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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
田口 泰士(たぐち たいし、1991年3月16日 - )は、沖縄県那覇市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジェフユナイテッド千葉所属。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表。
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名前 | ||||||
愛称 | タイシ | |||||
カタカナ | タグチ タイシ | |||||
ラテン文字 | TAGUCHI Taishi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1991年3月16日(33歳) | |||||
出身地 | 沖縄県那覇市 | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジェフユナイテッド千葉 | |||||
ポジション | MF(CMF) | |||||
背番号 | 4 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2006-2008 | 流通経済大学付属柏高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2017 | 名古屋グランパス | 155 | (16) | |||
2018-2019 | ジュビロ磐田 | 54 | (4) | |||
2020- | ジェフユナイテッド千葉 | 128 | (6) | |||
通算 | 337 | (26) | ||||
代表歴2 | ||||||
2014 | 日本 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月3日現在。 2. 2014年11月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
4歳上の兄の影響で幼稚園児のときからサッカーを始め[1]、那覇市立小禄南小学校時は1年生からFC南スポーツ少年団に所属[1]、6年生時にはU-12日本代表に選抜された[2]。小学校卒業後は那覇市立小禄中学校に進学。2年生時にナショナルトレセンの九州選抜に選出[3]。県内からはU-13の田口と、U-14の上里琢文の2人だけであった[3]。3年生時には県内から唯一U-14日本選抜チームに選出された[2][4]。3年生時にはキャプテンとしてチームを牽引[5] し、沖縄県中学新人大会で優勝[6]。なお、決勝戦の対戦相手の安岡中学校には、後に高校やプロで同期となる久場光が在籍していた[6]。中学時代から県内の同世代では突出した才能を見せており、国際経験も豊富であった[4]。
流通経済大学付属柏高等学校に進学。2年生時には高円宮杯全日本ユース選手権と全国高等学校サッカー選手権大会での優勝に貢献[2]。3年生時にはキャプテンを務め、高校総体で優勝に導いた[2]。U-15、U-17の各代表にも選出され、2006年のU-15フランコ・ガッリーニ国際大会で優勝、MVPを獲得した[2][1]。 高校の一学年先輩に、大前元紀、比嘉祐介、中里崇宏がいる。
2008年10月、名古屋グランパスへの入団が内定[7]。2009年1月25日、新人選手6人で入団会見を行った[8]。2009年3月15日から19日に行われたU-18日本代表候補合宿に参加[9]。5月2日、リーグ戦第9節京都サンガF.C.戦の後半37分から交代でプロ初出場した[10]。
2011年1月10日から2月15日まで、新井辰也とともにリーガ・エスパニョーラのレアル・ソシエダの練習に参加した。2012年シーズンのリーグ中断期間にドラガン・ストイコビッチ監督のアシスタントコーチを務めていたボシュコ・ジュロヴスキの進言でボランチにコンバートされてからは主力として多くの出場機会を得る[11]。
2015年4月11日、前年から患っていたグロインペイン症候群が3月末に急激に悪化し、長期離脱を余儀なくされた[12]。9月12日、J1リーグ2nd第10節仙台戦で復帰。
2016年シーズンからキャプテンに就任した[13] が、チームはJ2リーグに降格してしまった。シーズン終了後、ガンバ大阪、柏レイソル、サガン鳥栖などからオファーがあったが、降格した責任感を感じて残留することが決まった。
2017年8月6日、第26節の愛媛FC戦でプロ入り初のハットトリックを決めた[14]。レギュラーとして活躍し、チームはJ1昇格プレーオフで勝ち上がり、1年でのJ1昇格を果たした。
2018年シーズンより、ジュビロ磐田に加入[15]。開幕戦の川崎フロンターレ戦では途中からの出場だった[16] が、第2節の古巣・名古屋戦からはスタメンとして出場している。最終的にはレギュラーとして33試合に出場。12月8日に行われたJ1参入プレーオフの東京ヴェルディ戦では、FKを直接決めて磐田のJ1残留に貢献した[17]。
2019年シーズンは、第24節まではスタメンで出場するもチームの不調や自身のパフォーマンスが上昇しなかった事もあり、新監督のフェルナンド・フベロ就任後の第25節からスタメンを外れ、シーズン21試合と出場機会が減少。チームはJ2降格となり、自身は5年ぶりにノーゴールのままシーズンを終えた[18]。12月16日に契約満了によりチームを退団する事が発表された[19]。
2020年シーズンより、ジェフユナイテッド千葉へ移籍[20]。
2014年10月、吉田麻也の負傷に伴い、代わって日本代表に初招集され[21]、10月10日のキリンチャレンジカップ・ジャマイカ戦で日本代表デビューを果たした。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 名古屋 | 28 | J1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 |
2010 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | |||
2011 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 5 | 1 | |||
2012 | 25 | 2 | 2 | 0 | 4 | 0 | 31 | 2 | |||
2013 | 25 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 | |||
2014 | 29 | 1 | 6 | 0 | 3 | 0 | 38 | 1 | |||
2015 | 7 | 11 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 14 | 2 | ||
2016 | 27 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 31 | 2 | |||
2017 | J2 | 34 | 9 | - | 2 | 0 | 36 | 9 | |||
2018 | 磐田 | J1 | 33 | 4 | 2 | 0 | 1 | 0 | 36 | 4 | |
2019 | 21 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 22 | 0 | |||
2020 | 千葉 | 4 | J2 | 31 | 2 | - | - | 31 | 2 | ||
2021 | 27 | 2 | - | 1 | 0 | 28 | 2 | ||||
2022 | 38 | 1 | - | 1 | 0 | 39 | 1 | ||||
2023 | 32 | 1 | - | 0 | 0 | 32 | 1 | ||||
2024 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 175 | 11 | 22 | 0 | 18 | 1 | 215 | 12 | |
日本 | J2 | 162 | 15 | - | 4 | 0 | 166 | 15 | |||
総通算 | 337 | 26 | 22 | 0 | 22 | 1 | 381 | 27 |
その他の公式戦
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 2014年10月10日 | 新潟 | デンカビックスワンスタジアム | ジャマイカ | ○1-0 | アギーレ | キリンチャレンジカップ2014 |
2. | 2014年10月14日 | カラン | シンガポール・ナショナルスタジアム | ブラジル | ●0-4 | アギーレ | 国際親善試合 |
3. | 2014年11月14日 | 豊田 | 豊田スタジアム | ホンジュラス | ○6-0 | アギーレ | キリンチャレンジカップ2014 |
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