Loading AI tools
かつて大阪府大阪市中央区の心斎橋に存在した日本の百貨店 ウィキペディアから
そごう心斎橋本店(そごうしんさいばしほんてん)は、かつて大阪府大阪市中央区の心斎橋に存在したそごう・西武が運営する百貨店。本項では、2000年12月25日まで株式会社そごうが同じ場所で運営していたそごう大阪店についても記述する。
心斎橋そごうと呼ばれた大阪店はそごうの本店であり、呉服商時代から心斎橋筋に店を構えていた。2000年のそごうグループ経営破綻により大阪店は休業、西武百貨店と共同で再起をかけ、建て替えを経て創業の地に心斎橋本店を開業させたものの、経営不振により2度目の閉店となった。
大阪ミナミの御堂筋沿いに所在したそごう一号店。旗艦店の役割を果たしていた。通称「心斎橋そごう(しんさいばしそごう)」。オープン時のキャッチフレーズは「お遊びに、お買物に」。キャッチコピーは「ガラスと大理石の家」「ピカピカの新館に新品溢る」。
1877年に心斎橋へ移転して以来、隣接する大丸とは呉服商・百貨店として競合関係にあり、結果的に心斎橋筋商店街全体の活性化につながった。
1935年に開業したアールデコ様式の店舗は、村野建築事務所の村野藤吾が設計し大倉土木が建設した(SRC造地下3階・地上8階。31,697m)。「ガラスブロックと大理石の殿堂」と呼ばれるほど贅沢な造りで、モダニズム建築の傑作と評され心斎橋のシンボルとなった。日本初のプラスチックパネルを用いたヌードエスカレーターをはじめ、館内にはシンボルゾーンとして「光の樹」、藤川勇造作のシンボルモニュメント「飛躍の像」が設置され、エレベーターの扉は島野三秋作の「漆螺鈿装飾扉」、館内の天井には鶴丸梅吉作のモザイクタイル天井画「天空」が使用されていた。
終戦後に進駐軍に接収されたが、1952年に接収解除され再開店した。その際に本支店の呼称を廃し、「大阪本店」を「大阪店」、「神戸支店」を「神戸店」に変更した。再開店後の改修により建物の大理石部分はモザイクタイルに変更された。1969年には「株式会社設立50周年記念事業」として増築開店した。
1982年から6年間をかけ「魅力化計画」と称して半年ごとに少しずつリモデルを進め、全館のリモデルを進めていった[2]。1991年11月に地階に「世界の人形時計」としてからくり時計が設置された(閉鎖後、解体に伴い撤去)。
1955年公開の東宝映画『ゴジラの逆襲』の宣伝用スチールに使われ、1989年公開のハリウッド映画『ブラック・レイン』も当店近くで収録された。
2000年12月25日に閉店。最終営業日まで1935年に竣工した建物を使用していた。閉店翌年以降も株式会社そごうは施設に灯りを点け続け、無償で施設を貸すなどの活用策を数年間続けていた。建築物としての歴史的価値が高く評価され、施設保存を訴え解体に反対する声が挙がったものの、建て替えに伴い施設は2003年に解体撤去された。
そごう心斎橋本店 SOGO SHINSAIBASHI | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 |
〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1丁目8番3号 |
開業日 | 2005年9月7日[3] |
閉業日 | 2009年8月31日 |
土地所有者 | 株式会社そごう・西武 |
施設所有者 | 株式会社そごう・西武 |
施設管理者 | 株式会社そごう・西武 |
設計者 | 竹中工務店 |
施工者 | 竹中工務店JV |
敷地面積 | 4,804.1 m²[3] |
延床面積 | 58175.05→58,400 m2[3] |
商業施設面積 | 40,000 m2[3] |
中核店舗 | そごう心斎橋本店 |
営業時間 | 10:00 - 20:30[3](レストランフロア 11:00 - 22:00[3]) |
駐車台数 | 1,300[3]台 |
前身 | そごう大阪店 |
後身 |
大丸心斎橋店 北館 ↓ 心斎橋パルコ |
最寄駅 | 心斎橋駅 |
外部リンク | アーカイブ 2008年11月23日 - ウェイバックマシン ホームページ |
SOGO |
そごう大阪店の解体後、大阪店の跡地は、当初は三越へ売却する予定だったが、当時のそごうの親会社のミレニアムリテイリング社長で、そごう再建を手がけた和田繁明(元西武百貨店社長)の発案により用地売却を撤回した。
2003年12月に建設工事に着工し、2005年8月に竣工。同年9月に「そごう再生のシンボル」として[4]、大阪店の跡地に開業した。心斎橋本店開業時のキャッチフレーズは「なにわ遊覧百貨店」。CMキャラクターに女優の宮沢りえを起用し、大阪らしい賑やかさと華やかさを強調したテレビCMや新聞広告を積極的に展開した。
ミレニアムリテイリングはそごう心斎橋本店の開店に先立ち、2005年6月にそごうの登記上の本店所在地を大阪市中央区へ移し、商品本部に関西担当を新設、西武百貨店の関西法人外商部をそごうに移管し関西地区の法人外商をそごうに一本化、同時にそごうの関東地区の法人外商を西武百貨店へ移管するなど[5]、復活させたそごう心斎橋本店を中心に関西地区での事業の強化を計画していた。同時に西武百貨店池袋店も、そごう心斎橋本店の開業を前に「池袋本店」に店名変更[5] している。
ミレニアムリテイリング内の西武百貨店と差別化するため、中高年の富裕層をターゲットにした高級志向の店舗展開を図り、個性的なテナント構成を目指して開店当初は話題となったが、近隣のアメリカ村をはじめとする心斎橋界隈の急速な若年齢層化に対応しきれず、厳しい経営を余儀なくされた。
心斎橋本店のオープン当時は、そごう経営破綻からの再起の集大成として注目を集めた[4]。開店からわずか1か月の間に200万人が来館[4]。再開店から1年後の時点では、再開店前と比較して1日あたりの来客が3,000人増えた[6]。しかし初年度(2006年度)の売上は目標の500億円に届かず、477億円の売上を計上して営業赤字となった[7]。
心斎橋本店が開業した2005年には、隣接するライバル店「大丸心斎橋店」の売上と客数が共に15%増加した。当時の大丸会長であった奥田務は、客の取り合いで売り上げや客数はプラスマイナスゼロと予測していたと述べている[8]。
2006年9月1日に、再オープン1年を記念して得意客を招いた茶会「心斎橋遊覧お茶会」を催した。1587年に豊臣秀吉が開いた「北野大茶会」を模したもので、同年9月2日から11日まで規模を縮小して一般客にも茶を振舞った[9]。
2005年に営業を再開したものの、当初の年間売上目標500億円[3] には届かず、約4億円の追加投資を行って売場の改装などを実施したものの[10] 年々売上が減少し[4]、開店から一度も黒字転換することなく[10]、新装開店からわずか4年で、創業の地から2度目の撤退を迎えることになった。
2008年2月期のセブン&アイの決算補足資料を見ても、そごうの主要店舗として売上高が記載されているのは横浜店・千葉店・神戸店のみであり、心斎橋本店の売上高は当時561億円あった神戸店の売上高を下回っていたものと思われる[11]。
「再生のシンボル」として開店した心斎橋本店は、大阪店閉店から9年弱、念願の再開店からわずか4年で、そごう創業の地から完全撤退という形での閉店を余儀なくされた。奇しくもそごうが心斎橋で百貨店事業を始めた1919年から90年という節目の年であった。2009年8月19日から最終営業日までは「そごう心斎橋本店カウントダウン」として閉店までの日数を入口前に表示していた。8月31日に心斎橋本店は閉店した。8月1日にセブン&アイ・ホールディングス傘下となっていたミレニアムリテイリングとそごう・西武百貨店が合併しそごう・西武となったが、心斎橋本店はその最初の閉鎖店舗となった。
閉店から間もない2009年9月に、店の屋上に置かれたそごうの創業者・十合伊兵衛のブロンズ製の座像が月の上旬に撤去されることになった際、そごうの元社員らが拝観に訪れるようになったという。坐像は心斎橋本店が「再生のシンボル」として誕生した際に、のれんを守るとの誓いを込めて制作されたもので、当面はそごう神戸店で保管されるとしていた[12]。しかしその後、そごう神戸店もエイチ・ツー・オーリテイリングへ譲渡されたため、2018年にそごう横浜店の屋上へ移設されている[13]。
S・SRC造の地下2階 - 地上14階[3]、延床面積58,400m2[3]、営業面積約40,000m2[3]。ハートビル法の認定を受けていた[3]。当初は地上8階・地下3階で建設する予定だったが、売場面積の拡張を狙い、建物の容積率の規制緩和を待って着工したため営業再開が延期した。
建物のデザインと企画はアメリカ・シアトルのキャリソン・アーキテクチャー社が手がけた[3]。2006年2月には、アメリカの店舗デザイン専門誌『VMSD』が主催する国際店舗デザインコンテストの総合百貨店部門で、そごう心斎橋本店が1位に選ばれた。
2007年11月26日に、大阪府・大阪市・大阪府建築士会の3者が「個性豊かな都市景観作りに貢献した建物」として、第27回「大阪都市景観建築賞(大阪まちなみ賞)」の知事賞にそごう心斎橋本店が選ばれた。選定理由として、施設の壁面に曲線を用いたバルコニーデザインを取り入れていたことを挙げ、遠景近景ともに御堂筋と調和していることが評価された[14]。
心斎橋本店の閉館後、株式会社そごう・西武が保有していた心斎橋本店の土地・建物は、隣接する大丸(現:大丸松坂屋百貨店、J.フロント リテイリング傘下)に379億1,000万円で売却された[4]。2009年9月末に建物の引渡しが行われ[4]、2か月間の改装を経て、2009年11月14日に「大丸心斎橋店 北館」としてリニューアルオープンした。14階に併設されていた「そごう劇場」は「大丸心斎橋劇場」へ改称された。その後、デパ地下の復活などを経て、2019年9月に「大丸心斎橋店 北館」が閉館した。
リニューアル工事の後、J.フロント リテイリング傘下のパルコとしてリニューアルされることになり、2020年11月20日、心斎橋PARCOとして開店した[15]。当初は2021年春の予定だったが、前倒しでの開業となった。なお、この心斎橋PARCOは2代目店舗で、2011年まで当地の北方に初代店舗があった。
一方、そごう・西武はそごう神戸店を関西の拠点として関西地区での事業の再構築を図ったが[10]、業績不振が続いたため、2017年にそごう神戸店・西武高槻店をエイチ・ツー・オーリテイリングへ譲渡した[16]。売却後も「そごう」「西武」の屋号はしばらく維持されたが、2019年にそごう神戸店は神戸阪急、西武高槻店は高槻阪急へと転換された。
2020年にそごう西神店と西武大津店も閉店[17][18]、関西地区からそごう・西武の百貨店事業は完全に撤退した。2021年現在、法人向けの商事事業部は大阪市に西日本商事部を置いている[19]。これにより、大阪を発祥とするそごうの店舗は関西地区から消滅することとなった。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.