須田 慎一郎(すだ しんいちろう、1961年〈昭和36年〉8月26日[1] - )は、日本のジャーナリスト。
概要 須田 慎一郎(すだ しんいちろう), 生誕 ...
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東京都世田谷区下馬出身、小学2年の秋に親の仕事の都合で足立区竹の塚へ転居[2]。東京都立上野高等学校卒業後、日本大学経済学部に進学。
後述の理由で、まともな就職活動を行って来なかった事で、日大卒業後の4月に中小の金融専門の雑誌社に入社[3]。5年程所属し、退職して経済界に移籍。移籍後から並行してアルバイトを開始し、毎日新聞東京本社の社外スタッフとして勤務。毎日新聞社からプロパー移籍のオファーをされたが拒否し、フリーランスのジャーナリストに転じ[4]、週刊ポストの契約記者を務めながら、『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)のリサーチャーとして参画[3]。歳川隆雄の代役として現場リポーターとして出演し、以後番組の出役と執筆活動を行っており、銀行業界をはじめ金融界、日本銀行、財務省、金融庁、検察庁に多くの人脈を持つ[5]。
性格
- 高橋洋一と長谷川幸洋の共著によると、須田は強面だが人間性としては極めて丁寧である。これは出会う人すべてが取材対象であるという信念のためであるという[10]。
交友関係
- 前述の『サンデープロジェクト』の出役デビューのサポート役が当時:同番組に出演していた元読売新聞大阪本社社会部記者であったジャーナリストの大谷昭宏で、同番組で出会って以後番組での立ち回り方等を教わる関係が20年以上の続く恩人であった事で[3]、須田の結婚式では大谷が仲人を務めた[11]。
- 衆議院議員の馬淵澄夫は上野高校の一年先輩で、『そこまで言って委員会NP』の番組内等で、馬淵と共演や政治資金パーティのスピーチをしてる関係性だが、「高校時代よく殴られた」と語っている[12]。
エピソード
- 須田のニックネームである「社長」[13]は、高校時代から呼称されていた[3]。『たかじんのそこまで言って委員会』、『ビートたけしのTVタックル』に出演後から、司会者のやしきたかじんやビートたけしから「おじ貴」と名付けられた[14]。
- 高校時代から殆ど勉強せず、東大進学者も居る中の日大進学はマイノリティと自認しており、その理由は満員電車が苦手だったと自ら明かしている。上野高校は単位制だった事もあり、卒業出来無い処まで追い込まれていた[3]。その為か大学時代も同様に136単位必要のところ、17単位しか取得して居なかったため2年次に国際経済ゼミに入講した、ゼミ担当教授が3年次の学年担任であった事で学校に呼び出され、4年で卒業する為の単位取得の授業、試験対策を行った結果卒業出来たとしている[3]。
- 前述の中小の経済雑誌社に入社後に大阪への配属を命じられた為[3]6年弱程、大阪市阿倍野区に居住していたことがあり[15]、毎年大晦日には釜ヶ崎を訪れており[16]、ライフワークとして越冬闘争を取材していた。
- 毎日新聞の外部スタッフ時代にイトマン事件の特別取材班として取材を担当しており、総合商社の伊藤萬が振り出した5000億円のコマーシャルペーパーを出した当時の住友銀行玉井英二副頭取に取材し、事実を認めた事で当時毎日新聞の1面を飾った事がある[3]。
- 「取材の一環」で抗争中の暴力団の組長を取材した際に、同乗していた高級車をヒットマンに銃撃されたが防弾ガラスで一命を取り留めた事を『たかじんNOマネー』の最終回で語った[17]。
- 財務省幹部を名乗る匿名の人物からの伝聞として、禁煙推進の裏には巨大な利権があると主張している[18]。
- 神奈川県や兵庫県が制定した受動喫煙防止条例について「禁煙ファッショ」と称して批判しており、「『喫煙者=悪』と決めつけ、肝心の国民生活や国民経済への配慮を欠く点に問題があり、多くの悪影響をもたらしている」と持論を述べている。また、2011年時点で厚生労働省が法制化を目指していた受動喫煙防止法についても「結論有りきの議論に問題がある」と批判している[19]。
- 2017年の加計学園の獣医学部設置に関しては、今治市による設置申請が文部科学省から認められず、第1次安倍政権でも却下されているなど、規制官庁の思惑だけで「岩盤規制」がおこなわれていたと主張し、この問題を告発した文科省事務方トップであった前川喜平が「正義の告発者」でないのは明らかであると述べている[20]。また、週3回も出会い系バーへ通う時間があるなら、今治市を訪問し「地域の実情に目を向けるべきだったのではないだろうか」と批判している[21]。
- RSA暗号は既に破られていると主張している[22]。
- 4桁の暗証番号で認証することをRSA暗号と呼んでいる[23]。
過去
- レギュラー
インターネット動画配信
- #渋谷オルガン坂生徒会(DHCテレビ)※専門家
- ニュース女子(DHCテレビ)※代理MC、コメンテーター
- 闇鍋ジャーナル(仮)
月刊経営塾 1996年9月号 須田慎一郎本人の記事より。