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京王電鉄バスグループを中心とした新宿から中央道方面の高速バス ウィキペディアから
中央高速バス(ちゅうおうこうそくバス)は、京王バス(旧・京王帝都電鉄バス)とその共同運行会社が運行している、バスタ新宿に発着する中央自動車道経由の高速バス(路線バス)の総称および、京王電鉄バスの登録商標である[注釈 1]。
そのため、京王が幹事となるか営業協力している路線では「中央高速バス」の名称を使用できるが、それ以外の路線では、京王が商標使用を許諾しない限り商標権侵害となるため使用できない。
本項では以下、単に「京王」とした場合は、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)のバス部門および京王電鉄バスグループ全体を、単に「富士急」とした場合は、富士急行のバス部門および富士急グループのバス会社全体を指すものとする。
また、伊那線と飯田線は路線免許上は一体になっていることから、「伊那・飯田線」とまとめて呼称されることが多いため、本項でも特に区別する必要がない場合は「伊那・飯田線」と一つの路線として扱う。
なお本項では、東京 - 長野線のうち、当初は中央高速バスの一路線として開設され、1997年以降は関越自動車道・上信越自動車道を経由となった長野線(新宿 - 善光寺・国際21線)についても記述する。
1956年、新宿 - 富士五湖を結ぶ急行バスを運行開始したのが始まりである。1959年には、新宿 - 甲府・昇仙峡を結ぶ季節運行の急行バスを運行しており、これらを高速道路経由に乗せかえる際に「中央高速バス」の名称を使用するようになった。その後、高速道路網の展開と同時に路線ネットワークを拡大している。
伊那・飯田線においては、巨額の赤字を抱えていたバス会社が単年度黒字を計上するなど、高速バスがバス会社にとっては重要な事業形態であることを立証した。中央高速バスの成功が、1980年代後半からの高速バス路線開設ブームの契機の一つとなった。
2009年1月28日、中央高速バス幹事会社の京王電鉄バスグループが、新宿高速バスターミナルを起終点とする中央高速バス運行会社で、「中央ハイウェイバスアライアンス」という名称の高速バス運行会社連盟を結成したと発表した。
「Chuo Highwaybus AlliaNCE」の文字からつくった「CHANCE(チャンス)」を愛称に、乗客により多くのチャンス(メリット)を提供したいとの思いから連盟を結成した。
連盟のシンボルとして、CHANCEロゴマークを制定して、加盟各社バス車両にステッカーを掲示することなどが発表された。ロゴマークは、青・緑・オレンジの3色の太いラインを組み合わせた柔らかな丸みのあるフォルムで、各社の「結束」と「親しみやすさ」「安心」「安全」を表したものである[1]。
また連盟全体でのサービスの一環として、2009年2月1日より座席の窓側・通路側指定が可能になることや、2009年3月1日より座席の一部に「女性専用席」を設けることもあわせて発表された。
発足当時の加盟会社は以下の通り。名鉄バス、JRバス関東は加盟していない。また京王グループの西東京バスも連盟発足時の加盟会社には含まれていない[2][3]。
中央高速バスの路線開設においては、一時期は需給調整や許認可に関していくつか問題が発生し、特に当時の国鉄および分割民営化後のJRバスとの対立が路線開設に影響を与えた[4]。
のちに両者の関係は改善され、JRバス「南アルプス号」では、2005年6月1日から京王が新宿駅新南口バスターミナルに路線廃止(2009年7月31日)まで乗り入れ、2009年10月からは中央高速バス伊那線とJRバス高遠線の連絡乗車券の発売も開始された。
伊那・飯田地区は、経済圏がどちらかといえば名古屋に向いていた地区であり、東京とのつながりはあったがパイプは細かった。またすでに運行していた中央道特急バス(現・中央道高速バス)も、路線としての採算ラインはクリアしているが、会社の経営に寄与するには至らないという状態であった。当時の運行便数は中央道特急バスが飯田線15往復・伊那線7往復であり、需給面から「さらに遠い東京までの高速バスが果たして利益を生み出せるのか」と採算性を危惧する意見もあった。大都市と地方を結ぶ高速バスの場合、地方側の事業者の方が熱心なケースが多いが、ここもその例に漏れなかった。
このような背景もあり、運行予定各社間の調整に限っても長期間を要している。伊那バスと信南交通が京王へ初めて高速バス路線開設の協力を要請したのが1980年7月であるが[17]、各社間協議が初めて行われたのは、京王が市場調査を行った後の1982年11月である。しかし、総運行本数や施設の共用などの条件がかみ合わず調整が難航し[18]、沿線自治体や地元商工会などによる早期開業の陳情もあり[18]、ついに起終点3社(京王・伊那バス・信南交通)が1984年7月に先行申請する事態になった[17]。その後、京王が取りまとめ役となって再度調整[18]、沿線3社(富士急・山梨交通・諏訪バス)も合意するに至り、6社共同で同年8月31日に再申請となっている[17]。
この間、信南交通は1980年末より、お盆・年末年始の帰省ラッシュ期に新宿 - 飯田間で会員制(ツアーバス形式)の「帰郷・上京バス」を運行した。おおむね各期1週間前後の運行であったが、最後の運行となった1984年盆期は約1か月間運行、同区間を4時間半で結び、帰省・Uターンのピークには3 - 4台で運行する日もあった。この運行実績から、信南交通・伊那バスなど伊那地区の事業者では、採算性は十分見込めると考えていた。
1984年に入り、路線免許の申請・認可が確実になってくると、当時の国鉄は、安くて速い高速バスが運行されることによって飯田線や中央東線が深刻な影響を受けることに危機感を強めた[17]。当時、国鉄では新宿発着で飯田線に直通する急行「こまがね」を運行していたが、豊橋経由で名古屋駅から飯田線に直通していた急行「伊那」が中央道特急バスの影響を受け1983年に廃止に追い込まれた[19]ことや、国鉄バスの中国ハイウェイバス運行によって姫新線が大きな影響を受け、自動車局が高速バスの展開を自粛した経験もあり、地方線区にとっては高速バスは脅威であると認識していた。つまり、国鉄はこの区間における高速バスの採算性を認めていたのである。
国鉄バスは東京・伊那・中津川に営業所があったため、東京 - 伊那地区への高速バス参入は不可能ではなく、国鉄部内では高速バスへの参入により身内で影響を食い止める案も出ていた。しかし国鉄の部内協議では高速バス反対という方針となり、申請と同時期に運輸省や地域自治体に対して認可についての再検討を求めた[18]。一バス路線の開設に対して国鉄が横槍を入れてくるのは過去に例がなく、関係者は戸惑いを隠せなかったという[17]。
しかし地域自治体は、それまで飯田線の輸送改善が行われていなかったことから「何を今さら」と一蹴した[18]。運輸省は「バス会社同士のような利害関係はない」としながらも、同申請を運輸審議会に諮問したが、運輸審議会は「国鉄飯田線への影響が、伊那地区の住民の利便を高める高速バス運行を妨げる理由にはならない」という結論を出し、1984年12月7日にバス路線開業を認可した[17]。当時の国鉄の地位低下を示している事象ともいえる。
飯田線はほぼ全区間が単線で、線形はカーブや勾配が多く速達列車の運行に不向きであり、中央西線のように振子電車を運行させるにも飯田線は中央西線以上にカーブが急で効果が期待できなかった。また電化私鉄の買収路線であったため、諮問当時は架線等の改修に多額の経費が必要とされた[注釈 3]。
さらに、国鉄時代から全区間が中央東線とは違う静岡鉄道管理局の管内[注釈 4]にあったため、国鉄分割民営化後もJR東海管轄となり、高速化に関し意思統一が困難であった。そのため、中央高速バスに対しても競争力を持たせることができず[19]、1986年11月に急行「こまがね」は廃止、1988年3月には急行自体が全廃され[19]、飯田線は地域輸送主体の路線となった。国鉄の抱いていた危惧は現実のものになったのである。
1980年代の『鉄道ジャーナル』は誌面に「BUS CORNER」を設けて鈴木文彦が執筆し、定期的にバスの記事を掲載していた。同誌の1985年5月号では特集として「高速バスと鉄道 列島を駆ける "高速バス" の脅威」を組み、開業したばかりの伊那・飯田線を鈴木が取材に行っている[20]。このタイトルからも当時の国鉄が高速バスを「脅威」と捉えていた状況がうかがえる。
運行開始直前まで「2系統合わせて15往復の運行は供給過剰」と思われていた中央高速バス伊那・飯田線は、繁忙期には続行便も多数出るほどの盛況となり、1985年度だけで50万人を輸送[21]、運賃収入は6社合計で15億7000万円を計上し[21]、1便平均の乗車人員も1986年の時点で名古屋方面の20人を大きく上回る28人となり[19]、需給・採算についての懸念は全くの杞憂と化した。また、上伊那地区の経済圏は東京指向に変化した。
さらに、それまで赤字続きだった伊那バスと信南交通が、中央高速バス運行開始の翌年度に単年度黒字を計上する[22]など、地方のバス事業者の経営状態の改善にも大きく貢献した。こうした実績から、バス事業者の経営における高速バス路線の重要性を述べる際にしばしば引き合いに出される路線となっている。特に信南交通はそれまで倒産寸前とまで言われており、「高速バスに救われたバス会社」として信南交通・伊那バスの名前が挙がることも多い。
伊那・飯田線はこの後も順調に増便され、2018年6月現在では伊那線16往復、飯田線17往復と、開業時と比較して倍以上にまで増便されたが、それでもなお頻繁に増車される状態となっている[注釈 5]。
1986年2月25日に、京王・富士急・山梨交通・諏訪バスの4社で1日10往復の路線開設の申請を行なった[17]が、その直後の3月14日、国鉄バスが東京駅・新宿駅 - 上諏訪・岡谷駅8往復の路線開設申請を出願し、類似内容で競願となった[4][17]。国鉄では、伊那・飯田線の申請の際に再考を求めたものの受け入れられなかったため、今回は初めから身内で影響を食い止めるため[21]高速バス参入という方針に転換したものである。
もともと民間各社間の調整にも手間取った上に地域自治体の思惑の違いなどもあり[23]、ようやく話がまとまって申請したところで競願となったため、民間側は「中央高速バスは民間で構築してきた路線で、今さら土足で踏み込まれては困る」と猛反発。対する国鉄も「分割民営化を控え、バス部門を強化するには収益性の高い高速バスへの参入は不可欠」と全く譲らず[21]、主張は完全に対立、調整不能な状態のまま申請後1年が経過するという異常な事態に陥った[21]。
この間、1986年11月1日には国鉄のダイヤ改正で特急「あずさ」が増発されることになった。このままでは利用者が「あずさ」に定着してしまい、高速バスの利用者にも影響が出ることが予想された[23]。
また、諏訪地区の住民からの高速バス開業への期待は大きく、1986年8月には沿線市町村が運輸省へ民間4社に対する認可を求めて陳情する事態にもなった[23]ことから、諏訪バスが当初から参入していた伊那・飯田線の免許を利用した運行系統新設扱いにより、11月1日より中央道茅野線として運行を開始した[4][21]。茅野までなら諏訪バスのエリアであると共に国鉄バス下諏訪自動車営業所(現・JRバス関東諏訪支店)のエリアからは外れており、免許上も重複しなかったからである。中央道茅野線は、わずか1日3往復という暫定開業ながらも好調となった[23]が、沿線からは増便や伊那・飯田線の停車を要望する声も多かった[24]。
結局、国鉄 - JRバスが折れる形で[25]、JR東日本バスは諏訪側の事業者として1往復のみの参入で11往復という内容で1987年3月16日に再申請し、同年7月1日に運行開始となった。申請から実に1年4か月も経ってからの運行開始で、申請内容に不備がないにもかかわらず、申請から運行開始までに1年以上かかったケースはそれ以前にはない[25]。その後に需給調整が撤廃され、ダブルトラックが認められたことから、需給調整が再度行われない限りは今後も同様のケースはないと考えられる。その後は増便され、2007年10月時点ではJRバス関東は2往復を担当している。
なお、JRバスは参入時に、中央高速バスでは初となるトイレ付車両を投入した。JRバスとしてはすでに運行していた東名ハイウェイバスと同仕様で導入したに過ぎないのだが、渋滞の多い中央道では乗客から好評で他社や他路線にも波及したことから、JRバスの参入にも居住性の改善という意義があったと考えられる[誰によって?]。
申請直後に、諏訪・岡谷線で既得権を得た[26]JRバス関東が、起点が東京駅となることが異なる程度のほぼ同一内容で、しかも共同運行会社が同じ松本電気鉄道での路線開設申請を行った。この頃になると運輸省の対応もダブルトラックを認める方針へと変化しており、双方ともに認可が下りたため[4]、2路線とも同じ1989年4月18日にダブルトラック路線として運行を開始した。しかし似たような路線で、しかもどちらの路線にも松本電気鉄道が参入しているにもかかわらず、全く無関係な路線として扱われ、回数券なども2路線での共通利用はできなかったため、乗客側にとっては分かりづらく不便な状態であった。
JR側は「松本号」として運行し、マルス収録の上でみどりの窓口でも発売を扱うなど、販売ネットワークとしては悪くなかったが、営業力ではすでに中央高速バスを運行していた京王側には遠く及ばず不振な状態が続いた。そのため当初4往復だったものを2往復に減便の上、1992年に撤退となった。ほぼ同時期に、当初8往復で運行開始した京王側では増便を行っている(2012年7月時点で22往復)。
これ以降しばらくは、JRバスの中央自動車道方面への路線展開は途絶えることになる。
多くの路線に富士急も参入している。これは富士急が、富士五湖線では山梨県側の事業者として、甲府線では双方に拠点を持つ事業者として(山梨県の上野原IC - 笹子BS間は富士急エリア)、甲府以遠の路線では東京側の事業者として参入しているためである。
中央道上野原(上野原BS)が、富士五湖線・甲府線で乗降可能停留所になっているのは、かつて京王が神奈川中央交通と相互乗り入れで国道20号経由の一般路線バスを高尾駅 - 上野原間で運行していたため、京王・富士急両社のエリアとされているためである。ただし、富士五湖線の一部便にはクローズドドアシステムを適用している。
伊那・飯田線は、開業時から中央高速バスのシェアが勝っており、1986年に国鉄飯田線と中央本線と直通する急行列車が廃止されて以降、高速バスが東京と伊那・飯田地域との唯一の直行輸送機関となっている。塩尻・木曽福島線や飛騨高山線では路線開設前からJRによる直通列車の運行がなく、こちらも東京と木曽地域、および東京と飛騨地域を結ぶ唯一の直行輸送機関となっている。
塩尻・木曽福島線に平行する中央本線の塩尻以西区間(中央西線)では、国鉄が非電化時代に新宿 - 名古屋間の普通列車を定期運行し、JR発足後は新宿 - 木曽福島間で臨時特急「木曽あずさ」が運行されたこともあったが、同列車の運行は定着しなかった。飛騨高山線に平行するJR高山本線では開業当初から東京都区内からの直通列車は設定されていないが、JR東海では東海道新幹線から名古屋で乗り換えるルートでの旅行企画商品を販売して高速バスに対抗している。
甲府線、諏訪・岡谷線、松本線は中央本線の特急列車(特急あずさ・かいじ)との激しい競争にさらされているのも事実であり、所要時間は特急あずさ・かいじに分があるため、こちらは値下げ・現状維持で勝負している。ただ、酒折など普通列車しか止まらない駅周辺の停留所は、所要時間もさることながら、東京方面の普通列車は高尾駅乗換が欠かせないため、高速バスの方が利便がよい。
なお、富士五湖線は中央高速バスが優勢であるが、こちらは通常ならライバルと位置付けられる鉄道側の事業者も富士急であり、運賃や便数で高速バスを、定時性や遅延リスクの低さにおいて鉄道をPRしているため、どちらかといえば相互補完の関係に近い。
本路線は関越道・上信越道経由で運行されているが、本節で取り上げる。
沼津線[82]は、かつて京王帝都電鉄(当時)と富士急行沼津営業所(現:富士急シティバス)との共同運行により、東京都八王子市と静岡県御殿場市・沼津市を結んでいた高速バスである。「スキッパー号」という愛称が付けられていた。
1989年(平成元年)12月20日の京王八王子高速バスターミナル開業[82]を受け、同年12月22日[82]に同バスターミナルを発着する初の路線として運行開始。鉄道利用では乗り換えが必要となり遠回りになる、多摩地域と静岡県東部を結ぶ路線として開業した。
当初は京王八王子高速バスターミナルと御殿場・沼津地区を直行していたが、両地域間を移動する需要が元々少なかったこともあって乗車率が伸び悩んだため、ほどなくJR八王子駅北口と富士急ハイランドを停車地に加えたが乗車率の改善は叶わず、1996年7月に廃止[82]された。
毎日8往復、所要時間2時間20分で運行していた。停車停留所は東京側が京王八王子高速バスターミナル(京王八王子駅)・JR八王子駅北口、山梨・静岡県側は富士急ハイランド・御殿場(富士急行御殿場営業所前)・沼津駅(富士急名店会館前)であった。東京側の停留所相互間、山梨県・静岡県側の停留所相互間の利用はできなかった。富士急行便のみ希望者があれば谷村PAで休憩していた。
車両はハイデッカー4列シート(定員42 - 45名)、京王便では一部トイレ付き車両が充当されていた。
身延線は、当初は山梨交通の単独運行であったが、当初から京王が営業協力している上、増便の際には京王が参入することが決まっていたため、運行当初から「中央高速バス」の名称を利用することが可能であった。また、富士急単独運行の甲州塩山線も、東京側の運行管理や予約システムなどで京王が営業協力しているため、「中央高速バス」の名前を利用する事が可能となっている。
なお、竜王 - 名古屋間の路線は山梨交通とJR東海バスの共同路線で、京王とは全く関係性がないが、予約システム「ハイウェイバスドットコム」でも紹介されている。予約などは「発車オ〜ライネット」にリンクされており、同サイトでは「中央高速バス」の名前がつけられている。
一方、2009年7月31日まで運行されていた新宿駅新南口 - 伊那市・高遠間の「南アルプス号」は、もともとJRバス関東が単独で運行を開始した同社主導の路線であり、途中から京王・伊那バスが参入したものの京王は営業協力を一切していなかった。そのため「中央高速バス」の名称は使われておらず、京王の公式サイトからは「南アルプス号」の路線情報を参照することができず、「ハイウェイバスドットコム」での予約もできなかった。インターネット予約はJRバス系の「高速バスネット」で可能となっていた。
また、富士五湖線・富士山五合目線・甲府線では、富士急便を除き車内での運賃の支払いにPASMOなどの交通系ICカードが利用できるが、かつて山梨交通が一般路線バスに導入していたバスICカードは使用できなかった。これらの路線については、甲府駅バスターミナル窓口でのICカード決済も可能となっている(4枚回数券・トクワリきっぷも可、Qパックなどの企画券は不可)[注釈 7]。
中央高速バスならびに前述の「新宿 - 長野線」では以下の割引運賃の設定および回数券が販売されている。いずれの運賃・切符も事前購入が必要である。
富士五湖線(富士山五合目線)、甲府線および名古屋線を除く路線に設定されている割引運賃。通常の片道運賃と比べ10%の割引で販売されている。有効期間は7日間。
富士山五合目線・甲州塩山線・名古屋線を除く路線に設定されている回数乗車券。通常の片道運賃と比べ10 - 12.5%割引で販売されている。有効期間は発行日より3箇月。
JR中央本線の特急列車で利用できるあずさ回数券などの各種割引きっぷに対抗するために1995年12月1日より発売が開始された[6]、新宿‐甲府線に設定されている2回分の回数乗車券。有効期間は通常の回数券と同じく発行日より3箇月。回数券として取り扱われているため2名一緒に片道で利用するといった形でも利用可能。
石和/中央道八代発着(中央道境川を除く峡東地方内各停留所利用)と甲府発着(中央道境川および甲府市以西の各停留所利用)があり、通常の片道運賃と比べおよそ25%と他路線の往復割引運賃より高い割引率が設定されている。ただし利用できるのは平日のみであり、土日祝日は利用できない。価格は、1995年12月の発売当初より石和/中央道八代発着2,700円・甲府発着2,900円[6]であったが、第二次消費税率改定に伴い、2014年4月1日発売分より石和/中央道八代発着2,800円・甲府発着3,000円と、それぞれ100円値上げされた。
長野新幹線や近年勢力を拡大しているツアーバスに対抗するため、新宿 - 長野線に設定されていた2回分の回数乗車券で、有効期間や効力は甲府のトクワリきっぷと同様。ただし利用除外日として、土日祝日と年末年始・旧盆等(12月29日 - 1月3日、8月13日 - 16日)の繁忙期が追加で設定されていた。
発行区間は新宿 - 長野駅(長野市内区間)のみであったが、通常の片道運賃と比べ約27%割引と同路線の往復割引運賃より高い割引率が設定されていたので、長野線で新宿と各停留所間を平日に往復する場合はこちらを購入した方が安くなった。 価格は5,800円(新宿‐長野駅間)。
2014年7月14日実施の運賃改定に伴い、前日を以って発売終了。
新宿 - 松本線開設20周年を記念して2009年から設定された。新宿 - 松本間の往復割引乗車券に加え、アルピコ交通上高地線(松本 - 新島々間)と新島々 - 上高地間の電車・バス往復乗車券をセットにしたもので、価格は8,000円。有効期間は6日間で、発売期間は上高地の山開き(4月19日)から冬季閉鎖(11月15日)帰着までの間だが、夏休みは除外される。発売当初は使用開始がゴールデンウィーク明けで、秋の3連休は使用できなかった。2010年度からは名古屋・大阪発着分も設定されている。
上高地ゆうゆうきっぷの冬バージョンとして2009年から設定された。新宿 - 松本間の往復割引乗車券にアルピコ交通上高地線と新島々 - 乗鞍高原・白骨温泉間の電車・バス往復乗車券をセットにしたもので、こちらも価格は8,000円で有効期間は6日間。発売期間は当初12月下旬から4月22日帰着までの間(年末年始と3月の3連休は除外)だったが、2011年度からは名古屋・大阪発着分も設定され、ゴールデンウィークと夏休みを除いた通年発売に拡大されている。冬期はMt.乗鞍(旧・乗鞍高原温泉スキー場)および乗鞍高原いがやスキー場でリフト券の割引を受けることができる。
松本線の開業20周年を記念して、2009年に「松本成田空港きっぷ」の発売が開始された。松本バスターミナル・松本インター前 - バスタ新宿間の片道乗車券にバスタ新宿 - 成田空港間の東京空港交通リムジンバス片道乗車券(引換券)をセットにしたもので価格は5,700円。設定当初の価格は5,000円で成田側からは設定されていなかったが、追って成田空港発も設定されている。2011年からは新宿駅 - 羽田空港間のリムジンバス引換券をセットにした「松本羽田空港きっぷ」も設定され、価格は4,000円。後に名称がそれぞれ「成田空港乗継きっぷ」・「羽田空港乗継きっぷ」に変更された。また、長野駅・長野バスターミナル、白馬八方・白馬町発着のセット券の発売も開始した。
「新宿・高遠連絡きっぷ」[86]は中央高速バス新宿 - 伊那・駒ヶ根線とJRバス関東の路線バス高遠線をセットにしたもので、通年発売されている。販売場所はバスタ新宿。
新宿 - 名古屋線と競合するJRバスやツアーバスへの対策として2008年から発売。予約サイト「ハイウェイバスドットコム」での予約とクレジットカード決済(購入)が条件。乗車券は各自でプリントアウトまたは携帯電話からネット接続で乗車券画面を取得して当日提示。便により予約・決済の期限が異なる(乗車前日24時までまたは乗車5日前24時まで)。当初は週末夜行便など割引設定の無い便もあったが2010年9月以降は全便に設定。電話予約やバス会社窓口では取り扱い無し。普通運賃5,100円が3,500円に割引。すべての利用区間で購入可能。過去、3,900円で発売していた期間もあった。割引で発売する席数は限定。2013年12月頃からはネット上の楽天トラベルからも購入可能になっている(コンビニで現金払いも選択可能)。
基本的には、各社ともトイレ付のハイデッカー車が使用される。ただし、増便・臨時便についてはトイレなしの車両の場合もある(富士五湖線では逆のケースもある)。かつて運行されていた沼津線「スキッパー号」はトイレなしのハイデッカー車が使用されていた。なお、富士五湖線には2020年よりダブルデッカーのスカニア・J-InterCityDD(京王・フジエクスプレス)も使用される[87]。
所定の担当会社が1号車を担当し、別の会社が2号車を増車する「2社共演便」がよく見られる[注釈 19]。多客時には、続行便として貸切車(トイレなし)も投入されることがある。特にアルピコ交通(諏訪バス)・信南交通は、予約段階で満席であれば、たとえ片道回送(運転士1人乗務の場合、乗務員の拘束時間の都合上、往復とも客扱いすることはできず回送となる)になっても続行便を設定する。また、富士急も週末を中心に続行便を設定することが多い。京王では、調布営業所に所属する空港リムジン向け車両(KEIO Highway-Air Expressと表記されており区別は容易)が中央高速バスの続行便に運用されることもある。
富士五湖線の富士急便では、富士急ハイランドのアトラクションに関連するラッピングバスを運行している。また、特別塗装車として「トーマスランドエクスプレス」が2台在籍しているが、車体の外部には「富士急ハイランド」という文字は一切書かれておらず、車体広告バスとは認識されていない。
山梨交通には新型ガーラ(いすゞ)、アルピコ交通(諏訪バス)・伊那バスには新型セレガ(日野)が導入されている。アルピコ交通(松本電鉄バス)・富士急にはどちらも導入されている。松本電鉄バスに2007年6月頃導入されたニューセレガは後部全面トイレ仕様の36人乗りであり、高速バス初となったことでマスコミに取り上げられた。その後、山梨交通も2007年11月にニューガーラで導入している。Jバスの現行モデル(LKG-)は、仕様が40人乗りに変更され山梨交通はガーラ、富士急行は富士五湖線新宿20:15発の2号車(女性専用車)としてセレガで導入している。
一時期、松本線、諏訪・岡谷線、伊那線、飯田線を中心にスーパーハイデッカー車が投入されたことがあったが、車両更新により勢力を減らしつつあり、現在は、山梨交通のみである。山梨交通担当便は、各路線との共通運用によりスーパーハイデッカー車・ガーラに存在するグレースハイデッカー車で運行されるケースが見られる。
名古屋線については、運行開始当初は両社とも他路線と同一仕様で座席数42名のハイデッカー車を使用していたが、その後車両更新の際に京王が補助席を廃してフットレスト・ヘッドレスト・センターアームレスト付きとしたため、座席数が36 - 38となった「ゆったり4列シート」[注釈 20]。現在はゆったり4列36席+パウダールーム(トイレ・洗面台・姿見・着替え台)付き新型車両(エアロエース、日野・セレガ)が使用されている。京王担当便の一部は通常トイレのゆったり4列38席車両で運行。
補助席のない36 - 38人乗りの「ゆったり4列シート」トイレ付き車両は、松本線でも運用される。
いわゆる「高速ツアーバス問題」に端を発した高速バスをめぐる法体系の変化に伴い、路線バスについて一定の条件の下で他社への運行委託(B社がA社の路線として運行)が可能となった。このため、繁忙期を中心に、京王担当便の2号車に系列の西東京バスが入るというような運行形態が増加している。
富士急担当便に「Resort Express」が投入されたりした頃は、新宿高速バスターミナルでの案内放送で「白い富士急行バス」などの言い回しで極力誤乗を防ぐようにしていたが、「Highland Dream」や「トーマスランドエクスプレス」、ラッピングバスが登場するようになって言葉では表現しづらくなってきたこともあり、単に「富士急行」とだけ案内するようになった。
京王・富士急では、富士五湖線に通称「ワンロマ」と呼ばれる高速・路線兼用車を導入していた。元来「ワンロマ」は京王の社内呼称であったが、後に富士急も同様の車両を「ワンロマ」と称していた。
基本的にはどちらの会社の車両も、長尺車の路線車シャーシを採用した前中扉の車体で、過給器付エンジン・ハイバックシートかリクライニングシートを装備した車両である。休日には高速バスは続行便が運行される一方[88]、一般路線の需要が減少するため[88]、車両の有効活用策として考えられたものである。100kmを超える距離を走る高速バスと路線バスの兼用としてまとまった台数を導入した例は中央高速バス富士五湖線以外にはなく、高速バスと路線バスでは全く走行環境が異なることを考えれば、特殊な車両といえる。
他社において、バスファンに「ワンロマ」と俗称される車両については当該記事を参照されたい。
京王の初代ワンロマ車は1980年に導入されたもので、外見上は2段上昇窓、前中引戸の路線車そのものだが、座席は最後部など一部を除いてリクライニングシートであった。しかしながら板ばね(リーフ式サスペンション、以下「リーフサス」と表記)で乗り心地は良くなかった。車種はいすゞCJM500・日野RC301・三菱MP118Mだった[88]。
1982年に導入された2代目車両はやはりリーフサスの路線車ながらメトロ窓の長尺車となり、中扉は戸袋窓を無くすために通常の引戸と同じ幅の4枚折戸を採用し、全席リクライニングシート装備となった。なお、2代目はメトロ窓になった関係で、当初は高速車と同様に側面方向幕を前扉後ろの窓下に設置することを考えた。しかし一般路線と高速路線(富士五湖線・甲府線)の全部を収容するためには長尺の幕にする必要があり、窓下に設置すると車内への張出が大きくなってしまうため、やむなく前扉上の屋根部分に飛び出して設置された[注釈 22]。車種はいすゞCPM550・日野RC321・三菱MP118N[88]。
これら初代と2代目は前扉が一般路線用よりも狭い幅の折戸であるほか、京王の一般路線車では一部の例外を除き装備されていないフォグランプが装備されていたため、格下げ後でも容易に見分けがついた。また、車内も一般路線車が木張りの床であったのに対して、高速・貸切車と同等の床材で仕上げてあった。格下げ後は、全面に滑り止めシートが敷かれた。
また、1987年に導入された3代目の車両は観光路線タイプの車体を持つエアサス車で、中扉は2代目同様に4枚折戸、方向幕はライト間に高速用・フロントガラス内側に路線用の方向幕を装備していた。側面窓は逆T字となり、側面方向幕は前扉直後の窓内側に収容することができた。また、各社とも270PSクラスのエンジンを搭載して出力が増強されたため、初代・2代目で常態化していた真夏の下り便談合坂登坂時の冷房カットも少なくなった。車種はいすゞP-LV218N・日野P-HU276B・三菱P-MP618P[88]。
車体色は、初代は路線車塗色をベースに前面と側面を高速車風の塗り分けにしたもの、2代目はアイボリーと朱色の貸切・高速色(現行塗色の先々代塗色)。3代目は濃茶と白・赤の貸切・高速色(先代塗色)であった。なお、登録上は特殊貸切車となっていた。
しかし、路線車ベースのシャーシで標準床車ということで、高速用としては走行性能・設備とともに物足りないものであったことから、高速の続行便は次第に貸切車を使用することになった。また、都市部の路線バス車両としても、通路が狭く吊革がないなどラッシュには不向きで使いづらいことから、末期は路線色に塗りかえられて予備車や契約輸送用(多摩営業所では東京薬科大学、永福町営業所では三省堂等)になっていた。1999年に全廃。
なお、2007年6月には深夜急行バス用として、ワンロマの装備を簡素化した車両が登場した。4代目ワンロマともいえるが、現在のところ中央高速バスには使用されていないため、本項では詳細は省略する。
富士急行のワンロマ車は1988年に導入された日野P-HU276Bである。もともと観光路線仕様の車両が多いこともありあまり目立たなかったが、京王と同様にリクライニングシートを装備、高速車として使用する際には中扉ステップを板で塞ぎ荷物置き場として利用することが可能だった。ただし、京王とは異なり、中扉が2枚折戸であった。また、後部の座席では補助席も装備されていた。こちらは路線車としての登録であった。富士急行では当時の一般路線車の扉配置は前後扉が標準だったことや、路線仕様なら白色になるバンパーが黒色だったこともあり、容易に判別可能だった。
しかし、高速車としての使い勝手は京王と同様物足りないものであり、もともと経年高速車を続行便として常用していたこともあって、こちらも末期には高速車としての運用はほとんどなかった。もっとも、観光地を走る路線バス車両としての使い勝手は悪くなく、2002年頃までは富士山麓の観光路線で使用されていた。
なお、富士急ではこのワンロマ車を導入する前は、一般路線用の前後扉・メトロ窓・ハイバックシート装備の日野RCを応援に駆り出すことも多かった。
かつての発着場所であった新宿高速バスターミナルが大変狭隘なため、一部の時間帯では限界に近い状態になっており、乗り場が数箇所に分散していた。これは1980年代後半にはすでに問題になっており[21]、その後に路線がさらに増加してからも長らくの間根本的な解決策が見出せないままとなっていた[89]。
その後、2016年(平成28年)4月4日にバスタ新宿が新宿駅南口に開業し、同ターミナル発着便は一部便を除きバスタ新宿に集約されたため[13]、この問題は解消された。
中央自動車道は2007年9月現在の時点で、首都圏1都3県内で唯一、片側2車線のまま(片側3車線以上の区間は山梨県内のみ)であることから、土休日や繁忙期の渋滞が激しくなる傾向がある。このため、他方面の高速バスと比較しても定時性が著しく損なわれる場合がある。
しかしNEXCO中日本などのPR活動や、ETC普及による時間帯料金割引のおかげで渋滞そのものが少なくなり、以前に比べ渋滞による遅延の割合は減少しつつある。
伊那・飯田線、諏訪・岡谷線では、バス事業者数が多くなるため、運行分担比率についての調整が難しい。
山梨県内に乗降エリアがないにもかかわらず伊那線に参入している山梨交通、東京都と山梨県に営業エリアを持つ富士急の存在が、話を複雑にしていると言われている[誰によって?]。
そのためだけではないが、松本線以降開設の路線では、東京側の事業者は京王のみとなっている。
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