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日本の小売企業 ウィキペディアから
株式会社パルコ(英: PARCO CO., LTD.)は、ファッションビルの「PARCO(パルコ)」 を全国で展開する日本の企業。PARCO以外の商業施設も展開している。大丸松坂屋百貨店などを傘下に持つJ.フロント リテイリングの100%子会社である。 かつては旧セゾングループ(西武流通グループ)の一員であった。
池袋PARCO(本店) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
機関設計 | 監査役設置会社[1] |
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒150-0045 東京都渋谷区神泉町8番16号 渋谷ファーストプレイス |
本店所在地 |
〒171-0022 東京都豊島区南池袋一丁目28番2号 |
設立 | 1953年(昭和28年)2月13日(池袋ステーションビル株式会社) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 6013301010215 |
事業内容 | 都市型ファッションビルの開発・運営 |
代表者 |
川瀬 賢二 (代表取締役兼社長執行役員) |
資本金 |
343億67百万円 (2019年2月28日現在) |
発行済株式総数 |
101,462,977株 (2019年2月28日現在) |
売上高 |
単体:562億88百万円 連結:899億69百万円 (2019年2月期) (IFRSの営業収益) |
純利益 |
単体:32億37百万円 連結:33億70百万円 (2019年2月期) (IFRSの当期利益) |
純資産 |
単体:1,255億96百万円 連結:1,269億08百万円 (2019年2月28日現在) (IFRSの資本) |
総資産 |
単体:2,719億09百万円 連結:2,753億69百万円 (2019年2月28日現在) (IFRS) |
従業員数 |
単体:651名 (他に臨時従業員年間平均212名) 連結:2,208名 (他に臨時従業員年間平均1,018名) (2019年2月28日現在) |
決算期 | 毎年2月末 |
主要株主 |
J.フロント リテイリング 100% (2020年3月23日現在) |
主要子会社 | 関連会社の項目を参照 |
関係する人物 | 堤清二、増田通二、伊東勇 |
外部リンク | https://www.parco.co.jp/ |
国内外の主に大都市中心部でファッションビル「PARCO」を18店舗、「ZERO GATE」を9店舗展開している。他に、PARCO劇場、シネクイント、CLUB QUATTRO、TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ、radio drive plusなどの劇場やライブハウス、ラジオ番組、PARCO出版、パルコブックセンター(のちリブロに統合)など、文化・ソフト事業も幅広く手がけてきた。特に旗艦店である渋谷パルコは渋谷カルチャーの代名詞的存在であり、渋谷が現在のように若者の街として成長する原動力となった。
かつて堤清二が率いた西武百貨店を中核としたセゾングループの一角を成したが、パルコについては直接関与せず、全面的に増田通二に託して自由を与えた経緯から、独特の個性が出来上がった[2]。セゾン系本流とは別にパルコ独自の劇場や出版社を持ち、広告手法も異なった。PARCOは若年層、西武百貨店は中高年層を主な顧客ターゲットにして棲み分けがなされているが、西武百貨店がない地域にある一部のPARCOでは、ターゲット層をやや上の年齢層まで広げている。
2011年以降、「PARCO」とは別業態の「ZERO GATE」(ゼロゲート)という中低層商業ビルの展開を進めている。
2012年にJ.フロント リテイリングが株式を取得し、徐々に出資比率を高めていった。2020年には100%の株式を取得しついにJ.フロントの完全子会社となった。これをきっかけにそれまで大丸松坂屋百貨店などが管轄していた不動産事業をパルコに移管し、グループ資源の集約化を目指している[3]。他にも百貨店の店舗内にパルコを入居させるなど、小売事業である百貨店と不動産事業のファッションビルの協業を進めている。2020年には大丸心斎橋店北館で心斎橋パルコが復活した。
パルコ発祥の店、旧国鉄・池袋駅の駅ビル開発を目的に設立された「池袋ステーションビル」が前身。当初はホテルを核テナントとする予定であったが、途中で方針を転換。京都の百貨店丸物(後の近鉄百貨店)から出資を受け入れ、1957年(昭和32年)「東京丸物」の店名でオープンした。
1969年(昭和44年)、業績低迷を理由に丸物が撤退し、小佐野賢治の仲介で西武百貨店の資本参加を仰ぐことになった。同年、池袋の東京丸物の跡地にファッションビルパルコ1号店が開店した。
なお、丸物傘下から西武百貨店の傘下になった百貨店として豊橋丸物(西武百貨店の傘下に入ったのち豊橋西武。豊橋市にあった)があり、2003年(平成15年)まで営業していた。現在は建て替えられココラフロントとなっている。
セゾングループの解体後は森トラストグループが筆頭株主となり、旧セゾングループではクレディセゾンが主要株主となった。また同社は子会社で、洋楽に強く文化人らに定評があったCDショップ運営会社のWAVEをタワーレコードに売却[4][注 1]、さらに洋書や思想書に定評があり、文化戦略の一翼を担った個性派書店チェーン[5]のLIBROを日本出版販売株式会社に売却するなど[6]、各事業から撤退している。森トラスト資本参加後はリニューアルを強化、売り場のテーマ性を明確にし収益性を高めた。
2005年より「中期経営5カ年計画」を推進し、主に政令指定都市への連続出店を展開した。その第1弾として、2007年(平成19年)3月15日に新規出店としては10年ぶりとなる「静岡PARCO」を静岡市の西武百貨店静岡店跡に開店した。同年10月10日にはさいたま市に「浦和PARCO」、2008年(平成20年)8月23日には東北地方の拠点都市である仙台市に「仙台PARCO」を開店した。2010年(平成22年)3月19日には、九州地方の拠点都市である福岡市天神の岩田屋旧本館跡にも「福岡PARCO」をオープンさせた。
2010年からの中期経営計画では京浜・京阪神の未出店エリアへの出店、地域特性に応じた既存店舗の業態特化、アジアを中心とした海外進出などを挙げている。
当時の大株主だった森トラストではパルコへの出資比率を50%弱まで引き上げたい考えがあり、2010年1月にはパルコに対して第三者割当増資による出資比率引き上げを打診したものの、パルコ経営陣はこれを拒否。それどころか、2010年8月には日本政策投資銀行との資本提携を発表し[7]、転換社債の発行により同社がパルコの事実上の第2位株主になった(潜在株式の18.71%を所有)。このため森トラストはこの提携に反対の意向を示した[8]。
2011年2月にはイオンが、パルコの発行済株式の12.31%を取得したことを発表した。イオンではパルコとの協力により都市型ショッピングセンターや海外展開の強化を進めたいとの意向を示し、森トラストも「イオンが現在表明している内容に特に異論はない」として、イオンとの提携に前向きな姿勢を示したことから[9]、その後協議を進め3月17日には経営陣の刷新やフォーラス・ビブレといったイオン側の既存施設のパルコへの移管等を含む具体的な提携案を提出したものの、パルコ側はこれを拒否した[10]。
しかし経営陣の刷新について森トラストがイオン案に同意することを表明するなど、両社合計で約45%の株式を保有するイオン・森トラスト側の提案が成立する可能性が高まったため、同年4月20日に森トラスト・イオンとパルコとの間で社長の更迭を含む合意書が締結され[11]、イオンとの業務提携に向けた検討を行うこととなった。ただその後具体的な提携交渉は進まず、状況は膠着状態となった。
2012年2月24日、森トラストが保有するパルコ株の全てをJ.フロント リテイリングが取得する方針が発表され[12]、筆頭株主となった(取得:3月23日)。さらに7月5日にJ.フロント リテイリングによる株式公開買い付け(TOB)と資本業務提携を発表[13]、8月21日にはTOBが成立してJ.フロントが株式の65%を保有する親会社となった[14][15]。なお既存の大株主については、日本政策投資銀行がTOBに応じ株式の大半を売却したのに対し[16]、イオンはTOBに応じず、株式保有を継続した[17]。
J.フロント傘下の大丸・松坂屋等の百貨店とパルコの協業も進んでいる。2013年の夏には、名古屋PARCOと隣接する松坂屋名古屋店においてクリアランスセールのコラボレーションやホームページの相互リンクが行われている。また、J.フロントの傘下になった事に伴い、2014年9月1日から全国百貨店共通商品券や大丸・松坂屋の商品券についても利用可能になった[18]。2017年秋に新装オープンした松坂屋上野店の新南館にはパルコの大人向け業態「PARCO_ya」(パルコヤ)がキーテナントとして入居した[19]。なお、浦和PARCO(2007年開業)内には傘下入りする前から大丸がテナント(食品フロア)として入居していたが、2017年7月31日に退店している。2019年にリニューアルされた大丸心斎橋店本館はテナントの割合を高めた店舗構成になっており、パルコのファッションビル事業のノウハウが活かされている。2020年11月には大丸心斎橋店北館が「心斎橋PARCO」としてリニューアルされる。
これら協業の進展を受けて、J.フロントは2019年12月、完全子会社化を目的としてパルコに対し再度TOBを実施する事を表明[20]。前回のTOBに応募しなかったイオンやクレディセゾンなどの大株主も賛同したため[21][22]、2020年2月18日にTOBが成立[23]。上場廃止を経て[24]、パルコはJ.フロントの完全子会社となった。J.フロントの不動産事業はパルコに移管され、一元化された。なお、イオンTOB賛同後の2020年8月25日には松本パルコとイオンモール松本が共同でショッピング企画の開催を発表しており関係改善がうかがえる[25]。
パルコが頭角を現すのは渋谷への進出からだと言われる。1960年代以降のセゾングループは拠点を渋谷に求めたが、東京都区部における当時の代表的な繁華街といえば新宿や銀座であり、異質な文化を求める若者は六本木に集まっていた。渋谷は坂に囲まれた複雑な地形にあり、当時としては商業集積地に適さないと予想され、渋谷進出を危惧する声は根強かった。そうした予測に反し、パルコは若者カルチャーやアートとクロスオーバーさせた斬新な展開で挑み、大きな反響を呼ぶことになる。
また、セゾングループ時代のパルコの斬新なテレビ広告はしばしば話題になった。その一つにニューヨークのハドソン川を内田裕也がスーツで泳ぐCMがあった。
尾崎豊、竹内まりや、中島みゆき、B'z、山下達郎ら、数多くのミュージシャンの歌詞にも使われている「渋谷公園通り」は、パルコの店舗に面しており、その名称はパルコがイタリア語で「公園」を意味していることや、代々木公園に通じていることに由来する。
東京・渋谷にある坂の愛称。パルコなど、かつてのセゾングループの極めて計画的なイメージ戦略の下、1975年(昭和50年)に命名された。
ダイハツ工業と提携し、1988年(昭和63年)にミラの特別仕様車が発売され、その後、1995年(平成7年)にはオプティ、2001年(平成13年)にはムーヴ、YRVにパルコ仕様グレードが設定された。また、過去にはパルコ全店舗でダイハツ車の展示会を行っていた。しかし、2002年(平成14年)にはセゾングループの経営再建とムーヴのフルモデルチェンジに伴って提携解消。
PARCOオルガン坂大賞(パルコオルガンざかたいしょう)とは、1980年代に行われた公募音楽コンテストである。のちにプロとして活躍する幾組かのミュージシャンを輩出した。
「オルガン坂」とは渋谷にあるパルコ店舗「パルコPart1・Part3」が並ぶ坂の通称である。近隣の井ノ頭通り・ハンズ渋谷店前の交差点から坂を上り、Part1前の交差点までを指す。由来には周辺に音楽関連の店が多かったためと、ハンズの階段がオルガンの鍵盤のように見えるためという2説がある[39]。
パルコ出版の雑誌『ビックリハウス』誌上では、1982年11月号で「第1回オルガン坂作詞大賞」が発表された。1984年には「第2回オルガン坂大賞」が開催されている[40]。
1985年3月20日に行われた「第3回オルガン坂大賞」の発表コンサート[41]は、パルコPart.1にあるPARCO劇場にて行われた。このときの審査員のひとりには立川直樹[42]、応募者には後にZABADAKを結成する吉良知彦がいた。吉良は自主制作アルバム『AFTER THE MATTER』で応募し、このアルバムが多重録音作品であったため演奏をどうするか悩んだ結果、当日、後にZABADAKメンバーとなる上野洋子と口パクによる歌唱の合間にオリジナル曲「オハイオ殺人事件」の世界を表現した演劇風のパフォーマンスを行ったという[42]。吉良はグランプリや2位の受賞は逃したが、後日審査員の立川に声をかけられ、東芝EMIからZABADAKとしてメジャーデビューした[42]。
松井寛は高校生時に同賞に応募し、その際の審査員には坂本龍一、大貫妙子、菊池武夫がいた[43]。松井は2位となり、その後PARCO音楽出版預かりの作曲・編曲家としてCM音楽を手掛けたのを経てプロの道を歩んだ[43]。
パルコが独自に展開する水着の販促活動。2003年(平成15年)より休止期間を挟み、毎年水着キャンペーンガールを1名選んでポスターモデルに起用している。中でも渋谷パルコの外壁には巨大看板が掲げられている。
一般に水着キャンペーンガールは新人モデルから選ばれるが、当キャンペーンガールは既に芸能界でキャリアを積んだタレントが主に選ばれる傾向にある[注 2]。またホリプロからの起用が多い(☆印)[注 3]。
順位 | 店舗 | 売上高 |
---|---|---|
1位 | 渋谷PARCO | 359億円 |
2位 | 名古屋PARCO | 309億円 |
3位 | 浦和PARCO | 284億円 |
4位 | 心斎橋PARCO | 260億円 |
5位 | 池袋PARCO | 255億円 |
6位 | 福岡PARCO | 244億円 |
7位 | 仙台PARCO | 199億円 |
8位 | 調布PARCO | 189億円 |
9位 | 札幌PARCO | 135億円 |
10位 | 広島PARCO | 132億円 |
11位 | 錦糸町PARCO | 104億円 |
12位 | PARCO_ya上野 | 84億円 |
13位 | 吉祥寺PARCO | 84億円 |
14位 | 新所沢PARCO | 78億円 |
15位 | ひばりヶ丘PARCO | 73億円 |
16位 | 静岡PARCO | 72億円 |
17位 | 松本PARCO | 40億円 |
「都市型店舗」「コミュニティ型店舗」というのは現行店舗の分類であり[51]、店舗分類は過去に何度も変更されたため、過去の店舗についてはこの店舗分類を適用せずに記す。
小規模で多数のテナントで構成する大型ビルのPARCO業態とは異なり、都心部一等地に限定した中低層商業施設を、単独または少数のテナントで構成するファッションビル形態[118]。もともとは1ブランドで多くの店舗面積を必要とするファストファッションの受け皿として開発された商業ビルである。FOREVER21の破綻など2010年代後半からのファストファッションブランドの勢いの停滞により、ファストファッションブランドやアパレル以外のテナントも増えている。
なお「都市型店舗」及び「コミュニティ型店舗」の店舗分類はPARCO業態にのみ適用され、ZERO GATE業態には適用されない[51]。
閉鎖した店舗は背景が灰色。
親会社J.フロント リテイリングとの会計基準統一等の目的で、2018年2月期(2017年度)決算より、従来の日本会計基準から国際財務報告基準(IFRS)に変更した[142]。これにより、従来の日本会計基準ではテナント(入居する専門店)の売上総額を中心とした売上高としていたのを、国際財務報告基準(IFRS)では、テナントから徴収する営業料を中心とした営業収益に変更された。より実質的な収入が売上指標となったことで、次の2点が解消されることとなった。
売上高
営業収益 |
営業利益 | 当期利益 | |
---|---|---|---|
2015年度(日本会計基準) | 売上高 2,763億円 | 127億円 | 60億円 |
2016年度(日本会計基準) | 売上高 2,683億円 | 128億円 | 75億円 |
2017年度(国際財務報告基準) | 営業収益 916億円 | 117億円 | 78億円 |
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