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日本の女優 ウィキペディアから
遥 くらら(はるか くらら、1955年〈昭和30年〉11月9日 - )は元宝塚歌劇団星組・雪組トップ娘役で元女優。本名:山崎 久美子(やまさき くみこ、山崎は旧姓)。
神奈川学園高等学校1年中退後、1972年に宝塚音楽学校へ入学。1974年、第60期生として宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は40人中37位[2]。星組・花組合同公演『虞美人』で初舞台を踏む。翌年4月7日[2]、星組へ配属。入団当初は男役であった。
1975年、TBSのポーラテレビ小説『加奈子』の主役に抜擢され出演。以降も『おゆき』『美しき殺意』『1年B組新八先生』など、現役の歌劇団生徒ながらも外部のドラマ出演も多くこなした。
1977年5月、入団4年目に『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役に抜擢。その後、正式に娘役に転向し、次作の『テームズの霧に別れを/セ・マニフィーク』より鳳蘭の相手役として星組トップ娘役に就任[3]。公称166cmの身長は当時の娘役では異例の長身だった。『誰がために鐘は鳴る』のマリア、『白夜わが愛』の染乃などの大作のヒロインを次々に演じた。
1979年、鳳退団後、後任トップスター瀬戸内美八の相手役を2作品のみ務めた。
1980年、新トップスターとなった麻実れいの相手役として雪組に組替え。新トップコンビお披露目公演は『花の舞拍子/青き薔薇の軍神-アンジェリクII-』。美貌と華、息のあった演技で麻実とのコンビはゴールデンコンビと謳われた[4]。二番手男役スター(寿ひずる、高汐巴、平みち)にも恵まれ、『ジャワの踊り子』、『うたかたの恋』などの名作を残した。
1984年7月30日[2]、『風と共に去りぬ』の東京公演千秋楽を最後に宝塚歌劇団を退団。「宝塚の娘役ナンバーワン」[5]と謳われ、さよならショーが2日間にわたって行われたのは娘役として史上初だった。遥の退団後、雪組は翌1985年の麻実の退団まで後任トップ娘役を特定せず空位とした。
退団後は東宝芸能に所属して女優として活動。退団後間もなく出演した『櫻の園』のワーニャ役では第10回(1984年度)菊田一夫演劇賞を受賞[6]し、1990年には『細雪』の雪子役で第45回文化庁芸術祭賞(演劇部門)を受賞した[7]。また、1985年にはNHK新大型時代劇の『真田太平記』のヒロイン・お江役で広く知られるようになり、その後も多くのテレビドラマに出演。
1990年代前半に一般男性と結婚し芸能界を引退した。ただし、引退後も宝塚関連の出版物等のインタビューや取材に応じることはある[8][9]。
2012年2月25日、宝塚歌劇団での先輩で『細雪』で共演した女優の淡島千景の通夜に参列した[10]。
2014年、宝塚歌劇団100周年を祝う祭典『時を奏でるスミレの花たち』に参加し、30年ぶりに宝塚大劇場の舞台に立った[11]。また、100周年に伴い、宝塚歌劇の発展に貢献した「殿堂入り100人」にも最年少で選出された[12]。
2016年1月8日、NHKのあさイチ「プレミアムトーク 草刈正雄」でVTRによる出演。自身が出演したNHK新大型時代劇「真田太平記」と草刈正雄について語った。
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