。
デジタル事業部を「産経デジタル」として2005年11月に阿部雅美を初代社長とする分社をし、2006年2月から本格的な事業展開を始めている。他社が紙媒体にフォーカスしていた2007年時点でネット報道に力を入れている[9]。2007年10月1日から開始されたマイクロソフト社と提携・運営する「MSN産経ニュース」の利用者数は、産経新聞で単独運営していた「Sankei Web」の9月の利用者数の約2.4倍の414万2000人に増加した[93]。2014年9月時点で「MSN産経ニュース」は新聞社系ニュースサイトの最大規模利用者数となり、同年10月1日に単独運営の「産経ニュース」とオピニオンサイト「iRONNA」(いろんな)をオープンした[94]。
1942年(昭和17年)に戦時統合で『産業経済新聞』となった発足当初の題字は波の地紋に楷書体で「産業經済新聞」と書かれていた[105]。戦後も暫くは楷書体の題字が続いたが、1950年(昭和25年)3月1日、東京本社版の発行が始まるのと同時に楷書体から隷書体に変わり、地紋にも手が加えられる。東京本社版では下部に「東京」の文字が追加された。
1955年(昭和30年)11月、東京で発行されていた『時事新報』を産業経済新聞本体に吸収して『産経時事』としたが、このときの題字は『産業経済新聞』と同様に波の地紋に隷書体の縦書きで「産經時事」と書かれ、上にカタカナで「サンケイ」とゴシック体の活字で明記されていた。なお産経時事の題字は東京本社版のみで、大阪本社版は従来通り『産業経済新聞』の題字で発行されていた。その後も株式会社時事新報社は休眠会社として存続している。
『産経新聞』となった後も同様に波の地紋に縦書きで「産經新聞」と隷書体で書かれ、下部に「産業経済新聞」、更に東京本社発行分はその下に「時事新報合同」とゴシック体の活字で明記されていた。これが従来と同様、1面右端に配置されていた。
この頃、産経新聞が出資・報道協定を結んでいるフジテレビジョンが1959年に開局したが、鹿内信隆はそれにちなみ、「フジ新聞」としたい構想があったが、それはのちに創刊する夕刊フジに由来するようになる。
1969年(昭和44年)5月、『サンケイ』に改題後は亀倉雄策作のロゴをそのまま使用することになり、当初は従来からの波の地紋の中央に富士山が登場し、その上に縦書きでカタカナ四文字が配され、下部にゴシック体の活字で「産業経済新聞」「産経新聞」と明記された(亀倉ロゴの「サンケイ新聞」の文字は1962年(昭和37年)2月1日付から欄外に配されていた)。同年9月1日より横型に変更して富士山を象った模様の上にカタカナ四文字が配され、左隣に「産業経済新聞・産経新聞」と小さなゴシック体の活字で書かれるようになった。どちらも東京本社版にあった「時事新報合同」の文字は表記されなくなった。
横書きになってからは右側(ごく初期は左端。右側に全国の発行日付け天気)に広告が書かれていたが、1982年(昭和57年)8月1日(※東京本社版)から「新川和江選・朝の詩」が左端に載せられるようになったため、日付は題字右側に移動(夕刊は変わらず)。
1986年(昭和61年)4月1日から、フジサンケイグループのCI導入により、題字右端下に吉田カツ作による“目玉マーク”が添付され、その右側に馬場雄二作の「FUJISANKEI COMMUNICATIONS GROUP」のロゴが付けられた。
1988年(昭和63年)5月29日『産経新聞』に復題後、青の正方形の無地に白抜きの毛筆篆書体で右から縦書きで「產經」「新聞」と揮毫された現在の題字が登場。1頁中央上部に正方形の縦書き2行で書かれた題字を中心に、左右に淡いグレーのボックスを配したレイアウトを採用。左側ボックスは朝刊が「朝の詩」、夕刊がコラム記事。右側ボックスは、当初は朝刊がその日の主な予定や各国の祝日など行事の紹介、後に主要記事目次、夕刊は別のコラム記事が載っていた。また日付のところの新聞名の表示が「産業経済新聞(サンケイ)」と変更された。
現在は東京、九州・山口版と大阪版では若干レイアウトが異なっているが、大阪版は1988年の紙面刷新以後のスタイルをほぼ踏襲する形を取り、右端は宅配申し込み・記事内容の問い合わせの電話番号等を掲載している。一方東京本社版は2008年(平成20年)3月20日(※九州・山口版は2009年(平成21年)10月1日創刊)以後、左端のところに日替わりコラムを掲載しており、題字・「朝の詩」は右寄りに配置された。なお「産業経済新聞(サンケイ)」の文言は削除されており、九州・山口版には日付のところに「九州・山口特別版」という表示がある。目次については、東京、九州・山口版は左端の日替わりコラム・南ひろこ「ひなちゃんの日常」の中間、大阪版は右下にある。2013年(平成25年)4月1日に、東京、九州・山口版で紙面刷新を行ない、「産業経済新聞(サンケイ)英称・THE SANKEI SHIMBUN」の文言を再び入れるなどとして、大阪版同様の刷新となった。(※東京版は、2008年3月20日の紙面刷新以来5年ぶり。九州・山口版は、2009年10月1日の創刊以来初だという。)
なお産経新聞社の正式な社旗は初代が赤地(紺地説あり)に左上から三本の白い斜線が左下に降りる上の中央に丸で「産経」と縦書きで書かれた文字を囲むマークを配した物。水野成夫経営後は赤地に中央よりやや上部に白く横一線がひかれ、その中に亀倉ロゴのカタカナ四文字「サンケイ」が青文字で配された物。三代目の現行は赤地に白く目玉マークを染め抜き、下部に「産經新聞」と馬場雄二作のフジサンケイグループ統一ロゴが白く染め抜かれた物となっている。
逆コース真っ只中の1958年(昭和33年)、東京進出による借入金が34億8000万円、手形が13億4000万円まで累積し、前田が住友銀行頭取・堀田庄三に財界からの支援を要請した結果、国策パルプとフジテレビジョン両社の社長を務めていた水野成夫が代表取締役に就任し[注釈 12]、財界による「はっきりした保守新聞」の要望に応える形での紙面刷新・転向と改題を行った[106]。
水野が退陣すると鹿内信隆が社長に就任し、1969年(昭和44年)4月1日、社説を「主張」に改題。7月には「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢がなっているでしょうか」「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」と宣言し「正論」路線を打ち出した[106]。1970年(昭和45年)1月1日付では「年頭の主張」を鹿内が自ら執筆し、死去直前の1990年(平成2年)まで20年間続けた。1973年(昭和48年)6月には産経新聞朝刊紙上で『主張』とは別にオピニオン記事としての『正論』欄を常設。保守系の学者や評論家にその主張を公表する場を与えた[注釈 13]。同年11月には、これを基に月刊総合雑誌『正論』も立ち上げた。
住田良能が論説委員に昇格した1989年(平成元年)から、東京本社編集局長、主筆へと駆け上がった1990年代には、この傾向がさらに強まった[107]。
月刊『正論』の販売部数が伸びた2007年(平成19年)からは産経新聞本紙での『正論』欄掲載が平日の5日間のみに縮小されるなど、時代の変化に合わせた改革も行われている。
「“ナンバーワン”よりも“オンリーワン”」「新聞はみな同じではありません」「群れない、逃げない。モノを言う新聞」とのキャッチフレーズの下に独自路線を進むことを宣言した。 年越し派遣村等の生活困窮者支援施策やその関係者についての報道[108][109]・論調に見られるように、2009年9月から2012年12月までの民主党連立政権による社会民主主義的・左派的政策や、およびそれらを肯定的に伝える他紙(朝日新聞、毎日新聞、中日新聞)に対しては批判的であった。
1面コラムは前田社長時代、「点心」を掲載していた。前田に代わって水野が社長に就任すると、朝刊のコラムを「サンケイ抄」として室伏高信に、夕刊のコラムを「笛」として渡辺一夫に外部委託して連載していた。しかし朝日新聞より引き抜かれた土屋清が編集総長兼論説委員長に就任した際に、編集各部の部会を回って紙面改革の意見を徴したとき、政治部記者の俵孝太郎が「コラム執筆者は内部起用すべきだ、機会を与えられればわれわれも他社並のことはできる」と発言した。その結果、土屋は東西の編集各部長に60人の候補者を推薦させて社内コンペを行い10人を選び、内6人に「サンケイ抄」と「笛」の分担執筆を命じた。
「サンケイ抄」は当初、編集総長室の古屋奎二と山本雄二郎が隔日で、日曜日は選外入選組が書いた。古屋が『蔣介石秘録』執筆の為に抜けた後は、政治部の俵がそれに替わり、日曜日を社会部部長の青木彰が担当した。その後、水野の社長退陣に土屋が殉じて退社した後に、青木が編集局長に就任すると、石井英夫を専門の執筆者として指名し、以後は石井が独りで(月曜掲載分は石井が日曜休暇の為別人の執筆)35年間に渡り書き続けることとなった[110]。2004年(平成16年)12月28日をもって筆者が交代した。メディア批評誌『創』は、30歳代から40歳代の数人の若手記者による輪番執筆に変わったと指摘。会社側も2008年(平成20年)6月20日付紙面で、委員長皿木喜久ら3人の論説委員が交代で執筆するようになったと認めた。
2012年7月、産経抄は坂本龍一本人が産経新聞本紙に月に1度の連載「いま、僕が思うこと」を持つにもかかわらず、反原発運動に参加した坂本を名指しで批判した[111]。坂本は9月23日に同エッセイで反論し[112]、連載を終了した。
基本的に毎月第一月曜日、産経新聞の朝刊1面に掲載される。
金美齢・日垣隆・山崎行太郎などが土曜日から月曜日まで交代で執筆するコラム『斜断機』を2002年(平成14年)3月31日まで連載していた。最終回は日垣の「さらば斜断機」[注釈 14]。
2002年4月から2009年2月まで、著者を入れ替え、反論コーナー『斜断機へ』を廃止して新コラム『断』。
2009年3月より一部執筆者を変更して『断層』となり、現在に至る。
年金問題や介護、医療といった社会保障制度、医学博士などの専門家による「ゆうゆうLife」というコラムや「イチ押し!レシピ」という日本の全国紙で初だったカラー写真付の献立コーナーを連載している。天皇・皇族の動静や「おことば」を専門に報じる「皇室」コーナーがある。
「暮らしと経済」と題して、月曜から金曜まで「女性と仕事」「生活とマネー」「いま、はやりもの」「リフレッシュ」についての記事を連載している。
朝刊一面下部に,一日一題掲載される「朝晴れエッセー」(※元は,大阪本社発行の夕刊一面下部の「夕焼けエッセー」が,「朝晴れエッセー」と改題され,東京本社版及び大阪本社版の共通掲載となった。),同じく夕刊一面下部に掲載される,本にまつわる「ビブリオエッセー」,「朝の詩」、投書面「談話室」、著名人や公職者の論評が掲載される「アピール」がある。
全国紙の中で唯一、平成開始以降も西暦ではなく和暦を中心に使っている。昭和の時代においては、民間レベルでも和暦の使用が主流であったが、新聞業界では、朝日新聞が1976年(昭和51年)に日付欄の表記を「西暦(元号)」の順に変更したのを皮切りに、1978年(昭和53年)に毎日新聞が、1988年(昭和63年)に読売新聞と日本経済新聞が追随した。そのため、2022年時点で「元号(西暦)」を続けているのは、全国紙では産経新聞のみとなっている。地方新聞も含めて産経新聞以外のほとんどの新聞は平成以降に和暦表記から西暦表記にシフトしており、日付も西暦(和暦)という表記の仕方がされているが、産経新聞は和暦(西暦)という表記方法を採っており、和暦をメインにしている[113]。地方新聞では、伊勢新聞が2023年現在でもこの表記方法を採っている。
番組表においては、関東・近畿(四国地方の徳島県を含む)両地方について、産経と最もつながりのある放送局にはアクセントを付けて目立たせる。
まれに、本編の前後に「ラッピング新聞」と題した抜き取り可能な4ページ立ての全面広告紙面を作る場合がある(日刊スポーツでも同様に行う場合あり)。その場合、1面に「本日は特別紙面です。通常紙面(本編)は2枚目からになります」と書かれる場合もある。
更に、番組表(最終テレビ面)で、フジテレビの番組(地域によっては他系列)が掲載されるスペースの左隣にドラマやバラエティーの宣伝スペースをこしらえたり、ニコニコ動画の宣伝を一般番組表並みに載せたりしたこともあった。
他社と異なり社会面相当コーナーがなく「事件」になっている。
紙の新聞と同じレイアウトの紙面を、iPhone/iPadおよびAndroidアプリ向けに配信している(朝刊は東京最終版、夕刊は大阪最終版。一部広告等は差し替え)。日本国内3キャリアで販売された画面サイズ7インチ未満のスマートフォンであれば、当日の朝刊を無料で閲覧可能である[116][117]。無料化の狙いについて、産経デジタル取締役(2008年当時)の近藤哲司はITmediaの取材に対し、「小出しにせず、どーんと出して使ってもらおうと思い切った」「新聞の無料試読制度のようなもの」と述べている[118]。Android版は1,575円、iPhone/iPad版は1,600円(いずれも月額・税込)を支払うことで、過去3カ月分のバックナンバーと大阪版夕刊も閲覧可能[117][119]。
2014年(平成26年)3月31日、その日に放送されたフジテレビの番組「笑っていいとも!」の最終回を伝える「産経新聞特報」が配信された[120]。
重大事件・事故等の発生時には、号外が配信されることもある。
大阪本社梅田オフィス
東京本社管内【総局】
東京本社管内【支局】
大阪本社管内【総局】
大阪本社管内【支局】
西部本部管内【総局】
西部本部管内【支局】
以下の拠点のうち、特記事項のない直営工場は分離子会社産経新聞印刷が運営。また同社運営の各工場は「(工場の所在地名)センター」と呼称されている[122]。
東京本社管内
大阪本社管内
西部本部管内
オックスフォード大学のロイター・ジャーナリズム研究所の「デジタルレポート2020」によれば、読者の信頼度はHuffPost Japanが28%、 BuzzFeed Japanが25%がニュースサイトで最下位層であり、週刊誌の週刊新潮が27%、週刊文春26%であった。新聞における信頼度一位は日本経済新聞の51%であり、産経新聞は朝日新聞と同率の44%だった[127]。
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