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香川県に本社がある日本テレビ系列の「西日本放送」とは異なります。 |
株式会社テレビ西日本[4](テレビにしにっぽん、英: Television Nishinippon Corporation[4])は、福岡県を放送対象地域[注 1]としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。
FNN・FNSの基幹局の1つで、フジテレビ系列の中では最も古い歴史を持つ[5]。ただし、開局当時からフジテレビ系列であった訳ではない(後述)。
略称は「TNC」、現在のキャッチコピーは「ピタッと。TNC」。その前は、「ロックに。自由に。TNC」。このキャッチコピーの下に、60周年の2018年(平成30年)は「60th Anniversary」、2019年(平成31年/令和元年)は「〜ねぇ、今日何みる?〜」、2020年(令和2年)は「アツアツ8チャンネル」が付加されている。当初は開局60周年のメッセージテーマとして設定され、テーマジングルを山下達郎が担当していた(ジングルに関しては2021年(令和3年)7月現在も引き続き使用)[6]。2019年(平成31年/令和元年)は武田鉄矢が、2020年(令和2年)は岡澤アキラがイメージキャラクターを勤めている。開局50周年から2015年(平成27年)6月までの一時期は「テレ西」という愛称を用い、福岡ヤフオク!ドームレフト内野側のフェンスには「テレ西」と書かれた広告を出していた[注 2]。2018年(平成30年)3月までは「どうした?TNC(仮)」を使用していた。
現在の局舎(TNC放送会館)の所在地は、TBSテレビ系列(JNN)のRKB毎日放送と同じ街区番号内(TNCは3番2号、RKBは3番8号)であり、主たる送信所である福岡タワーにも隣接している。
地上デジタル放送のリモコンキーIDはキー局のフジテレビジョンを始めFNN系列のほぼ全ての局で使用されている「8」[注 3]。またアナログ親局が1桁のFNN系列5局のうち、テレビ西日本は唯一アナログ親局をリモコンキーIDへ引き継がなかった。主な理由としては、地上デジタル放送のリモコンキーIDにおいて「9」があまり一般的ではない[注 4]、FNN系列フルネット局は極力「8」に統一される方針であった、創業地である八幡と「8」をかけた、等がある。
局名の頭に「テレビ」を付けた国内初の民間放送局。また在福テレビ局で唯一、社名に「放送」が入らず「テレビ」が入っている局でもある。
コールサインは福岡局がJOJY-DTV(34ch/3kW)、北九州局のかつての地上アナログ放送がJOHX-TV(10ch/映像:1kW 音声:250W)。なお、中継局のコールサインは地上アナログ放送のみで、地上デジタル放送には割り当てられていない。FNN系列で中継局にもコールサインが割り当てられていた放送局は、地上アナログ放送終了時点で当社とテレビ静岡[注 5]の2局のみであった。なお、福島テレビも中継局にコールサインが割り当てられていた時期があった[注 6]。
TNCは当初、朝日新聞社や日本テレビ放送網(NTV)の資本が入っていた。これは多くのテレビ免許競願を1本化した為で、免許は北九州広域地方をエリアとして、同じく朝日新聞社の資本が入った九州朝日放送(KBC)と将来合併する事を条件に与えられた。ネットワークは資本の関係から日本テレビ系列(NTV系)となった。
しかしながら、同じくNTV系の山口放送(KRY)も北九州広域地方進出の機会を窺っていた。こうした状況の中で、TNCから朝日新聞社が撤退。KBCとの合併を撤回した。逆にKBCと相図って、お互いのサービスエリアへ進出する事に成功した。こうして全県で視聴可能となった矢先、KRYがNTVの後援を得て、関門テレビ局を開局した。
NTVの株主である読売新聞社が北九州で新聞の発行に踏み切った事で、TNCの筆頭株主である西日本新聞社の逆鱗に触れることとなった[注 7][注 8]。更に、TNCとKBCの相互乗入れ実現に同じ毎日新聞社系という事で合併させられたRKB毎日放送(RKB、ラジオ九州と西部毎日テレビジョン放送)側に不満が発生して、同社株主を中心にUHF新局設立への動きと繋がり、これに読売・日本テレビ連合が資本参加をする動きが出てきた。
TNCと西日本新聞社はこの一連の動きを看過ごす事が出来ず、日本テレビをキー局とし続けるよりも再三フルネットの勧誘を受け、西日本新聞社と協力関係にある産業経済新聞社(産経新聞社)をグループとするフジテレビ系列に鞍替えした方が得策であると判断。1964年(昭和39年)、一部のスポンサーの反対を押し切って、ネットチェンジを決行。以降、TNCはフジネットワークの基幹局の1つとなっている。
『そして、フジネットワークは生まれた 日本有数のネットワーク、成長・発展の時代から挑戦の日々へ』(境政郎著・扶桑社)では西日本新聞社がブロック紙連合構想で産経新聞社との関係を深め、その動きの中でフジテレビがテレビ西日本に『三匹の侍』のマイクロ同時ネットを打診。TNC社長(当時)の田中斉之を中心とした経営陣がこれに応じた所、日本テレビの専務がTNC本社に乗り込んで「絶対に認められない」と抗議したが田中が抵抗して同時ネットが行われ、ネットチェンジへの端緒となった。田中の学友だった尾崎士郎が産経新聞・フジテレビ社長(当時)の水野成夫とも盟友関係であり、尾崎の仲介で水野と田中が関係を深め、「九州朝日放送との関係は良好だが、朝日新聞主導なのでフジテレビが主導権を握るのは難しく、テレビ西日本と組む方がフジテレビの将来にとって益が大きい」と水野が判断した経緯が記述されている。
キー局のフジテレビが「ウチは新聞系列ではない」と各地の新局を誘ったこともあって、昭和40年代、全国各地にUHFテレビ局が次々と開局した際、TNCは西日本新聞社とともにいち早く、西日本新聞社エリア内各県のテレビ局をグループ化することに成功した。結果として九州に多数、フジ系をメインとする局(全ての県[注 9]に系列局がある。特に現在こそサガテレビ(STS)・テレビ熊本(TKU)・テレビ長崎(KTN)・鹿児島テレビ放送(KTS)はフジテレビ系列フルネット局であるが、当初は複数ネット受けの放送局も多かった。そのため、テレビ宮崎(UMK)も先述の4局同様FNS単独加盟局ではあるが、開局当初から現在に至るまで、フジテレビ系メインで日テレ・テレ朝とのトリプルネット局であり、現在は日本テレビ・フジテレビとのクロスネット局であるテレビ大分(TOS)も開局当初は日テレ・フジ・テレ朝のトリプルネット局だった。)が誕生することとなった。ニュースの共同企画や西日本新聞社主催の金鷲旗高校柔道大会・玉竜旗高校剣道大会の九州・沖縄エリアネット中継などで、ブロック内の連携を保っている。
系列外の放送局は熊本県民テレビ(KKT)(日本テレビ系列局(3.15%))、鹿児島放送(テレビ朝日系列局(5.50%))に出資している(何れも2021年(令和3年)現在)。
支社・支局の所在地
- 北九州支局(営業部・報道部駐在 旧:北九州支社)
- 東京支社
- 東京都中央区銀座5丁目15番1号 南海東京ビル内
- 大阪支社
- 大阪府大阪市北区梅田2丁目4番9号 ブリーゼタワー11階[7]
- ソウル特派員
- 2017年8月にバンコク支局を閉鎖し、ソウルに特派員を派遣。フジテレビソウル支局と協力し、東アジア情勢を精力的に取材している。
かつてはソウル(1971年 - 1981年、その後フジテレビの支局)、ボン(1981年-1994年、その後閉鎖)にも支局があった。ボン支局の続特派員はベルリンの壁崩壊直前のベルリンで厳重な監視の中で取材を行い、さらに当局の目をかいくぐって取材テープを支局に届け、歴史的瞬間の独占スクープに成功している。また、名古屋市と久留米市にも支局が存在したほか、高宮本社時代は西日本新聞会館に営業部門が存在した。さらに北九州本社時代は福岡支社が存在した。
2023年3月31日
出典: [8]
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資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
3億5250万円 | 70,500株 | 592 |
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株主 | 株式数 | 比率 |
西日本新聞社 | 4,560株 | 6.46% |
電通グループ | 3,600株 | 5.10% |
フジ・メディア・ホールディングス | 3,560株 | 5.04% |
テレビ西日本従業員持株会 | 3,550株 | 5.04% |
西日本シティ銀行 | 3,100株 | 4.39% |
福岡銀行 | 1,600株 | 2.26% |
日本製鉄 | 1,500株 | 2.12% |
木曽節文[注 11][注 12] | 1,200株 | 1.70% |
安部幸昭 | 1,000株 | 1.41% |
竹中工務店 | 1,000株 | 1.41% |
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過去の資本構成
企業・団体は当時の名称。出典:[9][10][11][12]
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資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 |
3億5250万円 | 6億円 | 5000円 | 70,500株 |
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資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 |
3億5250万円 | 6億円 | 5000円 | 70,500株 | 706 |
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資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
3億5250万円 | 70,500株 | 658 |
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資本金 | 発行済株式総数 | 株主数 |
3億5250万円 | 70,500株 | 624 |
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株主 | 株式数 | 比率 |
西日本新聞社 | 4,560株 | 6.46% |
電通 | 3,600株 | 5.10% |
フジ・メディア・ホールディングス | 3,560株 | 5.04% |
西日本シティ銀行 | 3,100株 | 4.39% |
福岡銀行 | 1,600株 | 2.26% |
テレビ西日本従業員持株会 | 1,520株 | 2.15% |
新日鐵住金 | 1,500株 | 2.12% |
田中恭生 | 1,430株 | 2.02% |
木曽節文 [注 13][注 14] | 1,200株 | 1.70% |
安部幸昭 | 1,000株 | 1.41% |
竹中工務店 | 1,000株 | 1.41% |
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- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 当時の北九州5市(八幡市・小倉市・門司市・戸畑市・若松市)および山口県下関市を中心とした、関門都市圏(福岡県北九州地方と山口県西部)を放送エリアとした[14]。
- 開局当時、送信所は皿倉山の山頂に設置された。本社放送会館落成までの間、放送機器やアナブースは山頂の送信所のみに設置されていたため、アナウンサー、ディレクターなどが3、4人で1班となり、交代で麓から山頂まで車で登って放送を出した[13]。これら社員の通勤や取材ニュースフィルムの運搬などには、前年に開業した帆柱ケーブルも使われた[13]。また、本社放送会館落成までの間、社屋は木造の仮社屋だった[13]。(同様の例は長崎放送(NBC)テレビにもあった。稲佐山頂に放送設備とアンテナを建設し、後に放送会館を建設。)開局は読売テレビ(ytv)と同日。
- 1960年(昭和35年)3月31日 皿倉山の麓の八幡市(現在の北九州市八幡東区西本町地域)に本社放送会館落成。将来のFMラジオ放送を構想しラジオスタジオを設置したが、ラジオ放送は実現せず。同年5月10日に実施した開館式には高松宮宣仁親王の臨席を仰いだ。
- 1962年(昭和37年)2月14日 福岡放送局、福岡市高宮(現在の福岡市南区高宮4丁目20番23号)[注 16]に送信所を兼ねて設置(JOJY-TV、9ch、映像出力1kW。福岡地区第3局。KBCテレビ北九州中継局と同時に開局)[注 17]。
- NHK熊本総合テレビとチャンネルが重複するとして、九州朝日放送北九州テレビ局とともに、出力が大幅に抑えられた。
- 1964年(昭和39年)
- 8月31日 久留米中継局、九千部山に設置(60ch、映像出力300W)大牟田中継局、甘木山に設置(55ch、映像出力100W)。
- 筑後地方、佐賀・長崎・熊本の一部でも視聴できるようになる。
- 1966年(昭和41年)
- 1970年(昭和45年)10月20日 福岡局の映像出力を5kWに増力。
- 1973年(昭和48年)8月6日 開局15周年を記念して、福岡から『夜のヒットスタジオ』を放送。
- 1974年(昭和49年)11月13日 本社を福岡放送会館に移転、福岡局が親局に。
- これに伴い親局のコールサインがJOHX-TVからJOJY-TVに変更される。ただし前者は北九州局(アナログ放送)のコールサインとしてアナログ放送終了まで引き続き使用されていた。
- 本社移転後、北九州市八幡に所在した旧本社の土地・建物は、釣り具のポイント等を経営する、株式会社高宮諦商店(現・株式会社タカミヤ)に売却された。タカミヤは本社として活用していたが、その後建物の老朽化もあり、新日本製鐵八幡製鐵所の遊休地に建設した物流センターに本社を移転。跡地は解体され、地域住民を対象としたスポーツクラブに生まれ変わった。
- 1975年(昭和50年)2月1日 全国ネットのテレビドラマ『がんじがらめ』(原作・脚本:花登筺)を土曜21時枠にて放送( - 4月26日)。
- 1978年(昭和53年)12月20日 NHK熊本局(総合はオフセットなしの9ch、TNCは+10kHzオフセットの9ch)に関する技術的問題を解決するめどが立ったため、福岡局の映像出力を10kWに増力。
- 1980年(昭和55年)12月15日 テレビジョン音声多重放送開始[注 19]。
- 1981年(昭和56年)4月1日 CI導入により現行のロゴマークに変更した。大きく「TNC」と描かれ、下には「テレビ西日本」と記されている。また、色は「赤」と「緑」であり、「N」の真ん中には翼をモチーフにしたロゴになっている。デザインは平松暁(アートディレクターは平松聖悟・平松暁)である。一時期は「心に翼をつけよう」というキャッチフレーズが存在、オープニングやクロージングで使用されたことがある。(開局から1981年(昭和56年)3月まで使われた旧ロゴは太字で「TNC テレビ西日本」と書かれたロゴだった。)
- また、イメージソング「心に翼をつけよう」をリリースし、放送開始・終了時の音楽として使用(後述)。
- 1989年(平成元年)9月18日 天神にあるイムズが開業したのを記念して、イムズホールから、福岡市出身のタレントタモリ司会の、『笑っていいとも』を生放送、制作協力を行った。テレフォンアナウンサーは、田久保尚英アナウンサーが担当した。
- 1993年(平成5年)6月14日 福岡タワーに送信所を移転し、放送を開始。
- 1996年(平成8年)
- (本社移転の際、特別番組は放送されなかった)
- それまでは高宮旧本社のマスターから送出していた。新マスター火入れ式の様子は、午後の『TNCニュース』で放送された。旧本社の施設は関連会社ビデオステーション・キュー(現・VSQ)が使用していたが、現本社に移転、解体。
- 2003年(平成15年)8月13日 『水10!ワンナイR&R』で福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の監督・王貞治を侮辱した場面が放送されたことにより、その年、優勝したホークスの日本シリーズの放送権を取れず。いわゆる『王シュレット事件』である。
- 2005年(平成17年)3月20日 福岡県西方沖地震発生。この地震で、本社放送会館内部に(報道フロアのテレビモニターが落下するなどの)被害があり、会館内に避難指示が出された。
- 2006年(平成18年)
- この模様は当日深夜の『FNNニュース』で、田久保尚英アナの中継により全国に配信され、また、翌朝の『とくダネ!』でも取り上げられた。
- 10月2日 24時間放送開始(日曜深夜から月曜未明を除く)。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2011年(平成23年)7月24日 この日正午をもって地上アナログ放送による通常放送を終了。ブルーバックのお知らせ告知を流した後、23時58分ごろ、アナログ放送終了の特別クロージングを流して24時00分00秒で停波。北九州放送局のコールサイン「JOHX-TV」は同日付で廃止になった。
- 2012年(平成24年)3月29日 この日をもって月曜深夜(火曜未明) - 木曜深夜(金曜未明)の24時間放送を終了。(ただし、金曜深夜(土曜未明) - 土曜深夜(日曜未明)の24時間放送は継続。)
- 2013年(平成25年)開局55周年。8月3日、及び翌週の8月5日 - 8月29日に、55周年特別番組としてドラマ『めんたいぴりり』を放送。
- 2015年(平成27年)6月29日 「テレ西」の愛称使用取り止め、ウォーターマークもTNCのロゴに変更。
- 2017年(平成29年)4月3日 月曜深夜(火曜未明) - 木曜深夜(金曜未明)の24時間放送再開。
- テレビ西日本十年史(TNC社史編纂委員会 編集) 1968年(昭和43年)7月1日発行、164ページ[15]。
- テレビ西日本開局50年史 おっ!?テレ西(テレビ西日本50年史編纂室 編集) 2008年(平成20年)8月発行、454ページ。
福岡局が県内全体を統括する親局となっている。
- 呼出符号:JOJY-DTV
- 呼出名称:テレビにしにっぽんデジタルテレビジョン
- リモコンキーID:8
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局名 | チャンネル | 空中線電力 | 所在地 | 備考 |
福岡局 | 34ch | 3kW | 福岡タワー | 開局当初は暫定的に出力30Wで運用し、2006年11月に試験的に定格出力まで増力。同年12月1日よりフルパワー放送[16]。 |
北九州局 | 29ch | 1kW | 皿倉山 | 2006年10月1日開局。開局後の1ヶ月は出力10Wで、その後2007年1月21日までは100Wで運用。 |
久留米局 | 29ch | 30W | 九千部山 | 2006年12月1日開局。開局から2007年1月14日までは出力3Wで運用。 開局日程を決めるにあたっては、同じ九千部山に親局が設けられるサガテレビとのエリア調整が関係していた。 |
大牟田局 | 29ch | 10W | 甘木山 | 2007年6月1日開局。当初は出力1Wで運用。 |
行橋局 | 29ch | 10W | 大坂山 | 2007年9月1日開局。 |
宗像局 | 29ch | 21W | 許斐山 | 2007年9月1日開局。試験放送中は出力2Wで運用。 |
糸島局 | 34ch | 30W | 可也山 | 2007年9月1日開局。 |
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アナログ放送
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2011年(平成23年)7月24日停波時点
局名 | チャンネル | 空中線電力 | 所在地 | 呼出符号 | 呼出名称 |
福岡局 | 9ch | 映像10kW/音声2.5kW | 福岡タワー | JOJY-TV | TNCふくおかテレビジョン |
北九州局 | 10ch | 映像1kW/音声250W | 皿倉山 | JOHX-TV | TNCきたきゅうしゅうテレビジョン |
久留米局 | 60ch | 映像300W/音声75W | 九千部山 |
行橋局 | 54ch(垂直偏波) | 映像100W/音声25W | |
大牟田局 | 55ch | 映像100W/音声25W | 甘木山 |
南大牟田局 | 56ch | 3W | 三ツ塚山 |
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スタジオは放送会館西側の低層棟4 - 5階に位置する。
- 第1スタジオ 130坪 2層吹き抜け ももち浜ストア、報道ワイド 記者のチカラ、福岡NEWSファイルCUBE
- 2013年(平成25年)3月、スタジオ照明がすべてLED(パナソニック製)に更新された(スタジオ全照明LED化は日本初)
- 第2スタジオ FNN Live News イット!(週末ローカル枠)、FNN Live News days(週末版含む)、定時ニュース(FNN Live News α、すぽると!内ローカルニュース含む)、TNC批評、WORLD FUKUOKA NEWS
常設設置ポイント
- 本社屋上(福岡市)
- 天神ビル(福岡市)
- リーガロイヤルホテル小倉(北九州市)
- 福岡空港
- 北九州空港
- 海峡ゆめタワー(山口県下関市)
- 地上デジタル放送では、右上に「TNC」の局ロゴのみのウォーターマークがCM中を除き常時表示されている。
1981年(昭和56年)、宝塚歌劇団の麻実れい、遥くららによるイメージソング、「心に翼をつけよう」がリリースされた。作詞・岩谷時子、作曲・桑原研郎、編曲・松井忠重。高宮本社時代の放送開始・終了時の音楽に使用された。
1984年(昭和59年)に、当時まだ無名だったTM NETWORKの「FANTASTIC VISION」がイメージソングとして取り入れられた。放送開始・終了IDなどで使われていた。35年以上が経った2021年(令和3年)現在でも天気予報のBGMでこのインストゥルメンタル・アレンジ版が流れている[注 27]。しかし、夜の天気予報は番宣を兼ねたものが多く、BGMとして使われている枠は限られている。メロディーラインのない「インストのカラオケバージョン」も存在している。また、スタジオツアーズのCMでは歌入りのBメロが使われたこともあった。かつて放映されていたTNCスーパータイムの冒頭でもこの曲が使用されていた。
アナウンサーは全員、アナウンス部所属(2012年から。かつてはスポーツ部や報道部にも所属し、それぞれの仕事に携わっていた)[21]。※は福岡県出身。
報道部キャスター
2013年度改編で女性契約職のみとなった。正社員で『TNCスーパーニュース』アンカーを務めていた岸本貴博(2011年入社、琉球朝日放送から移籍)は現場専従に戻る。
- 報道部所属契約社員キャスターの扱いについて
- 『報道ワイド 記者のチカラ』の18時台及び『福岡NEWSファイル CUBE』におけるリポートや早朝・深夜帯の定時ニュースで原稿読みを担当する契約のキャスター(事実上記者・ニュース業務とニュース原稿のアナウンスを担当するカテゴリーに当たる)。
- 2011年度までは、フリーアナウンサーと個別に契約する形(ほとんどは専属)で同じような仕事をしていたが、2012年度に職制改正が行われ、単年(最長5年まで更新可)契約の社員に移行した。
- 担当する定時ニュースは『FNN Live News α』及び週末最終の『すぽると!』におけるTNCエリアニュースと夜間の気象情報である。
男性
- 1967年
- 1968年
- 1972年
- 高橋幸平( - 2009年。アナウンス部長として定年まで勤務)
- 2007年
- 江坂透(2012年人事で兼任していたスポーツ部専属となりディレクターに)
- 2019年
- 2020年
- 明石哲也(2022年死去 テレポートTNCキャスター、その後TNCの子会社であるVSQ社長を務めた)
- 安藤正春(2005年死去)
- 久保歩
- 河野裕道(現在は福岡市内にある保険代理店 の代表取締役社長を務める)
- 桜内良憲
- 原満幸(営業局大阪支社長。『TNCスーパーニュース』キャスター在籍中(2003.11-2008.3)にアナウンス部兼務)
- 樋口教高(テレポートTNCなど報道番組に出演。後に解説委員としてTNCジャーナルのキャスターを担当)
- 堀川洋
女性
- 1969年
- 1973年
- 馬場明子[22](編成制作局制作部ディレクターを歴任)
- 1996年
- 1999年
- 2002年
- 2003年
- 2006年
- 牧尾結衣(現役時代はスポーツ部と報道部に交互に兼属し、2012年アナウンサーを卒業。現在は総務局総務部所属[注 28])
- 2008年
- 新垣泉子(育児休暇後2023年7月人事でアナウンス部を離れ、営業部所属になった)
- 2010年
- 四位知加子(2021年7月にアナウンス部を離れた)
- 臼杵昭子
- 大里章子
- 坂本明子
- 竹嶋純江
- 田中千寿江(1994年4月から1997年3月まで『めざましテレビ』TNC担当リポーターを担当。以前は、中京テレビのアナウンサーとして『ズームイン!!朝!』の「プロ野球イレコミ情報」に出演していた。現在はフリーアナウンサーと並行して、地域ボランティア劇団「千夜一夜座」の主宰として演劇活動を行っている。)
- 波止公子
- 花田早苗
- 真鍋恵子
- 森博子
- 地域に密着した 明るく楽しい番組 TNC(1970年代後半)
- 緑の丘からハッピーピッ。(CI導入後)
以上の2つは、前述の福岡放送会館内に本社があった頃に使用。
- 福岡まる見せ(80年代後半)
- テレビは、生活の調味料。(80年代後半)
- 関係したいTNC(百道浜移転後 - 2001年(平成13年))
- てれビ〜ムTNC(2001年(平成13年) - 2007年(平成19年))
- おっ!?テレ西(2007年(平成19年) - 2015年(平成27年))
- ※8ちゃんねるです。(2015年(平成27年) - 2017年(平成29年)9月)
- どうした?TИC(仮)(2017年(平成29年)10月 - 2018年(平成30年)3月)
- ロックに。自由に。TNC(2018年(平成30年)4月 - 2022年(令和4年))
- ピタッと。TNC(2023年(令和5年)3月4日 - )
ただし番宣番組は、変更後3か月間はてれビ〜ムTNCのままであった。
- カッパのティー坊(1964年(昭和39年) - 1981年(昭和56年))
- ハッピーくん(1981年(昭和56年) - 1988年(昭和63年))
- キューちゃん(1988年(昭和63年) - 1996年(平成8年、百道浜移転前))
- てれビー[Telebee](2001年(平成13年、百道浜移転後) - )
- てんタマくん(2018年(平成30年)4月 - ) - お天気キャラクター
放送会館4階にてスタジオやマスタールームや各放送局のめざまし君の一覧などを無料で見学ができるようになっていたが、事情により2012年(平成24年)1月で閉鎖された。
- 西日本新聞 福岡県版では、NHKの隣(総合・Eテレから見て3番目)にフルサイズで収録。
- 西日本スポーツ 福岡・佐賀のほぼ全域で発行される遅版(通常は4版)では他の在福局共々フルサイズ(同系列のSAGA TV、テレビ長崎も同)、それ以外の九州各県で配布される早版(3版)では民放テレビ局で唯一のフルサイズでの収録となっている。
- 朝日新聞西部本社、毎日新聞西部本社、読売新聞西部本社
- 福岡県で配布される版はすべて最終頁にフルサイズで収録。
- 佐賀県で配布される版は、朝日はフルサイズで中頁、毎日と読売は最終頁にハーフサイズで収録。
- 長崎県・熊本県・宮崎県・鹿児島県(宮崎・鹿児島は毎日のみ)で配布される版はすべて中頁にハーフサイズで収録。
- 大分県で配布される版は、朝日が最終頁ハーフサイズ、毎日が最終頁フルサイズ、読売は中頁ハーフサイズと収録形式は異なっている。
- 山口県で配布される版は、朝日は最終頁(山口東版のみ中頁)にハーフサイズ、毎日と読売は最終頁にフルサイズ(毎日の東部版と島根県石見版・読売の岩柳版のみ中頁ハーフサイズ)で収録。
- 産経新聞西部本部 RKB毎日の隣(NHKテレビ(総合)から見て3番目)にフルサイズで収録している。
- 日本経済新聞西部支社 TVQ九州放送の隣(NHK総合・Eテレから見て7番目)にフルサイズで収録している。
- 佐賀新聞では、地元局であるSAGA TVの隣(NHK佐賀(総合・Eテレ)から見て4番目)にフルサイズで収録している。
以下のケーブルテレビでは、TNCの再送信が実施されている。地上デジタル放送では日本民間放送連盟が「特例地域」(後述)におけるNNN/ANN/JNN/FNNのうち存在しない系列を除き区域外再放送を禁止する方針を打ち出しているが、実際には下記のように特例地域以外の県へ区域外再放送されている。
佐賀県については徳島県とともに地元の民放テレビ局が1社しかない(佐賀県はサガテレビ(sts))ことから「特例地域」としての位置付けである。だだしstsがTNCと同一系列であるため本来なら区域外再放送の対象とはならないが、TNC側が地上デジタル放送においての区域外再放送に同意し、stsもTNC再送信の許可を出した。
- 背景には、元々佐賀県内でTNCを直接受信できるエリアが多く、さらにTNCが九州電力に次ぐstsの大株主である為だと考えられる(TNCに次ぐ大株主は西日本新聞社と地元の佐賀新聞社)。このためstsでは未ネットの『ミュージックフェア』等を本局で見ることができる。また、当初リモコンキーID「8」を希望したstsは、この事情から「3」にしたともされる。
- デジタル放送の再送信許可は、佐賀県内のケーブルテレビ会社の共同出資による佐賀デジタルネットワーク社に対して出されており、各社はこの会社に出資し回線を接続して再送信を行う。2007年(平成19年)1月9日以降、準備が整った会社から順次正式に再送信を開始。
大分県のケーブルテレビ局でもTNCの地上デジタル放送の区域外再放送を2007年(平成19年)4月 - 2009年(平成21年)4月までに開始した。これは、大分県の民放テレビ局・テレビ大分が日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネットを行っており、放送格差を無くそうとした行政の働きかけによる結果である。
FNS系列局がない山口県内の一部のケーブルテレビ局も再送信は継続しており、デジタル放送も順次開始された。反対にFNS系列のフルネット局・テレビ長崎がある長崎県では、紆余曲折の末有明海沿岸・壱岐・対馬などの各業者がTNCのデジタル波の再送信を実施している。
※太字はデジタル波も再送信
注釈
ただし、他系列と違って佐賀県に同じFNN/FNS系列局のサガテレビがあるものの山口県にはFNN/FNS系列局が無いため、テレビ新広島(tss)が取材対象としている岩国市や和木町を除いて山口県を取材対象地域としており、全国ニュースやローカルニュースで山口県の内容を一部放送している。
設置当初と「テレ西」の愛称を止めてからはTNCやTNCと「てれビー」のマーク。
例外は東海テレビの「1」(アナログ親局)とサガテレビの「3」(TNCを含めた在福局とのバッティング防止)。
西日本新聞社の役員も、合併前に読売新聞社の傘下だった経緯から読売と友好的な九州日報系と読売と距離を置いていた福岡日日新聞系とで、読売新聞社との関係性に違いがあった。
その前にも西日本新聞社は読売新聞社に対して、かつて福岡に存在したプロ野球チーム、西日本パイレーツを巡る因縁があった。
2009年まで西日本新聞社の発行エリアだった山口県にもクロスネット局のテレビ山口(tys)が開局したが、tysは1987年9月にFNSを脱退している。
なお、開局当日は東京キー局である日本テレビの開局から丁度5周年目であった。また、読売テレビ(大阪府)もテレビ西日本と同日に放送開始している。
昭和30年代前半に当時の福岡エリア3局(NHK福岡局・RKBテレビ・KBCテレビ)のテレビ送信所を糟屋郡篠栗町の若杉山頂に置く案もあったが、郵政省(現・総務省)から福岡3局が共同利用し、出力を300W程度にするとの条件がつき、各局の足並みが揃わず実現しなかった。ただ、3局とも送信所がスタジオのある天神・長浜地区に集中したため、天神地区以外のほとんどではVHFアンテナ一本で済んでいたが、当局の開局とともに、アンテナを天神向き用(NHK・RKB・KBC)と高宮向き用(TNC)の2本が必要となった。また場合によっては3本以上必要な場所があった。
ただし、それ以前から、九州朝日放送の編成から外れたフジテレビ系番組(『三匹の侍』第1作等)が僅かに放送されていた。
2017年4月より導入。導入当初は主にバラエティー番組の再放送や、遅れネットを行っていたが、2017年7月27日の「マルモのおきて」再放送以降、ドラマの再放送枠へと移行した。2020年9月までの放送時間は15:50 - 16:50で、タイトルは『ヨジドキ!』だったが、同年10月から『ももち浜S特報ライブ』が拡大したため現在の時間に移動しタイトルを変更した。
2019年3月までは土曜 5:00 - 6:00にレギュラーで再放送していたが、2019年4月以降は日曜 16:00 - 17:30に、「華丸・大吉のなんしようと?&鉄矢がゆく!合体SP」と題して、ももち浜S 特報ライブの人気コーナー「鉄矢がゆく!」と共に再放送されるようになった。
2019年12月までは日曜 12:00 - 13:00にレギュラーで再放送を行っていた。
2006年 - 2009年頃はBSフジでも放送されていた。
1976年4月3日から、土曜 0:00 - 1:05枠で放送開始。その後は金曜 23:50 - 翌0:45 → 木曜 0:00 - 0:55 → 木曜 0:15 - 1:10枠へ移動を重ね、1980年3月末で放送を打ち切られた。
放送にて使用されているヴァージョンは、現在に至るまでCD販売・配信は一切されていない。また、現在は『FNN Live News it!』内の「天気予報」BGMが同曲。
江坂と異なりすぐにはブログで触れなかったものの、アナウンサーとして担当していた番組は人事前に全て降板した。
出典
株式会社テレビ西日本『第65期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書 大株主の状況』(レポート)2023年6月23日。
“有報リーダー”. Lafla. 2010年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月6日閲覧。
日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、448頁。
日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、419頁。
日本民間放送連盟『民間放送十年史』1961年 pp.605
日本民間放送連盟『民間放送十年史』1961年 pp.606-607
大村亨『「ビートルズ」と日本 熱狂の記録 -新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた「ビートルズ現象」のすべて-』シンコーミュージック・エンタテイメント、2016年、525頁。ISBN 978-4-401-64281-6。
『西日本新聞』1966年4月10日付朝刊、テレビ欄。
馬場明子・著『誰も知らない特攻 島尾敏雄の「震洋」体験』未知谷 (2019年9月)