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日本のサッカークラブ ウィキペディアから
ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフユナイテッドいちはら・ちば、英: JEF United Ichihara Chiba)は、日本の千葉県市原市、千葉市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の1つ。呼称はジェフユナイテッド千葉(ジェフユナイテッドちば)。
クラブハウス | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 未上場 |
本社所在地 |
日本 〒260-0835 千葉県千葉市中央区川崎町1-38 ユナイテッドパーク[1] |
設立 | 1991年6月11日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 8040001014252 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 | 島田亮 |
資本金 | 4億9000万円[3] |
売上高 | 28億3800万円 (2020年1月期)[3] |
営業利益 | 1億1600万円(2020年1月期)[3] |
経常利益 | 500万円(2020年1月期)[3] |
純利益 |
▲5475万円 (2024年1月期)[4] |
総資産 |
19億3954万3000円 (2024年1月期)[4] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 |
東日本旅客鉄道 50%[2] 古河電気工業 50%[2] |
特記事項: 2009年10月1日に株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブより商号変更。またチーム事務所は当初浦安市→市原市にあった。 |
1946年創部の古河電気工業サッカー部を前身とする。ホームタウンは2002年まで千葉県市原市、2003年から市原市および千葉市へ変更・広域化された。ホームスタジアムはフクダ電子アリーナ、練習場はユナイテッドパークであり、クラブハウスも同地に立地している[1](詳細は#スタジアムを参照)。
運営会社はジェフユナイテッド株式会社(2009年10月1日に株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブより商号変更[2])。東日本旅客鉄道(JR東日本)と古河電気工業(古河)が50%ずつ出資(資本金:4.9億円)[2]している。なお、2008年までは資本金1億円であったが、クラブハウス(2009年10月竣工)建設費調達などの関係から、2009年に増額された[5]。
クラブ名の「ジェフユナイテッド」(JEF UNITED、ユナイテッド=結束した)はクラブとホームタウンの結びつき、チームの協調・連帯感を表現しており、1991年に公募で決定された[1]。なお、JEFは、クラブの母体となったJR-East(=JR東日本)・Furukawa(=古河)の略称にも由来するともいわれている[6]。なお、クラブの呼称は当初ジェフユナイテッド市原であったが、2005年シーズンより現在の呼称としている。
クラブのエンブレムおよびマスコットには秋田犬がモチーフとして用いられている。マスコットは背番号2の「ジェフィ」(兄)、背番号9の「ユニティ」(弟)であり[1][7]、両マスコットの背番号の和が11となることは1つのチームを示している。2011年6月に雌のミックス犬(雑種)「みなちゃん」がマスコットに加わった(背番号は12)[7]。
1946年創部の古河電気工業サッカー部が前身。1965年の日本サッカーリーグ(JSL)に発足時から参加。日本リーグ時代は三菱重工(現・浦和レッズ)や日立(現・柏レイソル)とともに丸の内御三家と言われ、JSL優勝2回、天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝4回、JSLカップ優勝3回の成績を収める。また、アジアクラブ選手権1986-87で優勝し日本のクラブとしては初めてとなるアジアタイトルを獲得した。
1991年6月、運営母体が古河電気工業と東日本旅客鉄道(JR東日本)が共同出資して設立した「株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブ」となり、チーム名称を「東日本JR古河サッカークラブ」へ変更[8]。また、同年11月にチームニックネームが「ジェフユナイテッド」に決定した[8]。
ホームタウンについては、古河の拠点としていた横浜市とは別の場所を選定することになり、一時は千葉県習志野市の習志野市秋津サッカー場を本拠地にすることが内定したものの、騒音問題などを危惧した周辺住民からの反対運動により断念[9]。最終的に1992年5月に千葉県市原市をホームタウンとすることが決定した[8]。また、ホームスタジアムとして、市原緑地運動公園臨海競技場(以下「市原臨海」)を改修して使用することになった。
なお、1992年のJリーグカップは、太田市運動公園陸上競技場(群馬県)、平塚競技場(神奈川県)、千葉県総合スポーツセンター陸上競技場(千葉県)、および西が丘サッカー場(東京都北区)で主催試合を開催した。
1993年の開幕戦を前にピエール・リトバルスキーが加入。開幕戦はサンフレッチェ広島F.Cと対戦(1-2で敗戦)、2節のヴェルディ川崎戦で初勝利を挙げ、横浜マリノスを5-0で破るなど、リトバルスキー加入効果で一時は首位に立つ好スタートを切るが[10]、攻撃面ではリトバルスキー依存症とも言える状態となり[10]、失速してファーストステージは5位で終えた[10]。セカンドステージからオッツェが加入するも、リトバルスキーの分まで守備で奮闘していたフランタがメンバーから外れるようになるとチームのバランスが崩れ[10]、また下川健一ら守備陣の負傷離脱もあって低迷[10]、9位でセカンドステージを終えた[10]。加藤好男が現役を引退した。
1994年、日本代表でコーチを務めていた清雲栄純が監督に就任、ルーキーとして城彰二、秋葉忠宏が加入、城はデビュー戦から4試合連続で得点を挙げる活躍を見せたが[11][12]、1stステージは6位、2ndステージは9位に終わった。2ndステージからマスロバルが加入、2ndステージ途中、監督との関係が上手くいかないリトバルスキーと来期の契約を結ばないことが明るみに出るなど[13]、リトバルスキーは終盤戦には全く起用されなくなり、攻撃の中心はマスロバルへと移った。年間順位も9位と振るわない中、30得点を挙げたオッツェが得点王となるが、このシーズン限りで退団[14]、パベル、フランタ、阪倉裕二らも退団、リトバルスキーは引退した。
1995年、清雲栄純が監督を続投、ウィントン・ルーファー、ゴラン・バシリエビッチらを獲得。1stステージ6位、2ndステージ7位、年間総合では5位となった。1stステージ5節で柏レイソルとのJリーグ史上初の千葉ダービーが行われ、バシリエビッチが得点を決めて勝利した[15]。宮澤ミッシェルは引退、越後和男、後藤義一、バシリエビッチらが退団した。
1996年、奥寺康彦が監督に就任。イワン・ハシェックを獲得、シーズン後半からピーター・ボスが加入したが、リーグ戦は年間9位。ルーファーがシーズン終盤に、城彰二、ハシェックがシーズン終了後に退団した。
1997年、初の外国人監督となるヤン・フェルシュライエンが監督に就任。ラデが加入。マスロバルが年間を通じて負傷でフル稼働出来なかったことも影響して、1stステージは15位、2ndステージは14位、天皇杯ベスト16、Jリーグカップはベスト8。2ndステージ開幕を前にラデが退団し、アーノルド・スコルテンが加入したがチームは低迷した。
1998年までに運営会社の本社機能を浦安市から市原市へ移転。武田修宏、金大儀を獲得したが、1stステージ11位。2ndステージ開幕を前にマシュー・ビングリーを獲得したが、2勝15敗で最下位、同年年間成績で16位となりJ1参入決定戦に回り、アビスパ福岡に連勝して残留する。同年のJリーグカップでは、準決勝で鹿島アントラーズと対戦、マスロバルのハットトリックで勝利し、初の決勝進出を果たしたが、ジュビロ磐田に敗れて準優勝に終わった[16]。シーズン終了後にマスロバル、スコルテンが契約満了で退団、江尻篤彦が引退した。
1999年はゲルト・エンゲルスが新監督に就任。バロンをレンタルで獲得。1stステージ15位でエンゲルスは解任され、2ndステージからニコラエ・ザムフィールが新監督に就任、ピーター・ボスが複帰したが、2ndステージは最終節前で勝ち点1差の15位で、最終節でG大阪に勝利し他会場の結果により年間13位となり残留。ボスは引退、武田修宏が自由契約となり退団した。
2000年2月に姉崎公園サッカー場へ練習場も移転して、クラブ機能の市原市への移転が完了した[8]。同年1stステージ11位、2ndステージ最下位、年間14位の成績で、J1残留。オフには主力である山口智がG大阪、酒井友之が名古屋グランパスエイト、そしてバロンが清水エスパルスへそれぞれ移籍した。
2001年に当時韓国代表のFW崔龍洙とボスニア・ヘルツェゴビナ代表のMFエディン・ムイチンそしてスロベニア代表のDFジェリコ・ミリノビッチが加入、1stステージ2位、2ndステージは5位で年間順位は3位。シーズン終了後にベルデニックが名古屋へ移籍。2002年は ベングロシュが監督に就任、1stステージ8位、2ndステージ11位で天皇杯はベスト4。
年度 | チーム得点王 | 得点 | 備考 |
1993 | パベル | 16得点 | |
1994 | オルデネビッツ | 30得点 | Jリーグ得点王 |
1995 | ルーファー | 21得点 | |
1996 | ハシェック | 12得点 | |
1997 | マスロバル | 9得点 | |
1998 | 武田修宏 | 13得点 | |
1999 | バロン | 17得点 | |
2000 | 13得点 | ||
2001 | 崔龍洙 | 21得点 | |
2002 | 16得点 | ||
2003 | 17得点 | ||
2004 | マルキーニョス | 12得点 | |
2005 | 巻誠一郎 阿部勇樹 | ||
2006 | 巻誠一郎 | ||
2007 | 水野晃樹 | 9得点 | |
2008 | 巻誠一郎 | 11得点 | |
2009 | 深井正樹 | 6得点 | |
2010 | ネット | 10得点 | |
2011 | 深井正樹 | 14得点 | |
2012 | 藤田祥史 | 15得点 | |
2013 | ケンペス | 22得点 | J2得点王 |
2014 | 13得点 | ||
2015 | ペチュニク | 14得点 | |
2016 | 町田也真人 | 11得点 | |
2017 | ラリベイ | 19得点 | |
2018 | 船山貴之 | ||
2019 | クレーベ | 17得点 | |
2020 | クレーベ 山下敬大 | 7得点 | |
2021 | 見木友哉 | 14得点 | |
2022 | 新井一耀 | 8得点 | |
2023 | 小森飛絢 | 14得点 |
※2022年5月10日現在。
※2022年5月10日現在。
※2021年8月30日現在。他クラブでの出場は含まない。
※200試合以上。2021年12月5日現在。他クラブでの出場は含まない。
※他クラブでの得点は含まない。
※2018年12月1日現在。
※2021年1月1日現在。
ホームスタジアムは千葉市中央区の千葉市蘇我スポーツ公園内にあるフクダ電子アリーナ(フクアリ、千葉市蘇我球技場)で、2005年10月以降は原則として全てのホームゲームをここで開催している。
Jリーグ発足当初は市原市の市原緑地運動公園臨海競技場(市原臨海、現・ゼットエーオリプリスタジアム)をホームスタジアムとして、複数のスタジアムでホームゲームを開催していたが、2002 FIFAワールドカップ誘致を前提に市原市で計画されていた千葉県営の新スタジアム計画が頓挫したこともあり、クラブは2002年シーズン開幕前に「千葉市蘇我スポーツ公園内の球技場(=フクアリ)が完成した後、市原臨海と同球技場を併用する」方針を示し、2005年10月からフクアリでのホームゲームを開始した。一方、市原臨海は新スタジアム計画が頓挫したことを受けて改修工事が必要となっていたが、日本サッカー協会より「観客席を2万人以上収容出来るようにし、席を全て個別席とすること」「客席の2/3以上覆える屋根を設置すること」「総座席数に対し、毎試合、観客席の8割以上の観客を動員すること」などの条件を与えられており、市営競技場である市原臨海が当該スペックを満たすためには市の負担が大きく、スタジアムの改修工事続行を断念した。なお、市原臨海でのジェフのホームゲームは2007年以降開催されておらず、Jリーグに提示した本拠地登録も2010年を最後に抹消されている。
なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「ジェフユナイテッド市原・千葉の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。
練習場とクラブハウスは千葉市蘇我スポーツ公園・フクダ電子アリーナの隣接地にあるユナイテッドパーク。2009年10月にトップチームやユースチームなどの練習場・クラブハウスとして開設し、公園内の施設共々活用されている。2015年より毎年秋にユナイテッドパークを会場とした「ユナパまつり」も行われ、サポーターや地域住民の交流の場となっている。
Jリーグ発足当初は浦安市千鳥の古河電気工業所有地に練習場(ジェフユナイテッド市原舞浜グラウンド[26])があったが、2000年に練習場が当時のホームスタジアムに近い市原市の姉崎公園サッカー場へ移転。舞浜ではジュニアユースチーム(ジェフユナイテッド・ジュニアユース舞浜)及び舞浜スクールが活動を続けていたが、2005年3月に舞浜スクールが閉鎖され、替わって2005年からは習志野市茜浜のレナウンインテリジェントジャンクション内の天然芝グラウンド(アメリカンフットボールチーム・レナウンローバーズの元練習場で、現在はXリーグ所属のオービックシーガルズが使用)にて習志野スクールが活動している[27]。
レディースの練習場については、「ジェフユナイテッド市原・千葉レディース#練習場・クラブハウス」を参照。
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 富士電機 | Fe 富士電機 | 2007年 - | |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | 古河電気工業 | 古河電工 | 2018年 - | 1998年1月 - 10月、1999年、2002年、2005年は袖 1998年 - 2001年、2003年 - 2004年は背中上部 2001年 - 2002年4月は胸 1998年1月 - 10月、1999年は「古河」表記 |
JR東日本 | JR東日本 | 2018年 - | 1995年、2003年 - 2004年は袖 1998年 - 2000年は胸 1995年は「[vjuː] びゅう」表記 1998年 - 2002年、2005年は「JR東日本」表記 2009年4月 - 2018年は「Suica」表記 | |
背中上部 | JRE MALL | 2001年 - 2002年 2005年 2009年4月 - | ||
背中下部 | 新昭和 | 新昭和 | 2016年 - | |
袖 | 三井化学 | TPX | 2023年 - [28] | |
パンツ前面 | 千葉ステーションビル | PeRIe | 2009年 - | 2009年 - 2016年は「PeRIe JR東日本グループ」表記 |
パンツ背面 | なし | - | - |
Jリーグ加盟以来継続して「JEF UNITED」のロゴと同一デザインのオリジナルフォントを採用していたが、リーグ統一フォント導入により2021年から変更となった。
左胸のエンブレム上の星2つ(★)は2005年および2006年のヤマザキナビスコカップの優勝を表している。
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
1992 | SEGA[注釈 5] | 解禁前 | - | 解禁前 | Pentel | 解禁前 | 解禁前 | asics | |
1993 | JR EΛST FURUKΛWΛ | Mizuno / asics | |||||||
1994 | |||||||||
1995 | [vjuː] びゅう | ||||||||
1996 | 0088 日本テレコム | ||||||||
1997 | J-PHONE | テレコムしよう。 0088 日本テレコム | Mizuno | ||||||
1998 | JR東日本 | 古河電工 | 古河 / 古河電工不動産 | ||||||
1999 | 古河 | ||||||||
2000 | J-PHONE | ||||||||
2001 | 古河電工 | JR東日本 | - | ||||||
2002 | 古河電工 / オートウェーブ | 古河電工 | - | ||||||
2003 | オートウェーブ | 古河電工 | JR東日本 | ||||||
2004 | |||||||||
2005 | JR東日本 | 古河電工 | |||||||
2006 | Sammy | 君津住宅 | QB HOUSE | ||||||
2007 | Fe 富士電機 | - | Kappa | ||||||
2008 | - | - / Sammy | |||||||
2009 | - / Suica | PeRIe JR東日本グループ | |||||||
2010 | Suica | 君 津 住 宅 | |||||||
2011 | |||||||||
2012 | |||||||||
2013 | |||||||||
2014 | |||||||||
2015 | - / 大衆酒場 ちばチャン | ||||||||
2016 | 新昭和 | 大衆酒場 ちばチャン | |||||||
2017 | - | PeRIe | |||||||
2018 | 古河電工 | JR東日本 | - / ZOZO TOWN | ||||||
2019 | JRE MALL | ZOZO TOWN | |||||||
2020 | - | ||||||||
2021 | |||||||||
2022 | hummel | ||||||||
2023 | TPX |
サッカースクールは千葉市中央区および美浜区、市原市、木更津市(幼児対象)で運営している[31]。シニア向けや女性向けのスクールも開校されている[31]。かつては浦安市や栃木県宇都宮市(ジェフユナイテッドクオーレ)の他、東北電力名取スポーツパーク(NASPA、宮城県名取市)と提携してスクールの運営も行っていた(東日本大震災後にNASPA自体が閉鎖)。これは、ジェフがJリーグ発足当初、市原市を中心とし、JR東日本沿線の東北、関東、甲信越の各地域を広域的にネットワークする構想を持っていたことの名残りである。また、スクールのデリバリー版として「サッカーおとどけ隊」が主に市原市、千葉市内の保育園・幼稚園・小学校・中学校などを範囲として訪問しており、千葉大学等と提携した指導者向けの講習や、千葉市や周辺地域の指導者講習への講師派遣も行っている。
小学生年代(U-12)には前述の普及に主眼を置いたスクールの他にチームは持っていなかったが、2017年より将来的にトップチームや世界の舞台で活躍する選手を育成することを目的とした「ジェフユナイテッド市原・千葉 エリートプログラムU-12 強化スクール」を開校し、セレクションを開始[32]。2017年10月には、2018年よりジェフユナイテッド千葉U-12を正式に設立し、2018年度のU-10チームより活動を始めることが発表された[33]。
ジュニアユース(U-15)は市原市辰巳台地区と習志野市茜浜地区の2チームが存在したが、2010年より統合されフクダ電子フィールド等を拠点とした1チームで活動している。
ユース(U-18)はトップチームらと同様にユナイテッドパークやフクダ電子スクエア・フクダ電子フィールド等を拠点として活動を行っている。2017年度より下級生などを中心としたBチームも高校生年代のリーグ戦に参入し、育成機会の増加を図っている。
下部・関連組織として、女子チームのジェフユナイテッド市原・千葉レディースがある。ジェフLは当初(1992年)からジェフの下部組織として運営されており、レディースのU-18・U-15チームも活動している。
なお、社会人(第1種)のセカンドチームとしてジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズが活動していたが、2011年を以て活動を終了した。
2023年12月、千葉市を本拠地にアカデミーチームを運営する「特定非営利活動法人・コラソン千葉スポーツクラブ」と業務提携を結び、「ジェフユナイテッド市原・千葉(U-15/U-12)コラソン」とすることが発表された[34]。業務提携の内容としては、
を挙げている。
ジェフユナイテッド市原・千葉の決算は、つぎのとおり。
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
2005 | 2,722 | 1,279 | 439 | 426 | 576 | 2,548 | 2,191 | N.A. | 357 | 174 | -128 |
2006 | 2,887 | 1,316 | 564 | 366 | 641 | 2,652 | 2,489 | 1,436 | 263 | 135 | 86 |
2007 | 3,112 | 1,347 | 568 | 267 | 930 | 2,692 | 2,412 | 1,310 | 280 | 420 | 94 |
2008 | 3,564 | 1,324 | 595 | 252 | 1,394 | 3,173 | 2,859 | 1,612 | 315 | 391 | -11 |
2009 | 2,683 | 1,432 | 605 | 219 | 427 | 3,036 | 2,602 | 1,552 | 434 | -353 | -638 |
2010 | 2,306 | 1,373 | 454 | 114 | 365 | 2,622 | 2,205 | 1,349 | 417 | -316 | -312 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2011 | 2,422 | 1,622 | 368 | 108 | 44 | 280 | 2,200 | 1,003 | 162 | 216 | 35 | 36 | 748 | 222 | 46 |
2012 | 2,408 | 1,617 | 341 | 110 | 53 | 287 | 2,232 | 1,038 | 147 | 230 | 53 | 69 | 696 | 176 | 138 |
2013 | 2,330 | 1,515 | 353 | 100 | 55 | 307 | 2,217 | 994 | 146 | 262 | 73 | 66 | 676 | 113 | 97 |
2014 | 2,300 | 1,537 | 315 | 98 | 65 | 285 | 2,338 | 1,065 | 140 | 279 | 92 | 68 | 694 | -38 | -89 |
2015 | 2,504 | 1,641 | 360 | 93 | 64 | 346 | 2,387 | 1,045 | 153 | 243 | 85 | 71 | 790 | 117 | 31 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2016 | 2,556 | 1,659 | 333 | 93 | 64 | 173 | 234 | 2,435 | 899 | 157 | 374 | 89 | 76 | 160 | 680 | 121 | 57 |
2017 | 2,593 | 1,704 | 337 | 146 | 111 | 153 | 142 | 2,597 | 1,177 | 156 | 271 | 115 | 70 | 119 | 689 | -4 | -7 |
2018 | 2,893 | 1,994 | 332 | 146 | 114 | 145 | 162 | 2,778 | 1,272 | 168 | 334 | 115 | 64 | 116 | 709 | 115 | 63 |
2019 | 2,838 | 1,954 | 326 | 144 | 125 | 144 | 145 | 2,722 | 1,153 | 166 | 335 | 143 | 73 | 115 | 737 | 116 | 5 |
2020 | 2,503 | 1,906 | 133 | 151 | 76 | 114 | 123 | 2,677 | 1,444 | 142 | 218 | 82 | 42 | 89 | 660 | -174 | -175 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2021 | 2,372 | 1,655 | 188 | 158 | 69 | 118 | 183 | 2,359 | 1,053 | 158 | 211 | 98 | 75 | 88 | 676 | 12 | 1 |
2022 | |||||||||||||||||
2023 | |||||||||||||||||
2024 | |||||||||||||||||
2025 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2021
金額の単位: 百万円
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
2005 | 646 | 385 | 260 | 100 |
2006 | 751 | 404 | 347 | 100 |
2007 | 1,041 | 600 | 441 | 100 |
2008 | 992 | 562 | 430 | 100 |
2009 | 1,519 | 948 | 572 | 490 |
2010 | 1,483 | 1,224 | 259 | 490 |
2011 | 1,387 | 1,082 | 305 | 490 |
2012 | 1,361 | 919 | 442 | 490 |
2013 | 1,375 | 835 | 540 | 490 |
2014 | 1,313 | 863 | 450 | 490 |
2015 | 1,365 | 885 | 480 | 490 |
2016 | 1,558 | 1,020 | 538 | 490 |
2017 | 1,527 | 997 | 530 | 490 |
2018 | 1,836 | 1,243 | 593 | 490 |
2019 | 1,662 | 1,082 | 579 | 490 |
2020 | 1,810 | 1,405 | 404 | 490 |
2021 | 2,080 | 1,674 | 405 | 490 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019 2020
金額の単位: 百万円
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