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日本の政治家、研究者、作家 (1952-) ウィキペディアから
青山 繁晴(あおやま しげはる、1952年〈昭和27年〉7月25日 - )は、日本の政治家、作家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、日本の尊厳と国益を護る会(護る会)代表、参議院環境委員長、自由民主党大阪府支部連合会会長、近畿大学経済学部客員教授、東京大学学生有志ゼミ講師[1]。
「政治献金を1円も受け取らず、政治資金集めパーティも一切開かず、団体の支持は受けず、後援会を作らず、後援会長を置かず、完全無派閥」という新しい国会議員の生き方を掲げている[2]。
自由民主党・党員獲得数3年連続1位(2021年度、2022年度、2023年度)[3][4]。
元独立総合研究所代表取締役社長・兼・首席研究員(安全保障および国家政策など)、元三菱総合研究所専門研究員、元共同通信社記者(事件記者、経済記者、政治記者)[注 2][5]、東京大学教養学部元非常勤講師[6]。
妻は水産学研究者・水産学博士、東京海洋大学特任准教授、独立総合研究所社長の青山千春、長男は同研究所前社長の青山大樹[7]。
1952年7月25日、兵庫県神戸市長田区に生まれる。3人兄弟の末っ子[8]。長田幼稚園に通う。父親の青山濱二は8人兄弟の末弟で、明治維新後に創業した実家の青山織物株式会社[9]の神戸支店に勤務、やがて、社長に就任し加西郡泉町(現:加西市)へ転居。高校卒業まで同地で過ごした[10][11][12]。
1971年3月、淳心学院中高等学校を卒業。同年4月慶應義塾大学文学部に入学。1974年2月に中途退学し早稲田大学政治経済学部経済学科を受験[13]、入学[14]。共同通信社の追加募集を見つけた当時の恋人で現在の妻である千春から勧められ、採用試験を受験し合格[15]。1979年3月、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業[16]。
1979年4月、26歳で共同通信社に入社[16]。徳島支局へ赴任、徳島県警の事件記者を担当。徳島大学病院不正事件等の記事を配信していく。新人研修が終わり同期社員が全国に散る前の同年5月25日、港区青山にて妻千春と結婚[17]。 1983年6月、京都支局へ異動、京都府警キャップの任に就き、その後、途中数か月間、宗教記者を担当し、再び、京都府政を担当。
1984年4月、大阪支社経済部に異動。証券、繊維、財務、金融業界を担当[18]。
1987年4月、東京本社政治部に異動。首相官邸記者クラブでは第3次中曽根内閣の最後の1年間、竹下内閣の組閣後半年間、中曽根康弘、竹下登両内閣総理大臣の総理番を担当。自民党では三木派・河本派を担当。民社党・社民連、法務省・検察庁、労働省・連合、防衛庁の担当を歴任。
その後「天皇班」に配属され、いわゆる昭和天皇の崩御への「Xデー」に向けた、新元号(平成)の取材活動を行った[19]。 防衛庁担当時は、防衛大綱の取材を担当し、その頃から政治記者であったが、単発的に防衛庁から、研修講師を依頼されており、1994年10月、職員上級・中級研修講師を委嘱される。
1995年12月、外務省サブキャップを担当。ペルー日本大使公邸占拠事件発生直後にペルー入りし、半年間ペルーに滞在して事件の一部始終を取材した。1996年12月、共同通信ペルー特派員。この体験が引き金となり、記者を退職することを決意した。1997年12月31日、共同通信社を依願退社。
1998年1月1日付で株式会社三菱総合研究所に入社、政策・経済研究センターにて国家戦略立案の専門研究員となる[13]。
2000年4月、小説第1作「夜想交叉路」で第90回 文學界新人賞にノミネートされた[注 3]、しかし90回の新人賞は該当者無しとなる。その後、11年3か月ぶりに小説を脱稿した[20]。 同年5月、中川暢三市長時代の兵庫県加西市の「加西市総合計画特別審議員」を委嘱される[21]。 同年6月には関西テレビの選挙解説者を委嘱される。2015年3月に至る迄、選挙解説、ニュース解説として『FNNスーパーニュースアンカー』に出演していた[13]。また、同年7月、民放連から民放連賞の九州地区の選考委員を委嘱される[21]。
2002年4月 三菱総研時代の仲間数人と独立して、有限会社独立総合研究所を設立。代表取締役社長兼主任研究員に就任。研究者として、主に安全保障・危機管理・外交・政治を専門分野とし、専門分野はエネルギー安全保障、危機管理、国家安全保障、国際関係論、国家戦略の講演・講義を行っている。
同年5月には経済産業省の総合資源エネルギー調査会の専門委員に任命される。2006年1月、カタールの中東戦略会議に参加。間に招待されない年もあったが、2012年も日本から1人の参加となった[22]。 研究者としては主に安全保障・危機管理・外交・政治を専門分野とし各所で講演・講義を行っている。専門分野はエネルギー安全保障、危機管理、国家安全保障、国際関係論、国家戦略立案。 2006年7月 経済産業大臣の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」の原子力安全・保安部会原子力防災小委員会 危機管理ワーキンググループ委員[23]に四たび任命[要出典]。2006年12月 内閣総理大臣の任命により原子力委員会・専門委員(原子力防護専門部会所属)に就任。 2007年1月 海上保安庁の公式政策アドバイザーに就任[16]。2007年4月 近畿大学経済学部・国際経済学科の客員教授[24](国際関係論)に就任した。少なくとも同学においては、2016年[25]から2024年[26]までの間に客員教授として講演を行っている[27]。2016年4月から、東京大学教養学部の学生自主ゼミ非常勤講師となり、ゼミを担当[5]。
2013年9月26日、レギュラーコメンテーターとして番組参加(出演)していた、『ザ・ボイス そこまで言うか!』(ニッポン放送)の青山が出ていた放送回が「平成25年度 日本民間放送連盟賞 番組部門ラジオ教養番組」で優秀を受賞[28]。
2016年6月20日、大阪市北区の帝国ホテル大阪にて記者会見を行い、通算8回目の出馬依頼を受諾し、第24回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬する事を表明[29][30]し、その際には「1期6年しかやらない。政治献金は1円も受け取らない」[31]とし、比例区全体の6位である48万1890票を獲得し当選を果たした[32]。 また、選挙結果の当落関係無く、6月30日付で独立総合研究所の社長職を退任する事を発表した[33]。また、一個人の研究員として独研からの業務委託にて政策研究、作家、メディアでの情報発信活動も継続している。
2016年7月7日号週刊文春で、「青山が共同通信時代のペルー事件取材で経費を私的に流用した、として退社に追い込まれた」とする記事が掲載される。文春の取材に対して反論を行い、「虚偽の内容で選挙妨害に当たる」として、7月2日に週刊文春の記者と文春を東京地検特捜部に刑事告発した。その後、2017年1月に特捜部から告発の受理の有無についての解答が来た事を明かした。また、取材費の退職金からの相殺については、月刊Hanadaの編集長である花田紀凱は自身の取材として、「高額の取材費計上されるケースは理解出来る範疇であり、記事を掲載した文藝春秋社の松井清人社長が安倍政権を「極右の塊」と認識しているので、中傷記事が掲載される事は時間の問題であり、特段問題が無いことである[要出典]」と見解を示した。
2016年11月10日、所属する経済産業委員会の資源エネルギーに関する調査会にて、 改正 石油天然ガス・金属鉱物資源機構法の審議で、世耕弘成経済産業大臣(第3次安倍第2次改造内閣)等に対し初めて委員会質問を行った[34]。その後も、所属する拉致問題特別委員会や資源エネルギーに関する調査会にて複数回の質問機会を得て、質問を実施してきた。
2017年5月17日、朝日新聞の報道から端を発した「加計学園問題」にて、同年7月10日、第193回国会文教科学委員会・内閣委員会連合審査会 閉会後第1回[35]と7月25日の同回国会 予算委員会[36]にて参考人招致した、文部科学省前事務次官の前川喜平、元愛媛県知事である加戸守行等に質疑を行った[37][注 4]。また、資源エネルギーに関する調査会のエネルギー調査団として、フランスのフランス電力公社、放射性廃棄物管理機構、国際熱核融合実験炉機構等を視察している[38][39]。
2019年9月、自民党参議院政策審議副会長、女性局長代理に就任。[要出典]
2021年7月、山口泰明選挙対策委員長を含めた党選挙対策本部から、青山を含めた第24回当選組の任期満了に伴う、2022年7月改選予定である第26回参議院議員通常選挙の出馬意向についてヒアリングが行われ、前述の1期6年の条件を翻して出馬する意向[注 5]を示した事を自身のYouTubeチャンネル動画にて明かした[40]。同月14日に自民党は、第一次公認候補の発表を行い青山も公認候補の一人として発表された[41][42]。
青山は「政治家には納期が必要である」として来たが、同時に、当選後間もなく例えば自民党の部会等を通して、他の官僚やベテラン、若手議員から「(官僚等にとって)困った人物が現れたが1期6年しかやらないと言ってるから(1期でいなくなるから)6年我慢したらいいんだと役所が喜んでいるよ」と言われたとも語っており[43]同様の趣旨の発言(1期でやめる等の発言は控えるべきであると周囲から言われている等)を複数回してきた。
「青山繁晴チャンネル・ぼくらの国会」のショート動画YouTube Shortsでも「1期6年で本当に辞めるつもりでした。しかし、6年間で成果があがらなかったんじゃなくて実は成果が出て、経済産業省が自前資源を開発しようとしたり、或いは自由民主党の中で「日本の尊厳と国益を護る会(護る会)」という新しい議員集団が出来たり、出来たことが積み重なっていったので、もしここでぼくがいなくなったら大逆流を起こすから、出来なかったこと、(例えば)拉致被害者の救出、憲法改正を進めるためにも、前へ前へ進めるためです。」と発言している[44]。
2023年10月11日に発売した著書『戦 TELL-ALL BOOK』で2024年自由民主党総裁選挙出馬を明言。11月17日には自身のYouTubeチャンネルで質問に答える形で出馬を再度明言[45]。2024年8月23日には国会内で記者会見し、出馬に改めて意欲を示した[46][47]。しかし、立候補に必要な国会議員20人の推薦人を確保できず、9月12日の告示日に立候補を届出なかった[48][49]。総裁選の1回目投票では加藤勝信に投じ、決選投票では高市早苗に投票したと、自身のXで明かした。 また、総裁選後にNHKに対して自身が出馬表明が1番早かったにもかかわらず、報道しなかった事態に対して自身の権利の侵害があったとして「放送法第9条および第4条」に基づいて正式抗議。その際に『NHKは、視聴者からの問い合わせに対し「推薦人が20人集まる見通しが立っていないため」などと説明しているが、他の候補者が少なくとも5人以上、推薦人が20人集まるめどが立っていない段階で、青山繁晴だけを除外していたのであり、この説明は明らかに虚偽である』と主張。
また第102代内閣総理大臣である石破茂がおこなった衆議院解散選挙後、自民党が野党に35議席も少なくなるという事態に対して自民党の両院議員懇談会にて石破茂に「しかるべき時期に総理は辞表を出されるべき。来年夏の都議選と参院選を石破総理にやってほしいとは自由民主党に限らず民意として思っていません」と発言[50]。
2024年12月22日に大阪市内で自民党大阪府連が定期大会を開き、先の衆院選で落選した谷川とむの後任の府連会長に選出され就任[52]。大阪府外の選出で直近迄大阪府連への所属が無い議員の会長就任は異例であると報じられた[53]。
座右の銘は「脱私即的(だっしそくてき)」(意味:私を脱し、本来の目的に付く)で、早稲田大学政治経済学部を卒業してから共同通信へ入社するまでの26歳の頃に、自身の体験から考案した造語である[159][160]。他にも、「深淡生」(深く淡く生きて死す。即ち≪思い切り自由に、深々と謙虚に、淡々と強靭に、命のまんなかは真実でいよう≫の意)も座右の銘として挙げている。また、「武士道精神」を重んじ、『葉隠』を愛読している[161][162]。
国会議員当選前の肩書きについては、「実務家」であると定めている。自身が特に、「ジャーナリスト[注 16]」、「評論家」、「タレント」として見られることには常々否定的見解を示しており、2002年4月に独立総合研究所を設立してから2016年7月に国会議員になるまでは、自身の第一の肩書は実務家「独立総合研究所社長」としていた[163]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第24回参議院議員通常選挙 | 2016年 7月10日 | 63 | 参議院比例区 | 自由民主党 | 48万1890票 | 9.88% | 48 | / | 2/19 |
当 | 第26回参議院議員通常選挙 | 2022年 7月10日 | 69 | 参議院比例区 | 自由民主党 | 37万3786票 | 8.23% | 50 | / | 5/18 |
本人は「テレビ番組には出ているが、自分の考えを述べているだけで他の出演者と違い演じている訳では無いので、出演という言葉を使わない」という旨の発言をしている[213]。
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