青梅市
東京都の市 ウィキペディアから
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青梅市(おうめし[注釈 1])は、東京都の多摩地域北西部に位置する市。
東京都西部の西多摩地域最大の市。立川市、八王子市、町田市、多摩市と共に東京多摩地域の業務核都市の一つに指定されている[1]。1951年に市制施行。
関東山地と武蔵野台地にまたがり、中部を多摩川が東流する。中心市街地は多摩川の谷口集落で、青梅街道の宿場町(青梅宿)として発達。その後、鉄道の青梅線が通じた。古くから綿織物が盛んで、青梅縞、青梅綿として知られ、第二次世界大戦前まで夜具地を多産した。山間部では林業が盛ん。市域東部には昭和40年代に三ッ原工業団地が造成され、ハイテクノロジー関連産業の進出や市街地からの既存工場の移転が進められている。
伝統行事としてはだるま市、青梅大祭が有名。名所では金剛寺、塩船観音寺、武蔵御嶽神社、吉野梅郷があり、西部は秩父多摩甲斐国立公園に属する。1967年に始まった青梅マラソン(2月)には、海外からも含めて約1万5,000人が参加する。
多摩川が関東山地から武蔵野台地に流れ出る扇頂部に発達した谷口集落が、青梅市街の原型である。
市域のほぼ中央を多摩川が西から東へ貫流し、北部には入間川(荒川水系)の支流である霞川と成木川が、やはり西から東へ流れている。おおむね東部の平地から西部にかけて丘陵地・山地と変化している。標高は西端の多摩川右岸にある御岳の鍋割山の1,084mが最高地点、最低地点は市域の北東に位置する成木川の両郡橋下流で103.5mである。同じく市域北東部にある加治丘陵付近には立川断層(箱根ヶ崎断層)の北端、名栗断層の南端があるとされる。この2つの断層は立川断層帯と同一に扱われることもある。
歴史的には青梅宿が青梅市のほぼ中心に位置する古くからの市街であり、現在の青梅駅周辺である。しかしながら、多摩川と永山丘陵、青梅丘陵に挟まれた青梅駅周辺はそれほど土地が広くないのに比べ、開けた扇状地にある河辺駅周辺などの青梅東部は開発が容易であり、商業地や人口の増加が進んでいる。一方、東部以外の北部、西部、南部は丘陵や山地であり、開発はあまり進んでいないが、東京都内でも有数のハイキング等の行楽地となっている。
年間平均気温は約14℃。気候は太平洋岸気候と中央高地式気候が混じっており、冬は都心と比べ寒く、1月・2月の最低気温はほぼ毎日氷点下を記録する。冬場の気温は都心とは大きな開きがあり、南岸低気圧による積雪は珍しくない。2018年1月27日にはアメダス地点として観測開始された1976年12月以来の過去最低となる-9.3度を記録している。
かつて存在した市営御岳スケート場では真冬には天然の屋外スケートリンクとして知られ、氷点下20度を下回る冷え込みになることもあったという。
一方、夏は暑く、2018年7月23日には日本歴代6位、東京都内の観測地点では最も高い40.8度を記録している[2]。ただし、気象庁の統計データによると、熱帯夜の日数は少なく、2007~2017年までの10年間で熱帯夜を記録したのはわずか21日(そのうちの2009年と2016年は熱帯夜なし)で、東京都心に比べて夏の夜は過ごしやすい。
青梅市(青梅地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.7 (65.7) |
24.0 (75.2) |
27.6 (81.7) |
32.7 (90.9) |
34.7 (94.5) |
38.3 (100.9) |
40.8 (105.4) |
39.6 (103.3) |
36.8 (98.2) |
33.2 (91.8) |
26.4 (79.5) |
26.2 (79.2) |
40.8 (105.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.2 (48.6) |
10.0 (50) |
13.4 (56.1) |
18.8 (65.8) |
23.3 (73.9) |
25.6 (78.1) |
29.6 (85.3) |
31.0 (87.8) |
26.8 (80.2) |
21.2 (70.2) |
16.1 (61) |
11.5 (52.7) |
19.7 (67.5) |
日平均気温 °C (°F) | 3.2 (37.8) |
4.1 (39.4) |
7.6 (45.7) |
12.9 (55.2) |
17.7 (63.9) |
21.0 (69.8) |
24.8 (76.6) |
25.9 (78.6) |
22.1 (71.8) |
16.5 (61.7) |
10.7 (51.3) |
5.6 (42.1) |
14.3 (57.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.3 (27.9) |
−1.3 (29.7) |
2.2 (36) |
7.2 (45) |
12.5 (54.5) |
17.0 (62.6) |
21.1 (70) |
22.0 (71.6) |
18.3 (64.9) |
12.4 (54.3) |
5.9 (42.6) |
0.3 (32.5) |
9.6 (49.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −9.3 (15.3) |
−9.2 (15.4) |
−7.4 (18.7) |
−2.5 (27.5) |
3.5 (38.3) |
8.9 (48) |
12.5 (54.5) |
15.0 (59) |
8.0 (46.4) |
1.4 (34.5) |
−3.5 (25.7) |
−6.8 (19.8) |
−9.3 (15.3) |
降水量 mm (inch) | 49.8 (1.961) |
45.2 (1.78) |
90.1 (3.547) |
108.4 (4.268) |
124.4 (4.898) |
176.0 (6.929) |
197.9 (7.791) |
212.9 (8.382) |
234.2 (9.22) |
208.6 (8.213) |
71.3 (2.807) |
44.6 (1.756) |
1,563.3 (61.547) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.3 | 4.8 | 8.8 | 9.0 | 10.0 | 12.8 | 12.9 | 11.5 | 12.3 | 10.6 | 7.0 | 4.6 | 108.7 |
平均月間日照時間 | 202.2 | 181.8 | 178.7 | 182.8 | 184.8 | 124.4 | 148.1 | 170.4 | 130.4 | 134.0 | 161.5 | 187.7 | 1,986.8 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1976年-現在)[3][4] |
広域行政については後述。
下記の構想があったが、いずれも実現しなかった。
年月は締結時期。
青梅市の年表 | ||
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4月 - 防災行政無線内容等変更(チャイム1日3回、深夜の火災鎮火放送中止)。上成木、北小曾木ふれあいセンターオープン。
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青梅市市域の変遷表 | ||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 |
青梅村 | 明治8年 青梅町 |
青梅町 | 昭和26年4月1日 青梅市 |
青梅市 |
乗願寺村 | 明治5年 勝沼村 | |||
西分村 | ||||
日向和田村 | ||||
今井村 | 霞村 | |||
藤橋村 | ||||
新町村 | ||||
木野下村 | ||||
今寺村 | ||||
谷野村 | ||||
大門村 | ||||
塩船村 | ||||
吹上村 | ||||
野上村 | ||||
上師岡村 | 明治7年 師岡村 | |||
下師岡村 | ||||
根ケ布村 | ||||
千ケ瀬村 | 調布村 | |||
河辺村 | ||||
上長淵村 | ||||
下長淵村 | ||||
友田村 | ||||
駒木野村 | ||||
下村 | 吉野村 | 昭和30年4月1日 青梅市に編入 | ||
畑中村 | ||||
日影和田村 | ||||
柚木村 | ||||
二俣尾村 | 三田村 | |||
沢井村上分 | ||||
沢井村下分 | ||||
御岳村 | ||||
御岳山 | ||||
南小曽木村 | 小曽木村 | |||
富岡村 | ||||
黒沢村 | ||||
上成木村上分 | 成木村 | |||
上成木村下分 | ||||
下成木村上分 | ||||
下成木村下分 | ||||
北小曽木村 |
諸説あるが、承平年間に平将門が市内天ヶ瀬(あまがせ)に所在する金剛寺を訪れた際、馬の鞭に使用していた梅の枝を自ら地に挿し、「我願い成就あらば栄ふべし。しからずば枯れよかし。」と願をかけたところ、見事に梅の枝は根付き結実するが、夏を過ぎても実は青いまま熟さずに、また、地に落ちることもなく枝に残ってたという将門誓いの梅の伝説によるものが広く知られている[17][18]。
人口130,412人(2024年11月1日現在。)
青梅市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 青梅市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 青梅市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
青梅市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2005年に夜間人口(居住者)は142,028人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は127,176人で、昼は夜の0.895倍の人口になる。通勤者・通学者で見ると、市内から市外へ出る通勤者33,087人、市外から市内へ入る通勤者は22,445人と通勤者では市外への通勤者が多く、また学生でも市外から市内へ入る通学生は1,799人で市内から市外に出る通学生6,009人と学生でも昼は市外へ流出する。
東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行(148-149ページ)国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳の者を含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる。
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所がまとめた『地域別将来推計人口』[19]によると、青梅市は東京都、多摩地区の市部の中で最も減少率が大きく、-25.3%(増減率、2010年との比較)となった。よって2010年の人口は13.9万人だったが、2040年には10.4万人に減少すると推計している。多摩地区で最も人口が減少すると考えられているのは西多摩郡奥多摩町で、-58.6%、逆に人口が最も増えると考えられているのが稲城市で、+9.4%である。これと共に、高齢化も進むと考えられている。
2013年(平成25年)4月1日の高齢者人口は33,267人で、高齢化率は24%となっている。これは2012年(平成24年)4月1日と比較し、高齢者人口は1,696人、高齢化率は1.4%の増となる。
青梅市では現在、全ての地域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されていない(一部地域では町界町名地番整理が実施されている)[20]。青梅市に編入された旧町村は、従来の大字を廃して町が設定され、字区域が廃止されている。その一方で、かつての字名が駅やバス停・公園などの名前になったり、1998年10月に大字青梅の字名として使われていた住江町などの地名が町名になるなどした。
町丁名 | 町丁区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 | |
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青梅地区 | |||||
1971年7月15日[21] | 未実施 | 大字勝沼字神宮前ほかの一部[22] | |||
勝沼二丁目 | 1971年7月15日 | 未実施 | 大字勝沼字北ノ入・南ノ入・小曾木・柿沢の一部[22] | ||
勝沼三丁目 | 1971年7月15日 | 未実施 | 大字勝沼字勝沼前ほかの一部[22] | ||
1971年7月15日[21] | 未実施 | 大字西分字北側・南側の一部[22] | |||
西分町二丁目 | 1971年7月15日 | 未実施 | 大字西分字北側・南側の一部[22] | ||
西分町三丁目 | 1971年7月15日 | 未実施 | 大字西分字勝沼前ほかの一部[22] | ||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1998年10月1日 | 未実施 | 大字青梅の一部 | |||
1971年7月15日[21] | 未実施 | ||||
日向和田二丁目 | 1971年7月15日 | 未実施 | |||
日向和田三丁目 | 1971年7月15日 | 未実施 | |||
長淵地区 | |||||
1968年8月1日[23] | 未実施 | 駒木野 | |||
駒木町二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 駒木野 | 上長淵の一部(飛び地部分)を編入[24][25] | |
駒木町三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 駒木野 | ||
1968年8月1日[23] | 未実施 | 大字下長淵字下長淵・湯本・須高・大林[24][26] | |||
長淵二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字下長淵字木初・宮原・須高・赤坂・中山・長沢・大久保、上長淵字深沢・松葉の入の一部[24][26] | ||
長淵三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字下長淵字ヲコザ・中芝・寺改戸の一部[24][26] | ||
長淵四丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字下長淵字寺改戸・中芝、上長淵字中郷の一部[24][26] | ||
長淵五丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字上長淵字品竹・小山の一部、道芝原・外ヶ谷戸・愛宕下・深沢・宮の入・梅ヶ久保・松葉の入・新指・大新指[24][25][27] | ||
長淵六丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字上長淵字中郷・若御子の一部[24][25][27] | ||
長淵七丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字上長淵字若御子・峰岸の一部[24][25][27] | ||
長淵八丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字上長淵字峰岸・小山の一部、前山・鎮山・日向沢・申酉ヶ入・谷ヶ入・釜ノ入・三能下・入フタ・勇智戸[24][25][27][28][29] | ||
長淵九丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字上長淵字京塚・鳥掛・宮ヶ沢・大荷田[24][25][27] | ||
1968年8月1日[23] | 未実施 | 友田 | |||
友田町二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 友田 | ||
友田町三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 友田 | ||
友田町四丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 友田 | ||
友田町五丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 友田 | ||
1968年8月1日[23] | 未実施 | 大字千ヶ瀬字平林・東平の一部[30] | |||
千ヶ瀬町二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字千ヶ瀬字東平の一部[30] | ||
千ヶ瀬町三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字千ヶ瀬字東平・南平・西平の一部[30] | ||
千ヶ瀬町四丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字千ヶ瀬字北平・東平・西平の一部[30] | ||
千ヶ瀬町五丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字千ヶ瀬字西平の一部[30] | ||
千ヶ瀬町六丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字千ヶ瀬字田端の一部[30] | ||
大門地区 | |||||
1951年4月1日[31] | 未実施 | ||||
1972年6月1日[32] | 未実施 | 大字野上字市街道・宮ノ前・檜街道[33] | |||
野上町二丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字野上字はけ上・下はけ・鳥井戸の一部、師岡字道間の一部 | 霞台土地区画整理事業により一部整備[33]、一部町名地番整理実施区域 | |
野上町三丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字野上字鳥井戸・下はけ・古井戸・五反口の一部、師岡字中原の一部[33] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
野上町四丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字野上字古井戸ほかの一部、師岡字中原の一部、河辺字薬師堂前の一部[33] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
1979年4月1日[34] | 未実施 | 大字大門字上開戸・西・東・霞下[35] | |||
大門二丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字大門字霞台・中原・塚ノ上の一部[33][35] | 三ツ原土地区画整理事業により一部整備 | |
大門三丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字野上字下はけの一部、大門字塚ノ上・風呂後の一部、今寺字中原の一部[33][35] | 三ツ原土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
1951年4月1日[31] | 未実施 | ||||
1951年4月1日[31] | 未実施 | ||||
1970年7月1日[36] | 未実施 | ||||
木野下二丁目 | 1970年7月1日 | 未実施 | |||
1979年4月1日[34] | 未実施 | 大字今寺字西浦・霞の関・常盤樹平の一部[33][35] | |||
今寺二丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今寺字天皇塚・常盤樹平の一部、藤橋字城の腰の一部[33][35] | ||
今寺三丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今寺字神明原ほかの一部[33][35] | 三ツ原土地区画整理事業により一部整備 | |
今寺四丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今寺字中原・神明原・東原の一部、藤橋字二本木の一部、大門字中原ほかの一部[33][35] | 三ツ原土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
今寺五丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今寺字中原・東原の一部、藤橋字細道の一部、大門字塚ノ上ほかの一部[33][35] | 三ツ原土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
東青梅地区 | |||||
1964年11月6日[37] | 未実施 | 大字西分字作馬街道の一部、勝沼字佐久間街道の一部、師岡字大塚前ほかの一部[22][30] | 東青梅土地区画整理事業により新規整備、一部を除き町名地番整理実施区域 | ||
東青梅二丁目 | 1964年11月6日 | 未実施 | 大字勝沼字柿沢の一部、師岡字大塚の一部[22][30] | 東青梅土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
東青梅三丁目 | 1964年11月6日 | 未実施 | 大字師岡字六万・大塚・早道の一部[22][30] | 東青梅土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
東青梅四丁目 | 1964年11月6日 | 未実施 | 大字西分字石神平・中原、師岡字六万の一部[22][30] | 東青梅土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
東青梅五丁目 | 1966年11月27日[38] | 未実施 | 大字師岡字早道・道間の一部[22][30] | 師岡土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
東青梅六丁目 | 1972年2月1日[37] | 未実施 | 大字勝沼字柿沢の一部、師岡字古志喜・城山・城前ほかの一部、根ヶ布字南窪の一部[22][30] | 城前土地区画整理事業により新規整備、一部を除き町名地番整理実施区域 | |
1970年7月1日[36] | 未実施 | ||||
根ヶ布二丁目 | 1970年7月1日 | 未実施 | 黒沢の一部を編入 | ||
1972年6月1日[32] | 未実施 | 大字師岡字筑間ほかの一部[33] | |||
師岡町二丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字師岡字馬場・はけ下・はけ上の一部[33] | 霞台土地区画整理事業により一部整備 | |
師岡町三丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字師岡字道間・中原の一部[33] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
師岡町四丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字師岡字中原の一部、河辺字株樹の各一部[33] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町地区 | |||||
1998年2月1日[38] | 未実施 | 大字新町字宮ノ前・蔵屋敷の各一部、野上字五反口・新町頭の各一部、大門字風呂後の一部、大門字塚ノ上の一部、今寺字中原の一部[33][39] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | ||
新町二丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字宮ノ前・蔵屋敷・植木内の各一部、今寺字中原の一部[33][39] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町三丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字植木内・南植木外の各一部、河辺字梨ノ木の一部、羽(西多摩郡羽村町)の一部[33][39] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町四丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字南植木外の一部[33] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町五丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字西間原・北植木外・富士塚・物見塚の各一部、今寺字東原の一部、藤橋字西はけの一部[33][39] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町六丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字西間原・富士塚の各一部、藤橋字西はけ・中はけ・下はけ・新田の各一部、今井字物見塚・はけ下の一部[22][33][39] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町七丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字平松・伝馬街道の各一部[33] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町八丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字平松・中原の各一部[22][33] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
新町九丁目 | 1998年2月1日 | 未実施 | 大字新町字伝馬街道・中原・端野の各一部[22][33] | 新町地区土地区画整理事業により新規整備、一部町名地番整理実施区域 | |
1966年8月1日[40] | 未実施 | 大字新町字東京街道・五本松の各一部、羽の一部[22] | 西東京工業団地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | ||
末広町二丁目 | 1966年8月1日 | 未実施 | 大字新町字東京街道の一部、羽の一部[22] | 西東京工業団地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
河辺地区 | |||||
1968年8月1日[41] | 未実施 | 大字河辺字白はけ・東先戸・中先戸の各一部[30] | |||
河辺町二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字河辺字中先戸・西先戸の各一部[30] | 河辺土地区画整理事業により一部整備 | |
河辺町三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 大字河辺字西先戸の一部[30] | 河辺土地区画整理事業により一部整備 | |
河辺町四丁目 | 1973年5月2日[42] | 未実施 | 大字河辺字下久保・中先戸の一部[33] | 河辺土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
河辺町五丁目 | 1973年5月2日 | 未実施 | 大字河辺字速川・下久保の一部[33] | 河辺土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
河辺町六丁目 | 1973年5月2日 | 未実施 | 大字河辺字白はけ・梨ノ木の一部[33] | 河辺土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
河辺町七丁目 | 1972年6月1日[32] | 未実施 | 大字河辺字速川・中原・梨ノ木の一部[33] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
河辺町八丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字河辺字薬師堂前・速川・中原・梨ノ木の各一部、野上字新町頭の一部、新町字蔵屋敷の一部、羽の一部[33][39] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、1998年1月に新町地区土地区画整理事業により一部編入、町名地番整理実施区域 | |
河辺町九丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字河辺字速川・薬師堂前の各一部[33] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
河辺町十丁目 | 1972年6月1日 | 未実施 | 大字河辺字株樹・薬師堂前・速川の各一部、師岡字中原の一部[33] | 霞台土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
今井地区 | |||||
1979年4月1日[34] | 未実施 | 大字藤橋字向真土・丸山[33][35] | |||
藤橋二丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字藤橋字矢橋・城ヶ崎・久保・二本木ほかの一部、今寺字天皇塚ほかの一部・今井字水窪ほかの一部[33][35] | 三ツ原土地区画整理事業により一部整備 | |
藤橋三丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字藤橋字二本木・細道の一部、今寺字神明原・中原の一部、新町字西間原の一部、今井字水窪・物見塚の一部[33][35] | 三ツ原土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
1979年4月1日[34] | 未実施 | 大字今井字天神平・山根・城ノ腰・椎木沢・三郡坂・倭林・痩畝・七国峠[33][35][43] | |||
今井二丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今井字原今井・堀の内・七日市場・馬場崎、大字藤橋字城の腰の一部[33][35][43] | 三ツ原土地区画整理事業により一部整備 | |
今井三丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今井字水窪・物見塚、大字藤橋字西はけの一部[35] | 三ツ原土地区画整理事業により新規整備、町名地番整理実施区域 | |
今井四丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今井字上の台・大久保の一部[35] | ||
今井五丁目 | 1979年4月1日 | 未実施 | 大字今井字大久保・大達久保・物見塚・はけ下・樽ノ口の一部[35] | 一部を新町地区に編入 | |
梅郷地区 | |||||
1967年6月1日[44] | 未実施 | ||||
畑中二丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | |||
畑中三丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | |||
1967年6月1日[44] | 未実施 | 日影和田 | |||
和田町二丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 日影和田 | ||
1967年6月1日[44] | 未実施 | 下(下分)[45] | 別名を下郷[46] | ||
梅郷二丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 下(下分)[45] | 別名を下郷[46] | |
梅郷三丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 下(中分)[45] | 別名を中郷[46] | |
梅郷四丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 下(中分)[45] | 別名を中郷[46] | |
梅郷五丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 下(中分)[45] | 別名を中郷[46] | |
梅郷六丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 下(上分)[45] | 別名を上郷[46] | |
1967年6月1日[44] | 未実施 | 柚木 | |||
柚木町二丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 柚木 | ||
柚木町三丁目 | 1967年6月1日 | 未実施 | 柚木 | ||
沢井地区 | |||||
1969年7月1日[36] | 未実施 | ||||
二俣尾二丁目 | 1969年7月1日 | 未実施 | |||
二俣尾三丁目 | 1969年7月1日 | 未実施 | |||
二俣尾四丁目 | 1969年7月1日 | 未実施 | |||
二俣尾五丁目 | 1969年7月1日 | 未実施 | 沢井下分の一部(字平溝)を編入[47] | ||
1969年7月1日[36] | 未実施 | 沢井下分の一部[41] | |||
沢井二丁目 | 1969年7月1日 | 未実施 | 沢井下分の一部[41] | ||
沢井三丁目 | 1969年7月1日 | 未実施 | 沢井下分・上分の一部[41] | ||
1969年7月1日[36] | 未実施 | 沢井上分の一部[41] | |||
1969年7月1日[36] | 未実施 | ||||
御岳二丁目 | 1969年7月1日 | 未実施 | |||
1955年4月1日[31] | 未実施 | ||||
小曾木地区 | |||||
1968年8月1日[23] | 未実施 | ||||
富岡二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | |||
富岡三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | |||
1968年8月1日[23] | 未実施 | 南小曾木 | |||
小曾木二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 南小曾木 | ||
小曾木三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 南小曾木 | ||
小曾木四丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 南小曾木 | ||
小曾木五丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | 南小曾木 | ||
1968年8月1日[23] | 未実施 | ||||
黒沢二丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | |||
黒沢三丁目 | 1968年8月1日 | 未実施 | |||
成木地区 | |||||
1967年10月1日[44] | 未実施 | 下成木下分 | |||
成木二丁目 | 1967年10月1日 | 未実施 | 下成木上分 | ||
成木三丁目 | 1967年10月1日 | 未実施 | 上成木下分の一部 | ||
成木四丁目 | 1967年10月1日 | 未実施 | 上成木下分の一部 | ||
成木五丁目 | 1967年10月1日 | 未実施 | 上成木下分の一部 | ||
成木六丁目 | 1967年10月1日 | 未実施 | 上成木上分の一部 | ||
成木七丁目 | 1967年10月1日 | 未実施 | 上成木上分の一部 | ||
成木八丁目 | 1967年10月1日 | 未実施 | 北小曾木 | ||
本庁舎は東青梅1丁目に所在[49]。市職員数は1,473人(2008年4月1日時点)。
現任は大勢待利明(おおせまち としあき、2023年11月30日就任・1期目 任期満了日は2027年11月29日)。
西多摩地域広域行政圏協議会を8市町村で構成している(他は福生市、羽村市、あきる野市、瑞穂町、日の出町、檜原村、奥多摩町)[50]。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
森村隆行 | 当 | 47 | 都民ファーストの会 | 現 | 26,344票 |
山崎勝 | 落 | 49 | 自由民主党 | 新 | 16,045票 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
森村隆行 | 当 | 43 | 都民ファーストの会 | 新 | 31,603票 |
野村有信 | 落 | 76 | 自由民主党 | 現 | 19,948票 |
寉田一忠 | 落 | 72 | 無所属 | 新 | 5,433票 |
出典[52]。運動グラウンドや小規模の児童遊園、私有地内の公園・緑地を除く。
※都市公園
※都市公園以外の公園
固定電話の市外局番は0428。
成木地区など山間部の一部では携帯電話の通話ができない。
多摩ケーブルネットワーク(TCN)が営業しており、TCN内で、テレビはむら(羽村市の地域放送)も視聴できる[53]。
一部地域では中継局を経由するか、ケーブルテレビ(共聴)に加入しなければ、テレビ放送が受信できない地域もある。夏は非常に落雷が多く、停電も頻繁で、共聴テレビ放送が急に中断されることも多い。
1966年に日本住宅公団によって、羽村市にまたがる西東京工業団地が造成された。
建設業
多摩地域の他市町や東京都区部と結ぶ主たる公共交通機関はJR東日本青梅線である。『JTB時刻表』に中心駅として記載されているのは青梅駅であるが、市役所最寄りは東青梅駅、乗車人員が市内最多なのは河辺駅である。
市内に都営バス青梅支所と西東京バス青梅支所が設置されているほか、以下が管轄する路線バスが乗り入れている。
青梅市内の路線バスは収支状況が厳しく、毎年1億5000万円の公的支出を行っている。この支出は多摩地域において最大の支出となっている[64]。
国際興業バスのバス路線はイベント時のみ運行。
埼玉県入間市のコミュニティバスが今井地区に乗り入れている。豊岡丸大タクシー有限会社に委託。ワンボックスカーでの運行。
埼玉県飯能市のコミュニティバスが成木地区に乗り入れている。西武バス飯能営業所に委託。ワンボックスカーでの運行。
市域の約63%が森林であり、公園などを含めると市全体の70%以上が緑地である[65]。
2009年4月に日本国内で初のウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス)の感染が吉野梅郷で確認された。青梅市とその周辺地域での被害が大きく、梅などのバラ科サクラ属の樹木・苗木の移動が禁止されている。東京都以外にも愛知県・大阪府・兵庫県の一部にも被害が広がっている[66]。
2010年1月1日から、市内全域で歩行中・自転車運転中・公園・他人の管理する土地での歩行喫煙、ポイ捨て、飼い犬の糞の不始末が条例で明確に禁止された。立ち止まっての場合、携帯灰皿の使用と周囲に迷惑をかけないことの努力義務となった。違反を行った場合、2012年までに市長の中止勧告が出され、それでも従わない場合、中止命令が出されるようになる。また2010年7月1日からは、青梅駅・東青梅駅・河辺駅周辺は路上禁煙地域に指定され、静止しての喫煙は喫煙所以外禁止となった。この区域内では2012年までに、前述の禁止命令に従わない場合、過料2000円の対象となることも、青梅市ポイ捨ておよび飼い犬のふんの放置の防止ならびに路上喫煙の制限に関する条例で定められた。
詳細は「青梅市の文化財」を参照。
※特記なきは史跡
青梅駅南側の市街地には、串間努の収集品などを展示する昭和レトロ商品博物館と別館の昭和幻燈館、隣接する青梅赤塚不二夫会館がある[67]。周辺商店街も1994年以降、往年の名作映画の看板を掲げ、昭和のムードを演出していた。しかし、2018年2月に看板絵師が死去して新作が制作できなくなったほか、老朽化による事故が懸念されたため、同年秋に撤去(青梅駅構内にある映画看板は2019年5月時点も展示されている)。猫を生かした町おこしに転じている[68]。
市内の月間イベントの詳細はこちら [リンク切れ]。
市内の社寺の詳細は外部リンク 青梅市の寺社(東京都寺社案内HP)を参照。
青梅市、青梅市観光協会はテレビ、映画のロケーション撮影誘致に力を入れている。
作中に登場する準バハムート級の航空都市艦群「武蔵」を構成する左舷三番艦として登場。品川(品川区)、武蔵野(武蔵野市)などと共に描かれている。
第3話で御嶽駅と忍者返しの岩が登場。
第6話で青梅駅付近を散歩するシーンがある。
単行本21巻で本作舞台の隣接する埼玉県飯能市のライバル市として登場。市域南部の長渕丘陵が作品に登場する。
※出典は 東京都 青梅市の『ゆるキャラ図鑑』一覧 を参照。
など。
上記のスポーツチームが活動しているほか、新型コロナ禍で2021年に延期して開催された東京オリンピックではドイツのホストタウンとなった(カヌー選手団の事前キャンプは中止)[74]。
出身ではないが、太平洋戦争中に吉川英治や川合玉堂、朝倉文夫らが疎開している。吉川英治と川合玉堂は終戦後も長期間滞在し、後に青梅市の名誉市民になっている。
八王子ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられている。他に該当するのは八王子市、あきる野市、日野市、福生市、羽村市、西多摩郡[75]。
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