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日本の女性評論家、政治運動家 ウィキペディアから
金 美齢(きん びれい、繁体字: 金美齡, ラテン文字転写: Kim Bí-Lîng、1934年(昭和9年)2月7日 - )は、台湾出身の日本人の社会批評家、コメンテーター、政治運動家。
きん びれい 金 美齢 | |
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生誕 |
1934年2月7日(90歳) 日本統治下台湾 台北州 |
国籍 |
日本(1934-1945、2009-) 中華民国(1945-2009) |
出身校 | 早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学 |
職業 | 評論家、コメンテーター、政治運動家、早稲田大学非常勤英語講師、柴永国際学園・JET日本語学校理事長、中華民国総統府国策顧問(2000-2005,2005-2006) |
テレビ番組 |
朝まで生テレビ!(テレビ朝日) 金美齢と素敵な仲間たち(日本文化チャンネル桜) 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ) たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ) |
運動・動向 | 台湾独立運動 |
配偶者 | 周英明 |
子供 | 周麻那、他1男 |
公式サイト | 金美齢ホームページ |
学校法人柴永国際学園JET日本語学校名誉理事長[1]、元中華民国総統府国策顧問。夫・周英明との間に1男1女。TBSテレビ営業局部長の小山(旧姓・周)麻那は長女。
長年台湾独立運動に関わってきた。
1934年(昭和9年)、日本統治時代の台湾の台北の裕福な家庭に生まれる。1953年(昭和28年)に台北市内の台北市立第一女子高級中学を卒業後は結婚、国際学舎(留学生会館)に勤務した。
1956年、22歳の時離婚。1959年(昭和34年)、25歳で早稲田大学第一文学部英文学科に留学。翌1963年(昭和38年)に同大修士課程に進学。1964年(昭和39年)、東京大学大学院博士課程在学中の周英明と再婚(学生結婚)し、1男1女をもうける。1971年(昭和46年)、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
早稲田大学の大学院生時代から、聖心女子学院高等学校・東京女子大学・東京理科大学で非常勤講師を歴任。早稲田大学では、1996年(平成8年)3月まで20年以上、英語非常勤講師を務めた。1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)まで、ケンブリッジ大学客員研究員として渡英。
日本滞在中の1962年(昭和37年)、台湾独立運動を推進していた台湾青年社(後の台湾独立建国連盟)に参加。早大在学中には、台湾独立建国連盟が発行する機関紙の英語版編集長を務め、他の台湾人留学生らと大学同窓会「台湾稲門会」を結成。そのため、夫と共に反政府活動家として政府のブラックリスト(黒名単)に登録された。旅券は剥奪され、日本で事実上の亡命生活を送った。
1987年(昭和62年)7月15日、台湾で1949年(昭和24年)5月20日以来38年間続いた戒厳が解除。翌年、李登輝が台湾人初の中華民国総統に就任。台湾民主化の流れの中でブラックリストを解除され、31年ぶりに帰国した。翌1988年(昭和63年)、学校法人柴永国際学園(3月)、JET日本語学校(4月)を設立。
2000年(平成12年)に発足した民進党の陳水扁政権では、日本に亡命していた黄昭堂ら、ブラックリスト組の200余名らとともに、中華民国総統府国策顧問の一員となった。[要出典]
2005年(平成17年)2月28日に総統府国策顧問を辞任、同年5月20日に復帰したが、2006年(平成18年)6月2日に総統府が機構改革のため国策顧問ポストを置かないことになり再辞任。[要出典]
社会保障の負担増について批判の声をあげる者には否定的であり、「健全に運営されるためにはそれなりの財源が確保されるべき」として高齢者層に負担増の覚悟を求めるとともに「老後とは人生の総決算。貧困も孤独死も、自ら歩んだ道のりの終着点なのだ」と自己責任論を述べている[22]。
また、「弱者のほうが声高にものが言える社会なら、誰もが弱者になったほうが楽ということになる」「頑張ろうという気力、自助の精神が日本人の中から失われている」「民主党の我欲迎合のバラ撒き愚策を津波が洗い落としたということ」とも述べている[23]。
2000年(平成12年)、「永住外国人の地方参政権付与法案」に関する、当事者の在日韓国・台湾人を交えた民間非営利団体主催の討論会にて、在日韓国人の代表として出席した朴昌憲が「私は戦前から日本国籍を持ち、日系朝鮮族として学徒動員された。だが、終戦後の1952年、突然、日本国籍を奪われた。参政権が欲しいなら日本に帰化しろというが、もともと国籍をもっていた私たちが、どうして新しく『国籍をください』という必要があるのか。参政権は差別撤廃の象徴だ」として 旧植民地出身者やその子孫である「特別永住者」への地方参政権付与は、「日本の戦後処理」と迫ったのに反論し、「参政権は永住者に得になるが、私はあえて反対だ」と訴えた[24]。「韓国人の参政権要求は日本へのルサンチマン(恨み)だ。一世の恨みを二世、三世に刷り込んで、彼らは日本で本当に幸せに暮らせるのか。日本と運命をともにしたい人が国籍を取り、参政権をもつべきだ」とし、「日本人は参政権を、あまりに軽視している。この問題を通じて、日本人こそ日本とは何かを真剣に考えるべきだ」と提案した[24]。
2012年(平成24年)夏に竹島の領有権を巡って日韓で対立が生じた際、韓流ファンの女性たちについて「今回の一連のことで、韓流スターといわれる人たちが日本をどう捉えていたのかが、はっきりしたんじゃないでしょうか? 結局、日本の女性たちのお財布が目的でしかないということでしょう? 文化交流や親善の美名のもとに、日本の女性ファンはコケにされてきたんです。韓国人のホストクラブもあるようですが、それもこれも韓国に利用されているだけ。日本の女性として恥ずかしくないんでしょうか?韓流ファンの女性が日本の恥晒しと言われるのも納得できます。韓流ファンの女性たちは、もっと現実を見たほうがいいわね」とコメントした[25]。
2014年(平成26年)2月23日、テレビ番組『たかじんのそこまで言って委員会』で、バラク・オバマの一般教書演説が内政に多くを割いたことについて問われ「そもそもオバマ氏が出てきた大統領選挙。もしオバマさんが白人だったら、あのレベルの政治家では大統領に当選しなかったと私は思ってるわけ。あの当時、やっぱりある種の旋風が巻き起こったんですよ」と述べた[26]。
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