早稲田大学文学学術院 (わせだだいがくぶんがくがくじゅついん、英語 :Faculty of Letters, Arts and Sciences)とは、人文科学 系学部 ・大学院 を運営・管理する早稲田大学 の教員組織。 早稲田大学が、それ以前は独立した機関として位置付けられていた学部・研究科・研究所を、系統ごとに学術院として一体化することを目的に、2004年9月に新しい教員組織として「学術院」を設置したのに伴い、発足した。早稲田大学戸山キャンパス に所在し、現在は文化構想学部 、文学部 、大学院文学研究科 、総合人文科学研究センターを運営・管理している。
坪内逍遥 の講義(1908年)
旧8号館
創設の中心となった坪内逍遥は和漢洋三文学の調和を唱えた。また、坪内逍遥はシェイクスピア講義で有名で、後には早稲田といえば「文科」と言われるほどであったという。さらに坪内逍遥は1891年10月24日に『早稲田文学 』を創刊する。『早稲田文学』は後に文芸誌となるが、当初は講義録風で初期の学生の卒論が掲載されるなど、文学科の機関紙的性格を持っていた。[1] [2] [3]
1891年 に招聘された大西祝 (操山)は、哲学や論理学等を担当し、文学科の学的基礎を築いた。1892年 5月には、当時東京帝国大学 3年生であった夏目金之助(のちの漱石) が大西祝の推薦で英語教師となる[4] 。また、大西祝、坪内逍遥および高田早苗 の3名により日本の最初期の修辞学が「美辞学」として形成され、後進の学者へ受け継がれていき、のちに早稲田大学特有の修辞学の伝統を築いた[5] 。
1904年 3月には小川未明 ら当時の学生グループの運動により、小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン)が招聘され、急逝までの約半年間講師を務めた。ハーンは早稲田大学の自由な雰囲気を喜んだという。[4]
1962年 に早稲田大学高等学院 の旧校地が早稲田大学戸山キャンパス として完成し、 旧・西早稲田キャンパス(現・早稲田キャンパス) より移転する。
2004年 9月に早稲田大学にて学術院制度が導入され、第一文学部・第二文学部・文学研究科を包括する文学学術院 が発足する。
第一文学部 と第二文学部 が混合再編(「ひとたび混沌に戻して再構築」)され、2007年 度に新たな人文科学系学部として、従来の枠にとらわれない新しい学問の創出を目指す文化構想学部 と伝統的な学問分野を継承する文学部 の2学部が設置される。[6]
2012年 4月に、文学学術院における専門分野の研究を拡充と新たな社会状況に対応する学術分野を創出、研究活動の一層の活性化・透明化、研究成果の社会還元の促進を目的とし、総合人文科学研究センターを創設する。[7]
文化構想学部
文化構想学科
多元文化論系
複合文化論系
表象・メディア論系
文芸・ジャーナリズム論系
現代人間論系
社会構築論系
文学部
文学科
哲学コース
東洋哲学コース
心理学コース
社会学コース
教育学コース
日本語日本文学コース
中国語中国文学コース
英文学コース
フランス語フランス文学コース
ドイツ語ドイツ文学コース
ロシア語ロシア文学コース
演劇映像コース
美術史コース
日本史コース
アジア史コース
西洋史コース
考古学コース
中東・イスラーム研究コース
大学院文学研究科
人文科学専攻
哲学コース
東洋哲学コース
心理学コース
社会学コース
教育学コース
日本語日本文学コース
英文学コース
フランス語フランス文学コース
ドイツ語ドイツ文学コース
ロシア語ロシア文化コース
中国語中国文学コース
演劇映像学コース
美術史学コース
日本史学コース
東洋史学コース
西洋史学コース
考古学コース
文化人類学コース
表象・メディア論コース
現代文芸コース(修士課程のみ)
アジア地域文化学コース(博士後期課程のみ)
中東・イスラーム研究コース
国際日本学コース(博士後期課程のみ)